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■竹取物語2022(8)

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皇子たちは明け方近くに難波の港に着き、長櫃を降ろします。そして、皇子は男装に戻りましたが、旅村と坂口が男装に戻る前に、皇子の家の家人・家来(*61)たちが到着してしまいました(*63).
 
長櫃は荷車に乗せられ、皇子は輿(こし)に乗り、旅村と坂口は仕方ないので女装のまま輿と荷車を先導して都に向かいます。一方で家人(けにん)たちに皇子の到着を報せた道田は都を走り回って叫びました。
 
「車持皇子(くらもちのみこ)が戻られたぞ」
「車持皇子は優曇華(うどんげ)(*60)の花を持ち帰った」
 
(*60) “玉の枝”と言及されていたものがここでは唐突に“優曇華(うどんげ)の花”と表現されている。ただ竹取物語の原形を伝えると想像されている今昔物語の『竹取翁見付女児養語』では求婚者たちに要求されたもののひとつが優曇華の花なので、あるいは原形となった物語をリライトしていて、ここだけうっかり元の形が残存したものか?
 
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ちなみに本来の“優曇華の花”とは、3000年に一度花が咲くもので、その時に金輪王(4人の転輪王の内の最高の王)が現世に出現するという。金輪王が現れるのは世の中に徳が満ちあふれている時である。
 

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(*61) 家人(けにん)とはその家に仕えている使用人(個人契約)。これに対して家来(けらい)とは代々その家に仕えている人(家と家の契約)。家人が息子を同じ家に雇ってもらって家来化していくことも充分あり得る。何代にもわたって栄えている家には家来が増えて行く。
 
なお家人・家来とよく混同される随身とは、高級貴族に朝廷から派遣されている従者。SPのようなものである。公務員のはずが、実際にはその家の結構プライベートなことにも関わる(*62)。また随身をしていた者の息子が父の後任になることもあるので、家来と似たような状態になっていくこともある。ただし随身のお給料は朝廷から出る。
 
“随身”は平安時代以降の名称でこの時代は舎人(とねり)と呼ばれていた。この物語でも後のほうで登場する。
 
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(*62) 佐藤栄作首相の奧さんは、魚を干すのをSPに手伝わせて、後で問題になった!(私用に使ったことを責めるべきか、総理の奧さんが庶民的なのを感心すべきか)
 
(*63) 家人・家来を演じたのはこれも§§ミュージック・システム部のメンバー。実は出港のシーンに続いて撮影している。彼らは勤務時間内の業務扱いでギャラは無しである。通常の仕事にしておかないと、事故などがあった時の労災の問題がある。
 
でもコスモス社長が個人で全員にQUOカードを配っていた。
(いったんがっかりさせてから喜ばせる作戦)
 

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車持皇子が玉の枝を持って戻って来たという噂を聞いたかぐや姫(アクア)は青ざめました。
 
「まさか本当に持ち帰るとは」
 
翁と媼が言います。
「車持皇子(くらもちのみこ)様、頑張りましたね」
「でもよくご無事でご帰還なさいました」
「かぐや姫や、ここまでしてくださった方であれば文句あるまい。結婚しなさい」
 
かぐや姫(アクア)は一瞬躊躇しますが、唇を噛みしめて答えます。
 
「分かりました。そこまで尽くして下さる方なら私も結婚します。婚礼の準備をお願いします」
 
「よし」
 
それで、藤(花園裕紀)が指示して、お酒や食べ物の調達をさせる一方で床の準備などもさせます。
 

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やがて車持皇子の車が、かぐや姫の家に到着します。竹取翁・媼が正装で皇子をお出迎えします。
 
★音楽:キャロル前田とアドベンチャー『金銀パールをプレゼント』
 
「命を捨てて、玉の枝を取ってきました」
と皇子が言います。
 
「よくご無事でお帰りなさいました。取り敢えずご休憩下さい」
と言って、皇子を応接間に入れます。
 
玉の枝は荷車に乗せたまま、女房装束の旅村と坂口が先導して、かぐや姫の部屋の前の庭へ運びました。
 
かぐや姫は帳台の中におり、そばに2人の女童(めのわらわ)桜(入瀬ホルン)と橘(入瀬コルネ)が控えています。部屋には女房が1人・桃(川泉パフェ)が居るだけですが、入口の左右に強そうな女房が2人・松(夕波もえこ)と竹(川泉スピン)が武装して控えています。
 
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旅村と坂口が長櫃を開けます。
 
「まあ何て素敵なものなのでしょう」
と桃(川泉パフェ)が声を挙げました。
 
玉の枝に文(ふみ)が結び着けてあります。桃と旅村が視線を交わし、桃がその文を取って、御簾の中に居るかぐや姫に渡しました。
 
《いたづらに身はなしつとも玉の枝を手折らでただに帰らざらまし》
 
かぐや姫は「できの悪い歌だなあ。あまりにも下手糞で返歌が書けない」と思いました。取り敢えず実物を見てみようと思います。桃に御簾を揚げさせると、縁側まで出て来ました。
 
