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(C)Eriko Kawaguchi 2019-04-07
9月22日、鱒渕水帆は5ヶ月間にわたる入院を終えて退院した。両親は田舎に戻って来いといったが、田舎に戻れば有無を言わさず速攻で結婚させられるのが見え見えなのもあり、水帆はまだ東京で頑張りたいと言った。
兄はその水帆の気持ちに理解を示してくれて、毎日ちゃんと3度の食事を取り、最低6時間は寝ることを条件に東京での生活を両親に認めさせた。兄はコスモス社長とも話して、睡眠を毎日最低6時間は取れる仕事の仕方をさせて欲しいと申し入れ、コスモスも決して無理はさせないと約束した。
水帆はコスモス社長からは年内は自由出勤にして、年明けからアクア担当に復帰して、山村マネージャーとの二頭体制にしたいと言われ、事実上3ヶ月間の有給休暇(療養休暇)をもらった。その間は無理しない範囲で色々な音楽を聴いたり、絵を見たり温泉旅行をしたりしていればいいと言われた。それで取り敢えずクラシックのコンサートに行ったり、都内の美術館巡りをしたりしていたが、すぐ飽きて来て何か仕事がしたい気分になる。完全なワーカホリックである。
その直後、山村から「アクアの厄払いツアーをするから参加しないか」と誘われた。10月9日、実際にアクアたちと一緒に、住吉神社・伊勢の神宮と参拝すると心が洗われていく感覚があり、水帆は本当に生き返ったことを実感した。
この時、ローズ+リリーのケイ(冬子)が制作していたアルバムのことで悩んでいたのでみんなで“できあがったマスター”を聴いてみると、酷い出来だった。
「作り直すべきです」
とその場に居た全員が言った。水帆も発言して言った。
「全体的に未完成だと思います。これは音の素材をお鍋に入れただけのもので掻き混ぜ不足、煮込み不足です。これはお料理ではなく、素材のままなんです」
それで山村が
「自分に任せてくれ。自分が村上社長を説得して制作期限を延長させる」
と言った。
マリがその話を正式に依頼したいと言い、山村は村上に実際に延長を呑ませてしまうのである。それで『郷愁』はこの後、2月まで掛けて作り直しされることになる。
山村はローズ+リリーにマネージャーが居ない問題も指摘した。
「細かいことまでケイが交渉している。その負荷のせいで、それでなくても厳しいスケジュールが更に厳しくなる。交渉力のある専任のマネージャーを雇うべきです」
名目上はUTPの須藤美智子がマネージャーのはずだが、実際問題として2011年秋にローズ+リリーの管理は“UTP専務”であるケイ自身がすることになり、須藤の手を離れている。しばしば多くの人からマネージャーと思われている秋乃風花は、むしろケイのアドバイザーに近い存在で、会社組織でいえばフェローのようなものである。
鱒渕はそのマネージャーを自分にやらせてもらえないかとコスモス社長に申し出た。
「アクアのプロジェクトは山村さんを中心にうまく回っています。今更自分が出ていったら、彼もやりにくいと思うんです。だから、私は現在の歌謡界でアクアと並ぶ2大アーティストの片翼であるローズ+リリーの方をやって、山村さんに負けないセールスをあげたいと思います」
「かなり意欲出たね。でもローズ+リリーは今大変な状態だけど、大丈夫?」
「はい。元気になりました」
「でもあなたのお兄さんとの約束で毎日6時間は寝て欲しいんだけど」
「ちゃんと6時間寝て、その他1日30時間働きます」
と水帆が言うと、コスモスは苦笑して言った。
「じゃ細かい点は私がケイちゃんと話し合って詰めるから、あなたは§§ミュージックからサマーガールズ出版への出向ということで」
「はい、それでいいです」
「じゃ、ヨシケイかオイシックスを契約して確実に食材が調達できるようにしよう」
「私、ヨシケイが好きかな」
「じゃそれで」
「あ、でも配達を受け取れるかな」
「アクアみたいに宅配ボックスのあるマンションに引っ越そう。今の所は安普請すぎる」
「ああ、引っ越したいとは思っていたのですが、時間が無くてそのままで」
