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■春銅(15)
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「さあ、この手術台の上に寝て」
「これ手術台なんですか?」
「君をこれから女の子に改造しちゃうからね」
「えー!?」
などと言いながら、恵馬は自分でその台の上に乗って横になった。
本当の手術台なら、無影灯が灯っていると思うが、ここに灯っているのは豪華なシャンデリアである。この台もとても柔らかい。手術台というよりベッドだ。恵馬は、安い少女漫画にでもありがちな情景だと思った。お金持ちの奥様の趣味で女装させられる美少年とか?などと自分をそういう漫画の“生け贄”になぞらえる。
ズボンが下げられ、ブリーフが下げられて、どちらも手術台(?)そばのゴミ箱に放り込まれてしまう。ボク帰る時どうすればいいんだろう?などと少し不安になる。もう帰れなかったりして!?
それで下半身裸になってしまった。
恵馬(けいま)は自分の足の毛が女性用カミソリで剃られて、真っ白な地肌が露出するのを、古い映画でも見るかのように見ていた。
そうだった。ボクは小学5年生頃までは、女の子たちから
「エマちゃん、足も手も白ーい。羨ましい」
なんて言われていたんだった。足に毛が生えてきてからは、こんな白い肌を見ていなかったなと思った。
なお、恵馬の名前は本当は“けいま”と読むのだが(将棋好きの父が付けた。最初は桂馬になる予定が、あまりダイレクトすぎるということで恵馬になった)、小学生の頃から友人たちは“えまちゃん”と呼んでいた。
「さあ、女の子のように白い肌が出て来たよ。君は本当はこんなに美しいんだよ。次はこれを穿いてみよう」
と言って見せられた下着を見て、恵馬は心臓がドキドキした。
2020年6月25日(木).
“桃香”は1月から千葉県内に3つの校舎(船橋市・千葉市・松戸市)を持つ中堅・学習塾の臨時講師になり、4月からは社員として採用され試用期間になっていた。そしてこの日は給料日だったのだが、給与明細を受け取りに校長室に行くと、校長は明細を渡してから言った。
「高園君。君、7月1日付けで試用期間を終えて本採用に移行するから」
「ありがとうございます。頑張ります」
「それで健康診断書と身元保証書を提出してくれない?できたら今月中に。保証人は、生計を別にする70歳未満の有職者2名で」
「分かりました」
と言って書類をもらって校長室を出たものの、さて、と困った。
健康診断書はいいのだが、保証人を誰に頼もうかと悩んだのである。自分が千葉で就職していることは、高岡の母も知らない。そもそも母は会社を定年退職してしまったので“有職者”ではないから保証人になれない。生計を共にしている人はダメということは、季里子や季里子の親などもダメである。
しかし桃香は取り敢えず健康診断に行ってくることにした。
コロナの折、不要不急の患者は優先度が低くなっている。予約が必要なようなので、あちこち電話してみるが、どこからも断られる。予約可能な所があっても、空いているのがかなり先だ。これは困ったぞと思い、市外の病院にも電話していたら、浦安市内の病院で、6月29日(月)なら受けられるということだったので予約した。月曜は休みなので助かる。
学習塾なので土日こそがメインであり、代わりに平日に交代で休みを取ることになっている。休める日は授業のラインナップやスタッフの陣容の都合で毎月変動するのだが、今月桃香は月・木が休みである:来紗の入学式が6月8日(月)だったら、難しいことをせずに済んでいた。
6月28日(日)は京平の5歳の誕生日だった。阿倍子からは予め誕生日プレゼント(絵本3冊)も送られて来ていたし、当日は電話で京平とたくさん話していた。彪志も京平にプレゼント(レゴ)をくれたし、貴司も会いに来て、京平を連れ出し、プレゼント代わりに2時間ほどプラドでドライブしてきた。ドライブには早月と奏音も付いていった。プラドに3つチャイルドシートを取り付けた。由美は小さいのでお留守番である。
貴司は緩菜が「おにいちゃんへ」と言って描いた“おにいちゃんの絵”も持って来て、京平が喜んでいた。“おにいちゃんの絵”は早月と由美も1枚ずつ描いてくれたし、奏音まで「きょうちゃん、おめでとう」といって絵を描いてくれた。
夕食にはケーキを買って来て5本のローソクを立てて京平に吹き消させた。この日は京平の大好きな、いなり寿司たくさんに唐揚げも作って、お祝いしたが、奏音や早月はケーキや唐揚げがいちばん嬉しかったようであった。
6月29日(月).
