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■春退(10)
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表彰式で、全員金メダルを掛けてもらう。MVPは佐藤玲央美が選ばれた。また個人別成績では総得点で佐藤が1位、総3ポイントゴール数で花園がトップ、総アシスト数で武藤がトップだった。総リバウンド数は中国の選手がトップで金子は2位であった。
千里は賞状と賞品をもらってきた玲央美・亜津子と握手したが、玲央美は満面の笑顔だったものの、亜津子が不満そうだったので、後で「どうかしたの?」と訊いたら
「確かに得点数では私が勝ったけどさ、出場した試合数あたりの3Pの数はちーが多い」
と言っていた。
亜津子はインド・タイ戦を除く5試合に出てスリーを22本決めている(4.4M/G). これに対して千里は3試合のみに出場してスリーは17本入れている(5.7M/G). これが亜津子には不満だったようである。
「あっちゃんはレギュラーで私は控えなんだから仕方ないよ。あっちゃん、無茶苦茶マークされてたもん」
と千里は笑顔で言っておいた。
表彰式が終わってから、日本人選手団が不測の事態に備えて警備員さんたちにガードされてロビーに出てきた時、ひとりの女性が
「ダイジョブ、ワタシ、ニホンジンアル」
と極めて怪しげなヨコハマ・ダイアレクト(?)で警備陣を押しのけて近寄って来た。
「鮎川さん!」
と千里が声を上げる。
「お知り合いですか?」
と彼女を捕まえるべきかどうか悩んでいた風の警備の中国人女性からきれいな日本語で尋ねられる。
「是。她是我的朋友」
と千里の方が警備の人に中国語で答える(武漢は湖北省だが北京語である)。それで警備の人は鮎川ゆまから離れて周囲に警戒する態勢に戻った。
「応援に来てくださったんですか?」
と千里は歩きながら話す。
「うん。だって日本がオリンピックに行けるかどうかの大事な試合じゃん。それに千里が出ると聞いて、飛んできたんだよ」
「ありがとうございます。よく試合のチケット取れましたね?」
「ダフ屋から買った」
「すみませーん」
「今日は絶対勝つと思ったからさ。これ選手のみなさんに」
と言って何と黄金のカモメの玉子の箱が出てくる。
他の選手からも歓声が上がる。
「日本から持って来たんですか!」
「優勝したら金メダルにちなんで黄金色のお菓子と思って」
「鮎川さん、ちなみにお菓子の底に小判は入ってませんよね?」
と隣から江美子が言う。江美子は鮎川ゆまと過去に何度か会ったことがある。
「キラちゃん(江美子のコートネーム)、私もそこまでは儲かってないから無理。バックバンドの給料って安いんだよ」
などとゆまは言っていた。
宿舎に戻ってから千里は最初に青葉と電話で話した。
「優勝おめでとう!ずっとネットで試合経過見てた」
「テレビ中継くらいしてくれたらいいのにね。でも優勝できて良かった」
「今回はちー姉って最初から秘密兵器として使われていたのね」
「うん。だから鍵を握る試合だけに出してもらった。私自身が大きな国際大会の経験浅いし、ちょうど三木さんが引退の意志を表明していたし、色々な偶然から私を秘密兵器として使うことができたんだよ。おかげで2004年アテネ五輪以来のオリンピック出場を達成できた」
「ちー姉、本当は全試合に出たくなかった?」
「そりゃ出たいさ。でもFor the teamだよ」
青葉はこの時、一瞬だけ千里の本心が伝わってきたような気がした。
「本戦には最初から出るよね?」
「まあもう秘密兵器にはなれないからね。でもたぶん今回の代表の3分の1は落とされると思う」
「きびしー」
「だって今回ヤング代表で活躍した高梁王子は間違いなくフル代表に入れると思うし、うちの雪子だって当然フル代表狙ってるし、他にユニバ代表だった前田彰恵・大野百合絵もオリンピックに向けての代表候補には絶対リストアップされるよ」
「高梁さんは凄いね」
「まあ私も直前で落とされないように頑張るけどね」
「もう落とされないでしょ」
「鍛錬次第」
