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■△・第3の女(20)

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そういった経緯を経て、3月18日、貴司は千里(千里3)と3ヶ月ぶりのデートをする。(市川で千里(実は千里2)とイチャイチャしているのはデートとしてカウントしない)
 
この時、千里2の認識では千里3が貴司の離婚と美映との結婚を初めて知ったことになる。それで千里3は千里2の認識に乗じて、本当に今知ったように驚き、そのあたりにある物を手当たり次第貴司に投げつけて貴司を非難する。貴司としてはなぜ今更怒るのか理解不能である。千里3は最初は演技だったのだが、やっている内に本当に腹が立ってきたので、後半は本気である!
 
ちょうどそこに(そのようなやりとりが進行中とはマジで知らなかった)きーちゃんから、作曲依頼の電話が千里3のAquos Phoneに掛かってくる。千里3はこの時点で本気で怒りが頂点に達していたので
 
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「いったい何?」
と怒声で言い、電話をした《きーちゃん》がギョッとする。きーちゃんは一瞬自分の数々の千里3への工作がバレて叱られたのかと思った。
 
おそるおそる《きーちゃん》が作曲を依頼すると
 
「それはいいけど、貴司を去勢したいから協力して」
と《きーちゃん》に言った。
 
ああ、自分の工作がバレたのではなかったかと安心した《きーちゃん》は
「いいですよー」
と気楽に言い、貴司の性器を抹消してしまった。
 
「うっそー!?」
と貴司は叫んでいる。実は1月に千里1が貴司を電話越しに非難した時、そんな浮気者のちんちんは切り落としてやると千里1は叫んでいた。それで貴司としては、本当に切られちゃった!と思ったのである。
 
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しかし千里3は
「そのビバビバだかビバノンノンだかという女と離婚して、私の所に戻って来るまで、ちんちんは無し」
と宣言し、
 
「これは阿倍子さんの分」
と言って、貴司に数回蹴りを入れてから出て行った。
 
そういう訳で、この後しばらく貴司は男性器無しで過ごすハメになったのだが、様子を見ていた千里2は「あぁ!スッキリした」と声に出して言った。
 
貴司と千里の間では、ほぼ千里が貴司にDVをしている!
(原因はほぼ貴司の浮気だが)
 

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ちなみに、千里1はこの前日の3月17日に信次との結婚式を挙げ、18日は信次の兄・太一の結婚式に出ている。信次・千里1、太一・亜矢芽のカップルは19日から新婚旅行に出かけた。
 
その3月19日に西湖は横浜のG高校を受験し、これを落として行く高校が無くなったのを3月22日に千里2が介入してJ高校に行けるようにしてあげるのだが、それは千里1の新婚旅行中のできごとだった。その付近について少し前から説明する。
 

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天月西湖(今井葉月)は、アクアがデビュー直前の2014年12月13日に羽田空港でアクアやコスモスたちと偶然遭遇し、「アクアと雰囲気が似ている」としてボディダブル役としてコスモスにスカウトされた。当時は小学6年生であった。それでアクアのデビュー以来、彼のボディダブル役、後にはリハーサル要員として活躍することになり、アクアの仕事が増えるにつれ、彼の仕事も増えた。
 
アクアが3年間仕事をしてきたので、西湖も一緒に3年間仕事をしてきたことになる。つまり西湖は中学の3年間ずっとアクアの代役を務めてきたのである。
 
アクアが撮影に入るのは原則として学校が終わった後の17時以降であるが、そのリハーサルは数時間前に始まっている。それで西湖は中学の3年間頻繁に昼休みあるいは午後の授業の途中で呼び出され、放送局や撮影スタジオなどでリハーサルに参加していた。
 
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しかも仕事はしばしば深夜に及ぶ。それで彼は中学3年間、授業の3分の1程を休んでいるし、宿題などの提出物は全く提出していない。また疲労から午前中の授業でしばしば居眠りをしていた。
 
それで西湖は中学の勉強はほとんどしないまま3年間を過ごした。本人としては高校には行かず中卒でもいいかなとも思ったのだが、コスモス社長は「高校くらいは出ていた方がいい」と言い、鱒渕があまりにハードな仕事でダウンしたこともあり、今後は少し仕事の仕方を考えて行くから、高校に行きなさいと言った。
 
それで西湖も高校を受験することにしたのである。
 

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ところが彼は中学の勉強を全くしていなくて、中学レベルの学校で教えられるような知識が無いだけでなく、そもそも勉強の仕方も忘れている状態だったこともあり、受けて合格しそうな高校が無かった。
 
結局芸能人が多く在籍している、D高校とJ高校を受けることにしたのだが、勘違いと偶然の重なりでそれ以外に女子校であるS学園も受けることになってしまう。そして西湖はD高校にもJ高校にも落ちて、女子校のS学園にだけ合格し、そこに行く以外の道が無くなってしまった。
 
