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■春変(5)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-05-31
芳野早百合のお遍路は毎年秋に続いていた。
3年目の昨年(2018年)は最も距離の長い土佐路(439.2km)であった。23番薬王寺(徳島の最後の札所)から前年の出発点である39番延光寺までである。この年は直前に大阪で食のフェアがあったのに(バイト先のロイヤルホストから)派遣されていて、その帰りに四国に渡ったので、神戸からの“ジャンボフェリー”を使った。
JR三宮駅前(連絡バス)神戸三宮FT 19:45-24:00 高松港(市内泊)/
高松8:23-9:36徳島10:10-11:31日和佐
それで徳島最後の札所(来年満願の地になるはず)から歩き始め、晴天に恵まれたこともあり予定通りの日数で昨年の出発点である延光寺に辿り着いた。
帰りは瀬戸大橋ではなく、その隣の宇高ルートを使った。
平田17:10-17:30中村17:45-19:28高知19:31-21:42高松(泊)高松港7:50-8:55宇野港/
宇野9:03-9:27茶屋町9:33-9:47岡山11:12-12:53博多
(↑の時刻は2018.8の時刻表による)
宇高国道フェリーもいつまであるか分からないし、乗れる内に乗っておこうというのでこのルート選択になった。ここは国道30号の海上ルートである。国道30号は岡山市から高松市に至る国道だが、その途中、宇野港から高松港までが海上ルートになっていた。今回は四国に入るのも出るのも航路を使ったことになる。
(宇高国道フェリーは2019年12月15日の運行を持って廃止された)
そして2019年、4年目の秋、早百合はとうとう最後の阿波路を歩くことにして博多を出たのである。今回の四国入りのルートはこれである。
博多6:10-8:26新神戸8:55(神姫バス)11:17徳島12:06-12:19志度/JR志度駅12:49-14:05大窪寺
阿波路(あわじ)を歩くから淡路(あわじ)経由で行こうというダジャレだった。でもこれで四国三橋を制覇した。
初日(9/15)は大窪寺から1番札所・霊山寺までの38,8kmを歩き、お参りしてから近くの旅館に投宿した。
翌日(9/16)は朝、一応昨日お参りしているのだが、まだ開く前の霊山寺門前で一礼してから吉野川に沿って西行するルートを歩いて行く。9番・法輪寺まで打った所で、今日はこのくらいにしておこうかと思い、目星を付けていた旅館まで行ったら満室だと言われた。
早百合は基本的に旅館の予約はしない。予定通りの日程では行けないことがしばしばあるからである。しかし困った。ここは他に近くに旅館が無いのである。焼山用にビバークの装備は持って来ている。野宿するかなとも考えたのだが、年配の女性が声を掛けてきた。
「もしよろしかったら、うちにお泊まりになりませんか?御接待しますよ」
「助かります!」
女性は「しばらく待っててね」と言って、その後宿に到着して同様に断られた女性2人に声を掛け、結局、歩きお遍路3人を伴って、御自宅に案内してくれた。
ここは昔この集落の組頭をしていた家で、部屋がたくさんあるのだということだった。この日、御接待を受けることになったのは、早百合と、25-26歳くらいのスポーツ選手っぽい人、それに40代の少しひよわな感じのする女性の3人である。
お食事を頂きながら話をしたが、25-26歳の女性はバスケット選手で以前日本代表にもなったことのある人で、千里さんと言った。なるほどー、バスケットかと思う。身体の均整が取れているので多分全身を使うスポーツだろうと思ったのである。
40代の女性は大病を克服して退院してまだ半年ということだった。全行程歩くつもりということで「大丈夫ですか?」と早百合も千里さんも心配したが、自分は死の淵から神仏の加護で助けられた、というよりほとんど1度死んだようなものだから、その再出発の旅なのだということだった。無理しない範囲で歩きますよと言っていたが「今年は阿波路だけにして、続きは来年になさっては」と早百合などは提案しておいた。1200kmの旅は普通の人にも過酷である。
(実際問題としてこの人の体力で焼山を越えられるとは、とても思えない)
翌朝(9/17)、御飯を頂いてから出発しようとしたら、偶然にも千里さんと一緒になった。千里さんは昨日9番札所に到着したのがもう遅かったのでお参りしていないということでそのお参りから始めるということだった。何となく付き合って再度お参りする。それでその後も、何となく一緒に歩くが、ペースが速い!
元陸上選手でマラソンを完走したこともある早百合だって、かなり速いペースである(と思う)。2年前に遭遇したワンダーフォーゲル出身の人も、昨年会った AJWC (All Japan Walking Cup) 47全都道府県完歩したという人も、早百合のペースに付いてこられなかった。でも千里さんはその早百合よりも速いのである。
負けそうと思ったが、何とか頑張って10番切幡寺 11番藤井寺とお参りする。この時点で13.1km歩いて現在10時半だが、次の焼山寺はお遍路の中でも最大の難所と言われるルートである。距離だけなら、わずか12.9kmであるが、アップダウンが凄まじい。普通の人なら8時間以上掛かるので、ここで一泊して焼山は明日にした方がいい。千里さんがチラッとこちらを見て訊く。
「行く?」
「行きます」
それで2人で一緒に焼山越えを歩き始めた。千里さんが「今夜は宿を予約しておくよ」と言い、電話を旅館に入れてくれた。でもガラケーだ!
