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それで5人で受付に行き、秋子さんが「日帰り温泉・大人5人」と言う。料金は4000円であるが、千里がさっと千円札を4枚出した。
「泊めてもらっているし、車も出してもらったから温泉代はこちらで払いますよ」
「あら、悪いわね。運転もしてもらっているのに」
と秋子さんは言うがそのまま受け入れる。係の人は領収書を書いて千里に渡し、鍵を5つ秋子に渡した。
それでおしゃべりしながら階下に降りていく。男湯と女湯に別れているので、当然のように全員女湯に入る。この時、桃香が「うっ」と声をあげた。
「どうかした?」
と秋子が訊く。桃香は青葉と千里が平然として女湯の暖簾をくぐったのに声をあげたのだが、青葉も千里もむしろ桃香の方を不思議そうに見ている。
「まあいいか」
と言って、桃香も中に入った。秋子がロッカーの鍵を全員に配る。秋子は何となく赤い鍵を安子、青葉、千里に渡し、黒い鍵を桃香に渡した。桃香も特に何も考えずにその鍵を受け取ったのだが・・・
「36番というロッカーが無い」
と言う。
「ん?」
桃香は脱衣場をぐるっと回ってきたのだが
「おかしい。ロッカーの番号は101番から始まっているようだ」
と言う。
「桃香、それ鍵の札の色が違う」
と千里が言った。
「ん?」
「他のみんなのは赤いのに、桃香のだけ黒い」
と千里。
「それもしかして男湯の鍵とか」
「あら、係の人間違えたのね」
と秋子は言うが、いや桃姉の風体を見たら男性と思ったかもと青葉は思った。
「じゃ交換してもらってこよう」
と桃香が言ったのだが
「それ私が行ってくるよ。桃香だと揉めそうな気がする」
「むむむ」
それで千里は桃香の持っている黒い鍵を持つと、受付まで戻って係の人に声を掛けた。
「すみません。この鍵に合うロッカーが見当たらなかったんですが」
と千里は笑顔で言う。
「あら、これは男性用のロッカーの鍵ですね。ごめんなさい。渡し間違ったみたいですね。こちらをお使い下さい」
と言って赤い札の鍵を渡してくれた。
「ありがとうございます」
と千里は言って、その鍵を持ち帰り、桃香に渡した。
「はい、どうぞ」
「うん、ありがとう」
と言って受け取ったものの、桃香は結構悩んだ。
その後は、全員服を脱いで浴室に入るが、青葉も千里もそのヌードが女の子のヌードにしか見えないので桃香はまた悩んでいた。
各々身体を洗ってから浴槽の中でまた集まる。
「桃香、何悩んでいるのさ」
と千里が言う。
「いや、何でもない」
「もしかして男湯に入りたかった?」
「うーん。。。別に男湯には興味無いし、胸があるから男湯には入れない気がする」
「手術して胸取っちゃう?」
「それは時々悩む時もある。でも私はあくまでレスビアンであって、FTMではないつもりだし」
「まあ男になりたかったらいつでもなれるけど、一度男になってしまったら女には戻れないから、子供10人くらい産んでから考えるといいかもね」
などと千里は言っている。
「10人!?」
「さすがに10人も産むつもりはない」
なお、朋子は買物から帰ってから、青葉と千里が桃香たちと一緒に温泉に行ったと聞き、しばし悩んだものの
「まあボロは出さないでしょ、あの子たち」
と独り言を言った。
その日の夕飯は、鉄板を何枚も出して焼肉をした。この日の買出しの代金は朋子が払おうとしたのだが、珠子が
「おばあちゃん(咲子)から資金もらってるから」
と言って払っていた。
この日も桃香は“男衆”たちと楽しそうに飲み明かしていた。
千里が珠子と一緒に追加する野菜を切っていたら、そこに咲子が来て
「伊右衛門は無かったっけ?」
などと言う。
「あら、お母さん、誰か若い子に言えばいいのに」
と言って、台所のワゴンの中段に置いている箱を取り出して伊右衛門のペットボトルを取り出す。
「私が持って行きますよ」
と言って千里がそれをさりげなく受け取る。
その時、珠子が思い出したように言った。
「そうだ。お釣り返すの忘れていた」
それで珠子が自分の財布を出して咲子にお金を渡すと、咲子は食器棚の引出の中から大きなガマグチを出してそれを入れる。その時千里が
「あれ?」
と声を出した。
「どうしかした?」
「おばあさん、その財布に付けてる根付けを見せてもらえませんか?」
「これ?」
「私が持っているのに似てるなと思って」
と言い、千里も伊右衛門をいったんテーブルに置いて、貴司からもらったミュウミュウの財布をバッグから取り出し、その小銭入れの中に入れている小さな鍵を取り出す。その鍵に根付けが結びつけてある。