このあたりまでの経緯
 
1.05 J高校の説明会に行くがS学園の先生が誤って西湖をS学園の説明会に連れ込む。
1.15 J高校とD高校の願書を出すが母がついでにS学園の願書も出してしまう。
2.03 D高校入試(翌日合格発表:落)
2.04 J高校入試(翌日合格発表:落)
2.10 S学園入試(翌日合格発表:合格)
2.13 S学園入学手続き
2.20 船橋のE学院二次募集。即願書提出
2.22 浦和のB学園二次募集。即願書提出
2.26 横浜のG高校二次募集。即願書提出
3.10 E学院入試/岩手で震災イベント/(翌日合格発表:落)
3.15 中学卒業式。
3.17 B学園入試。(翌日合格発表:落)
3.18 母が帰宅。“手術許可書”を書いて渡す。
3.19 G高校入試(翌日合格発表:落)
 
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この事態にコスモス社長と桜木ワルツは、S学園に行くしかないのなら、もう開き直ってS学園に入り、3年間女子高生を演じるといいと言い、西湖もそのつもりになった。
 
ここでその話を聞いた千里2は(共学校の)J高校の教師に友人がいたので口利きしてあげ、西湖はJ高校に入れてもらえることになった。それで女子高生にならずに済んだとホッとし、S学園には入学辞退届を出そうとしたのだが、ここで《こうちゃん》が悪戯をして、西湖の母が誤ってJ高校の方に入学辞退届を出すようにしてしまう。
 
それで西湖は結局、やはり女子校のS学園に行かざるを得なくなってしまったのである。男の子である西湖が女子校に入るというので、学校側は西湖が女の子になりたい男の子なのだろうと思い込んでいたのだが、事前面接に西湖と一緒に学校を訪問した西湖の父は否定した。
 
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この子は祖父が名女形と言われた柳原蛍蝶で、自分も女役の役者であり、この子には“女形修行”をさせたいので、3年間、まさか女ではないとは誰にも気付かれないように女子高生生活をさせたいと熱弁を振るったのである。だからこの子には何も性別に対する考慮はしなくていい。普通の女子高生として扱ってもらって構わないので、それでも絶対に誰にも性別を疑われることのないようにさせると言った。
 
それで西湖はS学園高校に、ふつうの女子高生として通うことになったのであった。
 
この付近の経緯
 
3.20 桜木ワルツと話してS学園に行くことを決める。制服発注。母に連絡して承諾。
3.21 TDLに行き丸山アイと遭遇。喉仏除去してもらう。
3.22 醍醐春海の口利きでJ高校に入れることになる。用賀のアパートを4月以降西湖が使うことになる。
3.23 深夜(3.24 1時過ぎ)、母がS学園辞退の届をしようとしたが、勾陳の工作でJ高校の辞退届を出してしまう。
3.25 J高校からの入学辞退確認書類到着。母はS学園の書類と思い込み記入して投函。
3.27 J高校辞退届け受理のお知らせが西湖の家に到着。
3.28 父がJ高校と交渉するが、辞退撤回不能。やはりS学園に行くしかなくなる。
3.29 父と一緒にS学園の事前面接に行き、入学の正式許可。S学園・J高校の女子制服を受け取る。
4.01 西湖がS学園のオリエンテーションに出る。
 
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せっかく自分がお膳立てして西湖が共学校に通えるようにしてあげたのに、それを《こうちゃん》がぶち壊したことに千里2は激怒する。それで《こうちゃん》が深夜西湖のアパートに侵入してきて「女の子に1歩近づけるように」去勢しようとした所を捕まえ、きつーいお灸を据えるとともに、彼を自分の直接の眷属にしてしまった。それでこれ以降《こうちゃん》は千里2に直接仕えることになる。
 
ちなみに《こうちゃん》本人はこの夜の後、男性器が使用不能になってしまい、それに気づいた後、千里2に泣いて謝り、夏になってやっと機能回復させてもらったものの、千里の恐ろしさをあらためて認識することとなった。
 
西湖の性器は、あまりにも“風前の灯火”(冬子によると“扇風機の前の蝋燭”)状態だったので、夏休みの終わりに千里3が“隠して”しまい、誰にも奪われないようにしてあげた。結果的に西湖は高校を卒業するまでの限定(?)で本当の女の子の身体で過ごすことになった。
 
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高校を卒業した時に西湖が男の子の身体に戻りたいと思うかどうかは五分五分かな?とこの時、千里3は思ったのだが、2020年1月に誰も予想できなかった事態が起きて、千里は驚愕することになる。
 
なお、結局西湖に悪戯できなくなった《こうちゃん》は腹いせに、青葉の元同級生・奥村春貴を性転換してしまうが、彼は女の子になりたがっていたので千里3も見ぬ振りをしてあげた。
 
(彼は千里2には屈服したものの、千里3は大したことないと思い込んでいる)
 

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なお、千里の用賀のアパートだが、千里1が川島信次と結婚して引っ越してしまうので住む人が居なくなる。しかしここは京平の“神殿”なので、誰かが住んでいないと困る。それでJ高校に通うことになった(とその時は思っていた)西湖に(無料で)住んでもらうことにした。条件は玄関に貼っている2枚の梵字の紙と、押し入れ奥にある箱に入った白銅鏡の維持、それにセックス禁止だが、西湖は高校生でセックスはしないだろうと思われた。
 