「私、静電体質だからスマホは触っただけで爆発するのよ」
「それは難儀ですね!でもガラケーは2022年だかで終了するのでは?」
「どこかオールプラスチック製のスマホでも出さないかな」
「電気が通らないと思います」
しかし険しい山道である。さすがに千里さんのペースも落ちる。それで何とか早百合も付いていくことができた。このルートはアップダウンの高低差が合計1800mくらいある恐ろしいルートなのである。一般に山道では高低差はその十倍の水平距離相当(高低差1kmなら10kmプラス)と言われるが、早百合はもっとあるかも知れないと思う。なにより精神力が削られる。せっかく降りてきたのでもうピークは越えたかと思ったら、また昇らなければならないというのはとても辛い。途中、足の筋肉が悲鳴をあげるので立ち止まってアンメルツを塗ったが、その間は千里さんも待ってくれた。また千里さんがチョコとかカロリーメイトを分けてくれたので、それを適宜頂いた。
途中、長戸庵・柳水庵・浄蓮庵とお参りしていき、16時頃焼山寺に到着。
取り敢えずビバークしなくて済んだ!
ここでは焼山寺の御朱印だけでなく、柳水庵・浄蓮庵の御朱印も一緒に頂くことができた。
「よく付いてこれたね」
と千里さんが褒めてくれた。
「置いてかれてこんな山の中で1人になりたくなかったから頑張りました」
「それにしても凄い。スポーツしてた?」
「陸上の長距離走ってたんです」
「それでか。特に降りる時の体重の使いかたがうまいと思ったよ。私が見習わせてもらった」
「あれはロードレースの坂道を走る要領なんですけど、重力による身体の降下に足を合わせていくんですよ。実は歩くのではなく落ちて行っているんです」
「なるほどー。落ちていくのには体力使わないもんね」
「そうなんですよ。ちょっと恐いですけどね」
「ジェットコースターみたいな感覚」
「似てます!」
早百合が持って来ていたコンデジ、Canon Power Shotで記念写真を撮った。セルフタイマーでも撮ったし、2人で写真を撮っていたら、男子大学生という感じの人が寄ってきて「撮ってあげましょうか」と言い、2人並んでいる所を撮ってくれた。千里さんのスマホに転送してあげようと思ったら、向こうはガラケーだった!それで後日メールで送るか、ネットディスクを利用して渡すかしてあげることにした。
焼山寺の後は衛門三郎終焉の地・杖杉庵に寄り、そのあと山道を4km降りて、神山町の旅館に到着。かなり人が多かったが、予約していたので無事泊まることができた。
「でも千里さんこれだけ歩けたら、山伏にでもなれるかも」
と早百合が言うと
「私、女山伏の鑑札持ってるよ」
と言って見せてくれた。
「すごーい!出羽ですか」
「早百合ちゃんも一度“表の”女山伏修行に参加しない?早百合ちゃんならできると思うよ」
「ちょっと興味ありますね」
と言いつつ、それはさすがに身体を“直して”からでないと無理だろうなと思った。
今年満願したら、このあと2年くらいかけてお金を貯めてタイで性転換手術を受けてこようかな、などと早百合は考えていた。法的な性別を変更するまで就職が困難だから、2年間大学院に行ってモラトリウムをむさぼることも考えている。一応指導教官には大学院への進学を考えるかもということは伝えている(どうも早百合の大学の大学院は「入りたい」と言えば全員入れてくれるようではある)。
早百合は結局、このあと阿波路をずっと千里さんと一緒に歩くことにした。9/18は13番・大日寺から18番恩山寺、9/19は19番立江寺からお遍路第二の難所・20.鶴林寺、第三の難所・21.太龍寺のダブルパンチを踏破する。どちらも大変な道ではあるが、焼山寺に比べればまだ楽である。しかしこの2つを1日で歩く人は多分、他にいないだろうと思った。
そして9/20は22.平等寺、23.薬王寺と打った。
「結願(けちがん)おめでとう」
「ありがとうございます」
これで早百合は4年がかりで88個の札所を全部打ち終えたのである。
千里が握手を求めるので、握手したが力強い手である。シューターの握力はさすが強いよなと思う。
「じゃこの後、高野山に行きます」
「うん。頑張って。どういうルートで行くの?」
「徳島から和歌山にフェリーで渡ろうかと思っていたのですが」
「ああ、なるほど」
「でも疲れたから、瀬戸大橋越えて新幹線で寝ていこうかな」
「新幹線のシートって凄く楽だもんね」
「そうなんですよ」
「快適すぎて東京まで行ってしまわないように」
「それはちょっと恐いです」
早百合は当初は四国との主な出入りルートの中でまだ使用していなかった徳島−和歌山航路で高野山に行くつもりでいた。しかし今回は焼山・鶴・大龍で疲れたことから(千里さんと一緒に歩いたからかも?)、素直にあまり体力を使わない瀬戸大橋線で移動しようと考えたのである。
それで町内のお好み焼き屋さんで一緒にお昼を食べた後、日和佐(ひわさ)駅で彼女に見送りしてもらって徳島方面の列車に乗った。これが9/20 12時半頃である。
(当初予定していたルート)
日和佐(牟岐線)徳島(高徳線)板東(霊山寺に行き満願之証をもらう)
板東(高徳線)徳島(フェリー)和歌山(JR)橋本(南海)極乱橋(ケーブルカー)高野山
(変更したルート)
日和佐(牟岐線)徳島(高徳線)板東(霊山寺に行き満願之証をもらう)
板東(高徳線)徳島(瀬戸大橋線)岡山(新幹線)大阪(泊)/
大阪(南海)極乱橋(ケーブルカー)高野山
つまりフェリーの中で寝ていくところを大阪泊に変更したようなものである。
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