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■娘たちの面談(13)

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(C)Eriko Kawaguchi 2018-04-08
 
千里は自動車学校で、10/31, 11/1-3 で第1段階、11/4,7,8で第2段階を修了、11/9に卒業試験を受けて合格した。実は第1段階は最低5時間の所を2時間多い7時間掛かっている。第2段階は規定通り7時間で済んだ。
 
9月に普通二輪免許を取った後、1ヶ月半にわたってST250を運転していたことで、けっこう二輪車自体には慣れていたものの、運動神経の良い千里でもさすがに大型バイクはなかなか大変であった。
 
もっとも倒れたバイクを千里がヒョイと起こすので教官が驚いて
「君、いとも簡単に起こしちゃうね」
と感心していた。
 
「そうですか?」
「普通はそのやり方では起こせない。普通はこうやって起こす」
と言って、お手本を見せてくれる。
 
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「ああ、それだと起こしやすそう」
と言って、実際にやってみるとほんとに簡単に起こせる。
 
「何かスポーツでもやってるの?」
「はい、バスケットを少々」
「へー。スポーツ少女なんだね。握力とかも凄いでしょ?」
「握力は80くらいしかないですよ」
「凄い!僕だって60くらいしかないのに」
 
ともかくもそれで卒業した翌日の11月10日(木)、再び幕張近くの運転免許試験場に行き、大型自動二輪免許を手にした。有効期限はこれまでと同じ2014年4月3日までのブルー免許ではあるが、免許の種類が、普通・普自二・大自二の3種類となった。
 

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冬子が政子と一緒に須藤美智子のマンションを訪れ、「ローズクォーツとローズ+リリーの管轄を分ける」という提案をしたのは11月19日になった。この時点で冬子は、最悪須藤と決裂した場合、2億円程度の違約金を払ってUTPとの契約を破棄することも覚悟していた。
 
町添・冬子・丸花の三者会談で、そのような事態になった場合は、○○プロの子会社を設立し、津田アキ(同プロの元専務)に社長を引き受けてもらい、そこと冬子たちが契約するシナリオも考えていた。○○プロの子会社で、須藤も恩のある△△社の津田邦宏社長のお姉さんであればあれば須藤さんも文句を言えないだろうという考えである。
 
冬子はかなり緊張した状態でその申し入れをしたのだが、須藤は明るく了承した。これには冬子も拍子抜けした。
 
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「確かにローズクォーツとローズ+リリーが区別つかなくなっているというのは私も思ってた。せっかくケイを専務にしたしね。うん。じゃそちらはケイが統括してよ」
 
3人の会談は実際問題として、この「担当分割」については数分で済んでしまい、むしろ冬子と政子の恋愛問題について長く話した。
 
須藤美智子が簡単にこの「分離」提案を了承したのは、ローズクォーツ名義でリリースした『夏の日の想い出』がひじょうによく売れていてUTPの核になりそうであったことに加えて、“太荷次長”と一緒に進めていたワランダーズが「かなり有望」と思えていたことがあった。
 
ローズクォーツとワランダーズが売れ出した場合、片方は松島花枝に任せようかとも考えていて、マリのご機嫌を取りながら進めないといけないローズ+リリーはケイが自分にやらせてくれというのなら、それでもいいかと考えたのである。
 
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11月下旬。FM局から新番組のパーソナリティにローズクォーツを使いたいという連絡があったので、デモ版を“ラジカセ”で録音してテープを提出した。ところがスポンサーがそのデモ版を聞いてみた所、メンバーの掛け合いのテンポがよくないのでNGということになり、ローズクォーツの新番組の話は消えた。
 
ところがその代わりのパーソナリティについてスポンサーと放送局側が打合せていた所、『名前は覚えてないのだけど』春に鍋島康平さんの追悼番組の司会をした女子大生ペアが使えないかという話が浮上する。
 
「それはローズ+リリーですね。その片割れのケイちゃんはローズクォーツのボーカルでもあるんですよ」
 
「え?そうだったんですか?」
 
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それで放送局側から「断った直後にこんな話をして申し訳ないのだけど・・・」と言って、ローズ+リリーに番組のパーソナリティを務めてもらえないかという話があらためて来たのであった。
 
