[*
前頁][0
目次][#
次頁]
(C) Eriko Kawaguchi 2022-06-18
「セナ、そろそろ覚悟を決めて性転換しなさい」
と姉は言った。
「やはり手術受けないとだめ?」
「心の手術だな」
「えっと・・・」
「あんた自分のこと“ぼく”と言ってるでしょ?」
「あ、うん」
「女の子にも“ぼく少女”はわりといるけど、やはり女の子になるなら自分のこと“わたし”と言えるようにならなきゃ。さ、言ってみて」
「えっと・・・わたし」
と言いはしたものの。セナは顔を真っ赤にして俯いた。“わたし”という単語を発音するのにものすごい心理的抵抗があったのである。
「なかなか言えない」
「それを普通に言えるように練習しよう。どういう自称を使うかって単なる慣れなんだよ。だからいつも“わたし”と言うように努力していたら、何の抵抗もなく“わたし”と言えるようになるし、逆に“ぼく”とは言えなくなる」
「そんな気はする」
「だから取り敢えず家の中では“わたし”と言うようにしよう」
「分かった。ぼく頑張る」
「わ・た・し」
「あ、そうか。えっと、わたし頑張る」
と言ってからセナはかぁっと顔が真っ赤になった。
セナが実際に“わたし”と抵抗なく言えるようになるには、結局半年ほどの時間が必要であった。
2月13日(金).
都内の葬祭場で、高岡猛獅と長野夕香の四十九日の法要が営まれた。
法要は時刻や場所を公開しておらず、親族と関係者だけで行われた。この法要は、高岡家と長野家の共同で行われたので、喪主は置かず、上島雷太が追悼委員長を務めた。ふたりの位牌が並べられ、5人の僧による読経、参列者の焼香が行われた。
葬儀は高岡猛獅は愛知県一宮市で、長野夕香は仙台市で行われたのだが、四十九日が合同になったのは、前述のように、高岡の借金問題があった。
高岡が12月に買ったポルシェは事故により全損になったものの、飲酒運転にスピード違反がこの時点では疑われていたため、保険金は降りないかもという話になっていた。その中、分割払いの1月に払うべき金額が引落しできなかったため、期限の利益が喪失されたとしてローン会社から900万円の一括返済を求められた。請求書は猛獅が亡くなっているので相続人である高岡越春のもとへ送付された。
しかし越春にはとても払えない。そこで上島に泣き付いたのである。
上島と雨宮は共同で銀行から900万円借りて高岡に代わってローン会社に返済した。そして越春は2人に借用書を書いたのだが、このことで越春は軟化して、上島からお願いしていた、2人を一緒に供養するという件を了承したのである。
またこの当時、マスコミは「高岡が飲酒運転で猛スピードで車を走らせ事故を起こした」と報道していたので、越春もやはり息子が悪かったのかなと思い始めていたのもある。
それで高岡越春は長野松枝(この時期はとても歩けなかったので車椅子で来ている)と初めて言葉を交わした。
志水夫妻は、龍虎を連れてこの葬祭場まで行ったが、建物の外から黙祷を捧げただけで中には入らずに帰った。
3人の姿に気付いた左座浪は(「社長から脅された」という件を知らないので)なぜ中まで入らなかったのだろうと疑問を感じながら3人の帰る姿を見送った。
志水夫妻は「志水英世」名義と「高岡龍虎」名義で香典を送っておいたので、左座浪は双方に充分な香典返しを送った。
佐藤小登愛の四十九日はこの1日前の2月12日だったのだが、平日にはできないことから、四十九日を過ぎてしまうが、2月14日(土)に行なった。
左座浪源太郎と義浜配次は13日に都内で高岡たちの四十九日に出た後、北海道に飛び、14日は佐藤小登愛の四十九日に出た。
小登愛の母は、茫然自失の状態のままで、話しかけてもほとんど反応が無かった。2人はお父さん、お兄さん、そして2人の妹と話したが、いちばん下の妹・佐藤玲央美がとてもしっかりしている感じだった。
こういうしっかりした性格の女の子は、娘を全部コントロールしたい母親とは相性が悪いだろうなと左座浪は思った。この玲央美が左座浪に言った。
「ワンティスのアルバムは発売停止になったみたいですが、ほとぼりが冷めてから発売するのでしょうか」
「この事件に関しては警察がまだ捜査中なんですよ。だからその結果が出るまでは動きようが無いですが、夏くらいに改めて追悼版として発売する道はあると思いますね」
「そのアルバムって先行して聴かせてもらうことできませんよね。わたしワンティス大好きなので」
と玲央美は笑顔で左座浪に尋ねる。
左座浪は女子中学生の笑顔に負けた!
