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■春変(12)

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善通寺を11時頃出た後は、国道11号を西行し、道後温泉を目指す。実は今回の目的地のひとつである。道後温泉に行ってみたいと思ったのは、高校時代に英語劇で『坊ちゃん』に友情出演して、興味があったことと、5月に山陰(に行く途中)の温泉宿で出会った渚さんという女性と、道後温泉のことを話したからである。
 
それで「女湯だけにある」という“えびす・だいこく”の像を見てみたいという気がしていた(女湯に入るための自分に対する言い訳)。
 
この時点で、良のイメージとしては、何か田舎の温泉っぽいから、きっと人も少なく、うまい時間帯を狙えば女湯に入れるかも、という下心があったのである。
 
(良は松山が大観光地であることを知らない)
 
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5月の頃からの進歩としては、タックを覚えたので、これなら“付いてない”かのように装えるかもという気もした。タックでこの夏はプールで女子水着デビューも果たしている。もっとも水着の場合は、胸にはパッドを入れて胸があるかのように装うことができたのに対して、お風呂ではそれができないので難易度が高い気がした。
 

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お昼近く、観音寺市で“銭形”に寄る。バイクは道の駅に駐めて少し歩いて展望台まで登る。寛永通宝の砂絵が見える。『銭形平次』という昔の時代劇でここが映されていたという話は聞いていたのだが、てっきりテレビの撮影のために作ったものかと思ったら、江戸時代からあるものと聞いて驚いた。
 
良が行った時、2組の観光客が来ていた。女性のガイドさんに連れられた10人くらいのグループと、男性のガイドさんに連れられて3人組である。最初、女性のガイドさんのグループが人数が多く紛れやすいので、その近くで解説を聞いていたが、先に移動してしまったので、単に近くで眺めているだけの振りをして後は男性のガイドさんの説明を聞いた。
 
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2人のガイドさんの説明によれば、寛永10年に丸亀藩主・イコマ何とか公が、この地に巡行してこられた時に、町民たちが藩主を歓迎して一晩で作り上げたものということであった。ただ困ったことに、寛永通宝が作られるようになったのは寛永13年から!ということである。
 
まあそういうパターンの話は、よくあるよなと思った。
 
女の子の服を買いたい男の娘は、女物の服の売場に行くのに女装したいけど、その女装するための服が最初は無いとか!?
 
そういうのホジュンとか言ったっけ?などと考えていた(*2)。
 
(*2)きっと“矛盾(むじゅん)”の誤り。
 

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しかし前半は女のガイドさん、後半は男のガイドさんの話を聞いたが、男のガイドさんのほうがうまいし、知識も豊富だと思った。でもガイドさんって圧倒的に女性が多いよね、などとも思う。何か世の中、女しかなれない仕事って多い。バスガイドもだし、看護師とか保育士、フライトアテンダントなども絶対的な女社会だし、会社の事務職(雑用係)みたいなのも、事実上、女しか雇ってくれない。
 
良はフライトアテンダンになりたいなあと思い、英語も一所懸命勉強しているが、雇ってくれるかどうか不安だった。
 
(男の)ガイドさんが、案内していた客の記念写真を撮っている。それをなにげなく眺めていたら
「お客さんも、記念写真撮りましょうか」
とそのガイドさんから声を掛けられた。
 
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「え?でも私、料金払ってないのに」
「写真撮るくらいで料金は取りませんよ」
「そうですか?じゃお願いします」
と言って、スマホの写真アプリを起動して渡した。
 

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それで撮影してくれる。
「ありがとうございます」
 
「何かお願いごとの旅ですか?」
と訊かれた。
「そうですね。お願いごとはあるけど」
 
「かなうといいですね」
「ありがとうございます」
 
早く本物の女の子になれたらいいなあ、と良は思った。
 

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道の駅で可愛い一筆箋があったので買い、遅めの昼食にまた讃岐うどんを食べてから先に進む。これが14時すぎだった。
 
2時間ほど走り、16時半頃、伊予小松駅前をすぎたあたりで、道路沿いに、うどん屋さんを見る。ちょっと休憩しようかなと思い、バイクを駐めて店内に入った。それでうどんを食べていたら、自分と同様ライダースーツを着た女性が店内に入ってくる。
 
「あ」
「あ、セーラちゃんだったね?」
「渚さん!」
 
それは5月に養父市の温泉で会った渚さんだった。
 
「奇遇だね」
「ツーリングですか?」
「うん。今回はお遍路中。バイクで四国一周」
「すごーい!」
「君は?」
「道後温泉に行ってみようと思って」
「ああ」
と渚は考えるようにしてから
「恵比寿・大国の像を見るためとか?」
と尋ねる。
 
