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皇子「蓬莱山はとても高くて、上まで登ることは不可能と思われました。山の傍まで寄ってみると、この世のものとは思えない花の木がたくさん立っていました。山から流れてくる川が、金色の川、銀色の川、瑠璃色の川とあります。その川には様々な色の宝石の橋が掛かっています」
映像は車持皇子の言うとおりの状況をソフトフィルターを掛けたような状態で映しています。その仙境の中を皇子と2人の女房(従者)が歩いています。もちろんCGに決まってます!
皇子「その川の流れの傍には様々な木が立っていました。とても立派な木もたくさんあったのですが、かぐや姫がおしゃったのと同じものでなければと思い、それと似た木を一枝、手折って(たおって)持ち帰ることにしました(*91). 蓬莱の山はほんとうに素晴らしい場所でした。この世のものとは思えない楽園です。ずっと居たい葉分でしたが、この枝を取ることができた以上、早くかぐや姫にこれを見せなければと思い、急ぎ船に戻ることにしました」
映像では、車持皇子と、2人で玉の枝を持つ女房(従者)が浜に就けた小舟に戻ります。それで船頭と一緒に船に戻ろうとしたら、先ほどの女性が声を掛けます。
(*91) ここで撮影に使用したのは、後に出てくる“本物”を3Dプリンタでコピーした樹脂製のレプリカである(それでも制作には着色などで1週間掛かった)。重さは3kg程度なので、簡単に片手で持てる。ソフトフィルターを掛けた撮影なので、安っぽさがあまり分からない。
「皇子(みこ)様、しばし待たれよ」
と宝冠瑠璃(ビンゴアキ)。
「帰りの食料・お酒を差し上げます」
と言って、多数の天人が酒樽や木箱を、海の上を歩いて船に運び、積み込んでくれました。
(天人たちに扮したのは、ノンクレジットだが、§§ミュージック広報部の男性社員たち。ただし彼らは何も持っていない。荷物も海もCGで描き足したものである。だからこのシーンは千葉のララランド・スタジオで撮影した)
「ありがとうございます!」
と車持皇子(キャロル前田)はお礼を言いました。
「お気を付けてお帰りください。旅は帰りのほうが事故に遭いやすいものです」
と宝冠瑠璃(ビンゴアキ)。
それで一行は港から漕ぎ出し、帆を立てて西へと帆走し始めました。
皇子は語ります。
「帰りはあまり大きな嵐などにも遭わず(*93) 400日ほどで日本に戻ってくることが出来ました。これもきっと衆生(しゅうじょう)をお救いくださる仏様の御力(みちから)のおかげでしょう。昨夜、難波の港に帰り着きましたので、一日も早く玉の枝をお見せしなければと思い、正装にも着替えず、旅の服のまま、こちらへ参上した次第なのですよ」
映像は難波の港に船が到着した所。そして船頭と水夫が疲れ切って寝ている中、車持皇子と、玉の枝を入れた袋(*92) を持った2人の女房(従者)が船から降りて来る所である。
(*92) ここでは袋しか映っていない:実際は樹脂製のレプリカを入れている。
(*93) 原文では車持皇子は「帰りは“追風吹て”追い風だったので早く到着した」と言っている。皇子は、蓬莱に行く時も「風に任せて」進んだと言っている。これを好意的に解釈すると、往路では偏西風で進み、復路では貿易風に乗って帰ってきたことになる。だから行く時は北寄りのルート、帰りは南寄りのルートを通ったことになる。
ハワイは北緯21度くらい、ミッドウェーは北緯28度、紀伊半島南端は北緯33度くらい。しかしミッドウェーに辿り着けたらその後は島伝いにハワイ島に到達できる。つまり女護島は蓬莱へのガイドポイントである!小笠原の硫黄島が北緯24度くらいである。ハワイから西行して小笠原に辿り着けたら、その後は島伝いに北行して本州に到達できる。
なお、偏西風と貿易風の境界はだいたい北緯30度くらいである。
車持皇子(キャロル前田)の物凄い冒険譚を聞いて、竹取翁(藤原中臣)はたいそう感動して歌を詠みました。
「呉竹のよゝの竹取り野山にもさやは侘しきふしをのみ見し」(*94)
