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■春変(9)

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(C)Eriko Kawaguchi 2020-06-06
 
古庄夏樹は、性転換手術を受けるのに先だって、消滅する“息子の夏樹”の菩提を弔うため、父との約束に基づき9/21-29の予定でお遍路に行くことにしていた。しかしその直前に中国の重慶(チョンチン)への出張が入ってしまった。
 
夏樹の会社が納入したパイプオルガンの調子がおかしいというので技術の坂本さんと一緒に行ったのだが、電圧が不安定になる事象が頻発するようで、結局楽器は置いて2人で手分けして電源系統を調べた。
 
重慶入りした9月10日から3日がかりで調べて、やっと原因を特定できた。結局そのホールに電気を供給している変電施設の問題と分かり、現地の電機会社を呼んで、電圧を安定させる設備を導入してもらった。これが9月17日(火)のことである。
 
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それで解決したかと思ったら、電源が安定しているのに、やはり調子がおかしい。これを坂本さんが調べている間、夏樹は会社の担当者さんや幹部さんを連れて連日飲みに行き、たくさんごちそうする。これが実は夏樹の今回の主たる役目だったのである。毎日ごちそうされて、向こうの幹部さんたちのご機嫌はよくなったものの、夏樹は二日酔い・三日酔い・四日酔いで辛かった。
 
9/19日の朝になって、やっと原因が分かる。
 
「これ、うちが工事したものと違うと思うのですが」
「ああ、バンドの人がここで躓いて転んで断線させてしまったので、電気に詳しい社員が、このくらいなら直せるよといって修理したんですが」
「そういう時はうちを呼んでもらえませんか?そのために保守契約しているんですから」
「知道了(チータオラ)」
 
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原因が完璧に向こうの勝手な改造であることが分かり、さすがに向こうの社長さんは恐縮していたが、おかげで、夏樹たちは帰国することができた。
 
0/19(Thu) CKG 15:15 (IJ358 B737-800) 20:45 NRT
 
会社に辿り着いたのは22時である。課長は言った。
 
「お疲れさん。14-16日の土日祝も働いてもらったから、その代休で明日と、24-25日も休んでいいよ。だから有休使用は26日だけ」
 
「助かります」
 

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それで夏樹は中国出張から戻ったばかりなのに、(普段の着替えは出張で使い切ったので)替えの下着を買って、その日の夜1時過ぎに、愛用のバイク Yamaha YZF-R3 に飛び乗ると、一路徳島を目指したのであった。
 
なお、出張で使った服の洗濯については(元妻の)季里子に電話して打診してみたら「うちに持って来て」ということだったので、真夜中で申し訳なかったが、彼女の家に持って行き洗濯を依頼した。そのまま置いておけば、1週間後にはカビだらけになっているのは確実だった。季里子は「途中で食べて」と言って、おにきりまでくれたので
 
「ありがとう。南無大師遍照金剛」
と唱えて、納札(中国滞在中に200枚書いた)を1枚渡したが
 
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「古庄モニカなの!?」
と呆れていた。
 
納札には“千葉県・古庄モニカ”と書かれている。
 
「だって、女の子だもん」
(『魔女っ子メグ』のイントネーションで)
 
「88周したら、本当の女の子になったりしてね」
「88周もするの!?」
「あ、間違い。さすがにそれは無茶だよね。88ヶ所一周。でも早く女の子になれるようお祈りしてきなよ」
 
「そうする」
 
(季里子には年末に性転換手術を受けに行く予定であることは、まだ言ってない)
 

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夏樹が当初予定していたのは、このようなスケジュールであった。
 
9/20の夜 千葉→徳島 700km
9/21 1.霊山寺〜11.藤井寺 42km
9/22 12.焼山寺〜20.鶴林寺 119km
9/23 21.太龍寺〜30.安楽寺 228km
9/24 31.竹林寺〜38.金剛福寺 200km
9/25 39.延光寺〜46.浄瑠璃寺 274km
9/26 47.八坂寺〜61.香園寺 130km
9/27 62.宝寿寺〜69.観音寺 97km
9/28 70.本山寺〜83.一宮寺 94km
9/29 84.屋島寺〜1.霊山寺 99km
9/29の夜 徳島〜千葉 700km
 
移動速度60km/h 各寺の滞在時間20分で、Excelで計算して作った計画表である。参拝時間は8:00-17:00なので、17時を過ぎたらどこか適当な所で寝る(旅館や遍路宿があったら泊まるが、野宿前提)。朝は8:00に最初の札所に到着できるように、場合によっては朝6時くらいに出発する、という計画である。夏樹は“男湯にも女湯にも入れない身体”なので、はなっからお風呂など入るつもりは無い。汗はトイレの中で、からだ拭きシートで拭けばいいと思っている。
 
