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■春曙(2)
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石井美由紀(G大芸術学部)は金沢市内の北陸造形というデザイン事務所に出て行ったのだが、インフルエンザ?でスタッフが大量に倒れているということで、納期の迫っているポスターを3人(専門学校出身の20歳と21歳に美由紀で他の2人は美由紀より若い)で1日で20枚も書くというハードなお仕事からスタートした。
初日は深夜3時まで掛けて何とか作業を終えたものの、まだまだ仕事がたくさんあるということで、インフル(?)で休んでいる社員が回復して出てくるまでは、随分ハードな仕事が続きそうであった。
美由紀は
「うちの母も現役からは遠ざかっていますが、高岡短大・産業造形学科(*1)の出身で、絵はうまいし、イラレもフォトショも私より熟知しているんですが、手伝いに呼んだりしたらいけません?」
と尋ねた。すると
「大歓迎!」
ということだったので、翌日からは母と一緒に出勤することになった。3人が4人になっただけで、随分“絶望感”が減った!し、母の華麗な技に歓声があがっていた。しかし母は
「こんなに仕事あるの!?」
と絶句していた。一応、母の体力を考え、22時で帰すことにした。母はバイト待遇で時給1500円でお願いしますということだった(美由紀本人より単価が高い!)。
マスクと消毒用アルコールが不足しているということだったので、青葉に頼んで少し分けてもらい、インフルに倒れなかった2人の社員さんも
「助かる!」
と感謝していた。
なお、インフル(本当に?)で倒れていた社員が復帰し始めたたのは4月中旬以降、全員揃ったのはゴールデンウィーク前で、母との親子出勤も4月いっぱいまで続くこととなった。倒れていた10人の内8人は入院していて、内6人は人工呼吸器まで付け、一時は面会謝絶で家族とも会えない状態だったということだった(本当にインフルだったのか?)。
最後に復帰した社長(42)は、頑張ってくれた4人(美由紀の母を含む)に感謝し、特別ボーナスをくれた。
(*1)高岡短大は2010年に富山大学に吸収され、富山大学芸術文化学部(通称・富大芸文:とみだい・げいぶん)となった。北陸で貴重な国立の美術系学部である。この界隈では県立だが金沢美術工芸大学(通称・美大)がいちばんレベルが高いが、富大芸文も少人数教育で結構しっかりした教育をおこなっている。
鶴野明日香(H大経営学部)は小松市発祥の全国企業(現在の本社は東京)に就職したので、入社式と新人研修は東京で行われた。研修は基礎研修を東京でおこなった後全国の支社をまわって、各地の工場で生産されている色々な製品を見た上で、6月から金沢支店に配属される予定だった。それで明日香は6月から金沢市内にアパートを借りようと思っていた。
公共交通機関が恐いので、青葉のアクアを借りて東京まで自分で運転して行き、入社式に参加した。コロナの影響で入社式は入社する社員全員にホテルの部屋が割り当てられ、各々の部屋でリモートで社長その他のお話を聞くという方式で行われた。
午前中の入社式の後、お昼を食べてから研修会場に移動しようとホテルの前で待っていたら、社長が出て来て、どこかに移動しようとしていた所で、運転手さんが倒れる現場に遭遇する。運転手さんは救急車で病院に運ばれたが、社長の車を運転する人がいない!ということで、たまたまその場に居合わせた明日香が、社長の車を運転して1日社長の行動に付き合うことになった。
そして!この日、そつなく社長の秘書代わりを務めたことから、明日香は社長に気に入られてしまい「明日からも頼む」と言われてしまった。それで明日香は新人研修は免除になり、本社の秘書室に配属されて、社長のドライバーを務めることになってしまったのである。先輩秘書さんたちの目が恐かった!が、吉永さんという30代のベテラン秘書さんが親切にしてくれたので助かった。
3日目に唐突に掛かってきた電話の相手がドイツ語で話しかけてきたのをそつなくちゃんとドイツ語で応答して、副社長秘書に転送したら、みんなが「こいつ、なかなかやるじゃん」という目で見てくれて、少し居心地がよくなった。でもその後、ドイツ語で掛かってきた電話はみんな明日香に回されるようになった!
