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■娘たちの面談(9)

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(C)Eriko Kawaguchi 2018-04-07
 
検査は翌日、土曜日まで掛かるということであったので桃香はサンフランシスコ市内の日本系の旅行代理店を通してサンフランシスコにホテルを確保した。
 
「私もあらためて悩んでみたけど、私はやはりレスビアンであってFTMではない気がする」
とその夜、桃香は千里と一緒の部屋で言っていた。
 
「うん。桃香は女の子に入れていても、それは便宜上そうしているだけであって女の子との接触自体を楽しんでいる気がするよ。だいたい桃香って自分の男の子ネームが無いでしょ?FTMの子は普段から男名前を名乗っているよ」
 
と言いつつ、千里は長年の友人である実弥(留実子)のことを考えていた。彼は鞠古君とずっと続いているし、現在は同棲しているが、事実上ゲイのカップルに近い(周囲からもゲイだと思われている)。性的な役割では実弥がほぼ女役ではあるらしいが、鞠古君は女装も嫌いではないようだし、御飯はだいたい鞠古君が作っているらしい。男女のカップルでないと入場できないような場所にはしばしば鞠古君の方が女装して行っている。ただ積極的に女装したい訳ではないようだ。
 
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「桃男(ももお)」とか小学校の頃、男の友だちから冗談っぽく呼ばれたりはしたけど、自分で男名前を名乗ったことはないよ」
と桃香は言っている。
 
「だから桃香は女の子のままでいいと思うよ」
「じゃ女の子同士のセックスしない?」
「ダメ」
「ケチ。減るものでもないのに」
 

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青葉の検査は10月8日(土)の夕方まで続いた。青葉本人以外に、朋子もかなり質問されたし、桃香・千里もいろいろ検査技師さんに訊かれた。
 
空き時間に桃香が千里に小声の日本語で言う。
 
「ひょっとしたら、この病院のスタッフさんって、性転換している人が随分多くない?」
 
「むしろ、ここの病院のスタッフは全員性転換者ではないかという気がする」
と千里。
 
「うっそー!?」
「たぶんここは、性転換者の、性転換者による、性転換者のための病院」
「凄い」
 

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診断の結果については、来週中にまとめて、倫理委員間でも審議した上で直接郵送するということであった。事前に電話で話した時にはすぐ診断結果が出るような話だったのだが、おそらく今までにないケースで、慎重を期すのだろうと桃香は思った。
 
また手術の許可が出た場合、手術自体も、またその予約も15歳になってからでないと受けられないので、来年の5月22日(太平洋夏時間)以降に予約を入れてくれと言われた。
 
それで帰りの便を確保した上で帰ることにする。
 
「今夜の便で帰るのは辛(つら)いよな?」
と桃香。
「明日以降にしようよ。というか明後日以降にしようよ、1日休みたい気分」
と千里。
 
「じゃ1日休むなら、明日はディズニーランドに行こう」
「まあいいけど」
 
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朋子はそんな疲れるようなことをわざわざやりたくないと言ったものの、といって英語のできない朋子はひとりでは行動できないし、そもそも女性の単独行動は危険でもあるので、結局4人で明日はディズニーランドに行くことにする。それで帰国便は10月10日で確保することにした。
 
例によって桃香は「直前だから安い便が無い」とぶつぶつ言っていた。
 
LAX 10/10 12:30 - 10/11 16:25 NRT (11h55m DL283 A333)
 
帰りは成田到着便にする。なお飛行時間がアメリカに来る時より1時間以上長く掛かるのは、ジェット気流に逆らう向きに飛ぶからである。
 

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それで9日は1日サンフランシスコ近郊のディズニーランドで遊んだ。
 
ここは最初に作られたディズニーランドである。
 
1955 ディズニーランド・リゾート(カリフォルニア)
1971 ディズニー・ワールド・リゾート(フロリダ)
1983 東京ディズニーランド
1992 ディズニーランド・パリ
2005 香港ディズニーランド
 
(この後、2016年には上海ディズニーランドができている。なおディズニー・ランドの技術とノウハウを導入して作られた奈良ドリームランドは1961年にオープンしているが「ディズニーランド」の名称使用許可は取れなかった)
 
