[携帯Top] [文字サイズ]
■春拳(6)
[*
前p 0
目次 #
次p]
「しかしロースター争い、かなり熾烈になっているよね」
ミンスクに着いた夜、玲央美が千里の部屋に来てお茶を飲みながら言った。
「私や玲央美は最初から確定と言われてたけど、それは考えない方がいいよね」
と千里は搾乳をしながら言う。
お乳を取ってそれを京平の所に届けていることは玲央美にはバレてるので、全然気にせず搾乳作業をしている。
「私もそう思う。私にしても千里やあっちゃんにしても、分からない。でも多分王子は確定」
「あの子の性格がいいよね」
「うん。凄くいいムードメーカーになってる」
「そういう意味ではえっちゃん(湧見絵津子)も良い雰囲気作ってる」
「まあ、あの子はお調子者だからね」
「自分のチームの練習が休みの日に、よくうちに来て昭子をおちょくってるけど、昭子はいまだにえっちゃんに弱いみたいで」
「なんかえっちゃんがお姉さんで昭子が妹って感じだよね」
「うん。年齢は昭子のほうが1つ上なんだけどね」
ジョイフルゴールドの湧見昭子と日本代表(サンドベージュ)の湧見絵津子は従姉妹同士(元従兄妹)である。ふたりの父、および絵津子が高校時代下宿していた叔母の3人が兄妹という関係にある。3兄妹の両親(絵津子たちの祖父母)は九州の伊万里に住んでいる。元々は旭川近郊の深川なのだが、祖父が転勤で伊万里に行ってしまったのである。
「あの2人、子供を分け合う約束したらしい」
「分け合う?」
「昭子は元男の子で子供が産めないから、絵津子が昭子の分まで産んであげるんだって」
「へー!」
「だから自分が結婚するまでに昭子も結婚しろよと言っているみたい」
「それは頑張らなきゃ」
「昭子がちゃんと男性と結婚したら、その男性のタネで産んでもいいよと言っているらしい」
「すごい!」
29日から6月1日まで千里たちは地元のチームに練習相手になってもらって体格の良い相手との試合感覚を磨いていった。
6月2-4日には世界最終予選を目前にしているトルコ、ベラルーシ、ニュージーランドの代表チームと試合をおこなった。
初日トルコには大敗してしまったものの、翌日のベラルーシとは激しい接戦を繰り広げた。しかし最後は相手シューターの逆転2ポイントシュートが決まって1点差で敗れた。最終日のニュージーランド戦は向こうがBチームだったことから、こちらも千里や亜津子・玲央美などの主力は出場せず、ボーダーラインの選手を中心にオーダーを組んだものの16点差で快勝した。
日本代表候補選手団は翌日ロシアのシェレメーチエヴォ国際空港経由で帰国した。
MSQ 6/5 6:15 - 7:35 SVO(1:20 dif 0) 19:00 - 6/6 10:35 NRT(9:35 dif+6h)
千里たちは成田に到着すると、そのまま東京ドームのすぐ近くにあるバスケット協会の本部に入る。
飛行機に乗っている間から、かなり不安な顔をしていた選手、そわそわしている選手、あるいはあきらめ顔の選手などもいたが、例によって王子やそれに乗せられた絵津子、絵津子に乗せられた純子・志麻子・絵理などは
「まあまあ誰が選ばれても落ちても恨みっこなしで、とりあえず飲みましょう」
などと言って、ジュースで乾杯したりしていたが、あまり騒ぎすぎて広川キャプテンに注意されていた。しかしその広川キャプテンも少し落ち着かない雰囲気だった。
千里も今回はマジで誰が落とされてもおかしくないと思った。そのくらい控え組の今回のヨーロッパ遠征での成長が著しかったのである。
昼食を取ったあとで集まるように言われる。
「ではオリンピック代表に内定した選手を発表します」
と坂口代表が言うが、山野ヘッドコーチも高田アシスタントコーチも厳しい表情である。おそらくはかなりの激論をしたのではと千里は思った。
「ポイントガード、武藤博美・エレクトロウィッカ、森田雪子・フォーティーミニッツ」
と坂口さんが言い切った所で、もうひとりのポイントガード比嘉さんが顔をテーブルに突っ伏して泣き出す。
思わず全員にため息が漏れる。ここに居るのは22名。選ばれるのは12名。約半数が落とされるのである。
「シューティングガード、花園亜津子・エレクトロウィッカ、村山千里・レッドインパルス」
ここは元々代表候補にこの2人しか招集されていないので順当だったものの、千里も亜津子もふっと息をつき、握手した。千里の右隣に亜津子が座っており、左隣が玲央美である。その玲央美も続けて呼ばれた。
「スモールフォワード、佐藤玲央美・ジョイフルコールド、広川妙子・レッドインパルス、湧見絵津子・サンドベージュ」
「うっそー!?」
と言って驚いているのが絵津子である。どうも本人は自分は枠外と思い込んでいたようだ。
落ちた前田彰恵が「はぁ」とため息を付いている。玲央美が背中をさすっていた。彰恵ほどの選手が落とされるというのが、今回の選考がシビアであったことを表している。
「パワーフォワード、鞠原江美子・レッドインパルス、大野百合絵・フラミンゴーズ、高梁王子・ジョイフルゴールド」
「おぉ!!」
と王子が凄い声を挙げ、「静かに」と注意される。
この代表候補の中で誰が見ても確定だったのが王子なのだが、本人は全然そうは思っていなかったようである。
「センター、森下誠美・フォーティーミニッツ、夢原円・サンドベージュ。以上12名が代表内定選手です」
落ちた金子良美が泣いている。おそらくPFとCの人数配分でかなり揉めたのではと千里は思った。センターが2人でパワーフォワード3人になったので結果的に金子さんは落とされたのでは?
