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■春産(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2017-04-29
優子は暇をもてあましていた。
お産は思ったよりも軽かった。みんなから「無茶苦茶痛いから覚悟しとけよ」と言われていたが、確かに産んだ時はけっこうきつかった気もするものの、出産の傷自体はすぐ治ったし、出産後3日もすると病院内をうろついたりしていたので「あんた元気みたいだからもう退院していいよ」といって放り出されてしまった。
それですることが無いのである!
赤ちゃんはまだ入院中である。36週での早産だったし体重も2400gだったので保育器に入れられることになった。この病院では37週未満の子、2500g未満の子は保育器に入れる方針で、奏音(かなで)はどちらの基準でも引っかかった。もっとも赤ちゃん本人はいたって元気そうで、しっかりお乳も飲んでいるので、一週間程度様子を見て、8月26日(金)か29日(月)くらいには退院できるでしょうという先生のお話だった。それで優子は毎日病院に出かけてはおっぱいをあげている状態である。直接授乳でもしっかり吸ってくれるが、お乳を吸われているとあらためて自分は母親になったんだなあという不思議な気持ちになった。
この子の父親で元彼の信次は出産翌日8月20日の午後にはこちらに来てくれた。福井から急いで戻って来た優子の両親にも挨拶した上で出生届は自分で出してきたいからと言ったのである。
信次は女装して来てくれた!
信次は優子を妊娠させたのに、今までご両親に挨拶もしていなかったことを詫びておきたいと言ったのだが、そのままだと、優子との結婚を、特に父親から強く求められる危険があると考え、優子の提案で女装してもらったのである。
実際、生まれた子供を「ててなし子」にしたくない優子の父は、信次が来たら「絶対結婚を承諾させよう。そして婚姻届の後で出生届を出させよう」と、手ぐすね引いて待っていた。ところが病院にやってきた信次が
「失礼します。川島と申します」
と言って入って来た姿を見ると、白いフリルたっぷりの上品なイブサンローランのブラウスに、清楚な感じのグレイの膝丈スカート(同じくサンローラン)を穿いている。靴はリボン使いダークレッド・エナメルのクリスチャンルブタンのハイヒールである(今回の女装のために買ったもので後で優子がもらうことにしている。信次は靴のサイズが24なので優子でも履ける)。髪は肩に掛かるセミロングで軽くカールしている。きれいにお化粧していて、声さえ聞かなければ、丸の内のOLか?という感じである。
「初めまして。川島と申します。優子さんの赤ちゃんの父親です。これまで全く挨拶などにも来ずに申し訳ありませんでした」
とバリトンボイスで言って、深くお辞儀をする。
「あ、えっと・・・・」
と父親は言葉を失っている。
「あのぉ、男性でしょうか?」
と母親が遠慮がちに訊いた。
「はい。私、男ですけど、男に見えませんか?」
と笑顔で信次は尋ねる。
「女の人にしか見えない!」
と母親は言った。
実際信次の女装は全く不自然さが無く、優子はこれまで信次が「自分は女装趣味は無い」と言っていたのは絶対嘘だと確信した。
「だから言ったでしょ?私はレズの男役で、彼はホモの女役だから、お互い恋愛対象外で愛し合うこともできないし結婚はできないって」
と優子は言う。
「でも赤ちゃんができるようなことしたんでしょ?」
と母。
父の方は信次の外見を見たショックで何も言えなくなっているようだ。
「すみません。あの時、ついノリで優子さんに入れてしまって」
と信次は謝る。
「ふだんは私が信次に入れていたんだよ。だって私が男役で彼は女役だから」
と優子。
父親は混乱している。意味が分からないのである。
「じゃ最悪、優子、あんたが夫で、信次さんが妻という形での結婚はできないの?」