“桃香”は、健康診断に行ってくると言って朝、季里子の家を出て浦安市に行った。
健診のため朝御飯は食べていない。受付で予約番号を伝えてカルテと問診票・診察券をもらう。
カルテに書かれている順番に巡回する。最初にトイレ(女子トイレ)でおしっこを取り、提出する。検査室で身長・体重(着衣)・腹囲・血圧・脈拍を測られた後で採血される。
胸部X線撮影のためレントゲン室に行く。待ち時間に問診票に記入する。病歴などを書いた後「あれ?」と思う。普通なら、こういう所に「妊娠していますか?あるいは妊娠している可能性がありますか?」とか「月経は定期的に来ていますか?」という質問があるのに、それが見当たらない。
いいのかなぁと思って考えている内に、桃香はそのことに気付いた。
性別が男になってる!
そりゃ男には月経も無いし、妊娠もしないよなあと思った。しかし“桃香”という名前を見て男と思うか??
取り敢えず問診票をレントゲン科の受付の所に提出した。妊娠した覚えは無いので、まあレントゲンくらい撮っても大丈夫だろうと考える。先日の織絵のマンションでの一夜は何が起きたが誰も覚えてないので、やや不安ではあったが、その後生理(らしきもの)が来ているから、多分大丈夫。
男性が1人部屋から出てくる。少ししてから名前を呼ばれたので中に入る。アルコールの臭いがする。たぶん1人撮影する度に、機械をアルコールで消毒しているのだろう。
桃香は上着だけ脱いで、シャツのまま中に進む。桃香は健診をスムーズにするため今日はブラジャーをつけていない。
「そのシャツはボタンとかは付いていませんね?」
「はい。付いていません」
「でしたら、ここに顎を乗せて、手を機械の向こうに回してください。はい、そうです」
それで技師さんが撮影室に行く。
「息を吸って。停めて。はいOKです」
それで桃香は機械の所から離れ、上着を着て外に出た。
心電図検査に行く。
名前を呼ばれて中に入る。例によってアルコールの臭いがする。ここは服を脱がなければならない。上半身裸になってベッドに横になる。男性の技師さんが「あれ?」と言う。
「たかぞの・とうこうさん?」
と名前を確認される。
どうも「桃香」を「とうこう」と読まれているようである。
「はい、そうです」
「いつ頃から、胸が大きくなってきました?」
男性で胸が膨らんでいる場合、肝機能障害の疑いがある。
桃香は面倒くさいので、こう答えておいた。
「10代の頃から女性ホルモンを飲んでいたので」
「ああ、だったら大丈夫です。それで声も女性のように高いんですね。でも私が検査をしてもいいですか?女性技士の部屋に行かれます?」
「あなたでいいですよ」
「分かりました」
それで技師さんは桃香の心電図検査をしてくれた。
服を着て退出する。
眼科に行って視力を測る。耳鼻咽喉科に行って聴力を測る。それで健診項目は終りのようだったのでロビーで待っていたら名前を呼ばれ、封をされた健康診断表をもらう。精算の所に行き、料金を払った。
「私、普通に男として生きていけるのかも知れない」
と“桃香”はひとりごとを言った。
心のどこかから響いてきた、既に男として生活しているのでは?という“説”は、取り敢えず黙殺しておく。
この春に地元のH銀行に入社した吉田邦生だが、当初、何かの間違い(?)で、性別が女子となっていたおかげで最初の2ヶ月ほど窓口係をすることになった(初日は女子制服を着たが2日目からは男子制服を支給してもらってそれを着ている。しかしお客さんからは「お姉ちゃん」とか呼ばれていた)。
その後、渉外部門で1人新人男子が辞めたため、そちらの補充として渉外係に移動した。しかし吉田は最初渡された女子の社員証と、後から渡された男子の社員証の両方を保持しており、しばしば先輩の長谷さんから、女子更衣室(女子の社員証が無いと入れない)に掲示するものを頼まれたり、茶碗の片付けなどの雑用を頼まれたりしていた。