西湖が通う高校は《こうちゃん》のせいで、S学園になってしまったが、J高校もS学園も用賀駅が最寄り駅である。東急旧玉川線の弧状の線路跡(現在は都道)を挟んで、北側にS学園、南側にJ高校があり、S学園の生徒は北口、J高校の生徒は東口を使用する。
 
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このアパートは神殿なので、しばしば“おキツネさん”や“狛犬さん”、稀にはカラスさんや鹿・猿・タヌキさん!?などまで遊びに来る。西湖はその子たちとすっかり仲良くなってしまい、食べ物や服(女物!)、アクセサリー(女の子用)をもらったり、あるいは色々なことを教えてもらったりもした。お化粧も教えてもらったので西湖はドキドキしながらメイクの練習をしていた。ある時は宝くじをもらったら100万円が当たってびっくりした(桜木ワルツと山分けした)。
 
西湖が優しいし、しばしばお供えもしてくれるので、ここに来る子たちにも西湖は好評だったようである。そのあたりは後に作られることになる緩菜の神殿の住人!とは大いに違う所である。
 
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ところで、今年の4月から9月まで放送される『ほのぼの奉行所物語』では、北町与力の娘・南川しの(アクア)、南町与力の娘・北山みつ(岡原襟花)、越中屋きぬ(馬仲敦美)らが箏教室に通い、交流を深めるシーンがある。そのため、この教室の場面に出演する女子たちを対象に、本当の箏のレッスンが行われていた。このレッスンにその3人も出席していたのだが、ここに顔出しで出してもらうことになっている葉月(西湖)は受験をしていたので3月中のレッスンまでは欠席していて、4月になってからやっと参加した。
 
「わぁ、女の子ばっかりだ」
と言って、
「あんたも女の子じゃん」
と共演者の米本愛心(Cold Fly 20)から言われる。彼女も西湖と同様に“たまにセリフがあるかも”という水準の出演者である
 
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「ボク、男の子なんだけど」
とアクアが心細そうに言うが
「アクアちゃんは女の子と同類でいいと思う」
と馬仲敦美から言われている。
 
「実際本当は女の子なのではという疑惑がある」
「少なくとも男の子ではない」
「去勢済みというのも確定」
「近くに寄ると女の子の香りがするし」
「生理があることも判明している」
「だから全員女の子ということでいいよね」
 

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みんなこれまで3〜4回のレッスンを受けているので、結構弾ける子もいるのだが、西湖は初めてなので、まるで弾けない。たどたどしい探り弾きをしていると
 
「君の演奏、まさに初心者という感じ。ちょっと録音させて」
と言われて、音だけではなく、弾いている様子まで撮影されて
 
「あ、いいな」
と少し弾けるようになっている子たちから羨ましがられた。
 
この録音は放送第1回のアクア演じる南川しのの“最初のお稽古での演奏”ということにして急遽組み込まれたようであった。弾いている所の指だけ映ったが、アクアの熱心なファンたちが「あ、これ葉月ちゃんの指だ」と放送を見てすぐに見抜き、ネットで話題になっていたようである。
 
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もっとも西湖は「自分は遅れて参加したからその分頑張って練習しなきゃ」と自分で(番組でも使用している)生田流の箏と爪に教本を買ってきて、用賀のアパートでずっと練習していた。すると狐の女の子が顔を出して
 
「それ違〜う」
と言って、西湖に丁寧に箏の弾き方を教えてくれた。
 
それで次回の番組収録の時、西湖の箏が物凄く進歩していたので、共演者がみんな驚くことになる。(アクアもライバル心を大いに掻き立てられた)
 
箏の監修で来ていた生田流の年配の名取さんが西湖の箏を聞いて
 
「その弾き方は生田流が成立する前の古式の弾き方(*2)だね。こういう弾き方ができる人は貴重だよ」
と感心するように言っていた。
 

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(*2) 箏は17世紀半ばに八橋検校(1614-1685)が出て現代につながる箏の近代的な奏法・楽曲構造を確立し、次いで京都に生田検校(1656-1715)が出て生田流を始めた。そして18世紀後半に江戸で山田検校(1757-1817)が出て山田流を創始する。そのため関西では生田流、関東では山田流が多くなった。八橋検校は磐城(福島県)出身で、大阪で三味線を習った後、江戸で箏を覚えたが、西洋音楽の影響を受けたともいう。
 
『ほのぼの奉行所物語』は17世紀末の江戸の物語なので、山田流はまだ無く、生田流が成立しかけている時期である。江戸だから山田流を採用しようという案もあったが、時代が違いすぎるということで、京都で流行ったものではあるが、より古い生田流を採用した。
 
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西湖に箏を教えてくれたのは、八橋流の弾き手であった。“女の子”と書いたが年齢は追及しない方がよい(あ、石を投げつけないで!)。なお八橋検校は京都銘菓「八つ橋」の語源で、あのお菓子の形は箏の形をかたどったものである。
 
 
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△・第3の女(20)

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