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(C)Eriko Kawaguchi 2018-06-16
「何の役をするって?」
と幸恵は訊き直した。
「『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公のマリア」
と龍虎は少し恥ずかしそうに言った。
「なんであんたが女の子役をするのよ?」
「だって主人公やりたい人って言われて『はい』と手を挙げたら、それがマリアだったんだもん。ボク、てっきりピーターパンだと思ったのに」
幸恵は少し考えていた。
「あんた女の子役をするの嫌じゃないよね?」
「去年は白雪姫やったしね」
「あれ可愛かったね」
と幸恵は吹き出しそうなのをこらえながら言う。
「ボク、いっそ女形(おやま)を目指そうかな」
「あんたなら平成の玉三郎とか言われて人気になるかもね」
「たまさ?」
「ああ。あんたは知らんか」
夏休みに入る前の学活では、龍虎が到着する前に、増田先生が物語の概略をみんなに話していた。
「物語のあらすじを簡単に説明します」
「1940-50年代にアメリカで評判になったトラップ一家合唱団(Trapp Family Singers)という実在の家族合唱団の物語なのよね。一家はオーストリアに住んでいたんだけど、当時ドイツがオーストリアを併合して、戦争が起きそうな雰囲気になってきたので、それを嫌って亡命してアメリカに行き、そこで音楽活動をしたの。最初は《トラップ一家聖歌隊(Trapp Family Choir)》という名前で聖歌ばかり歌っていたので客が入らなかったけど、アメリカのフォークソングを歌うようになって名前も聖歌隊(Choir)から合唱団(Singers)と変えてから大人気となったのね」
と先生はまずはトラップ一家の物語を語った。
「まあ要するに技術は最初から評価されていたんだけど、歌っていた曲が人気を取るような曲目じゃなかったんだな」
と先生はわりと重要っぽいことを言った。
「でもオーストラリアって太平洋にあるのに、それをドイツが併合したんですか?」
という質問が出るのは想定範囲!であるが、先生が答える前に
「オーストラリアとオーストリアは違う!」
と大勢の児童の声があがっていた。
念のため先生は教室に貼られている世界地図上で、オーストリアの位置を示した。チェコの南、イタリアの北東、ドイツの南東、ハンガリーの西である。
「このお話の前半は修道院で落ちこぼれだったマリアがトラップ一家の家庭教師としてやってきた所から、奥さんを亡くして子供7人を抱えていたゲオルクと結婚するまでの話、そして一家がオーストリアから脱出する時の話を描いています。色々史実とは違う内容もあるんだけど、そのあたりは物語としての演出ということで」
(映画『サウンド・オブ・ミュージック』より世界名作劇場『トラップ一家物語』のほうが、より史実に近い)
「今回の劇ではその前半のマリアがゲオルクと結婚するまでを描いて最後に本来は一家が脱出する時に歌う『さようなら、ごきげんよう』を歌います」
と先生は言った。
「『さようなら、ごきげんよう』というのは、歌いながら1人ずつ退場していくという歌なのよね。ところが、実は退場した子はそのまま逃亡していて、まんまと全員逃げ出してしまう」
と先生が説明すると、興味を持った子が多かったようである。
こういう説明があった上で、まずは主役をやりたい人?と学級委員が尋ねて誰も手を挙げず、どうしようか?という空気になった所に龍虎が到着。主役に立候補しなさいよと先生から言われていたことを思い出して立候補したら、それがマリア役だったのである。他の役はこのように立候補や他薦で決まった。
■メインの10人
マリア(家庭教師)田代龍虎
ゲオルク(トラップ一家の父)西山拓郎
リーズル(長女)入野桐絵
フランツ(執事)内海光春
シュミット(家政婦)北山宏恵
ロルフ(リーズルのボーイフレンド)伊東鉄平