また同期の女子社員たちと仲良くなり、彼女たち(吉田のことをゲイだと思い込んでいる)は、無防備に吉田のアバートに泊まり込んだりしていた。彼女らは吉田のタンスを勝手に開けて、そこに女物の服も入っているので、
「やはり女の子の服を着るのが好きなのね」
などと言っていた。
(大学のショー劇団に居た時に女役をするために買った服を何となく捨てずにとっておいただけである)
しかし吉田は社員証は男子のものも発行してもらったものの、健康保険証が最初に発行された“性別・女”のままになっていることに全く思い至っていなかった。
渉外として働き始めてから半月ほど経った6月下旬。
先輩の運転する車に同乗して顧客のところに営業に行った帰り、先輩が赤信号で停車したら、後の車から追突されてしまった。
田舎ではしばしば、赤信号の変わり目に強引に突っ込む車がいる。それで自分がいつもそういう運転をしていると、他の車もそうだろうと勝手に思い込み、信号の変わり目は前の車は当然突っ込む“だろう”と勝手に想像して、自分もブレーキを踏まずに突っ込もうとする車がある。ところが前の車がちゃんと停まると、追突してしまう。これはそういう事故だった(だから停車する時は自衛のためポンピングブレーキが大事)。
なお、こちらの車のドライブレコーダーの記録から、こちらには非は無く、追突した車が全面的に悪いことが警察の捜査で明白になった。
しかし先輩と吉田は救急車で!病院に搬送された。
追突した車のドライバーがすぐに119番したからである。
衝突が低速で車の後部が少し凹んだ程度だったし(向こうの保険で修理してもらったがきっと5万円程度で済んだと思う)、吉田たちはどこも痛くなかったので、この程度のことで救急車なんて恥ずかしー!と吉田は思ったものの、本当に何かあったらやばいので仕方ない。しかし救急車に乗ってて吉田は
「救急車って無茶苦茶揺れて、何て乗り心地悪いんだ」
などと思っていた。
病院に運び込まれると、先輩も吉田もすぐにMRIを撮られた。その間に銀行から、渉外係の主任さんが駆けつけて来てくれた。しかしふたりとも元気そうなのでホッとしたようである。
2人に保険証を出させて病院に提示する。
MRIでは異常は見られなかったものの、交通事故は後になって急変する場合もあるので、一晩様子を見ましょうと言われ、2人とも取り敢えず入院になってしまった。
先輩は312号室、吉田は314号室に入れられた。着替えが必要だろうということで主任は、渉外係の女子行員・南田さんに連絡して、ふたりの取り敢えず下着とスウェット上下を買ってきてもらった。他にティッシュ・タオル・スリッパなども買ってきてくれている。
「なんで、ブラとキャミソールとショーツなの?」
「え?クニちゃん、女物を着るよね?」
「なんか誤解されてるなあ。まあいいけどね」
「うん。それでいいんでしょ?サイズはミネちゃん(吉田と同期の窓口係・伊川峰代)から聞いた」
「なるほどねー」
18時に夕食が出たので食べた。19時頃になってから、両親と妹が来てくれた。
「何だ元気そうじゃん」
「どこも痛くないけど、念のためと言われて今晩一晩入院することになっただけだよ」
「なーんだ」
コロナの折、面会時間が40分以内になっているので、両親たちは20時前には帰っていった。
20時半頃になってから、女性看護師さんが来て
「吉田さん、お風呂に入ってください」
と言う。
「あ、はいはい」
それでお風呂に行くことにするが、この時、着替えが南田さんが買って来てくれた女物の下着しかないことに気付く。
「しまった。母ちゃんに男物の下着を持って来てもらうべきだった」
と今更思うが仕方ない。
「まあいっか。別に女物でも」
と思い、吉田はそれを持って浴室に行った。
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