(全国企業の秘書室だから、英語がペラペラの人は多いものの、フランス語やドイツ語ができる人は、そう多くないようである)
なお、娘が大企業の地元ブランチに就職して喜んでいた両親からはぶつぶつ言われたが、明日香としては若い内だけでも東京暮らしを経験しておくのはいいと思った。
それで、明日香は都内にアパートを借りることにし(最初の数日はホテル暮らし)、さいたま市に住む、青葉の姉・千里さんに頼んでアパートを探してもらったが、結局経堂駅の近くの1DKを借りることにした。経堂から本社のある赤坂までは小田急・千代田線で20-30分である。
実は千里さん自身が1月まで住んでいた所で「解約し忘れていた」!?という話だった。荷物も、冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ・エアコンなどが残っており、
「人が使っていたものでもよければ使っていいよ」
ということだったので
「全然気にしません」
と言って、使わせてもらうことにした。おかげで、一人暮らしを始めるための初期費用が随分節約できた。契約は、桃香さんの名義になっていたのを礼金だけ払って、明日香の名義に書き換えてもらった(桃香さん自身は北区に住む彼女の家に入り浸りでここには住んでいなかったと千里さんは言っていた。桃香さんと千里さんの関係ってよく分からないなあと明日香は思った)。
なお、押し入れの中に古い銅鏡(?)の入った桐の箱があり、その箱だけ置かせておいてという話だった。その鏡が魔除けにもなるということだった。ここは4階の9号室なのだが、どうも住人が少ない。郵便受けを見る限りは、各階の8,9号室だけに住人がいるようである。4階も隣の408号室に20代の夫婦(多分奥さんは男の娘)が住んでいる他は他の部屋は空き部屋である。明日香は、たぶんここはあまり“人が住むには”適していない物件をたぶん青葉に言って結界を作らせ、各階の8,9号室付近だけ人が住めるようにしたのではと思った。そしてこの鏡が結界の要(かなめ)なのだろう。それでこんな便利な場所なのに家賃が安い(49000円)のだろうと思った。
但し、千里さんは2年後には出るようにと言っていた。きっと結界の期限が切れるのだろう。でも2年後にはたぶん貯金とかもできて給料もあがっているだろうから、もう少しお値段のする所に移動してもいいかなという気はした。
なお世間的に不足しているマスクは秘書室のスタッフについては、会社から充分な量が支給されたので助かった。
田中世梨奈(H大国際学科フランス文化専攻−でもフランス語ができない!)は、金沢市内に借りたアパートから、入社することになっていた市内のJ交易という会社(何の会社かは知らない)に出て行ったのだが、この会社は倒産していた(芳野早百合と同じパターン)。
友人たちにメールしていたら明日香から連絡があり、とりあえずハローワークに行ってみてはというので行ってみた。相談員さんとあれこれ話していて、結局ファミレスのスタッフに応募することにし、面接に行った。それで採用されたので、取り敢えずここでバイトしながら本格的な仕事を探さなきゃと思っていたのだが、勤め始めて1週間で、コロナの影響で店舗が閉鎖されてしまった!
再び途方に暮れていたら、青葉が声を掛けてくれた。
「世梨奈、泳げたっけ?」
「25mくらいなら」
「だったら、うちのプールの監視員しない?」
「する!」
「給料安いけど」
「気にせん、気にせん」
ということで、明日香は4月17日から津幡のアクアゾーンでプールの監視員をすることになったのである。
「ここなら実家からも通える気がする」
「アパート解約したら?」
「違約金取られない?」
「取られるだろうけど、ずっと払っていくのよりマシだと思う」
「よし、解約しよう。自炊する自信無かったし」
「ああ、御飯は大事」
それで不動産屋さんに行ってみたのだが、入社するはずだった会社が倒産して、取り敢えず働くことにしたバイト先もコロナで閉鎖されてという事情を説明すると
「今は大変ですもんね」
と言われ、結局4月通告なので、5月分の家賃まで払ってもらったら、違約金は免除しますということだったので、解約することにして実家に戻った。荷物はお父さんが軽トラを借りてきて運んでくれた。(敷金は6月頭に丸ごと戻って来たので、なんか得した気分だった)
さて、青葉の友人の中で、最もまとも?に働き始めることができたのが(男子だが)吉田邦生(よしだ・ほうせい)である。
