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■東雲(13)

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(C)Eriko Kawaguchi 2020-08-09
 
2020年2月23日から24日に掛けて、青葉と千里はここしばらく石川・富山県下で出没していた“幻のワゴン車”の封印に成功した。それを受けて〒〒テレビではこの事件の顛末記を2月28日まで掛けて撮影した。JR西日本にも協力してもらって火牛神社の杉を植え替えたことにより、完全な封印ができた。
 
この事件が解決した時、火牛神社を800年ほど守っている“小枝”が倶利伽羅峠の歌を歌った。それを聴いた千里は青葉と共同でこの歌を書き留め、それをコスモスのところに持ち込み、リセエンヌ・ド・オの4人に歌わせられないかと打診した。
 
「あの子たちもいい加減CDくらい出してもいいよね」
とコスモスも言う。
 
「そういえば、佐藤ゆかちゃん、高校卒業しちゃうけど、グループの名前はどうすんの?」
 
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“リセエンヌ・ド・オ”(lyceennes d'or)とは“黄金の女子高生”という意味である。
 
「誰かひとりでも女子高生である間はそのままで」
「なるほど」
 
4人の学年は現在、佐藤ゆかが高3、南田容子が高2、高島瑞絵と山口暢香が高1である。
 
「誰かが男子高校生になっちゃったら、少し考える」
 
ちなみにリセエンヌ(lycéenne)は女子高校生であり、男子高校生はリセアン(lycéen)となる。
 
(芳本美代子か誰かに「ゴーゴー・リセエンヌ」みたいな感じの曲があったと思うのだが、検索に引っかからない。誰か別の歌手だったかも)
 
「男の子になりたい子とか、いたっけ?」
「そういえば、うちにはFTMのタレントがいないなあ」
などとコスモスは言っている。
 
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「そうだ。ゆかちゃん、どこの大学に行くの?」
「諦めたらしい」
「へ?」
 
「アクアが2人になって以来、仕事の負荷が増えたから、彼女にも随分代役をしてもらったり、一部はアクアに来ていた話をあの子に振り替えたりしているんだけど、おかげで全く受験勉強できなかったらしい」
 
「それは気の毒なことしたね」
 
「それにこのペースで仕事が入っていたら、どっちみち大学の授業に出られないと」
「それは言えるなあ」
 

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「だけどデビュー予備軍も増えてるよね」
「うん。それで山下ルンバみたいに売り出しのタイミングを逸してしまった子もいる」
 
「でもあの子、今レギュラー3本も持ってるじゃん」
「あの子にリハーサル役が必要かもという気がしてきてる」
「それはあの子が倒れない内に考えてあげて」
「そうだね。早急に検討しよう」
と言ってコスモスは自分のスマホにメモを書き込んだ。
 
「いっそ“ジャニーズ・ジュニア”みたいな形にして、正式デビューさせる前からどんどん売り出していくとかの手もあるかもね」
 
「うん。実はそれこないだケイさんとも話した」
「ああ」
 
「それで4月から“信濃町ミューズ”というのを発足させようかと。基本的には、信濃町ガールズを卒業した子をそちらに加入させる」
 
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「ミューズなんだ!」
 
確かに今§§ミュージックには、信濃町ガールズを卒業したものの、デビューの予定もないまま在籍している子が10人は居るはずである。
 
「ガールズの上って何だろうと思ったんだけどね。シスターズも考えたけど、男の子も少数居るし」
 
「ミューズも随分女の子っぽい名前だと思うけど」
と千里は言っておいた。
 

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2月26日、日本のバスケット女子Wリーグは、今シーズンの残り全試合の開催中止を決定した。
 
フランスの女子バスケット・リーグLFBも、3月7日の試合を最後に、以降の試合の全中止を決定した。
 
2月28日、感染拡大の続く北海道は、道民に外出自粛を求める「新型コロナウイルス緊急事態宣言」を出した。
 

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あちこちで大きなコンサートの中止決定の報道が相次ぐ中、千里は所属するレッド・インパルスの部長にお願いをした。
 
