広告:オトコの娘コミックアンソロジー- ~強制編~ (ミリオンコミックス75)
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■春三(8)

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「それで長谷川一門で妖怪全般に詳しい瞬行さん(*11)という人に、人を迷路に誘い込む妖怪ってないですか?と訊いたら、それは『妖怪藪入り』ではないか、と言われた」
 
「へー。やはりそういう妖怪がいるんですか」
 
「藪入りって昔のお休みとは違いますよね」(*9)
「それとは関係無くて、昔は迷路のことを八幡不知薮(やわたのやぶしらず)と言ったんだよ。不知薮(やぶしらず)に誘い込むから藪入り」
 
「八幡不知薮って千葉のあそこのことですよね」(*12)
 
「そうそう。あそこは一度入ると出られなくなるとして昔から禁足地になっていた。江戸時代にはそれを真似て全国に“八幡不知”とか“八陣”とか“隠れ杉”などという名前で迷路が多数造られたんだよ。だから八幡不知薮というのは、最初は固有名詞だったのが迷路一般を表す一般名詞と化してたのね」
 
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「ああ」
 

「明治時代に maze という概念が入ってきてその訳語として“迷路”という言葉が定着したけど(*8)、それまでは八幡とか不知薮ということばが迷路の意味で使われていた。江戸川乱歩の少年探偵シリーズにも「八幡の不知薮みたいな」という言葉が出てくるから多分戦前くらいまで、そういう名前のアトラクションが運営されていたのだと思う」
 
「今なら巨大迷路ですね」
「そうそう。アクアが写真集を撮った小浜のあそこみたいに、鏡になっているものも多い。小浜のはコンピュータ制御で、毎日経路を変更してるけど、他の所でもだいたい毎週変更している」
「人手でやってる所は大変でしょうね」
「作業してる人が出られなくなったりして」
「そのまま餓死した作業員の亡霊が今も迷路を彷徨ってるとか」
「まあよくある触れ込みだね」
 
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(*8) maze をそのまま音写した“迷図”ということばもある。
 

(*9) 江戸時代までの奉公人は年に2度、1月16日と7月16日の藪入りだけがお休みで、若い奉公人はこの日に実家に戻っていた。男性の奉公人は1日だけだが、女性の場合は3日間認められた。“やぶ入り”は“宿(やど)入り”が訛ったとも。古くから“宿下がり”という言葉はあった。
 
またお嫁に行った女性も1/16 7/16 に藪入りと称して実家に戻っていた。恐らくは結婚した女性が実家に戻るのを「薮入り」と言っていたのが奉公人にも応用されて、そちらも藪入りと呼ぶようになったのではと思われる。
 
しかし実家が遠いとか、兄弟が実家の後を継いでいるような場合、帰らない(帰れない)ので近場で単純に休日として息抜きをした。それで 1/16, 7/16 には様々な遊興施設にとって稼ぎ時だった。
 
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明治になってから日本に来た外国人の要請で外資企業を中心に“週”の考え方が導入され、日曜日が休み・土曜が半ドン(*10) という制度が広まって、藪入りの制度はすたれた。それでも昭和初期頃まで週のシステムを採用せず、休みは藪入りのみという会社もあった。
 
藪入りは現在の盆正月の帰省へと形を変えている。
 
(*10) 土曜半休の制度は、1850年イギリスの工場法改正で導入され、日本では1876年(明治9年)から官公庁に導入された。“ドン”はオランダ語で日曜日を表すzontagから来たもので、江戸時代から休日のことを“どんたく”と言っていた。博多どんたくもこの言葉を起原とする。
 
なお、博多どんたく自体は平安時代に起原を持つ古い祭りだが、明治時代に様々な“西洋ブーム”の中で「どんたく」という名前が付けられた。開催時期も10月→1月の藪入りの時期→5月下旬と変遷し、戦後、憲法記念日に合わせて5月3日になった。
 
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(*11) 瞬行は瞬角(1955-2011)の弟子。瞬角は生前、妖怪に関する膨大な資料をまとめあげていた。妖怪“足元くちゅくちゅ”(妖怪アジモド)も彼のファイルから正体が判明した。しかし瞬角の書いた字が読みにくく(彼が残した資料の中ではまた読みやすい部類)、資料が膨大なのでまだそのファイルの全貌は明らかになっていない。
 
