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■春拳(9)

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(C)Eriko Kawaguchi 2016-08-14
 
6月16日(木)。千里たちは朝食後すぐに早朝から成田に移動し、チェコに旅立った。
 
NRT 6/16 11:25 - 16:30 (12:05 dif-7h) FRA 22:15 - 23:15 (dif 0) PRG
 
取り敢えずこの日は寝た。
 
翌17日から実質的な合宿が始まる。今回練習相手になってくれたのは地元プラハのプロチームである。チェコはFIBAランキング5位(日本は16位)なのだが、今回のオリンピックにつながる昨年のユーロバスケットでは二次リーグで脱落して世界最終予選の切符も掴めないという「番狂わせ」な結果であった。
 
しかし実力は充分だし、今回練習相手になってくれたチームにも、そのチェコ代表に入っているメンバーがいる。
 
千里は戦っていて、本当に世界のレベルをひしひしと感じて興奮していた。千里と交代でコートに出る亜津子なども相手選手に強烈なチャージをされたりしても、気合いが入りまくりで目が輝いている。
 
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やはり自分たちは強い敵に当たるほど燃えるんだなというのを感じていた。
 
初日の夕方には、帝国電子プラハ支店の人たちが宿舎を訪れて激励してくれた。帝国電子は花園亜津子が所属するエレクトロウィッカの親会社である。向こうの支店長さんが、アツコはうちの支店のアイドルですなどと言って亜津子が照れていた。
 

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この17日にはフランス・ナントで行われていた女子の世界最終予選、準々決勝の4試合が行われ、スペイン、トルコ、中国、フランスが勝ってオリンピック切符を手にした。負けた4国は18-19日にトーナメントを行い、19日の5位決定戦でベラルーシが韓国を破って、リオ行き最後の切符を掴んだ。
 
そしてこれでオリンピックの予選リーグの対戦相手が確定した。日本と同じグループに入るのはベラルーシ、ブラジル、トルコ、オーストラリア、フランスである。6ヶ国中4位以上に入ることが決勝トーナメント進出の条件である。
 

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「結局最初だけだったね」
と千里は19日のお昼に中国遠征中の貴司と電話で話した。
 
中国とチェコの時差は6時間なので、チェコが12時なら中国は18時である。この日中国では14時(チェコ時間8時)からAtlas Challengeの最終戦が行われた。
 
「面目ない。初戦の中国戦で逆転勝ちした時は、これは行けるかなと思ったんだけどねー」
と貴司は残念そうに語る。
 
男子のAtlas Challengeは予選リーグで日本は中国には勝ったものの、ニュージーランドとベラルーシに敗れて、3チームが1勝2敗で並ぶ事態に。しかし得失点差で4位になり、5−8位決定戦に回ることになった。ここでアメリカのアイダホ大学に敗戦、更にベラルーシに2度目の敗戦をくらって結局最下位で終了した。
 
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結果的には2戦目以降全敗である。
 
「なんか世界最終予選が不安だなあ。チームのムードはどう?」
「良くない。ショック療法が必要って感じ」
「ショックね〜。全員性転換するとかは?」
「んな馬鹿な!」
 
「でもそのくらい気持ちを切り替えないとやばいよ」
「うん。僕も頑張る」
 

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22-24日はプラハ市内のクラロフカ体育館で「プラハ・オープン」という大会が開かれた。参加しているのはチェコ代表、スロバキア代表、日本代表、そしてカナダ代表である。
 
この大会日本は初戦でカナダ、2日目はチェコ代表、3日目はスロバキア代表に3連勝して優勝を飾った。
 
チェコは元々は隣国のスロバキアと一緒に「チェコ・スロバキア」を形成していたので、チェコ戦でもスロバキア戦でも応援が凄まじかった。
 
「こういうのを四面楚歌って言うんですかね?」
と絵津子が言うが
 
「それは物凄い誤解に基づいている」
と、この試合マネージャーとしてベンチに座ってスコアを付けていた彰恵が言う。
 
「四面漢歌なら、今日の状況だよね」
と玲央美。
 
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「うん。四面漢歌という感じでチェコの応援の声が凄かったね」
 