「あまりにも安いアパートに住んでるから、ヒモでもいて巻き上げられているのかと思ったよ。でもお兄さんが通帳記帳したら、給料が振り込まれて、光熱費と家賃に携帯代が引き落とされている以外には、ほとんど引き出しの跡が無いって」
「すみませーん。ほんとお金使う時間までなくて。男の人と交際とかしている時間も無いですよ」
「男の人とというと、女の人とは?」
「興味はありますが、経験は無いです。経験したらハマりそうで恐いですけど」
「ああ。私も興味はあるけど経験は無い」
(この時点で実は水帆・コスモス2人とも、男性とも女性とも中性とも!?性体験が無い)
「私が水帆ちゃんのマンション見つけてあげるよ。遅くなっても帰宅出来るようにもっと都心近くに部屋を確保しよう」
「高いですよ!」
「それを払えるくらいのお給料は出すから」
「はい、すみません」
それでコスモスは不動産探しのサイトでいくつか候補を見つけていった。
T駅近く、M駅近く、N駅近く、G駅近く、そして大崎駅近くのマンションである。それをピックアップした上で、不動産屋さんの店舗に行き、現地を見せてもらおうか、などと言っていた時に青葉が偶然事務所を訪問した。するとコスモスは青葉に
「よかったらどれがいいか見て頂けませんか?見料は払いますので」
と言った。それで見てもらったら、青葉は
「G駅はこれ現地に行ったら分かると思いますけど、近くにラブホテル街があるからやめた方がいいですよ」
「N駅近くの物件は、仕事にはいいんだけど、充分休めなくて疲れると思います」
「M駅近くの物件は、たぶんもう埋まっています」
「T駅近くの物件は、そこに住むと女性機能が停止して男性化するかも」
と全部否定した上で「大崎駅のは今日ではなく明日行った方がいいです」と言ったのである。
それで翌日不動産屋さんに行くことにしたのだが、水帆は「女性機能が停止して男性化する」という話にドキッとした。水帆の生理は入院中に止まってしまい(正確には実は1月の生理を最後に来ていなかった)、まだ再開していない。それに回復のきっかけとなった、山村に打ってもらった特効薬(?)には副作用として男性化させる作用があると聞いていた。
しかしコスモスは
「男性化したらお嫁に行けなくなっちゃうね」
と言って、それを避けることにし、翌日不動産屋さんに行ってみた。するとネットで見ていた物件は昨日埋まってしまったものの、その近くにある別の3LDKの物件が今日登録されたと言われた。実は昨日そこに住んでいた住人が退去したということで、これからクリーニングなどをする予定だという。
コスモスは現地に連れて行ったもらってから青葉に電話で「今現地にいるのですが」と言ったら「6階以上なら大丈夫です」と言われた。それで不動産屋さんに尋ねると、今日連れてきてもらった所は4階だったのだが、8階の部屋が明日住人が退去する予定ということで、11月1日以降なら入居可になる予定だということであった。それでそこを予約することにしたのである。
ここの家賃は駐車場代・管理費等を含めて26.6万円であった。4階は“特殊事情”で23.6万と聞いたが、コスモスも水帆も、その特殊事情のある所を避けられてよかったと思った。
そしてこのマンションは会社で契約し“社員寮”ということにして水帆に入居させることにした。
水帆は会社に社員寮の家賃として1万円を払う(実際には住宅手当と相殺)。この方が、家賃全額補助するより、水帆が負担する税金が少なくて済むのである。それに水帆は言った。
「もしここ辞めたら、速攻で出ないと、こんな家賃を払える仕事なんて、無いですし。だったら《会社寮》というのでいいです」
大崎駅はローズ+リリーの2人が住んでいるマンションの最寄駅・恵比寿まで山手線で3駅(7分)、新宿までも7駅(16分)である。§§ミュージックの事務所のある信濃町までも代々木乗換で25分程度で到達できる。
新宿−代々木−原宿−渋谷−【恵比寿】−目黒−五反田−★大崎−品川
また隣の品川駅まで行くと新幹線に乗れるし、羽田空港行きの京急にも乗れる。意外に便利なのだが、この駅自体は山手線以外の路線が無く、家賃相場は低いので、山手線内の“穴場”のひとつである。
「でも3LDKとか、そんなに部屋があっても使い道があるかなぁ」
と水帆は言ったが
「ケイ先生が書いた曲のCDを並べる棚でも置けばいいよ」