灰色の服を着たかぐや姫の姿を見た旅村と坂口は、あまりの美しさに驚きました。こんなに美しい姫君の前では嘘など言ってはいけない気がしました。思わずこれが造り物であることを告白したい気分になりましたが、必死でそれをこらえました。
 
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かぐや姫は玉の枝を間近で見たもののも何だか“びみょー”な気がしました。豪華ではあるのですが気品(きひん)がありません。蓬莱まで行ったのはいいが、雑草でも持って来たのではという気がします。
 
「お供の方も大変でしたね。取り敢えず縁側にでも腰掛けて下さい。桜、橘、この女房(にょうぼう)衣裳を着けておられる従者(ずさ)の方々に麦湯(*64) とお菓子でも差し上げて」
「はい」
と桜(入瀬ホルン)と橘(入瀬コルネ)は返事をし部屋を出て行きました。
 
旅村と坂口は「性別がバレてる〜」と思いましたが、取り敢えず言われた通り縁側に腰掛けました。
 
かぐや姫はいったん帳台に戻りました。桃が御簾を降ろします。
 
(*64) この時代にはまだ“お茶”は無いが“麦湯”(現代で言う麦茶)はあった。ただし当時は冷蔵庫が無い!ので、麦湯は温かい飲み物である。“麦茶”という言葉は1963年に常陸屋本舗が売り出した商品名(江戸麦茶)だが、その後、一般名詞化した。
 
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お茶が日本に入ってきたのは9世紀である。
 

一方、応接室に入った車持皇子に、翁はお酒を勧め、紫(広瀬みづほ)がお菓子や果物を持って来ます。
 
(藤(花園裕紀)は婚礼の準備で走り回っている。お店の方からも手伝いを何人か呼んでいる)
 
翁(藤原中臣)が皇子(キャロル前田)に尋ねます。
 
「ほんとにご無事でよかった。あの玉の枝はどういう所にあったんですか?」
「3年前(*65)の2月10日に難波の港を出港しました」
 
語り手「車持皇子(くらもちのみこ)は竹取翁に、玉の枝を取ってくるまでの話を始めました」
 
映像は、竹取翁と車持皇子が土師器(はじき)の盃(さかずき)でお酒を酌み交わしながら話をしているシーンから、クロスフェイドして、皇子の乗る船が難波港に停泊している様を映します。
 
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(*65) 原文「さおと々しの如月の十日頃に」。“さおととし(一昨昨年)”とはあまり聞かない表現だが、一昨年(おととし)の1年前のこと。“あさって(明後日)”の翌日を“さあさって”(*66)と言うのと同様の表現だろう。古い表現かと思ったら、夏目漱石も使っている。
 
「本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ」(吾輩は猫である)
 
(*66) 「あさって」の翌日は「しあさって」と言う人と「さあさって」と言う人がある。「さあさって」と言う人は「さあさって」の翌日を「しあさって」と言うので、日付を確認して約束するのが無難。
 

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映像では、体格の良い男たちが船に多数の酒樽や食料の箱(*69) などを積み込む様子、 そして車持皇子(くらもちのみこ)が船(*68) に乗りこみ、水夫(かこ)たちが艪(ろ)を漕いで港を出ていく所。
 
積み込みの作業をしたのは車持皇子の配下の者たち(千葉金玉プロレスの人たち)で船には乗船しません。
 
船頭は広瀬のぞみ(*67) で、水夫(かこ)はWADOの4人(男装)です。これに車持皇子のお供の、旅村(鈴原さくら)・坂口(夢島きらら)が同乗しています。
 

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(*67) 広瀬のぞみ、は広瀬みづほの兄。本名・藤弥日古(ふじ・やひこ)。“やひ・こ”ではなく“や・ひこ”で男名前である。花ちゃんが(多分ジョークで)「性転換手術受けて女の子になって、信濃町ガールズに入らない?」と訊いたら
 
「どうしよう?」
などと迷うように答えたので今回
 
「別に今すぐ性転換手術まで受けなくていいからドラマに出ない?男役が足りないんだよ」
と言って東京に呼び出した。
 
実際彼は優しい雰囲気の美男子で、女装させたら可愛くなりそうであった。
 
「撮影が終わった後、無料で性転換手術受けさせてあげようか?」
「(5秒考えてから)“今回は”遠慮します」
 

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(*68) この船は見た目だけの準構造船(古墳時代から平安時代頃まで使用された和船)を作り、ブルーバックの前に設置したものである。船には甲板しかなく、甲板から階段を降りたところはただの椅子が並べられた待合室である!
 
昨年のシンドルの船のようにまともには作ってないので制作費は700万円で済んでいる。嵐の状態の撮影ではカメラを傾ける!
 