四面楚歌というのは、項羽率いる楚軍と劉邦率いる漢軍との最終決戦前夜、楚軍の周囲の敵軍(漢軍)の中から、たくさん楚の民謡が聞こえてきたことを表す。
 
つまり、本来味方であったはずの楚の人がたくさん敵の漢軍に参加しているということで、項羽の基盤が失われていることを表す。
 
この言葉は楚が本来は味方であるということが忘れられて、敵に囲まれ絶体絶命という状況を表すのに誤用されることが多い。
 
実際には四面楚歌というのは、周囲でたくさん漢の歌が歌われていたのよりも、更に厳しい状況なのである。今日の試合で言えば、観客席にたくさん日本人が座っているのに全員がチェコの応援をしていたら、四面楚歌である。
 
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23日の日本時刻15:00(チェコ時刻8:00)、男子の世界最終予選に臨む12人のロースターが発表された。女子も22人から12人に絞られたのだが、男子も29人から12人に絞られている。生存確率41%である。
 
千里は心配していなかったのだが、貴司は選ばれていた。貴司は実績から行くと29人の代表候補の中で29番目くらい(そもそも他の28人はプロ選手か大学生)なのだが、これまでの試合には毎回ベンチに座っており(座っているだけでコートインは必ずしもしていない)、監督に気に入られているなと思っていた。実際、貴司は出番は少ないものの試合の重要な転換点に絡むことが多く、《ラッキーボーイ》的存在になっていたのである。
 
記者会見のあとは公開練習などもあり、貴司が解放されたのは19時(チェコ時刻12時)頃である。
 
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千里はちょうどこちらもお昼休みだったので貴司に電話した。
 
「ロースター入りおめでとう」
「ありがとう。今回は残る自信無かったから、聞いた時は、やったぁ!と思ったよ」
「一緒にリオに行こうよ」
「うん。頑張る」
「貴司、結構ラッキーボーイ的な存在になってるもんね」
「それは少し自覚してる。でもラッキーボーイは卒業しないといけないとも思っているんだけどね」
「ラッキーボーイを卒業してラッキーガールになるの?」
 
「なんでそうなるの!?ちゃんとした戦力にならないといけないということだよ」
 

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最終日のスロバキア戦では、相手の実力を鑑みて、《想定スターター》の武藤・花園・広川・高梁・森下の5人はコートには出ず、残りの7人で戦った。もっとも高梁王子は「出たいです、出たいです」とうるさかったので結局第4ピリオドだけ出してもらった。
 
「雪子だいぶ体力ついたね」
と千里はこの日1人ポイントガードの状態で頑張った雪子に声を掛けた。
 
「やはり去年の秋から1日中バスケしてられるようになったのが大きいです。ジョギングも毎日10km走っていますし」
「偉い、偉い」
 
実際にはさすがに雪子が40分出続けるのは辛いので、千里・玲央美・江美子が交代で司令塔を務めた。今回の代表チームではポイントガードが2人しか選ばれていないので実戦でもこのようなケースはあると考え、そのシミュレーションでもあったようである。
 
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この試合のハーフタイムに、千里がひとりトイレに行き、控え室に戻ろうとしていた所に唐突に、西川まどかが出現した。
 