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「ええ。そんな話も聞いたし」
 

結局渚さんは星良と同じ席に座る。そしてまずは通告した。
 
「今、恵比寿・大国像は見られないよ」
「そうなんですか!?」
 
「今、道後温泉本館は工事中なんだよ。元々は神の湯、霊の湯というのがあって、神の湯は男湯が2個と女湯が1個あった。つまり5個の浴室があったのだけど、その内、神の湯の女湯と霊の湯が取り壊されて、新しい浴室を今作っている最中」
 
「だったら男の人しか入れないんですか?」
「2つの男湯の内、東浴室を男湯、西浴室を女湯として使用している」
「ああ!」
「それで男湯の脱衣場は真ん中に壁を作って、男女分離。そのままでは使えないからね」
 
「男女同じ所で脱いでくれというのは困ります」
「まあ警察から叱られるよね。だから、今道後温泉に行くと、女は元男湯の西浴室だったのを性転換して女湯になった所に誘導されるから、元の女湯にあった、恵比寿大国は見られないんだな。入ってみてから『あ、無い!』と思ったよ。女湯のシンボルだったのに」
 
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良は“シンボル”が“あ、無い!”という渚の言葉に、勝手にドキドキしていた。
 
「それは残念ですね」
 

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しかし渚は言った。
 
「ところでタック覚えた?」
 
「あ・・・・」
と良は声を挙げる。
 
「私の性別分かってました?」
「私もあんたと同類だったからね」
「そうなんですか!?」
「でないと普通気づかないと思う。人間が男女を見分ける時、一番のヒントは何だと思う?」
と渚。
 
「それ私も考えて見たことあるんですが、背丈かもという気がしました」
 
「背丈は結構ある。私は162cmだし、あんたも165cmくらいだよね。だから結構女で通る。まあスカート穿いてるかとか、胸があるかとか、眉毛が細いかとかも大きなヒントだけど、それは二次的なヒントでしかない。それより背丈を先に見ているんだよね」
 
「そうなんですよ、胸を最初に見るかなと思ったんですが、背丈が先のように思いました」
 
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「でもね。いちばん大きな要素は実は“雰囲気”なんだよ」
と渚は言う。
 
良はしばらく考えていたが、やがて
「確かにそうかも」
と答えた。
 
「あんたは雰囲気が完璧に女の子なんだな。胸が無くたって、雰囲気が女の子だから、みんな女の子だと思ってくれる」
 

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「胸は大きくしたいと思っているんですが、女性ホルモンが入手できなくて。大阪市内の大きなドラッグストアとか行ってみたのですが、女性ホルモンはお医者さんの処方箋が無いと売れないと言われたんですよ」
 
「あんた何歳だっけ?」
「19歳になりました」
「だったらまだダメか。お医者さんに行って、GIDだって診断してもらったら女性ホルモンは処方してもらえるけど、治療は20歳以上でないとだめなんだよね」
 
「あまり遅くしたくないです。後になればなるほど身体が男性化しちゃう」
「ほんと時間との戦いだよね。女性ホルモンの入手法は私が教えてあげるよ。大阪に帰ってから、また1度会わない?」
「はい、ぜひ」
 
それで良は渚と、スマホの電話番号・メールアドレスを交換した。
 
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「でも渚さんも同類だったなんて、全然気づかなかった。おっぱいも大きいし」
「私、もう女になっちゃったよ」
「あ、性転換手術してたんですか?5月の時は女にしか見えなかったから」
「いや、5月の時点ではまだ男の身体だったんだよ。でも昨日の朝、目がさめたら女になっていたんだよ」
 
「そんなことがあるんですか!?」
「たまにあるらしいよ。さすがにびっくりしたけど、性転換手術代もうけた」
「私にもそんなことが起きたらいいなあ」
「起きるかもね」
 

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渚はタックができてるのならいいけど、あまり長時間滞在せずに、短時間であがればバレにくいとアドバイスしてくれた。またお昼とか夕方とかは混むから、できるだけ空いている時間を狙うことと言われた。
 
(この時点で渚は、星良がちゃんと接着剤タックできているものと思っている。まさかテープタックで女湯に突撃しようと星良が考えているとは夢にも思っていない。気づいたら、渚の手でちゃんとタックしてあげていただろう)
 