(*94) 古文に興味の無い人はこのコメントは読み飛ばし推奨。
「やは・・・見し」は“係り結び”で、“見たことがあるだろうか”(反語)→「決して見たことが無い」。“わびしき”は辛いという意味。その前にある“さ”は代名詞で、皇子の体験談を受けている。
“ふし”は「思い当たるふしがある」の“ふし”と同様。物事のこと。“侘しきふし”で“つらい物事”。しかしこの“ふし”(節)は前半に出てくる“竹”の縁語になっている。
結局意味としては「私は、あなたの体験なさったことみたいに辛い目には遭ったことはありません」となる。
物凄く技巧的な歌であり、一瞬で詠める歌ではない。私なら1時間くらい推敲を重ねてもこのレベルに到達できるだろうか。いや3時間掛けても辿り着けないであろう(反語?)。
いづれにせよ、この竹取物語の作者が物凄く高レベルの和歌の技術を持っていることを推察させる歌である。
この翁の歌に対して、車持皇子は
「本当に随分辛い日々を送りましたが、こうやって生きて帰ってきて、やっと私の心も落ち着いた所です」
と言った上でこう返しました。
「わが袂(たもと)今日乾ければ侘しさの千種(ちぐさ)の数も忘られぬべし」(*95)
(*95) 航海で海の水で袂が濡れたという意味と、涙を流して(涙を拭くために)袂を濡らした、というのが掛けられていて、それが乾くというのは、航海が終わったことと、辛いことが終わったことを掛けている。
“乾ければ”は四段動詞「乾く」の已然形“乾け”+完了の助動詞「り」の已然形“れ”+順接を表す“ば”で「乾いたので」。「乾いたら」ではない!「乾いたら」なら“乾かば”。
“わびしさのちぐさ(侘しさの千種)”で“数多くの種類の辛いこと”。
航海が終わり、辛いことも終わったので、辛かったことの数々も、忘れることができる、ということ。
まあこの程度は5分で書ける。
一方かぐや姫の部屋の前で、女房装束を着けたまま、お菓子と麦湯を頂いてた旅村と坂口ですが、かぐや姫の女童(めのわらわ)が持って来てくれたのは、金色と銀色の丸いお菓子でした。
「こんなお菓子は初めて見ました。これは何と言うお菓子です?」
「唐国(からくに)からもたらされたお菓子で“銅鑼珠”というものです」
「唐国のお菓子ですか!そんな貴重なものを頂いてよいのですか?」
「どうぞ。たくさんありますから」
「へー。さすがですね」
女童(めのわらわ)たちが言いました。
「従者様方が女ならば金色の玉をお召し上がり下さい」
「女房様方が男ならば銀色の玉をお召し上がり下さい」
2人は顔を見合わせました。
「銀色を頂こうかな」
「私も」
と言って2人とも銀色のお菓子をいただきました。金色のお菓子は女童たちが下げました。
「あ、美味しい」
「中には果物の実が入っているんですね」
と旅村と坂口は言いました。
そして2人がお菓子を食べ終わった時、
2人の姿が突然、女房装束から男性従者の姿に戻ってしまいました。
「これはどうしたことか?」
「何か起きましたか?」
2人は顔を見合わせました。そして頷きあいました。そして
「かぐや姫様」
と何か言おうとした時のことです。
何やら表のほうで騒ぎが起きているようでした。
「何だろう?」
と2人は言いました。
かぐや姫が言いました。
「桜」
「はい」
「殿方たちに、少し休める部屋を用意して」
「はい」
と言って、桜(入瀬ホルン)が立って行きます。
「いえ私たちは」
と男装に戻った旅村たちは言いますが、かぐや姫は
「皇子(みこ)様は夜中にお帰りになるでしょう。それまで仮眠なさっていたほうがいいです」
「はい?」
「桃、これを殿方たちに」
と言って、姫君が着るような上等の服を旅村たちに渡しました。
「すみません。これを私たちが着るのでしょぅか?」
「皇子(みこ)様が必要になります」
「へ?」
門の所で騒いでいたのは7人の職人たちでした(7人の小人ではない!)。
藤(花園裕紀)が忙しくしているので、紫(広瀬みづほ)が応対に出ました。
「何事ですか?」