「えーっと、あまり人間らしくない現れ方すると、その内騒ぎになりますよ」
と千里は言う。
 
「まあ、よいではないか。それでだな。2月に助けてやったケイとかいう歌手だが」
「はい」
 
「うちの村に興味を持ったようで、こちらに来ると言っているのだよ」
「へー。まあいい所ですからね」
 
「それでだ。どうせ来るなら、桃を食べたいから持ってくるように伝えておいてくれないか?」
 
「ほんとに桃がお好きなんですね!」
 
「大阪から来るなら秋鹿の山廃純米酒も欲しいが、重いだろうから桃だけで良い」
「分かりました。では伝えておきます」
 
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すると、まどかは消えてしまった。
 

「ね、今、千里誰かと話してなかった?」
と後ろから来た百合絵が言う。
 
「ああ、桃好きのおばちゃんが」
と千里が言うと、体温計がどこからか飛んできて千里の頭に当たる。
 
「いったぁ。もう。訂正。桃好きのお姉さんからお土産持って来てと伝言頼まれた」
 
「それ誰?」
「えっとね・・・」
と言って千里は考える。
 
「男子リーグの大阪ナニワスターズ所属の西川環貴選手のお母さんかな」
 
と自分で言ってから内心「へ〜!」と思う。そういえばあの人、百日祭の時に自分は男の娘だけど子供を産んで、その子はバスケット選手をしているなんて言っていたなというのを思い出す。まあ神様にもなれば性別なんて割とどうでもいいのだろう。
 
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「何歳?」
「女の年齢を話題にするなって、言ってる」
 
「うーん・・・・」
と言って百合絵は腕を組んだ。
 
ハーフタイムはすぐ過ぎてしまうので、千里が冬子に桃を持っていってあげてと連絡したのは、試合終了後であった。
 

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千里たちはプラハ・オープンの後もプラハでの合宿を27日まで続け、28日にまたフランクフルト経由で帰国した。
 
PRG 6/28 6:00 - 7:10 FRA 13:40 - 6/29 8:15 (11:35 dif+7h) NRT
 
到着した29日はオフとなったが、千里を含む有志はそのままNTCに泊まり込んで7月1日まで3日間、練習を続けた。これに参加したのはこの10名である。
 
PG/雪子 SG/亜津子・千里 SF/玲央美・絵津子・彰恵 PF/江美子・百合絵 C/誠美・留実子
 
施設利用料は高田アシスタントコーチが上の方と話を付けて協会から出るようにしてくれた。
 
紅白戦もしたが、ポイントガードが1人しかいないので、彰恵がBチームのポイントガードを務めた。この練習には高田さんも現場に立ち会い、特に甘いプレイが目立つ絵津子・百合絵といった所にかなり厳しいことばも飛んでいた。
 
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6月30日の自主練習が終わってから、百合絵が高田ACに相談したいことがあると言った。百合絵は内密の相談なので、高田コーチの個室で会いたいと言ったものの男性のコーチと女子選手が密室で会うのは大いに問題がある。それで看護師としてチームに帯同している四方さんに同席してもらうことにした。彼女は職業がら守秘義務に厳しい。
 
四方さんは「私は彫像か何かだと思ってお話しして。私は一切話には口をはさまないし、聞いた内容は全部忘れるから」と言った。
 
それで百合絵は言った。
「単刀直入に言います。代表には私より前田彰恵の方がふさわしいと思います」
 
「なぜそう思う?」
と高田コーチが尋ねる。
 
「第1に根本的な技量で、私は彼女に全く勝てません。バスケのセンスに差がありますし、フットワークがいいし、瞬間的なひらめきなども彼女は本当に天才的なんです。もしかしたら私の方が体格がいいから、外国人とのシビアな戦いの続くオリンピックに私が選ばれたのかも知れませんが、彼女は身体は小さくても、大きな選手とのぶつかり合いで負けない頑丈さを持っています」
 
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高田は黙って聞いている。
 
「第2にポジションのバランスの問題があったかも知れませんが、スモールフォワードとして登録されている、佐藤玲央美、広川妙子主将はどちらもセンターができるほどの体格を持っています。ここでパワーフォワードを2人に減らしても、役割的な流用は可能だと思います」
 
「第3に今回ポイントガードが2人しか登録されていませんが、武藤さんも森田にしても、そんなに大きなガードではありません。本戦中に大型外人選手との衝突などで怪我する事態もあると思うんです。そんな時、前田なら司令塔の代行も務められます。彼女は頭の回転が速いし、現場の状況分析が物凄くうまいんです。彼女をロースターに登録しておくことは、非常時に心強いと思います」
 
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