「じゃこの場にいる人限定で」
と言って、その場に居た人の中で、欲しいと言った3人にプロモーション用に少量事務所で焼いていたCD-Rを配った。“謹呈”のスタンプが押されたものである(伊藤辰吉が千代から譲られて18年後にコスモス経由で上島の手に渡るCDにはこの“謹呈”のスタンプが付いていない)
この時、このCDをもらった3人は下記である。
佐藤理武・佐藤玲央美・天野貴子
この内、理武が持っていたCDは後の引越の際に行方不明になってしまった。でも玲央美と貴子(きーちゃん)は18年後の2022年までこのCDを所持していた。
玲央美が所持している『ワンザナドゥ』のCDは2021年10月に青葉が「国内に3枚」と言った内の1枚である。きーちゃんがもらったCDは、きーちゃんがスペイン・グラナダの千里の自宅ライブラリに置いている。このグラナダの家はとても広いので、千里は半分倉庫代わりに使用しており、きーちゃんとこうちゃんも勝手に荷物を置いている。
(外国にあるので“国内の3枚”には入らない!←ほとんど作者の言い訳)
2004年2月16-18日(月火水).
千里たちのS中では、1−2年生は、3学期の期末テストが行われた。“期末”と言っても、3学期の、ど真ん中ではないかという気もするのだが、本当の期末には行事が多すぎるのである。なお3年生は後述の理由により、一週間前の2月9-11日に期末テストは行われた。
時間割
1日目 1H 国語A 2H 社(地理) 3H 理科1 4-6H 1年生実技
2日目 1H 英語R 2H 国語B 3H 理科2 4H 保健体育 5H 美術
3日目 1H 社(歴史) 2H 英語L 3H 数学 4H 家庭技術 5H 音楽
1年生の実技は次のように行われた。
4H 1組音楽 2組美術 3組体育
5H 1組美術 2組体育 3組音楽
6H 1組体育 2組音楽 3組美術
国語A:現代文
国語B:古文・漢文
英語R:英文読解・作文・文法
英語L:リスニング
理科1:物理化学
理科2:生物地学
2-3日目の4-5時間目は筆記試験である。音楽は実際の曲を聴いて曲名を答える問題、曲名から作曲者を答える問題や楽典の問題が出た。美術も絵画等の写真を見て作品名を答える問題、作品名から作者を答えたり、また「ロココ」とか「印象派」といった美術上の動きについて答える問題も出た。
千里は楽典は(きーちゃんにだいぶ教えてもらっていたので)かなり答えたものの、作品名・作曲者名はあまりよく分からなかった。「白鳥の湖」の作曲者を適当に「バッハ」と書いたら、あとで恵香に!笑われた(蓮菜に笑われても気にしないが、恵香に笑われるとムカつく)。むろん正解はチャイコフスキーである。バッハと答えたのは千里だけだったが、ベートーヴェンと答えた人が3人居た。留実子はサン・サーンスと答え「それは“湖”の付かない“白鳥”だね。時々間違える人いるのよ」と言ってもらったが、この間違いをしたのは留実子だけだった。
また実際にはヴィヴァルディの『四季』が流されたのを千里は『田園』と答えた(でもこの誤答をした人が千里の他に6人も居た)。
2月19日(木)晴れ。
試験が終わってホッとした所(ガックリした所?)でこの日はスキー大会が行われた。本当は先週実施する予定だったのだが、ずっと雪が降っていて、危険なので延期していたのである。
千里は(女子の)滑降と距離5kmに出た。千里はレース用のスキーを持っていないので、蓮菜に借りた。
滑降は全員参加で1年の女子39名(セナを含む!)は6人ずつ7組で滑ることになっていた。5人の組が3組できるはずだったのだが、なぜか5人で滑ったのは1組のみだった!?