現在、瞬法・青葉・千里・冬子の4人が出資して、そのファイルをまとめ上げ、電子ファイルにして長谷川一門に配布するプロジェクトが進行中。“足元くちゅくちゅ”事件(2016)の直後から始めて現在2000種類ほどの妖怪のデータが整理されている。多分全体の3-4割、妖怪“藪入り”はまだ未整理の資料の中に書かれていたらしい。
 
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(*12) この言葉の元になった元祖・八幡不知薮とは、千葉県市川市にある禁足地。深い薮になっている。
 
昔、徳川光圀(水戸黄門)が「入ったらいかんとか馬鹿馬鹿しい」と言って足を踏み入れたら本当に出られなくなった。神様のような人が出て来て光圀を叱った上で「お前は貴人だから特に助けてやる」と言って助けてくれたという伝説もある。
 
元々なぜ禁足地になったのかは不明。広さは18m四方ほどで本来迷う広さではないはずだが、本当に入ると出て来られなくなると言われる。中に大きな沼があり、そこにはまり込むと抜け出せないという説もある。
 

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朋子が夕飯を作ってくれたので、いただきながら打合せは続く。なお朋子は邦生と彪志の分は青葉の部屋に持っていってあげた。
 
「この妖怪は、人が心の中に迷路を持っている時、あるトリガーでその人を迷路に誘い込む」
 
「ああ」
「それで古い文書に書いてあるのでは迷路を出たい場合は“弓手法(ゆんでのみち)”をしろ、と」
 
「ゆんで?」
 
「それ現代の言葉で言えば“左手法”ですね」
「ああ」
 
「少年探偵シリーズにありましたよ。“ゆんでゆんでと進むべし”って」(*13)
「ほほお」
 
「弓手(ゆんで)というのは弓を持つ手のことで左手のこと」
「へー」
 

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(*13) 江戸川乱歩『怪奇四十面相』。4つの黄金の髑髏に分割して記録された文字をつなげると大量の黄金を隠した場所を表す文章となる。その文章の中に「弓手弓手と進むべし」という指示がある。
 
この物語冒頭で二十面相は「怪人四十面相と改名する」と宣言したが、その後誰も“四十面相”とは呼んでくれず、その内ほぼ無かったことにされた。きっと、読者に評判が良くなかったのだろう。
 

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「知ってる人が多いと思うけど、迷路を抜け出す場合、右手あるいは左手を壁に付けて離さないようにし、ずっと歩いて行けば、必ず出口に出るか入口に戻るかできるというもの (left-hand rule / right-hand rule)」
 
「右手でうまく行かないから左手とか切り替えちゃだめですね」
「それは更に迷い込む」
 
「ただ迷路内に島ができてる場合は抜け出せないことがありますね」
「そう。島の周囲をぐるぐる回ってしまう。だから同じ所に戻って来たら、別の道に行ってみる。そこから左手法を再適用する」
「ああ」
 
※島のある迷路の例↓(行き止まりをグレイで塗っている)
 

 
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「でも同じ所かどうか確信が持てない場合は?」
 
「可能なら自分が歩いた跡を何かでマークしていく。チョークで印を付けていくとか、紙を貼っておくとか、少年探偵シリーズだとコールタールをこぼしていくとか、ヘンゼルとグレーテルみたいに目立つ石を落としておくとか。魔法陣グルグルでも、魔法の口紅で印を付けておくってのやってたね」
 
(この印を付けておく方法をトレモー・アルゴリズム (Tremaux's algorithm)という)
 
「街の中で迷路になった時にはあまり使えないような」
「それが欠点だね。あと目印を付けるようなものを何も持ってない時とか」
「ヘンゼルとグレーテルも最初は小石の目印で帰宅できたけど。二度目はパン切れを使ったので全部鳥に食べられてアウトでした」
 
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「その本にも誰かに声を掛けてもらったら抜け出せると書いてある。また3〜4刻(こく)つまり6〜8時間も経てば自動的に解除されるとある」
 
「つまり私たちが集めた例は全てそのオルターナティブだったのか」
「時間でも解除されてるのではというのは、取材中に感じました」
 

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「でも左手法って知識としては知ってても、自分が迷い込んだ時は思い付かないかも」
「ありがちだね」
「誰かに声を掛けてもらう方法って無いかな」
 