とコスモスは言った。
「・・・それどのくらいあります?」
「たぶん3000枚くらい」
「うっそー!?」
(CDは翌年更に1000枚ほど増えることになる)
水帆は秋乃風花に、ケイが書いた曲の入っているCDのリストとかが無いかと尋ねてみた。すると風花は
「名義自体が、マリ&ケイ、水沢歌月、柊洋子、秋穂夢久、鈴蘭杏梨、ヨーコージ、とありますし。他にもいくつか単発的な名義があって私も全部は分からない」
などと言っている。
「秋穂夢久とかヨーコージってケイさんなんですか!?」
「秋穂夢久は貝瀬日南専用の名義。ヨーコージは蔵田孝治とケイの共同ペンネーム」
「そんなのみんな知ってるんですか?」
「秋穂夢久は知っている人はほとんど居ないし、他人には言わないでね」
「はい」
「ヨーコージは割と知る人は知ってる」
「ヨーコージの売上げって凄いですよね?」
「だからケイは中高生時代から資金力があって、高校卒業してすぐにサマーガールズ出版を設立したんだよ」
「すごーい」
と言ってから水帆は聞いた。
「それだけお金があったから若い内に性転換もできたんですかね?」
「だと思うよ。私は同じ高校でもクラスは違ったんだけど、同じクラスだった友人(詩津紅 *1)によると1年生の時から女子制服を着ていることが多かったというし、多分中学生の内に性転換したんだよ」
「すごーい」
「別の友人によると、あの子、高校受験の時、滑り止めで私立の女子高校も受けて合格していたらしいから。女の子でなきゃ女子高を受けられて合格するわけないし、中学の内に性転換済みだったのは間違い無いと思う」
「ああ、そうですよね」
(*1)風花は記憶が混乱しているようだが、詩津紅は1年8組、冬子は5組なのでふたりは同級生ではない。ただ放課後体育倉庫のピアノで一緒に歌っていただけである(ユニット名:綿帽子)。冬子が滑り止めに女子高の私立♀♀学園を受験して合格していたことは多分奈緒がバラしたのだろう。
「でも曲だけ聴くなら、何もCDを買いそろえる必要は無い。数百万円かかるし。ケイが所有しているCD・アナログレコードは全部mp3化されて、ケイの部屋のサーバーに入っているから、それを全部コピーさせてもらえばいいよ」
「それはケイさんの楽曲をカバーしてるんですか?」
「まあケイの曲もあるけど、それ以外も当然多い。でもコスモスちゃんから年内はいい音楽聴いていればいいと言われたのなら、それ全部聴くのもありかもね」
「それ何千枚くらいあるんですか?」
「たぶん2万枚くらいじゃないかなあ」
「え〜〜!?」
それを全部聴くには毎日朝から晩まで聴いていてもおそらく3-4年掛かるだろう。
風花が水帆を連れてケイのマンションに行き、データをコピーさせてと言ったらケイは言った。
「それなんだけど、この春以降、私の時間が取れなくてmp3化ができてないCDがたぶん100枚くらいあるんだよ。書庫のバスケットの中に入っているから、もしよかったらついでにmp3化して、作業が終わったCDは棚に並べてくれない?」
「やります」
それで水帆のマネージャーとしての初仕事はCDのmp3化となった。ちなみにケイは100枚くらいと言ったのだが、実際には500枚!あって、この作業に水帆は半月ほど掛かることになる。
なおその中のケイが関わった作品についてはケイ自身が作ったピックアップ・プログラムが存在し、春の段階で実行した結果できていたリストを見ると、8156曲もあった。JASRAC関係の処理のために作ったリストらしいが、この中には複数の歌手が歌ったもの、吹奏楽やオルゴールなどにアレンジされたもの、またアルバムに収録する際などにリミックスされたもの、も含まれている。しかし買い取りなどにしてJASRACに登録しなかったものは含まれていない。
「実際にはたぶん2000曲くらいじゃないかなあ」
と本人は言っていた。
10.07 厄払い旅行で『郷愁』問題とローズ+リリーのマネージャー問題が出る。
10.10 鱒渕がローズ+リリーのマネージャーに就任。『郷愁』の期限延長。
10.11 コスモスが鱒渕のマンションを決めてあげる。
10.12-29 ケイの部屋のCD mp3化
11.01 鱒渕お引越。