対応した花枝は少し呆れたものの、ケイは快諾して1月から「ローズ+リリーとあなた」が始まることになった。
 
その話を聞いたタカはケイに言った。
 
「ケイちゃん、それでなくても忙しいのに、番組を2つ掛け持つなんて無理だと思う。ケイは『ローズクォーツのリクエスト大作戦』からは外れた方がいい」
 
「私が出なくても大丈夫ですか?」
「ヤスを引き込むから何とかなるよ。歌は俺が歌ってもいいし」
 
それでリクエスト大作戦の方は花枝とタカが共同で放送局側と交渉し、1月いっぱいでケイは降板することが決まった。つまり1月だけケイはふたつの番組を掛け持ちする。但しケイの降板は特にアナウンスせず「今日はケイは欠席なんです」と言っておくことにした。
 
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そのヤスこと太田恭史がローズクォーツに参加することになったのは、全くの偶然の経緯であった。
 
12月4日にケイを含むローズクォーツの面々がレコーディングをしていて、お昼を食べようというので近くの食堂に入った。その時、近くの席に偶然太田さんが居たのである。彼はスタジオミュージシャンとして、別のアーティストの音源製作で同じスタジオに入っていたらしい。
 
この時、ローズクォーツって、ほんとに色々な曲が演奏できるよねという話から、いっそカバー曲を集めたアルバムとか作らない?という話になる。それでどんな曲をカバーするかという話をしていた時、その話に興味を持った太田さんが寄ってきて、一緒にあれこれ曲をあげていったのである。
 
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この件はどんどん話が大きくなり、カバー曲を集めたアルバムシリーズを制作しようということになる。この時挙げられたラインナップは下記である。
 
Rose Quarts Plays Rock
Rose Quarts Plays Jazz
Rose Quarts Plays Minyo
Rose Quarts Plays Classic
Rose Quarts Plays Latin
Rose Quarts Plays Pops
Rose Quarts Plays Sakura
Rose Quarts Plays Summer
Rose Quarts Plays Autumn
Rose Quarts Plays Anime Song
Rose Quarts Plays Christmas
Rose Quarts Plays Love Song
 
「まあ作っている内に多少の差し替えは発生するだろうね」
「今何も考えずにジャンルだけ決めたけど、実際選曲してみたら、成り立たないアルバムもあると思う」
「逆にこれもやりたいというのも出てくるだろうしね」
 
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「でもこれだけ作るとなると2〜3年はかかりそうだなあ」
「制作はここにいる6人で」
 
「ちょっと待って。6人って誰々?」
とマリが尋ねる。
 
「今ここにいるじゃん。俺、マキ、サト、ケイ、マリ、ヤス」
とタカが言う。
 
「私もなの〜!?」
とマリが言い、
「僕もなの〜!?」
と勝手に《ヤス》にされてしまった太田さんが言った。
 
芸能界はだいたいこういうノリで物事が決まっていく。
 

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12月5日深夜、町添部長は自宅に、冬子と須藤を呼び、
 
「今後の制作や広報活動では、基本的にローズ+リリーをローズクォーツより優先して欲しい」
 
と通告した。
 
その席でも須藤は、マリがなかなか動いてくれないし、本人の活動意欲も低いままであると、やや不満を言ったのだが、冬子はそのあたりも自分に任せて欲しいと言った。
 
ともかくもこれで今後のローズ+リリーの活動について冬子はローズクォーツ側のスケジュールに煩わされずに、自由に活動できるようになるのである。
 
この方針について元々ローズ+リリーのファンだと言っていたタカも
 
「うん。こちらは何とかするから、ケイはローズ+リリー中心にやってもらった方がいい」
 
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と賛成。それでふたりで話し合い、ケイが出られない時のローズクォーツの代替キーボード演奏者として、先日《Plays》シリーズに参加することになってしまったヤスにお願いすることにしたのである。
 