マックス(音楽プロデューサー)立石柚季
エルザ(ゲオルクの恋人)若林麻耶
ツェラー(地元の政治指導者)藤島正浩
修道院長 南川彩佳
■それ以外の役
リズール以外の子供たち:男2女4(*1)、シスター:女5(*2)、ナチス親衛隊:男6、コンサートの観客:男5女2
(*1)映画『サウンド・オブ・ミュージック』では子供たちは7人で、名前は
Liesl(F), Friedrich(M), Louisa(F), Kurt(M), Brigitta(F), Marta(F), Gretl(F),
リーズル、フリードリッヒ、ルイーザ、クルト、ブリギッタ、マルタ、グレーテル
の7人となっているが、実際のトラップ一家は前妻の子供7人とマリアが産んだ3人の合計10人の子供たちであった。
Rupert, Agathe, Maria Franziska, Werner, Hedwig, Johanna, Martina/ Rosmarie Erentrudis, Eleonore, Johannes
最後のJohannesは亡命中に生まれた子である。つまり彼だけがオーストリアでの生活を体験していない。
(*2)シスターは映画『サウンド・オブ・ミュージック』では5人になっていて名前はMargaretta, Berthe, Sophia, Catherine, Agatha
マルガレータ、ベルタ、ソフィア、カタリナ、アガタ
龍虎の学校では夏休み中の登校日というのは特に無いのだが、学習発表会の劇で主な役になった人だけで集まって少し練習しようよということになり、何度か龍虎は学校などに出て行った。
メインの10人(男6女4)と増田先生で1回2時間くらいの練習を夏休み期間中に2回おこなったが、それ以外にセリフの読み合わせを、学級委員の麻耶の家に2回、もうひとりの学級委員・藤島君の家にも2回、集まってやっている。
学校で練習する時は教室の机を片側に寄せてやるので結構なスペースがあるのだが、麻耶や藤島君の家でやる時は、結構狭い。どうしても身体の接触が発生するので、男女に分かれて、だいたいこんな感じの並びでやっていた。
藤島−伊東−内海−立石−西山−龍虎−彩佳−桐絵−宏恵−麻耶
(日によっては欠席者があり並び順も微妙に変動している)
男子と女子の境界は藤島君と麻耶、龍虎と彩佳の所だが、藤島君と麻耶はどちらも学級委員で、個人的にもわりと仲が良い。但しこの2人の間は30cmくらい空いていた。龍虎と彩佳の所はとても気安い関係なので全く問題無い。この2人の間はくっついていた!そしてむしろ龍虎と西山君の間が10cmほど空いていた!
「やはり龍ちゃん、セリフ言うのが凄くうまい」
という声が出ていた。
「本職の俳優さんみたいだよね〜」
「でも普段話しているのと全然違う。ちゃんと女の子が話しているように聞こえる」
と内海君が言うが、彩佳は
「龍は私たちとおしゃべりしている時は女の子の話し方なんだよ」
と言う。
「誰と話しているかによって話し方が変わるのか」
「実は教室ではどちらを使うか悩むことが多い」
と本人は言っていた。
「これ衣裳はどうするんだろう?」
「シスターの衣裳は、B女学院に進学したOGから制服を借りられるらしい」
「へー。あそこの制服は確かにシスターっぽいよね」
「ナチス親衛隊の衣裳は、中学に進学したOBから学生服を借りて、百均の金色テープとかで装飾しようという話」
「なるほどー」
「家政婦のシュミットさんはおばあちゃんの割烹着を借りる」
とシュミット夫人を演じる宏恵が言っている。
「リーズルの服とロルフの服は適当に。ロルフの軍服は借りる学生服を利用して」
とリーズル役の桐絵。
「執事のフランツ、政治家のツェラー、音楽プロデューサーのマックスは子供用の背広を借りられるみたい」
とツェラー役で学級委員の藤島君。
「ゲオルクは普段着は適当に。軍服はやはり借りる学生服の利用で」
とゲオルク役の西山君。
「エルザの服はピアノの発表会で着たドレスを使う」
とエルザ役で学級委員の麻耶。