「あ、ほんとに似てる」
と珠子が言う。
「そちらはサルだね」
と咲子。
「おばあちゃんのはネズミですね」
と千里。
「これもしかしたら十二支の根付けかしら」
と珠子。
「売っているものではなくて、手造りっぽい」
「でも雰囲気が似てる」
「千里ちゃんのは誰かの形見?」
「形見ではなくて、まだ生きていますが、私の父の母からもらったんですよ。自分が持っているには強すぎるからと言われて」
と千里。
「その人は自分の夫のお母さん、結果的には私の曾祖母になる人からもらったものらしいです。ですから、たぶん大正年間の話だと思います」
と千里は言う。
これは武矢の母・天子(1932生)から千里が小学生の時にもらったもので、天子は自分の夫の母であるウメからもらったものだが、実はウメは天子の母の姉にも当たる(従兄妹同士の結婚)。
「これは私も母ちゃんからもらったんだよ。母ちゃんも自分には強すぎるからあんたが持ってなさいと言われた」
と咲子は言っている。
「私にはよく分からないけど、たぶんどちらも強いパワーが込められている感じ」
と珠子は言う。
「材質が同じものっぽいし、作りの雰囲気も似てるから、もともとセットで作られたものかもね」
と珠子は両方の根付けに触りながら更に言った、
「だったら、元々の持ち主は姉妹か仲の良い友だちだったのかもね」
と咲子。
「すると、私の家系が咲子おばあさんの家系とどこかでつながっているのかも知れないですね」
「うん。私はそれはあんたを見た瞬間思ったよ」
と咲子が言うので
「へー!」
と珠子は感心していた。
この日も飲んでいる男衆(桃香を含む)は放置して、女衆や未成年などは離れで寝たのだが、夜中に千里がトイレに起きた時、千里は
「ちょっと」
と咲子に呼び止められた。
「あの場では話が面倒になるから言わなかったんだけど、あんたは私の妹分のアマちゃんに似てるんだよ」
と咲子は言った。
「私に根付けをくれたのが、私の祖母の天子という人なんですが、その人ともしかして姉妹ですか?」
「そうそう。戸籍上の名前は天子だけど、アマちゃん・サキちゃんと呼びあっていた。小さい頃、姉妹のように仲が良かったのよね。繋がりとしては従姉妹くらいなんだけど。もう長く連絡が取れてなかった」
“従姉妹くらい”というのは微妙な表現だ。しかしきっと親族ではあるのだろう。
(村山天子は1932生、高園咲子は1924生である)
「そうだったんですか!」
「アマに会いに行くことある?」
「何かお伝えすることがあれば行ってきますよ」
「だったら、私の写真を1枚持って行ってよ」
と言って、咲子は自分の部屋の箪笥の中から写真を1枚持って来た。和彦と並んで写っている写真だが、けっこう古ぼけている。恐らく20年くらい経っている。
「これは元のネガとかは残っていますか?」
「ううん」
「だったらコピーを取りますよ。それとおばあちゃんの今の写真を撮らせてもらっていいですか」
「ちょっと待って!着換えてくる」
それで咲子は少しいい服を着てきたので、《びゃくちゃん》に頼んで写真を撮ってもらい、また《りくちゃん》に言ってコンビニまで往復してきてもらい20年前の写真のカラーコピーを取った。
「じゃ私がこのコピーの方を持っておくよ」
「分かりました。天子さんにこちらの連絡先をお伝えしていいですか?」
「うん。よろしく。今どこに住んでいるの?」
「北海道の旭川です」
「そっかー」
「向こうもけっこう矍鑠(かくしゃく)としてますよ。電話でもするように言いますよ」
「ほんと?連絡が取れたら嬉しい。北海道じゃとても会いに行けないけど」
と咲子は嬉しそうに言った。
19日はお昼まで滞在し、午後から移動した。
中村15:10-19:41岡山19:49-20:35新大阪21:01-23:59高岡
来る時は《南風》《あしずり》を高知駅で乗り継いだが、帰りは中村から岡山まで《南風24号》が直行するので、そこで東京行きの《のぞみ62号》に乗り継いだ。そして千里と桃香はそのまま東京まで乗り(23:13着)、青葉と朋子は新大阪から《サンダーバード45号》富山行きに乗り継いだ。
南風・新幹線の車内では今度のアメリカ行きの件に付いても少し打ち合わせた。全体的な日程はこのようになる。
10/06(木) 青葉と朋子が東京まで出てくる。
10/07(金) HND 0:45 - 10/06 19:15 LAX
10/07(金) 朝からサンフランシスコに移動し、バーリンゲームで診察を受ける10/08-09(土日) 観光?