「まあ万一逮捕されたら私を呼んでよ。明日はこの近くの63番吉祥寺から打ち始めて、69番観音寺まで打つつもりだけど、まあ道後には1時間半くらいで駆け付けられると思うから、この子は精神的に女だと証言してあげるから」
 
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「ありがとうございます。そういう事態にはならないようにしたいですが。でも“うつ”って何ですか?」
 
「お遍路では、各々の札所にお参りすることを“打つ”と言うんだよ」
「へー!」
「順番に時計回りにお参りするのは順打ち、逆向きに反時計回りにお参りするのは逆打ち、ルートの途中で道を戻るのは“打ち戻る”などと言う」
 
「面白いですね」
「きっと昔はお参りした証拠に自分の名前を書いた木の納札(おさめふだ)をお寺の建物に打ち付けていたからかもね」
「何か乱暴な気がします」
「建物が傷むよね。今は打ち付けるのは禁止。代わりに紙の納札を、用意されている納札箱の中に入れてくる。これ1枚あげるよ」
と言って、渚は良にきれいな薔薇模様の納札をくれた。
 
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「きれーい!」
と良は声を挙げる。
 
「自分でイラレでデザインしてプリンタで印刷したからね。名前はちゃんと1枚1枚手書きした」
 
納札には「寝屋川市・浜川渚」と書かれている。
 
「これ頂いていいんですか」
「いいよ。出会った記念。南無大師遍照金剛」
 
「なま・・・?」
「南無大師・遍照金剛」
と渚はその納札に字で書いてくれた。
 
「南無(なむ)は帰依しますということ。大師(だいし)は弘法大師(こうぼうだいし)のことで、この霊場を開いた、弘法大師・空海のこと」
 
「あ、日本に仏教を伝えた人でしたっけ?」
「あんた、日本史に弱いね?」
「理系なもので。入試は地理と倫理で受けました」
 

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「日本に仏教が伝えられたのは538年、ご参拝に行く仏教伝来」
「わあ」
「弘法大師空海が伝えたのは真言宗。806年・空よ晴れろ!と祈る空海真言宗。その前年に伝教大師・最澄は天台宗を伝えた」
 
「ああ、最澄と空海という名前は何となく。弘法も筆を誤るの弘法ですかね?」
「そうそう。この四国の出身なんだよ。生まれた場所に立っているのが高松の近くの善通寺というお寺で、機会があったら寄ってみるといい」
 
「午前中に見学して来ました!」
 
「その時、こういう話とか聞かなかった?」
「ガイドさんとか頼まずにひとりで見学していたので」
 
「なるほどね。それで、最澄が伝えた天台宗は、別名台密、空海が伝えた真言宗は京都の東寺を本拠地にしたので別名東密。これは密教の2大宗派になっているんだよ」
 
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「みっきょっって仏教とは違うんですか?」
「仏教の派閥のひとつ。正確にはどんな宗教にも各々の密教と呼ばれる傾向のものがある」
「へー!」
 
「日本の仏教は、奈良時代まで盛んだった五派(*3)以外では、密教、浄土教、禅宗、日蓮宗、などに分類される。浄土教には浄土真宗・浄土宗など、禅宗には曹洞(そうとう)宗・臨済(りんざい)宗・黄檗(おうばく)宗などがある」
 
「へー!」
 
(*3)渚は勘違いしている。五派ではなく六派である。三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗の6つで、しばしば南都六宗と呼ばれる。“奈良の大仏”の東大寺が華厳宗。
 

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「それで遍照金剛とは弘法大師さんの称号だよ」
と渚は説明する。
 
「お遍路は、その途中で会った人、お世話になった人にこの札を配るんよ。まあ名刺代わりやね」
 
「なるほどー」
 
「道後温泉の後はどこに行くの?」
「佐田岬に行ってから帰ろうと思っています」
 
「だったら、9日か10日くらいには帰るよね?」
「はい、そのつもりです」
「だったら四国からの帰り、徳島から大阪まで一緒にツーリングしない?私も9日か10日くらいに鳴門市で、88ヶ所打ち終える予定なんだよ」
 
「はい。あ、でも私、お金が無くて宇高フェリーを使うつもりなんですが」
「高速代おごってあげるからさ、大鳴門橋を越えようよ。それで渦を見ようよ」
「わあ、いいんですか?」
「若い内はおごられていればいい。その内、あんたも後輩におごってあげればいいんだよ」
「そうですね」
 
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それで良は9日か10日くらいに鳴門市で落ち合う約束をしたのである。
 
 
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