「マリアの服だけど、普段着は適当に持っている服を持ってくる。ディアンドルはボクのサイズに合うものを伯父ちゃんが用意してくれることになった」
と龍虎。
これは増田先生と田代母が電話で話した結果、こちらで用意できますよという話になり、田代母が上島茉莉花(春風アルト)に照会して、そちらのルートで確保してもらえることになったのである。実際には放送局のストックを借りてきたようである。
「普段着って、マリアの普段着は女の子用の服が必要なんだけど」
と内海君が言うと
「田代さんは女の子用の服を大量に持っている」
と龍虎の事情をかなり知っている西山君が言う。
「なんで?お姉さんか何かの服?」
「ボクの身体に合うサイズの女の子用の服をいつも大量に買って持ち込んで来る知り合いのお姉さんがいるんだよ」
と龍虎は困ったように答える。
「何のために?」
「ボクに女の子の服を着せたがっているみたいで」
「何のために!?」
「女の子の服を着たら可愛いと言われて」
と龍虎が本当に困ったような顔で答えると
「うん。龍が女の子の服を着ると可愛い」
と龍虎の女装(?)をいつも見ている彩佳・桐絵・宏恵が同時に言った。
千里は貴司とのことについては、阿倍子の妊娠を知ったことで、婚約破棄のショックは激しい怒りに変わって結果的に傷心から回復した。手術後の身体の傷については美鳳のおかげで画期的に痛みが減り、更に毎日青葉が1〜2時間のヒーリングをしてくれるおかげで、日増しに回復して行っていた。(実際には青葉が《千里の女性器》に掛けているヒーリングは小春の操作で近い時期に手術を受けた《和実の女性器》に掛かっている)
しかしまだ手術前ほどに動き回ることはできない。
今は買物に行くのに近くのスーパーまで往復30分ほど歩くのがせいぜいである。
大学の試験については、千里が「持病の手術のため療養中なのでレポートに代えることはできないか」と大学側に照会したら認められた。このレポートは実際には《きーちゃん》が書いてくれている。
ローキューツの事務処理については純粋に“持病の治療で手術を受けて療養中”と称して、玉緒と電話やメールでやりとりしながら進める。彼女には仮払金として少額の現金を渡した上で、フェニックストラインの法人カードも渡して、通常の決済はそれでやってもらった。この処理に関しては多少の現金過不足が出ても気にせず絶対に自腹は切るなと言ってある。
「何でもできるようにしたら私自分が不正行為しないか怖い」
と玉緒が言うので、帳簿とチーム名義の通帳を必ず司紗に確認してもらうことにし、また法人カードは結局、司紗が持っておくことにし、カード伝票は必ず玉緒に渡すことにして相互監視できる状態にした。
なお、遠征旅費などの大型の決済は千里が自身で処理する必要があるので、これは《きーちゃん》に代行してもらった。
この時期のローキューツの遠征はAチームが来月9月8-9日の全日本クラブ選抜(前橋)、Bチームは今月8月前半のシェルカップ(土浦)、月後半の時計台カップ(札幌)といった予定が入っている。
作曲関係については、49鍵の中型キーボードと作曲支援システムの入っているパソコンを葛西のマンションから持って来てもらい、青葉が部活に出ている昼間と、寝ている夜間とに主として作業を進めた。
青葉は手術から間もないというのに8月18日の全国大会に向けて毎日部活に出て行っているのである。
C大学の試験期間は8月7日までなので、それが終わった所で桃香も帰省してきたし、彪志もこちらにやってきた。
彪志が来ているというのに青葉は日中部活に行っていて彪志は放置である。それで日中は桃香・千里・彪志の3人でおしゃべりしたり、トランプなどをしたりして過ごしていた。
青葉が彪志を放置しているのに見かねた桃香はふたりを強引に海王丸パークに連れて行って遊覧船の切符も買ってふたりを乗せ、デートさせた。帰りは桃香と千里で迎えに行き4人で一緒に御飯を食べた。
彪志はバイトがあるので、9日には千葉に戻っていった。桃香は夏休みが終わるまで高岡に滞在する。