「この他に補欠として3人、本戦までチームに帯同してもらいます。以下の3人は落選して心理的に辛いかも知れませんが、よろしくお願いします」
と坂口さんは言い、名前を読み上げた。
「スモールフォワード・前田彰恵、パワーフォワード・平田徳香、センター・鞠古留実子」
千里はセンターの補欠が留実子というのに驚いた。確かに留実子は今回の遠征でかなり目立っていた。しかし国際試合の経験などと実績からして金子良美だと思っていたのである。
「今回選ばれなかった人たちも、来年のアジア選手権、再来年のワールドカップめざして各自鍛錬をして欲しいと思う。取り敢えずオールジャパンで会いましょう」
と坂口代表は締めくくった。
選手にも補欠にも選ばれなかった7名が退出するが、純子・志麻子・絵理の3人は絵津子の所に寄って
「リオのお土産はカーニバル饅頭で」
「サンバ最中もいいな」
「もし饅頭とか最中が無かったら、カーニバル煎餅とかでもいい?」
などと言っていた。
「あんたたち楽しそうだね」
とさすがに落選して疲れたような顔をしていた日吉紀美鹿が4人に言った。
その後、内定選手12名で記者会見に臨む。
川渕会長と三屋副会長の挨拶の後、山野ヘッドコーチから12名の代表内定選手の名前が読み上げられ、ひとりひとり抱負を述べた。
その後集まった記者から質問が出るが、主として山野HCや広川キャプテンが答えていた。
記者会見の後、貴司から電話が掛かってきた。
「ロースター入りおめでとう」
「ありがとう。そちらも頑張ってね」
貴司は8日から男子の合宿が東京北区のNTCであるので、それに合わせて今日の午後から東京に出てくるらしい。
「今夜会えないよね?」
「それが仕事なのよ〜」
記者会見をしている間に雨宮先生からメールが入っていた。山森水絵のデビュー・アルバムについて最終的に打ち合わせをしたいということであったので、結局千里はバスケ協会から、∞∞プロに直行する。
山森水絵は『鴨乃清見の歌を歌う歌手』オーディションの優勝者であるが、実力派であるというイメージ作りのため、アルバムでデビューという方針になり、10曲入りのアルバム『スポーツ・フェスティバル』でデビュー予定である。
既に録音も半分ほど済んでいる。この件は千里がオリンピック代表活動で時間が取れないため、雨宮先生、毛利五郎、北原春鹿といったメンツで進めてもらっていた。毛利さんはオーディション番組で結成されたユニット・ドライのお世話もしており大忙しである。
「もう2ヶ月くらい自宅に戻ってないよ、俺」
と毛利さんが言うので
「私も2ヶ月自宅に戻ってないですね」
と千里も応じる。
「あんたたち住所不定か?」
と春鹿さんがからかっていた。
「そういえば、この『十・二六』って曲は、マラソンのこと歌っているみたいだけど、なんで10.26なの?10月26日生まれのマラソン選手とかいたっけ?と思って調べてみたんだけど、エチオピアのハブタムという女子選手がひっかかったくらいだった」
と春鹿さんが訊く。
「距離なんですよ」
と千里は答える。
「距離?」
「42.195kmを尺貫法に直したら十里二十六町四十七間一尺五寸なんです」
と千里は携帯からメモを呼び出して答える。
「へー!それは知らなかった」
と毛利さんまで言うので、
「あんた知らずに制作してたの?」
と雨宮先生から言われていた。
「でもこの歌詞の内容が物凄いね。たとえ足が折れても命が無くなっても必ずゴールまで辿り着くって。悲壮な覚悟で走ってるね」
「そういう選手を知っているからですよ」
と千里は笑顔で答えた。
「その人は一度死んだけど生まれ変わり、更に足も失ったのに競技を続けているんですよ」
「へー!」
「今回はオリンピックの最終選考に間に合わなくて出場を逃しましたけど、パラリンピックに出ますよ」
「足を失ったってマジ!?」
結局千里はこの制作の打ち合わせを6月7日の昼過ぎまでした上で、冬子が少し話したいことがあると言っていたので、冬子のマンションに寄り、ここでまた徹夜するはめになり、6月8日の昼頃、やっと経堂のアパートに帰ることができた。
[*
前p 0
目次 #
次p]
春拳(6)