10/10(月) 恐らく診察の結果を聞く
10/11(火) 予備日
10/12(水) 帰国予定。多分10/13着。
病院側との電話連絡では月曜日に診断結果を伝えられるとは思うが、場合によっては火曜日以降にずれ込む可能性もあると言われているので、青葉は学校には1週間休むかもと伝えている。
帰りのチケットも現時点では確保していない。桃香も最初往復で頼むつもりでいたものの、向こうの診察の都合で帰りが数日遅れる場合もあるかもよと千里が言うので片道だけで確保したのである。帰りは現地で確保することになる。正規のチケットなら日程が変更できるのだが、格安チケットは変更ができないのが難点だ。国によっては帰国便のチケットを提示しないと入国で揉める場合もあるのだが、日本のパスポートでアメリカに入国する場合は大丈夫だろうということになった。
9月20日(火).
千里は羽田から旭川まで飛行機で飛び(6:50-8:30)、天子のアパートを訪ねた。
それで天子に、咲子から言付かったものを渡すと、天子は涙を流していた。
「サキちゃん生きてたのか。戦争の混乱でお互いに連絡が取れなくなっていたんだよ」
と天子は言っていた。すぐに電話を掛けるが、涙を流して会話をしていた。お互いに話したのは実に66年ぶりくらいということである。しかしその66年の歳月が簡単に吹き飛んでしまうほどお互いの気持ちは通じていたようである。
「千里ちゃん、私の写真撮ってよ。サキちゃんに郵送してあげたい」
「すみません。私機械音痴だから、瑞江さん、お願いします」
「OKOK」
それで天子と同居している瑞江が写真を撮り、すぐにプリンタで印画紙にプリントした。天子は手紙を書くと言い、それと一緒に送ることにした。
「子供の頃に、おばあちゃんからもらったこの根付けで分かったんですよ。記念の品だから、おばあちゃんに返しましょうか?」
「ううん。それはあの時も言ったように、私には強すぎるんだよ。千里ちゃんが持ってて」
「分かりました」
せっかく旭川まで来たので、その日は美輪子の所にも顔を出し、夕方の便で東京に戻った(19:45-21:35)。
そしてそのまま、ST250で走って行き、その日のファミレスの夜勤に入った!
『助かったぁ!女装しなくてすむ』
などと千葉で待機していた《せいちゃん》が言っていた。
《こうちゃん》などは女装も大好きのようだが、《せいちゃん》はあまり好きではないようである。もっとも数年後には日常的に女装するハメになるのだが!
「あら、今日は夜間店長、いつものスクーターじゃないんですね」
と駐車場で遭遇した、一緒に夜勤する後輩の女子大生が言った。彼女はオレンジ色のヤマハ・ビーノ(50cc)に乗っている。
「うん。たまには気分を変えてみようかなと思ってね。こないだ普通二輪免許取ったんで、今少し練習中なのよね」
「へー」
「でも既に2回電信柱に激突した」
「大丈夫ですかぁ!?」
「平気平気。その程度で壊れるようなヤワな身体してないから」
実際には激突直前に《りくちゃん》に空中に待避させてもらい、壊れたバイクは《げんちゃん》が修理してくれた。
「そういえばバスケットとかするんでしたね?」
「うん。バスケットの活動資金をファミレスのバイトで稼いでいる感じかな」
「大変ですね!でも大学は?」
「私は不良学生だから」
「なるほど〜!」
ちなみに《きーちゃん》と《てんちゃん》は休暇中なので、その付近には居ない。《きーちゃん》はアメリカの友人に会いに行ってくると言っていたので、どうせ10月上旬に千里自身がアメリカに行くから、その時に合流しようと彼女には伝えている。