と問いますと、男たちのひとり(スーザン高橋)が文挟み(ふみばさみ)に文を挟んで高く掲げて言いました。
「内匠寮(たくみづかさ)の匠(たくみ)で、漢部の内麿と申します。玉の枝を作るのに、五穀断ちをして千余日、力を尽くして作業いたしました。それなのにまだ報酬を頂いておりません。車持皇子様のお館に行ったのですが、ご不在でした。聞くところによりますと、皇子様はこちらの姫君とご婚礼を挙げられる(*96) とのこと。玉の枝もそのご婚礼の記念の品かと思い、こちらに参りました。どうかこの文をお読み頂いて、私の部下たちに褒美を給えないでしょうか」
その声を聞いた竹取の翁は困惑しています。車持皇子は狼狽してどうしたらいいか分からないまま立ち上がることもできずに居ます。
旅村と坂口は
「ああ、とうとうバレたか」
「バレない訳無いよな」
と言いました。
かぐや姫は桃(川泉パフェ)に「匠(たくみ)の文(ふみ)を持って来なさい」と言いました。それで桃が表に出て行き、まだ困惑している様子の紫に手で合図し、匠の文を自分で取りました。そして、かぐや姫のところに持って来ました。
(桃は本来かぐや姫のそばを離れないが、ここは離れても女童の橘がいるし、護衛の松・竹もいる)
かぐや姫(アクア)が匠の文を読みます。
「車持皇子(くらもちのみこ)様は千日間にわたり職人たちと一緒に同じ場所に閉じこもって、立派な玉の枝を作らせました。これが出来上がったら、たくさん褒美をやるし官位も授けようとおっしゃっていたのですが、まだ頂いておりません。どうか賜り下さいますようお願いします」
(*96) 原文ではこれは匠が言ったのではなく文に書いてあったことばであるが、文に書くのなら、それをいつ書いたのかがおかしい。文には単に褒美を下さいとだけ書いてあり、かぐや姫のところに来た理由は口頭で言ったと考えたほうが素直である。
なおこの部分の原文は「御使ひ(みつかい)」。単純に訳せば「使用人」。つまり皇子の使用人の立場で夫婦関係も結ぶ人。天皇でいえば御息所(みやすどころ)とか更衣といった立場。側室と訳す本もある。平民のかぐや姫は皇子の正妻になることはできない。
だから逆に、かぐや姫は石作皇子と車持皇子にはとりわけ難易度の高いものを要求した。
かぐや姫はすらすらと文を書くと、それを皇子に届けてくるように桃に言いました。その文にはこのようにありました。
「まことかと聞きて見つれば言の葉を飾れる玉の枝にぞありける」(*97)
(*97) “枝”だから“葉”を飾る。それに“言葉”を飾るものだったとはと言っている。
「従者(ずさ)殿」
とかぐや姫は呼びかけます。
「はい」
「匠たちに褒美を取らせてください。ちょっと私と一緒に来てください」
「はい」
それで橘(入瀬コルネ)に御簾を揚げさせて、かぐや姫が出て来ます。旅村と坂口は姫の美しさに思わず見とれてしまいました。灰色の服を着ているのでその美しさはより際立っています。
松と橘に玉の枝を見ているように言い、かぐや姫(アクア)は護衛の竹(川泉スピン)と(文を渡して戻って来た)女房の桃(川泉パフェ)を連れて土蔵に向かいます(姉妹共演!)。その後に旅村と坂口が続きます。かぐや姫は土蔵警備の男たち(星村泰児・川谷国男)(*98) に会釈して土蔵を開けます。姫は2人の従者を招き入れました。
(*98) 土蔵警備の男を演じた星村泰児・川谷国男は、あけぼのTVの社員。“奈良時代の服着て立ってるだけだから”と言って徴用した。彼らは元バスケット選手と元ラグビー選手で体格がガッチリしており、いかにも警備兵という感じである。2人は『八犬伝』では芳流閣の屋根から、アクアと白鳥リズムが抱き合って転がって落ちて行く所が安全なことを確認するための実験台をしてもらっている。
土蔵の中には大量の宝箱が積み上げられています。
「私には重くて持てないのです。この箱をひとつ匠に差し上げてください。皇子(みこ)の部下のあなたたちからもらったら、皇子様からのご褒美と思い、匠たちも喜ぶでしょう」
と言って宝箱の鍵を土蔵の鍵とは別の鍵で開けました。
「分かりました!」