「だいたい男女の比が変な気しない?」
「あ、それは思った。2組は男16女12, 3組は男15女12、なのに1組はなぜか男13女15」
「なぜこういうことになったんだろう?」
(答え:男から女に移動した子が2人いる上に座敷童子の小春が入っている)
距離は3km, 5km の種目があり、各クラス男女5人ずつ出ている。千里の他に5kmに出たのは、玖美子・尚子・優美絵・沙苗である。蓮菜は3kmに出ており、蓮菜が使った後、そのスキーを借りて千里は5kmに出た。
千里はレースは普段全く練習していないので走るの自体、見よう見まねだが、何とかみんなに多くは離されない程度には付いていくことができた。てっきり最下位だと思っていたのだが、最下位は沙苗だった!?
「沙苗を追い抜いた記憶が無い」
「私、最初からみんなに離されてた」
「沙苗、ひょっとして筋力落ちてない?」
「睾丸消失後、明らかに落ちてきた気はする。体育のテストでも私最下位だったし」
「また筋トレするといいね。今度は女子の筋肉の付き方するから」
「やはり筋肉の付き方って男女で差があるんだ?」
「当然」
なお千里の前が優美絵で1組はラスト3を独占した!?
ちなみに女子として参加したセナは距離には出なかったが、結果的にジャンプに出ることになり
「恐いよぉ」
と言っている所を鞠古君に背中を押されてジャンプ台を疾走する。
「きゃー」
と言いながら飛んだが、転倒もせずきれいに着地して、距離も1年生9人中3位で「嘘!?」と言いながら、入賞の賞状をもらった。
「凄いじゃん。来年も出てよ」
「嫌だ。二度と出たくない。死ぬかと思った。恐かったよぉ」
などと言って泣いていた!(*11)
大会では他に回転・大回転も行われ、これは希望者のみ参加となった。これに出る人は、ノルディック(距離またはジャンプ)はパスしていいのだが、どちらにも出て、結果的に滑降、距離またはジャンプ、回転または大回転、と3種目に出た人たちもあった。
(*11) 筆者も中学生の時、友人から(物理的に)背中を押されてジャンプ台を飛んだことが1度だけあります。ちゃんと着地はできましたが、死ぬかと思いました!!2度とやりたくないと思いましたが、ジャンパーさんたちは「滑降みたいな恐い競技はやりたくない」とおっしゃるんですよね〜。確かに猛スピードで斜面を滑り降りますからね。
S中では卒業式が近づき、その準備も進んでいた。卒業式で演奏することになる吹奏楽部は『威風堂々』(入場曲)と『大空と大地の中で』(退場曲)を練習していた。千里Rは映子に頼まれて、この編成に加わってフルートを吹く。
「千里、フルートが凄い進化してる。正式に吹奏楽部に入らない?」
「パス」
卒業式での編成は、1〜2年だけなので、それでなくても人数が少なく手が回らない。沙苗も徴用されてサックスを吹いていた。
「沙苗、サックス吹けたんだね?」
「あんたはサックスが吹けそうな顔してると言われて徴用された」
「顔で吹けるんだ!?」
なお吹奏楽部の練習は、他の部活と兼ねる人が多いので、昼休みにおこなっていた。
でも同じく昼休みに練習している合唱同好会とは練習時間がぶつかるので、この時期、合唱同好会は多くのメンバーがこちらに取られて練習できなくなる。
(吹奏楽に徴用されてフルートを吹くのはRで、合唱同好会に参加しているのはBなのだが、昼休みに集まったメンツを見たBは「しばらくお休みにする?」と言った:元々音楽的な能力の高い子が多い)
卒業式で『君が代』のピアノは音楽の藤井先生が弾くが校歌は2年生の阿部光恵(N小合唱サークルのピアニストだった人)が弾く予定である。
「来年はセナちゃんにやってもらおうかな」
と藤井先生は1月初めの合唱同好会の練習の時に言っていた。
「それ、セーラー服になるんでしょうか」
「セーラー服じゃなかったらドレス着る?それでもいいけど」
と藤井先生は言っていた。
藤井先生はセナが男子生徒とは思いも寄らない。セナは合唱同好会では同好会が発足した10月からずっとセーラー服である。先生は音楽の授業で学生服を着ていたセナも見ているはずだが、セナは元々存在が目立たないタイプなので、先生の頭の中で、学生服姿のセナとセーラー服姿のセナが結びついていない。
セナは、みんなと一緒におしゃべりしていても、彼(彼女?)がその場に居たことを誰も覚えていなかったりする。目立つタイプの千里などとは真逆。
むろん、セナが学生服を着てピアノを弾くことはありえない。学生服を着て弾こうとしたら、きっとみんなに捕まって強制的にセーラー服に着替えさせられる(やはりセクハラ)。