と母親が訊く。
「長期間のそういう関係の維持は無理だと思う。実際私たち、今年の初めに別れたんだよ。もうこのあたりが限界だよねと話し合って」
と優子。
「それで別れたのですが、その後、優子さんの妊娠が分かったのですぐ胎児認知しました」
と信次。
4人の話し合いは1時間ほど続いたものの、結局父親はふたりを結婚させることは諦めてくれて(母親は最初からある程度優子の考え方を容認してくれていた)、出生届も予定通り信次が出してくることになった(母親も付いていく)。
結果的にはふたりの結婚問題でたくさん議論したので、赤ちゃんの名前が奏音と書いて「かなで」と読むという難読名前であることについては、あまり議論が行われず、優子の意志が押し通されることになった。
出生届を出すのに市役所まで行く車(優子の母のソリオを信次が運転した)の中で、優子の母が信次に尋ねた。
「信次さん、やはり将来は性転換して女性になられるんですか?」
「いえ。私はゲイであってトランスジェンダーではないので、女になる意志は無いんですよ」
「でも女性の格好はなさるんですね?」
「すみません。ここだけの話ですが、優子さんのお父さんに結婚しないことを納得させるのに女装してきてと言われて女装してきただけで」
と言って信次は頭を掻いている。
「そうだったの! でも取って付けたような女装には見えないのに」
「まあ女装自体は趣味の範囲で」
「へー!」
「でもこういう格好で来ちゃったから、この後、子供の顔見にこちらに来る時は毎回女装かなあ・・・」
と信次は女装で来たことを若干後悔している感じだ。
「それは女装でも男装でも構いませんよ。ぜひこちらにはたくさん来て、子供と遊んであげてください」
と母親はにこやかに言った。
「でもずっとは愛してあげられない相手だったのに、優子さんを妊娠させてしまって本当に申し訳ありません」
と信次はあらためて母に謝ったが、母は言った。
「いえ。レスビアンのあの子が妊娠する可能性なんて、そんなことでも無ければ絶対に無かったろうし、私は孫の顔を見られただけで充分嬉しいですよ」
「私も女性を愛せないのが分かっていたから、自分に子供ができるなんて実は想定外でした」
と信次まで言っている。
「でも養育費を毎月10万円ってほんとに大丈夫ですか?」
と母親は信次に心配そうに訊いた。
養育費の額は優子とは事前に月6万円と約束していたのだが、父親が6万では子供を育てて行くのに足りないと言ったので10万円送金することを父親の前で信次が約束したのである。
なお今回の出産に伴う費用も、これまでの妊娠中の診察の病院代も全て信次が出している。今回子供が未熟児であったこともあり、当座の費用として信次は現金で優子の母に100万円渡した。出産育児一時金の42万円が出たら、その分はいったん信次に戻すことにしている。
「私、一応昨年実績で税込み500万円の収入があったし、その中から120万円はボーナスとかも使えば行けると思うんですよ。私、タバコも吸わないし、お酒は付き合いで飲む程度だし、ネットゲームもギャンブルもしないし、車は中古で買って4年乗っててローンは終わっているし改造とかの趣味も無いし」
「でも将来、ご結婚とかなさったら・・・」
「ああ、それは私が結婚とかするはずないから大丈夫です。女性には全く興味が無いですから」
「そうでしたね!」
そんなことを言っておいて1年半後に結婚することになるとは、信次自身この時は夢にも思っていなかった。
なお信次は自分に子供ができたことについて、母の康子には何も言っていない。それも、そんなこと言ったらその相手と結婚しろと言われかねないからである!また母にこの件がバレないようにするため、信次は認知する前にいったん戸籍を分籍しておいたのだが、この後更に転籍して奏音を認知しているという記載が表面的には戸籍を見ても分からないようにしてしまった。
優子が退院して3日後、8月26日(金)。