この船は車持皇子の船、大伴大納言の船の両方の撮影に使用するが、同じ船に見えないように、色付きのライトを当てている。また帆を2色セット用意した。
 
この船には、2枚の帆、船首・船尾のほか左右にも2本ずつの艪(ろ)が取付けられているほか車櫂(オール)も取り付けられるようになっている。
 
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また船の甲板中央には部屋のようなものが作られており、雨が降っている時はこの中で雨を凌ぐことができる。またこの部屋の上に椅子のようなものが作られていて、そこが船頭席になっている。ここで進行方向を見張り、岩礁の回避をしたり島を見付けたら寄せたりする。
 
この船の水夫(かこ)は船頭以外に4〜6人で、通常は4(6)人の内3(5)人が必要な位置の艪に就く。非常時(後述)には4(6)人が車櫂(オール)を漕ぐ。
 
帆はこの当時としては新しい形式の帆であり、1本の帆柱(マスト)に帆桁(ヤード)無しで、最初から四角い帆をぶら下げたものである(他国には見ない日本独自の形式)。この四角い帆は多数の棒を並べ、その上に筵(むしろ)を縫い付けたものである(木綿布が使われるようになったのは江戸時代から)。
 
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古い時代には両舷に帆柱を立ててその間に帆を張っていたが、1本柱にしたことで帆の向きを変えることが可能になり、画期的に航行能力が向上した。また帆桁を使わずに独立型にしたことで、帆を降ろす作業も容易になったはずである。
 
帆は当然風がある時しか使えないし基本的に直進用なので、無風の時や入出港・細かい回り込みなどの時は艪(ろ)に頼ることになる。
 
また、日本で間切り走り(風上に向かって帆走する方法)が知られたのは江戸時代とするのが通説であるが、帆を回転できる構造にしたということは、その帆を横向き、つまり縦帆の状態にして間切り走りしていた可能性もあると筆者は想像する。
 

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艪(ろ)というのは、東アジア固有の推進機構である。だから英語には艪(ろ)に相当する単語が存在しない。
 
原始的な船ではパドル(小櫂)を使用していた。これは手に持つ櫂(かい)で水を掻いて進むものであるが、力を使うわりにあまり進まない。その後、櫂を長く作り、途中を船に固定し、てこの原理で水を掻いて進むオール(車櫂)が発明されて船の推進能力は大幅に向上した(船を漕ぐ)。しかしオールも相当の筋力を使う。
 
艪(ろ)は一種のプロペラであり、水の中でこれを左右に振ることにより揚力が生まれて、それによって船を進ませることができる。パドルやオールと違って、これを操作する人は自分の筋力をほとんど消費しないので長時間操作を続けることができる。欧米人に比べて体格が貧弱な東アジア人にピッタリの推進機構だったのである。
 
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ただし船尾のみに艪(ろ)を装着した船は前にしか進むことが出来ない。それで通常は船首にも艪(ろ)を取り付ける。これを逆艪(さかろ)という。源義経と梶原景時の逆艪論争などというのは有名であるが、本当に義経が「撤退は許されないから」逆艪を付けるなと言ったとしたら、義経は操船方法も知らない、愚かな素人としか思えない。
 
(だいたいこの論争が行われたとされる時に梶原は義経と別の場所にいた)
 
大きな船では左舷右舷にも多数の艪(ろ)を取り付け、多数の水夫(かこ)を配置して物凄い速度で航行できるようにする。後の戦国時代になると数十人の水夫(かこ)を乗せた船もあった。なお戦国時代の軍艦において水夫(かこ)は船を操るだけの人であり非戦闘員である。矢を仕掛ける側も水夫は狙わないのがマナーであった。
 
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とても効率の良い艪(ろ)であるが、唯一そして最大の欠点が、荒れた海では使えない!という問題である。艪が揚力を生み出すためには水が安定していることが必要なので、嵐の中では艪は無力となる。
 
その時はオール(車櫂)だけが頼りである。
 

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(*69) わりと最近まで航海中の水分というのはお酒で取っていた。昔の保存技術では、水はすぐに腐ってしまうためである。食料は干飯(ほしい)干し肉などを多数積む。また豆類や木の実なども持って行った可能性がある。また長期航海の経験のあるメンバーが居たら絶対、糠漬けの野菜も持って行ったはずである。貴重なビタミン補給ができる。(糠漬けは奈良時代にはあった)
 
干飯・干し肉などは1ヶ月程度で尽きるだろうが、豆や木の実は1〜2年もつので非常食となったであろう。
 
通常食としては、航海中に魚を釣って食料を自給していく必要がある。魚肉はもちろん食べるが、大事なのは魚の体液で、これは海水よりずっと塩分濃度が低いのでこれを飲むことで水分補給ができる。
 
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漁は出来不出来があるので沢山釣れた時は塩漬けにして保存したものと思われる。塩漬けを作るための塩も持って行ったであろう。
 
またこのドラマで登場する船には原始的な蒸留水生成装置も備えていた。海水を汲んで数メートルの長さの箱に入れ須恵器の蓋をして日光で温め、傘を逆にしたようなもので小皿に水滴を集める。また雨が降った時はそれを可能な限り集めた。
 
 
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