彼はH銀行金沢支店に就職することになっており、初日は本店のある富山市内の工場跡地!で野外入社式をした後、南砺市の研修センターに移動して研修に参加する。この時、吉田は誤って女子として登録されていたことが分かり、女子制服を渡され、ついでにお化粧のレッスンまで受けたが、性別は(多分)修正してもらえたようだったので、男子行員として働き始めることができるだろうと考えた。
新人研修は4月1日(水)から7日(火)まで行われた(土日は休み)。それで8日には、本来の配属部署である金沢支店で勤務が始まるので、吉田は大学時代から住んでいる金沢市内のアパートから、金沢市南町のH銀行金沢支店へとバスで出かけて行った。ここは香林坊と武蔵ヶ辻のちょうど中間付近で多数の銀行が通りに並んでいる、銀行街である。ここの隣はみずほ銀行、お向かいは明治安田生命になっている。
吉田は青いビジネススーツの上下を着て出て行った。初日は業務開始の30分前、8:00に集まって下さいということだったので、それより少し早い7:50頃に銀行に着くように行った。通用口で社員証をタッチしてゲートを通り、建物内に入る。ゲートの所に立っていた女子社員からゲート傍にある出退勤記録器に社員証をタッチするように言われたのでタッチした。これがタイムカード代わりのようである。
「今の時間帯は自動的に“出勤”と表示されます。それで間違っていなかったらそのまま通って下さい。違う場合はタッチパネルで訂正して下さい」
と言われた。
その人から紙を渡されたので、その紙に印刷されている部屋番号の所に入る。研修の時に一緒だった伊川さんを見たので手を振って隣に座った。
「いよいよ、本番だね。緊張してない?」
「してない、してない」
「初日は全員30分ずつ窓口に座らせられるという話だったね」
「まあ窓口は実践しておいた方がいいよね。どの部門で働くにしても」
「クニちゃん、どこの部門に配属されるとか通知あった?」
「まだ来てない。後で話があるのかな」
吉田は本来、女子行員のみのはずの、窓口業務に配属するという辞令を渡されていたのだが、性別間違いが判明したので、あらためて配属先は通知すると言われていたもの、まだその連絡を受けとっていない。
この日、H銀行金沢支店に配属された新入社員は、吉田・伊川を含めて8人だった。男子3名(吉田を含む)と女子5名である。8:00に支店長さんが来て挨拶をして簡単な訓示をされた。その後、吉田以外の2人の男子が各々名前を呼ばれて別室に移動した。そして他の人はこちらへと言われて、吉田と女子5名はまた別の部屋に移動した。控室と書かれている。その下に付いている赤いマークは何だろう?と吉田は思った。
全員今日は初日なのでビジネススーツを着ている。吉田以外の5人はスカートタイプのビジネススーツだが、吉田はパンツタイプである!
50代の女性副支店長・耶麻代さんが演壇に立つ。
「それではこの後、皆さんには窓口業務を初日は1人30分ずつ体験してもらいますが、これは練習ではなく本番です。お客様のことをよく考えてお仕事してください。なお、コロナの影響でこういう体制を敷いていますので気をつけて下さい」
と言って、副支店長は対策の要点を説明した。
その上で副支店長さんが指示すると、そばに控えていた女子行員(通用口で部屋番号の札を渡した人で“長谷”という名札を付けている)がこの部屋にいた新入社員全員に紙袋を配った。紙袋には各々名前が書いてあり、それを各自が首からさげている社員証を見ながら配っていた。
「その中にはとても大事な健康保険証と年金手帳、業務中につけておく名札、給与振り込みの口座届け出用紙、などが入っています。
年金手帳は名前等に間違いが無いかどうかを確認の上、こちらに提出して下さい。会社で預かることにしています」
「あのぉ、制服っぽいものが入っているのですが」
「はい。みなさんには、研修の時にも制服を配っておりますが、この4月から新しい制服が制定されました。4月8日から使用する契約になっていたので、研修の時は従来の制服をお配りしたのですが、今日から男女とも新しい制服になりますので、それを着て勤務してください」
「男子にも制服ができたんですか?」
「女子だけ制服というのは男女差別だという意見がありましたので、今回からは男女とも制服が定められました」
へー。それで自分に渡された紙袋にも制服が入ってるのかと吉田は納得した。
「サイズは研修の時に着ていただいたものと同じサイズのものを各々の方に配っていますが、もしサイズが合わないようだったら交換しますので言って下さい」
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