この日にもしかしたら赤ちゃんも退院できるかもということではあったのだが、体重がこの日の午前中に測ったら2499gであった。
「2500gを基準に考えていたから、月曜日にしましょうか?」
と医師は言った。
「あと1gなら、今ちょっとおっぱい飲ませたらクリアできませんかね?」
「まあ焦ることもないですよ」
ということで、赤ちゃんの退院はやはり29日(月)ということになった。
それで赤ちゃんとふれあいをして、その後(自宅に帰ってもすることないしと思い)ロビーで育児雑誌など読んでいたら、赤ちゃんが生まれそうになって駆け込んできた女性がいた。
「あれ?鈴子?」
「うっそー。優子だ!」
それは高校の時の1年後輩の鈴子であった。自分は直接この子と恋愛・・・というよりセックスしたことは無いが(未遂はあるしキスは何度かしている)、桃香が一時期この子と付き合っていたはずだ。
「まさか産婦人科で鈴子を見るとは思わなかった」
「それはこっちのセリフだ」
昔の知り合いのよしみで結局鈴子に付き添ってあげることにする。
「え〜? マジで優子、出産したの?信じられない」
と鈴子は言っている。
優子の場合は運び込まれてすぐに分娩室に行き、1時間もしない内に産まれてしまったが、鈴子の場合は少し時間が掛かるようである。
「鈴子も妊娠するようなことできたんだ?」
「私はノーマルだよ。まあ桃香に一時期入れあげていたことは認めるけど。レスビアンはあの時だけで、他はふつうに男の子と付き合ってたよ」
「バージンは桃香にあげたんだっけ?」
「あの時はあげようと思ったけど、桃香はもらってくれなかった」
「ふーん」
桃香は“女たらし”だが、バイの女の子のバージンは本人から懇願されても奪わないポリシーらしい。
「だからこの子の父親に私はバージン捧げたよ」
「結婚したの?」
「した。去年の夏」
「そうか。おめでとう」
「優子は結婚したの?」
「私が結婚するわけない。ちょっとゲイの男の子と遊んでたらうっかり妊娠しちゃって。先週出産したんだよ」
「意味が分からないんですけどー」
この日はどうも出産ラッシュだったようで、鈴子の後で4人も産まれそうという人が駆け込んできた。分娩室も3つある分娩室がフル回転で、最初に産んだ人など、産まれて1時間もしない内に病室に移されていた。
鈴子はこの日の夕方16時頃、赤ちゃんを出産した。この時も2つの分娩室で同時進行で出産が行われていて、双方でほぼ同時刻に産声があがった。
鈴子が産んだ子は女の子ということで、駆けつけてきた夫と話し合いの末、弓絵(ゆみえ)という名前にすることになり、明日にも届け出を出してくることになった。
「いやあ、超音波で見ていた範囲では男の子ってことだったんだけどなあ」
などと鈴子は言っていた。
「お腹の中におちんちん忘れてきたんだったりしてね」
と優子。
「だったらあの子は私に似て、忘れ物の天才になるな」
と鈴子。
この病院は母子別室である。
「優子さんの所はどちらだったんですか?」
と鈴子の母が尋ねる。優子は高校時代に鈴子の家に行ったことがあり、母はふたりの「濡れ場」を目撃しているので、実は優子のことを快く思っていない。そのせいか、少しぎこちない感じもあった。
「うちは女の子だったんですよ。私男嫌いだから、男の子だったらおちんちん切って女の子にしちゃおうと思っていたのに」
と優子。
「優子だったら、それマジでやりかねないなあ。最初から女の子で良かったね」
と鈴子は言った。
優子は結局20時すぎまで鈴子に付いていたので、そのついでに(?)何度か自分の赤ちゃん・奏音にも授乳しにいって、赤ちゃんとの親睦!?を深めた。鈴子も優子には気易く色々用事を頼めるので、優子がいてくれて助かっていたようだ。それで優子が月曜まではこの病院に来ると聞くと、最後には鈴子の母も「じゃ、それまではお時間の合う範囲で一緒に居てくださると助かります」と笑顔で言っていた。
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