ウォルト・ディズニーは1923年頃、子供を連れて遊園地に来ていて、子供ははしゃいでいるのに自分はベンチでタバコを吸ってるくらいしかできないのをつまらないなあと思い、その時、おとなも楽しめる遊園地というものを思いつき、このカリフォルニア州アナハイムの地に新しいコンセプトの遊園地を建設した。実際には彼がそのコンセプトを思いついてから、開園までには20年以上の月日が経過している。
 
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さて・・・・
 
ぶつぶつ文句を言っていた朋子は完璧に童心に返って楽しんでいたし、桃香はほぼ子供に戻っていた。千里と青葉は
 
「やはり桃香って中身が子供なんだな」
「お母ちゃん、楽しんでいるみたいでよかった」
 
などと言っていた。むろん青葉と千里も充分に楽しんだ。
 

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それで10日に帰国便に乗るのだが、例によって青葉は「パスポートが違う」と言われて別室へ。桃香も「あなたも違う」と言われてやはり別室へ。更に桃香が「ちなみにこの子も女に見えるけど、実は男なんです」と言ったおかげで、本来ならスムーズに出国審査を通れるはずの千里もまた別室に連れて行かれて検査された。
 
今回は桃香も用心して、ちんちんは取り外していたので、ボディタッチだけで解放された。千里ももちろんボディタッチだけで
 
「友人は私の性別を勘違いしてるんです」
と言って解放されたが、青葉はまたまた裸になって《男の証明》をすることになり、ほとほと精神的に疲れていたようである。
 
日本の入国審査は、青葉自身が「私、いわゆるニューハーフなんです」と自己申告して無事通過。千里は他の3人とは別れて自動化ゲートを通ったので何も問題無く通過(実は出国の時もトイレに行くと称して他の3人とタイミングをずらし自動化ゲートを通っている)。桃香は性別を疑われたものの「私確かに女です」と言って運転免許証と健康保険証を見せたら通過することができた。
 
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成田には少し早く到着したので、一緒に成田で夕食を取った。
 
しかしこの日は
 
_7:00PDT 23:00JST 朝御飯
11:00PDT _3:00JST お昼ごはん
12:30PDT _4:30JST 搭乗
18:00PDT 10:00JST 夕ご飯?
23:00PDT 15:00JST 夜食?おやつ?
24:00PDT 16:00JST 降機
24:30PDT 16:30JST 夕食
 
ということで1日に5食取っている。
 

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日本には夕方の到着になった訳だが、朋子はできるだけ早く会社に出社したいというので、その日の内に帰ることにした。
 
NRT 10/11 17:55 - 19:10 KMQ/小松駅20:00 - 20:46高岡駅
 
成田から小松空港行きがあるので、それに乗り継いで連絡バスで小松駅に移動し、サンダーバードで高岡に帰る。高岡到着が20:46と、とても常識的な時刻に辿り着くことができる。
 
「でもたぶん飛行機の中でも寝てるかも」
「うん、それがいいと思う」
 
桃香も朋子を見送った後、
 
「妙に眠い気がする」
 
と言っていたが、アメリカの時刻では夜の2時頃なので当然である。
 

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一方、青葉は千葉で1泊して翌12日の新幹線乗り継ぎで高岡に戻ることにする。それでこの日は千葉の桃香のアパートで3人で1泊した後、12日は午前中に小夜子たちの家を訪れて、3人で、みなみちゃんを見た。桃香と千里は先月生まれたばかりの時にも見ているのだが、青葉は初めてなので
 
「可愛い!」
と言って、嬉しそうに見ていた。
 
「抱いてみる?」
と言われて、千里と青葉は抱っこしたが、桃香は
「落としたりしたらいけないからやめとく」
と言って抱かなかった。
 
「今抱っこした人は私の今の年齢までにはママになるよ」
と小夜子は予言した。
 
「私は?」
と桃香が訊くと
 
「桃香はたぶんパパになる」
と小夜子は答えた。
 
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「桃香は既に数人の女の子に子供産ませている気がする」
と千里は言った。
 
ちなみに小夜子は1981年10月9日生まれで30歳になったばかりである。
 
千里の最初の子供である京平が生まれるのは2015年6月で千里が24歳の時、青葉の最初の子供であるしおんが生まれるのは2024年3月で青葉が26歳の時である。
 
(光太郎も入れると光太郎の誕生日は2012.4.15で千里・桃香は21歳だが、この子の出生に関しては様々な問題があった。丸山アイは生まれて来た子を見て「嘘〜!?」と叫んだ)
 