取り敢えず2月のローズクォーツの全国ツアーではケイの負担を少なくするためにキーボードはヤスにお願いできないかということで彼に連絡してみると偶然、別の仕事がキャンセルになってそのツアーの期間は空いていたということで快諾してくれた。
 
「まあケイがどうしても参加できない日はヤスにボーカルもお願いして女装で歌ってもらうということで」
 
「ちょっと待って」
 

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11月26日、および12月10-11日に千葉県クラブ選抜大会がおこなわれたが、ローキューツは既に9月のクラブ選手権で優勝しているので、こちらには出場しない(選抜は選手権3位以下のチームで争い2位以上が「裏関」こと関東クラブ選抜に出場する)。
 
11月26-27(土日) 栃木県のK大学体育館で、関東総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン予選)が行われた。ローキューツは千葉県予選で優勝しており、出る権利があったのだが、社会人選手権のほうでオールジャパン出場が決まってしまったので、そちらは辞退する。代わって千葉県で準優勝だった千女会が繰り上がり出場した。
 
12月4-11日、今年の多数の海外大会の中で最後となったU16アジア選手権が中国山東省の済南(チーナン)市で開催された。
 
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メインは高校1年生世代(千里たちの5つ下)で、札幌P高校の酒井明穂、岐阜F女子高の大柿友優子、愛知J学園の小池シンシア、岡山E女子高の桃山由里、らが出場した。
 
日本は予選リーグを全勝で通過。準決勝で台湾に勝ち、決勝戦で韓国に勝って、この大会、初優勝を飾った。小池が得点女王とリバウンド女王を取る大活躍であった。
 
この大会は2位までが来年のU17世界選手権に出場できる。中国は前大会の優勝国ではあるが、準決勝で韓国に1点差で負けて、世界選手権への出場を逃した。
 
千里はこの大会の結果を聞いてアンダーエイジの日本代表が自分たちの世代以降どんどん力を付けてきていることを感じるとともに「後ろから追われる脅威」も感じた。
 
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千里は11月10日に大型二輪の免許を取った後、《こうちゃん》に見てもらいながら、雨宮先生からST250の代わりに預かったKawasaki ZZR-1400の練習を始めた。
 
何かあった時に対処しやすいよう、夜間の交通量の少ない時間帯を使う。自動車学校で使用した教習車はYamaha FZX750だったので、ZZR-1400とはかなりギャップがあった。最初はなかなか取り回しができず、またまた道路脇の植え込みに突っ込んだりする。(バレないように《げんちゃん》が修理して塗装も直してくれた)
 
しかし一週間もすればだいぶまともに乗れるようになった。
 
「少し遠出してみようかな」
「高速に乗るか?」
「それは来週!」
 
それでともかくも一般道を走って房総半島一周などしてみた。こういうのをしていると結構曲を思いついたりするので、思いついたらバイクを適当な場所に駐めて五線紙にメロディーや伴奏などを綴っていった。
 
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この時期はバスケットの活動も少し落ち着いているので、神社やファミレスのバイトにも結構出て行く。
 
「夜間店長!凄いバイクに乗ってますね!」
といつもビーノ(50cc)に乗っている後輩の女子大生・晃奈に言われる。
 
「大型二輪の免許取っちゃったからこれで練習中」
「これで練習なんですか?でもこれ相当排気量がありますでしょう?」
「うん。1350ccかな」
「これで慣れて2000ccくらいのに乗るとか?」
「2000ccなんてあったっけ?実はST250を知人が借りていって、代わりにしばらくこれに乗っていてとか言うもんだから」
 
(国産で最大排気量のバイクは多分Yamaha XV1900。外国のメーカーではDodgeのTomahawkが8300cc, Boss Hoss Cyclesの502 big block 8200cc というのがある。ただしDodgeのは四輪バイク!?である)
 
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「そうだったんですか!」
「まあせっかくだからこういう大きなバイクも練習してみようかなと思って」
「でも高そうですね」
「たぶん新車で200万くらいじゃないかなあ」
「乗用車並みの値段ですね!」
「パワーもそのくらいありそう」
「なるほどぉ!」
 

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