「ヨーロッパで友人のチームが急遽建てた練習場が使える気がするんです。あれと同じのを作りたいから、私に少し土地を貸してもらえませんか?建設費は私が出しますから」
 
「だったら、体育館の隣の旧テニスコートの場所を使ってもいいよ」
 
それで千里はそこに播磨工務店の“赤組”のメンツを動員して、一晩で軽量鉄骨構造の小型体育館を建ててしまった。前日の夕方まで何も無かったのが朝来てみると立派な建物ができているので、みんなびっくりする。
 
そしてこの体育館の中に“感染対策”を施した練習施設を1日半で作りあげたのである。
 
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広さは中学や高校の体育館くらいのサイズだが、長さ32m幅3mの“ストラップ”20個に別れており、その間がビニールシートで区切られている。ストラップの端には換気扇がついていて強力に換気する、排出された空気はこの練習場の周囲に作られた緩衝領域の中で、細かい目のフィルターを三重に通した上で屋外に排出される。
 
1軍選手は15人しか居ないので、20個もストラップがあれば、各々を1人ずつが完全独占して使用できる。
 
実を言うと、最初ストラップの境界はアクリル板で考えていたのだが、アクリル板はボールがぶつかったり、選手!がぶつかったりして、簡単に割れるということに思い至り、ビニールシートの方がよいという結論に達した。それで津幡で余ったビニールシートが使えると考えたのである。
 
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ストラップの両端にはゴールがある。ゴールは向きが各々ボタンで変えられるようになっていて、様々な角度からのシュートが練習できる。床には、ノーチャージライン、フリースローライン、3ポイントライン、センターラインなどがペイントされている。
 
このストラップの途中には相手選手に見立てた木の板で作られた人形が置かれていて、敵の防御をかいくぐって進行する練習をすることができる。横向きのネットが張られた人形もあり、この人形を使ってパスの練習もできる。この人形が各ストラップごとに7体置かれている。この人形は実は必要になると思って、2月の頭から、栃木県の自己所有製材所で作らせていたものである。
 
そして、このストラップを区切るビニールシートは、長さ32m 高さ4m で張ったのでそれを19セット、32×4×19 = 2432m2使用した。火牛アリーナを仕切るビニールシートは2m×1mだったので、1216枚分(121万円)をこれで消費したのである。
 
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わずか3日ほどでこれだけの施設が出来たのを見て、部長は驚いていたが千里に言った。
 
「予算取るから、アメフト部用のも建ててくれない?」
「土地さえあれば」
「確保する!」
 
それでレッドインパルスの兄弟チームである男子アメフト部用の“個別練習場”も作ることになった。サイズはやはり幅3m高さ4mで長さは50mにした。選手が33人いるので、予備を含めて36ストラップ(広さ50m×108m)作った。これは旧工場の跡地に建てたが、千里は“実費”で2000万円だけ請求した。
 
「そんなに安くていいいの?」
 
常識的な感覚なら5-6億掛かってもおかしくない。
 
「ビニールシートはある場所で余っていたのを平米単価500円で買い取ってきたものですし、お人形は私が所有している製材所で作らせたもので1体2000円ですし」
 
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「製材所持ってるんだ!お祖父さんか誰かから相続したの?」
などと部長は言っている。
 
使用したビニールシートは50×4×35 = 7000 m2で、衝立3500枚分(350万円)を消費した。人形は各ストラップごとに12体ずつで420体(84万円)使用である。実は人形はネットを取り付けるパス練習用以外は型抜きした後、塗料槽につけ乾燥させる程度なので、やすりを掛けたり、土台と接続する作業はあるが、だいたい1日に50体くらい生産できる。千里は臨時の作業者を5人雇って製造してもらっているが、コロナで減収している人たちが応募してきて工場は活気にあふれている。
 
「建物は?」
「建物建てるのが趣味の友人がいるので、材料費だけで。あとは換気扇とかの費用が主たるものですね。赤は出てませんよ」
 
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アメフト部からは
「スクラム練習用の重量級人形とか作れない?」
 