「友だちに電話するとか」
「夜中に電話しても怒らない友だちがいればやる価値あるね」
「それこちらに電話してってメール送るほうがいいかも」
「ああ、恋人とかお母さんとかなら折り返し電話くれるかも」
 
「電話できる相手がいない人は?」
「117とか177とかどうかな」
「微妙。でもやってみる価値はある」
「110とかはダメだよね」
「そんなの紹介したら叱られる」
「幸花さんが逮捕されたりして」
 
「でもこれ山で迷子になった時と同じこと言えません?」
「無闇に歩き回らずに、雨風を避けられる場所で何時間がじっとしてる」
「うん。そっちが良い気がする」
「それで数時間経てば解除される」
「ただトイレが辛いですね」
「それは大きな声では言えないけど処理方法が」
「まあその件はテレビでは触れないほうがいいね」
 
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「それ女性はスカート穿いてたほうがいいですね」
「ただしタイトスカートはアウトだよね」
「あまり言及しないようにしよう」
 

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「でも妖怪の仕業だとしてこの夏から急増した原因は?」
「多分どこかにあった封印が壊された」
「なるほどー」
「何かの工事でうっかり壊しちゃったというのは多いね」
 
「でもそんな妖怪、どうやって封印したんでしょう?」
「考えてる方法はある」
「青葉さん、封印できるんですか?」
「多分」
「凄い」
「でも千里姉の協力が必要」
「ああ」
 
青葉は多分立山(たてやま)の長者様から頂いた巻物に書かれた祝詞(のりと)で封印できるのではと考えた。ただあの巻物は、千里姉にしか読めない。それともうひとつの問題は“どこで”その祝詞を読めばいいのかである。それが実は見当が付かない。でもこれまでこの手の問題は自然と解決策が提示されてきたので今回も何かの提示があるのではないかと思っていた。
 
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「でも薮(やぶ)と言えば藪医者ですよね」
 
「世の中、藪医者と千三つ弁護士(*14)は多い」
 
「何か藪医者よりひどいのがありますよね」
 
「筍(たけのこ)医者は薮になる前。土手(どて)医者はまだ筍さえも生えていない。雀(すずめ)医者は今から薮に向かう所」
「更に魔夜峰央さんによると紐(ひも)医者というのがあり、これに引っかかると必ず死ぬ」(*15)
 
(*14) 千三つ(せんみつ)とは、千の言葉を言う内、3つくらいしかまともなことを言わない、極めて弁論の下手糞な弁護士のこと。
 
(*15) この言葉を聞く度に思い出す「あそこの病院に掛かると死ぬ」という噂の、ほんとに酷い産婦人科病院が昔住んでた市にあった。父の同僚の奧さんがその噂を知らずにそこにかかって、誤診に次ぐ誤診で、全く不要な放射線治療を受け、最終的にはその放射線照射が原因で亡くなった疑いが濃厚。
 
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多分被害者は多かったと思う。今なら医療訴訟が多数起きてる。それに昔はセカンド・オピニオンなんて考えも無かった。
 
1980年に発覚した富士見産婦人科病院の事件も、完璧な紐医者の例である。
 

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「藪医者って、やはり薮のように見通しのきかない下手な医者ということですかね」
 
「その説が主流だと思うけど、他にまじないの類いを“野巫(やぶ)”と言ったので、野巫しかできない怪しげな医者のこと、という説」
 
「それから但馬国の養父(やぶ)、これは現在の兵庫県北部の養父市(やぶし)だけど、そこに凄い名医がいて評判になったので「自分は養父の医者の弟子だ」と名乗る者が横行した。それでそんなこと名乗る医者に限って実際にはろくな医者がいなかったので、ろくでもない医者のことを、やぶ医者と言うようになったというもの」
 
「本来は名医だったんですか!」
「まじないを使う医師でも青葉さんみたいな名医もいる」
「私は医師の資格持ってないよー」
 
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「でも病院の先生が突然お経を唱え出したら患者は逃げて行く」
「現代ではね。平安時代なら、病人が出たら坊主を呼んでお経を読ませたり護摩を焚かせたりして祈祷していた」
 
 
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春三(8)

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