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実は我ながら、少し無茶な計画かもという気はしていた。しかし今回の出張のおかげで9/20を余分に休むことができて10連休になったので、その1日の余裕があれば何とかなるかもという気がした。
 

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夏樹が新東名・伊勢湾岸道・新名神・神戸淡路鳴門自動車道などを通り、徳島県鳴門市に辿り着いたのは9/20 11時頃である。さすがにきつかったので、途中3ヶ所のPAで1時間くらいずつ仮眠している。1度変な男に襲われそうになったので、思いっきりキンタマを蹴り上げてやった。玉を押さえてうごめいていたが、潰すつもりで蹴ったので、ひょっとすると男を廃業したかも知れない。
 
初日(9/20)は1.霊山寺から8.熊谷寺までを回った。予定では11番の藤井寺まで初日に行くつもりだったが、11時から打ち始めたのだから仕方ないと思った。初日の移動距離は23kmである。熊谷寺はすぐそばに徳島自動車道の土成(どなり)インターがあるので、そこから乗って、阿波PAの施設内で寝た。翌日は脇町ICで降りて、次の札所に向かった。(夏樹は顔のムダ毛は永久脱毛しているので、朝、顔のムダ毛の処理をする必要は無い)
 
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9/21は、9.法輪寺から、最大の難所と言われる焼山を越えて、杖杉庵にお参りしたところで打ち上げた。藤井寺から焼山に至る道は、歩きお遍路なら山を突っ切って12.9kmだが、バイクや車の場合は、大きく迂回して35.2kmになる。3倍以上の道のりだし、その迂回路も“かなり”の道なので、さすがの夏樹も慎重に走って時間がかかった。そして精神的にも消耗した。それでこの日はここで打ち切ったのである。
 
翌日(9/22)は、13.大日寺から20.鶴林寺・21.大龍寺まで行くが、この鶴・龍のダブルパンチはなかなかである。特に鶴林寺から大龍寺に至る道は、歩きのお遍路道では6.7km だが、車道では13.7kmと倍以上になるし、また例によって凄い道である。焼山同様に消耗した。
 
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しかし三大難所を越えたことで、夏樹は少しだけ自信ができた。
 

9/23は、22.平等寺から室戸岬(最御崎寺:ほつみさきじ)を経て、27.神峯寺まで進む。室戸岬の眺望が素晴らしく、弘法大師って、こういう場所で悟りを開いたのかと思うと、ちょっとした感動であった。
 
夏樹のここまでの軌跡。
 
9/20 1-8 23.0km
9/21 9-12 54.8km
9/22 13-21 96.4km
9/23 22-27 152.0km
 
しかし夏樹はこれは9/29までに終わらないかもという気がしてきた。今のペースで進むと10月1日くらいまでかかりそうなのである。進行状況次第では、会社に電話して課長と交渉する必要があるなと夏樹は思った。この日はこの後の体力をキープするため少し身体を休めようと思い、香南市内のホテルに泊まり、シャワーで汗を流し、バスタブに30分くらい浸かって、その後柔らかいベッドでぐっすり眠った。
 
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9月24日は朝から雨だった。雨の中でも走行はできるが、体力を消耗するので、できれば雨の間は休もうと思っていた。それで取り敢えずホテルから近い28番・大日寺まで行き、お参りしてから境内で雨があがるのを待つ。そこに
 
「お接待しますのでどうぞ」
 
という声があり、テントが張られた所で、暖かいお茶と和菓子を頂いた。こういう時、甘い物はとても助かる。
 
お接待を受けているのは20人近くいた。なんか悲しみを抱えた人も多いなあとそのメンツを見ながら思ったが、その中でフルムーンっぽい品のいい夫婦は少し異彩を放っていた。他に23-24歳くらいかな?という感じのスポーツ選手っぽい女子がいる。この人はどうも歩きお遍路のようである。
 
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歩きお遍路だということに気づいた人が「握手したらご利益(りやく)ありそう」と言い出したので、彼女はその場にいた全員と握手して納札も配っていた。“千葉県・川島千里”と書かれていた。へー、千葉県か。
 