と訊かれたので、若葉の知人で、静岡でフィギュアを製作している会社に照会し、試作してもらった。チームのラインマンのひとりにそこの会社に行ってもらい、彼の意見を入れながら試行錯誤したところ、強化プラスチック製の人形に水!を入れたものがいい感じになったのでまずは試作品として2体納入してもらった。これがわりと好評だった(色々な選手に試してもらうため、使う度に消毒するのが大変だった)ので多少の改良をした上で12人のラインマン用に12体を1体10万円(試作品も含めて140万円)で導入した。
 
千里はその後、同様の個別練習場を、千里2が所属するマルセイユ、最近スタッフとして色々関わっているスペイン・セビリアのゲパルダ(gueparda)、佐藤玲央美が日本で所属するジョイフルゴールド・フランスで所属するオルレアン、貴司が所属するTT事務機、自分の母校の旭川N高校、玲央美に頼まれて彼女の母校の札幌P高校、更には女形ズのために火牛アリーナに1個、仙台コシネルズと仙台グリーンリーブズのために若林植物公園に2個、その他、小浜ラボ、市川ラボにも1個ずつ、更に紫微さんにも頼まれて行田(ぎょうだ)トルネーズのためにも1個と、結局13個も建てることになり、最終的には衝立18000枚分程度のビニールシートを消費して、火牛アリーナの地下にストックしていた衝立は全て無くなることになった。それで冬子は大いに助かったのであった。播磨工務店のメンバーもたくさん建設が出来て楽しそうであった。
 
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(フランスやスペインに建てた分は材料の密輸!)
 

3月2日に高校を卒業したアクアであるが、早速翌日からハードなお仕事が入っていた。某自動車メーカーが発売する“アクアのアクア”のCF撮影である。
 
これは3月3日には東京のアクアライン、4日には静岡の富士スピードウェイ、5日は石川県のなぎさドライブウェイ(砂浜!)、6日は北海道の稚内港・北防波堤ドームで、いづれも一度千里2か運転する車に同乗した上で、アクアが運転している。(カメラマンが助手席に同乗して運転中のアクアを撮影→アクアの単独運転:ただし万一の時のために後部座席に千里が乗っていた)
 
今回の移動は、アクアのデビュー前からの熱烈なファンである江藤愛来(会員番号36)さんの所有するプライベートジェットG650で飛んでいる(羽田空港→静岡空港→のと空港→稚内空港→羽田空港)。
 
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現在、羽田が空いているのでプライベートジェットも使いやすい。
 
撮影で使用した車体は3日に東京で使用した車体(No.1)をカーキャリアで石川県に運んだが、静岡(No.2)と北海道(No.3)で使用した車体は予め運んでおいたものである。
 
北海道の撮影で使用した車体(Np.3)は再整備の上、下旬の発売日当日にメーカーからもらった(経理的にはギャラの一部)ので、それ以降、アクアの移動はボルボから、1年半ぶりにアクアに戻ることになった。このアクアは通常のアクアより鉄板が厚く防弾ガラスを入れたVIP仕様のものである(燃費は悪い)。
 

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6日に北海道に日帰りしてきた翌日と翌々日の3月7-8日は、都内足立区の§§ミュージック研修所(兼女子寮)のスタジオから、震災イベントの歌唱をした。さすがにきつかったので、7日の午後は女子寮内の部屋でぐっすり寝ていた。9日以降もぎっしり予定が入っているのでアクアは
 
「やはり学校卒業したから、この後は全然休めないみたい」
と思った。
 
もっとも北海道に行って来たのはMで7日にスタジオから歌唱したのはFである。Fはなぎさドライブウェイで運転した後、いったんプライベートジェットで稚内に飛んでから、稚内空港から東京に転送されて、マンションで寝ている。
 
(旅で疲れている状態で運転してはいけないので、入れ替えは現地に到着した後でやる、というのが千里と《こうちゃん》の方針である)
 
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