その言葉に青葉は心が引き締まる思いだった。
千里は、青葉との電話を終えると、貴司から何度も着信が来ているのに気づく。しかし自分から掛ける気はしないので少し待っていたら、再度貴司から掛かってきたので取った。
「千里、オリンピック切符、おめでとう」
「ありがとう。次は男子の番だよ。貴司頑張ってね」
「うん。女子と違って男子は厳しいけど頑張るよ」
男子の方は9月23日から10月3日に掛けて、同じ中国の長沙(チャンシャー)でアジア選手権が行われる。男子も優勝しなければオリンピックの切符はもらえない。世界最終予選に進むのは女子は3位までだったが、男子は4位までなら行くことができる。なお2位になれば世界最終予選の「ホスト国」になれるので、地の利がある中で戦うことができる。
「でもそちらの大会は調子悪いみたいだね」
「いや調子悪いんじゃなくて、これが日本男子の実力だと思う」
「取り敢えず明日のロシア戦は勝とう」
「ロシアには絶対無理」
「試合前からそんなこと言ってちゃダメだよ」
貴司は現在台湾に居て、ウィリアム・ジョーンズ・カップに出場している。つまり、この通話は実は台湾から中国に掛けているのである。しかし男子日本代表はここまで、台湾A・アメリカ・イラン・フィリピン・ニュージーランドと5連敗した後、やっと昨日韓国に勝ち、今日は台湾Bに勝った。2勝5敗で暫定8位である。
「京平は元気してる?」
「ごめーん。全然家に帰ってないもんだから。でも大丈夫だと思うよ。何も連絡は無いし」
うーん。全くあてにならない男のようだと千里は思う。阿倍子さんも大変だ!
「電話くらいは毎日してるんでしょ?」
「うーんと・・・電話は阿倍子が退院した日に掛けたかな」
「うっそー!? あれから1ヶ月半経ってるのに電話してないの?」
「メールは週に1回くらいしてるんだけど」
「あり得ない。阿倍子さん、凄く不安がってるよ。せめて2〜3日に1度は電話してあげなよ。あとメールは一言二言でもいいから毎日したら?」
「そんなもんかなあ」
「ひょっとして私との電話やメールの方が多くない?」
「う・・・もしかしたらそうかも」
「私はあくまで貴司のお友達だからね。嫉妬されたくないからちゃんと阿倍子さんが不満を持たないようにしてよ。不倫だとか言われて慰謝料請求の訴訟とか起こされるの嫌だからね」
「不倫はしてないつもりなんだけど・・・というか千里させてくれないじゃん」
「当然」
「ねぇ、一度でいいからセックスさせてくれない? その場限りで忘れるというのでもいいからさあ」
この男は全く・・・・。
「奥さんのいる男性とセックスなんてできません」
「もうずっとしてないから、寂しくて」
「自業自得」
「ちゃんとゴムは付けるから」
「そりゃ付けずにするなんて言語道断。そんなことしようとしたらチョン切っちゃうからね」
「相変わらず千里は過激だ」
貴司はその場で千里を結構口説いたものの、千里は断固としてはねのけた。ただ、双方が帰国したタイミングで1度デートしてもいいというのだけ妥協した。
貴司は7日に帰国し、そのあと9月11日には国内で合宿に入って、21日に中国に渡り、23日からのアジア選手権に臨むことになる。
9月6日(日)、コーラスの富山県大会が行われた。
青葉たちは一昨年は助っ人を大量に入れて25人ぎりぎりの人数で出て行った。15校の内規定人数に到達しているのが10校で、その内上位3校が中部大会に出て行けるということであったのだが、青葉たちは5位で上位大会進出はならなかった。
昨年は初めて部員だけで25人以上の人数(33人)を編成して出て行った。参加高校12校のうち規定人数に達しているのが6校で、上位2校が中部大会に進出するということであった。青葉たちは2位でこれをクリア、名古屋近郊の稲沢市まで行って中部大会に参加した。中部大会は18校中5位であった。
今年は逆に制限人数ジャストの40人で出て行く。これ以上増えると今度は参加できない部員が出ることになる。そして今年の富山県大会は昨年より更に参加校数の少ない10校、規定人数に達しているのは昨年と同じ6校で、やはり上位2校が中部大会に進出するということであった。