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青葉は12日(水)の夕方の便で高岡に戻った。
 
東京18:12-19:29越後湯沢19:39-22:01高岡
 
青葉の診断結果は翌週になって到着した。青葉がGIDであるという診断書とともに、15歳になったら性転換手術をしてもよいという、倫理委員会の許可証が入っていた。他にもX先生から青葉へのお手紙が入っていたが、それを読んで青葉は涙を流していた。ともかくもこれで青葉は来年の夏には性転換手術を受けることができるようになった。
 

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冬子と政子はこの時期、ローズクォーツと一緒にスタジオに入り、2年10ヶ月ぶりの正式のローズ+リリーのシングルとなる『涙のピアス/花模様』、『可愛くなろう/恋の間違い探し』の音源製作を行った。音源は21日朝に仕上がり、制作を指揮した須藤美智子は事務所の若い子・桜川悠子に「これを★★レコードに持って行ってね」と言って帰宅した。
 
冬子はその悠子を呼び戻した。美智子に訊かれたら届けましたと言っておくように。またこのことを美智子には言わないように言う。
 
冬子はその音源の品質に大きな不満があったのである。
 
第1にアレンジに多大な問題があった。とてもプロのアレンジではなかった。第2に録音の品質そのものに問題があった。須藤が「安い物好き」で、料金の安いスタジオを使っており、録音機器も安物だった。そもそもプロの音源製作するのに安価なダイナミックマイクを使うというのがあり得ないと冬子は思った。またソフトにしてもPro Tools Free という無料ソフトを使用している。業界のデファクトスタンダードとなっているPro Toolsのバージョンではあるものの、このFree版が出たのは10年も前である。
 
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先日冬子はKARIONの『恋のブザービーター』で滝口史苑が主導した制作に不満があったものの、制作過程では一応滝口の指示に従った。しかし発売されたCDは物凄い批判にさらされ、滝口は進退伺いを提出するに至る。
 
(最終的には蔵田孝治に諭されて辞職は思いとどまり、賞与返上給与カットを自ら申し入れた上で他の担当を全部外してもらいKARION専任になって頑張ることになる−彼女を嫌いな小風が凄く嫌そうな顔をした)
 
その反省があったので、これはこの品質でリリースしてはいけないと考えたのである。実際悠子も
 
「大丈夫です。私もこんなスタジオで録るの〜?と思いましたから、社長には言いませんから、お手伝いすることやお使いとかがあったら言ってくださいね」
 
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と言っていた。それで悠子にはハードディスク1台と食糧!を買ってきてもらった。
 
冬子は町添部長に電話してプレス工場への持ち込みを2日待ってもらうことにする。そしてまずは★★レコード付属のスタジオに行き、技術者さんに手伝ってもらってfree版のデータを最新のPro Toolsのデータに変換した。
 
その上で政子を呼び出して、★★スタジオの技術者さんの手でボーカルを完全に録り直す。更に冬子は和泉を呼び出した。
 
「なんで私がローズ+リリーの制作を手伝わないといけないのよ?」
 
と文句を言う和泉に頼み込んで、2人で手分けして打ち込みをし、楽曲の伴奏を完全に作り直した。それが10月23日の朝、何とかできあがり、冬子はできあがった音源をタクシーに乗って朝1番に工場に持ち込んだ。
 
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それで午後からKARIONの制作があるからそれまで仮眠しようと思っていたら、自宅マンションに須藤美智子が来訪する。
 
勝手に音源を作り直したのがバレた?と焦るのだが、その件ではなく、冬子が最近、男の子と交際しているようだというのをどこかから聞きつけたようで、その件を確認しに来たのであった。
 
冬子は「言ってなくてごめんなさい」と素直に謝り、現状単に何度かデートをしただけであって、結婚などの予定もないことを言った。
 

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10月22-23日、千葉県内の高校の体育館を使って千葉県秋季選手権大会(オールジャパン千葉県予選)が行われた。千里が所属する千葉ローキューツは決勝で千女会を10点差で破り優勝して、来月の関東総合に駒を進めた。
 

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娘たちの面談(9)

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