「千葉県のどこですか?」
「千葉市内なんですけどね」
「あ、私も千葉市ですよ」
と言ったら、彼女と2度目の握手をすることになる。
 
この歩きお遍路の女性が出羽山の女山伏の鑑札を持っているということで、見せてくれたので夏樹も見たが、女山伏なんてのもいるんだなあと思った。山伏なんて厳しい男の世界かと思っていた。
 
彼女はこれまで坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所をやっており、仕上げに四国88ヶ所に来たらしい。もっとも歩いているのは今回だけで、板東と西国は車で、秩父はバイクでやったらしい。
 
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「バイクは何ですか?」
と夏樹が訊く。
「ヤマハのYZF-R25というバイクなんですが」
「あ、私はYZF-R3ですよ」
「姉妹車ですね!」
ということで夏樹は川島さんと3度目の握手をする。
 
「バイクでお遍路って20日間くらいですか?」
という質問がある。
 
「いえ。あまり仕事休めないから、金曜日に千葉からこちらまで走って来て、一週間かけて88ヶ所まわって日曜の夜に千葉に戻る予定です」
 
「若くなきゃできない!」
という声があがる。
 
それで夏樹に握手を求める人が多数あり、夏樹も全員と握手して納札を配る。結果的に川島さんとも4度目の握手をした。
 
やがて雨があかるので、各々出発しようということになる。歩きお遍路の川島さんが「お気を付けて」と声を掛けてくれたので「そちらこそお気を付けて」とこちらも言い、それで彼女とまた(5度目の)握手をした。
 
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それで夏樹は10時頃に大日寺を出た後、10:20 国分寺、11:05 善楽寺、11:50 安楽寺 12:30 竹林寺と打っていった。
 
ところが、竹林寺の後、次の禅師峰寺に行こうとした時に、急にお腹が痛くなった。ありゃや体調崩したかなと思い、寺の中で座り込んでいたら、お坊さんが寄ってきた。
 
「どうなさいました?」
「済みません。気分が悪くなって。ちょっと疲れが溜まってたかなあ」
「こちらでお休みなさい」
と言って、寺の中の部屋に案内してくれて、毛布ももらったので、夏樹はそこで毛布をかぶってすこし休ませてもらった。
 
お腹の痛みは10分ほどもすると収まった感じがあった。
 
「良かった。治った。やはりスケジュールが無茶すぎるかなあ。でも長期間休む訳にもいかないし」
などと思う。
 
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トイレを借りてから、御礼を言って出発しようと思う。それで毛布を畳んでそれを持ち、廊下を歩く。東司と書かれた所がある。これトイレのことだよね?と思って中に入ってみると、男女に別れているようである。もちろん女の方に入る。それで個室に入る。洋式である。お寺も進歩しているんだなあと思う。
 
それでおしっこをしていたら何か変だ。それでお股を見てみて夏樹は仰天した。
 

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個室の中に15分くらい滞在した。籠もっているのに誰か気づいたら、気分が悪くなっているのではと心配するかもと思ったが、誰も夏樹がトイレに入っていたことには気づかなかったようである。
 
でもどうしてこういうことになったのかなあ。これ凄く嬉しいけど、こんなことってあるんだろうか?と夏樹は自分の“身体の変化”に不安を感じた。
 
トイレの外に置いていた毛布を持ち、こちらが出口だったよね?と思う方向に廊下を歩いていたら、60歳くらいのお坊さんと遇う。
 
「ありがとうございました。体調が悪くなって少し休ませてもらいましたが、回復しましたので出発します」
と言った。
 
「それは良かった。あんたを守護するお経をあげてやろう」
と言って、お坊さんは夏樹をお堂に案内してくれた。
 
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そして御本尊?を前にして、夏樹を座らせ、その夏樹の後ろから!お経をあげてくれたのである。お経がとても心地良い。内容はさっぱり分からないのだが、ベテランのお坊さんだけあって、その音だけでとても快適な気分になるのである。
 
お経は15分くらい続いたろうか。
 
「ありがとうございました。とても心地良いお経でした。凄く気分もよくなりした」
「よかった、よかった。これは女人成仏のお経だから、女性にはよく効くはずだよ」
「にょにんじょうぶつって何ですか?」
「誰でも仏になることができるが、女人はどうしても成仏しにくい。そこで、女人は変成男子(へんじょうなんし)といって、いったん男の身になってからなら成仏しやすいと言われている。あんたもきっと変成男子して成仏できるよ」
 
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男に変わる!?嫌だ。絶対嫌だ。
 
せっかく女の子になれたのに!
 
と思ったが、取り敢えず夏樹はお坊さんにお礼を言ってお寺を出た。
 

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春変(9)

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