最初に規定人数に達していない4校が歌った後、正式参加のトップで歌ったのが青葉たちT高校であった。
最初は課題曲の『メイプルシロップ』を歌う。2年生の男子部員・翼のピアノで女声三部合唱で演奏する。実際には3人の男子が入っていて男子制服を着てアルトの所に並んでいるが、女声合唱という立場である。実際には1年生の2人は声を出していないが、3年生の吉田君は裏声で歌ってくれている。吉田君は1年生の時は強引に女子制服を着せられてしまったのだが、今年はちゃんと男子制服である。
今年は春からよくよく練習してきただけあって、かなり満足いく歌唱ができた。会場内の他の学校の生徒たちの拍手もわりと大きかった気がした。
続いて、自由曲『黄金の琵琶』に行く。
舞台下手側、ソプラノの一番前の列に並んでいた1年生の篠崎希がいったん舞台袖まで行って琵琶を持って出てくる。ピアニストの翼の近くにパイプ椅子を置いてそこに座ってスカートの中で足を組み、琵琶を抱える。
この思わぬ楽器の登場に会場内でざわめきが起きた。
なお希は学籍簿上では男子生徒で1学期の間は授業中男子制服を着ていたが、合唱軽音部では最初から女子として登録しており、部活の間は女子制服を着ていた。2学期からは学校の許可も出て授業中も女子制服を着ている。もちろん今日も女子制服を着て出てきているし、さっきの課題曲ではちゃんとソプラノの声を出して歌っていた。この発声法は1学期の間に青葉・空帆に吉田君らが協力して指導したものである。
今鏡先生の合図で希の琵琶が音を出し始める。続いて翼のピアノが鳴りだし、青葉たちは『黄金の琵琶』を歌い始めた。
昨年も一昨年も自由曲を決めたのが随分遅かったが今年は1月に曲を決めて取り敢えず現在の2−3年生だけで練習してきた。4月になってから1年生も入れて練習を更に重ねたし、希の琵琶も加わって本当に格好良い演奏になった。実際、会場内でもかなりのどよめきが起きていた。
演奏が終わると物凄い拍手があった。
その後、他の高校の歌唱を聴く。
昨年1位だったC高校、T高校と同点2位で決選投票で上位進出を逃したY高校、富山の私立高校に黒部市の高校と来て、最後がここ数年毎回1位だったのが昨年初めて中部大会進出を逃したW高校の演奏があった。
審議に入る。
審議は昨年も随分時間が掛かったが今年も長引いているようだった。昨年と同様許可をもらって会場にいる全校でいろいろな歌を歌って時間を過ごした。
やがて審査員長が壇上にあがった。
「大変お待たせしました。昨年も2位が同点3校だったのですが、実は今年も2位が3校あり、再審査に時間が掛かってしまいました」
と最初に説明がある。
それだけ僅差だったということであろう。
「では発表します。1位T高校」
「きゃー!」という声が青葉たちの周辺で起きた。昨年はまさか2位になるとは思ってもいなかったので反応できなかったのだが、今年はやはり昨年中部大会まで行った自信が2〜3年の部員にはあったんだろうなと青葉は思った。
部長の青葉が席を立って前に出て行き、審査員長さんから「富山県大会優勝」の賞状をもらった。笑顔で賞状を自分の学校の生徒たちの方に向けて見せ席に戻る時、W高校の子たちがこちらを凄い顔で睨んでいるのに気づいたが青葉はポーカーフェイスである。
毎年1位を続けて来たのに昨年・今年と2年連続で優勝を逃したのは確かに悔しいだろう。
しかし自分たちが1位なら2位の3校というのはC高校・Y高校・W高校ということだな、と青葉は考えた。
「では続けて2位の発表です。2位C高校」
C高校の席が凄い騒ぎである。部長が飛び上がるようにして小走りで前に出てきて賞状を受け取る。そしてもらった賞状を高く掲げて、振るようにしていた。
「以上。T高校とC高校は中部大会に進出します」
結局昨年と同じ2校が中部大会に行けることになった。
「なお、同点2位の2校はW高校とY高校でした」
Y高校は「残念!」という感じであったが、W高校の子たちは泣いていた。あらあら。なんか揉めなきゃいいけどなと青葉は思った。
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