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千里は美鳳の言うのももっともな気がしたので、少し試してみようと思った。それでこの日の夜の内に《こうちゃん》に葛西まで飛んでもらい《きーちゃん》に頼んで翌18日(土)の日中、彼とポジションをチェンジしてもらう。
千里が向こうに行っている間は《こうちゃん》に代役を務めてもらうが、青葉が千里の女性器をヒーリングしようとするのは夜中だから、日中は大丈夫のはずである。それに青葉は今日はコーラス部の全国大会で忙しいはずである。
ともかくも葛西に来た千里は、取り敢えずレース用の装備を確認した。レーシングスーツ、レース用の下着類、ヘルメット、手袋、靴などを確認し、ついでにインプに積み込んでおく。
それから少し運転してみようと思い、車を出した。
婚約破棄以来運転していなかったので1ヶ月ちょっとぶりであるが、本当に「身体が運転を覚えている」感じだ。
美鳳が言っていた「筋力を使わない運転」というのを少し試してみる。
あ・・・これ行ける。
と思った。むしろ今まで筋力に頼って結構ギリギリにステアリングを操作していたのをもっと早め早めに操作するようにした。千里はそもそもそういう先の予測が上手いのである。だからこの方が良い運転になる気がした。
千里はそのまま走って、常総市内の体育館工事現場まで行った。
さて、建築業界はだいたい日曜だけが休みで土曜日も作業をするのが一般的である。実際現場で働いている人は日給制なので、週休2日にしてしまうと収入が1/6=17%低下してしまうことになり死活問題である。その日も多数の作業員さんが、現場監督の指揮の下、働いていた。
ここの現場には眷属の誰かが千里に擬態して毎日顔を出して作業をしてくれている人たちにおやつや飲み物などを渡しているので、この日も
「いつも済みませんねぇ」
と言って、ニコニコ顔で迎えられる。今日は数日前に礼文(れぶん)島に行った時に買っておいた《礼文まんじゅう》を配った。
「のりふみまんじゅう?」
「いえ、『れぶん』まんじゅうです」
「俺は《れいぶん》、御礼の手紙のまんじゅうかと」
「北海道の礼文島ですか?」
と老齢の現場監督さんが訊く。80歳近いもののそこら辺の若い人がかなわないほどの筋力を維持している。一度腕相撲をしたが千里はかなり本気を出さないと勝てなかった(女に負けたのは初めてだ。もう男辞めようかなどと言って悔しがっていた)。この人は玉掛けの名人だとも聞いた。先日は彼が熱心に玉掛けの要領を語るのを千里は笑顔で相槌を打ちながら聞いていた。
「そうなんですよ。お盆でちょっと行ってきたもので」
「礼文島のご出身ですか?」
「婚約者の本家がそちらにあるもので」
「へー」
工事は元々工場で作られた規格品を組み立てていく工法なので工期が短い。既に建物自体は完成しており、これから、床板を敷く作業に入ろうとしていた。これが終わればほぼ完成になる。同時進行で電気系統の工事、照明やエアコンの設置も進んでいる。
多くの体育館では空調の電気代を節約するため窓を開けて外気を取り入れる。しかしそれでは音も漏れてしまう。千里は深夜にでもこの体育館を使えるように、壁には怪我防止も兼ねて音を遮蔽する効果のある弾力材を貼り付け、天井には吸音板を貼り、ドアもコンサートホールのドアのような気密性のあるものにした。床(下の1階は駐車場である)には厚いゴムシートも敷いて、更に空調を使って音が外に漏れない設計にしている。更には音は遮蔽して空気の熱交換だけできるシステムを2ヶ所に取り付けている(冬は熱交換を停めて内部の熱を貯める)。
つまりこの小さな体育館は騒音問題についてはひじょうに贅沢な設計になっているのである。その防音系の工事も既に終わっている。
そういう訳で完成間近なので、この後は適当なタイミングで司法書士の青山さんに動いてもらい、工務店側と打合せながら、登記やそれに必要な調査なども進めてもらうことにしている。
青山さんは東京都内に事務所がある司法書士さんである。旭川の赤坂司法書士に紹介してもらったのだが、赤坂さんの学生時代の友人ということであった。千里の会社・フェニックス・トラインに関する作業は赤坂さんにお願いしているが、関東でも色々作業が発生することが多いので、こちらですぐ対応できる人を確保しておいたのである。
千里はこの日の夕方、青葉が東京から戻る前に高岡に戻ったが、その後、毎日、青葉が不在あるいは睡眠中のタイミングを使っては千葉に行き、車の運転の練習をした。これでかなり自信を回復することができた。
8月18-19日。東京の武蔵野総合体育館で国体の関東ブロック予選が行われた。成年女子千葉代表に薫・凪子・誠美の3人が参加した。千葉代表は誠美がゴール下で圧倒的な存在であったことから、見事に優勝。国体本戦への出場を決めた。
薫と凪子にとっては国体本戦初出場である。
誠美は高校時代毎年出場していて、高3の時は千里たちの旭川選抜とも対戦している。その年、旭川選抜に参加していた薫は北海道予選には参加してブロック優勝に貢献したが、性別問題で本戦には出られなかった。凪子は高3の時、札幌選抜に敗れて本戦に行けなかった。
青葉が東京に行って来た翌日8月19日、和実が高岡に移動してきた。
和実は7月25日の性転換手術の後、退院してからはいったん石巻の胡桃のアパートに行って静養していた。
ところが胡桃のアパートに居ると、療養中なのに美容室の人手が足りないから手伝ってと言われて頻繁に呼び出される。着付けやシャンプーだけでなく、パーマのロールを巻く作業までやらされる!(さすがにカットまではさせられない)
それで、これはたまらないので、逃げ出したというのと、ずっと、リモートで青葉のヒーリングを受けていたが、やはりリモートで受けるより直接受ける方が効果は大きいし、青葉の負荷も小さいので、それを改善する目的もあった。
和実はホテルに長期滞在するつもりだったが、青葉が
「うちに泊まってくれた方が、私が楽」
というので、青葉の部屋に泊まることにした。
この時期は青葉の部屋に青葉と和実、桃香の部屋に桃香と千里が寝ていて朋子も入れて5人暮らしで賑やかであった。和実が居てくれることで千里の負荷も減ったようであった。朋子は
「娘が4人もできたみたいで楽しい」
と言っていた。
「4人の内3人は元は男の子だったというのが凄い」
「私が男に性転換していたら息子4人になってたところだ」
と桃香は言っていた。
8月20日(月)は龍虎のお誕生日であった。
この日は両親とも有休を取って家に居てくれた(学校の先生は夏休みであっても毎日学校に出勤しなければならないが、授業が無いので有休は取りやすい)し、むろん長野夕香も来るし、福井から清水照枝も出てきてくれた。
いつもの仲間の彩佳・宏恵・桐絵も来てくれる。龍虎を含めたこの4人はお互いの誕生日には各々の家を訪問してお祝いをするのが小学2年生の時以来の習慣になっている。
お誕生日の料理は幸恵・夕香・照絵の3人が協力して作ってくれたし、上島さんからケーキも届けられた(夕香が出席するので、上島夫妻は来ない)。
「豪華なケーキだぁ」
「お金持ちの伯父さんがいつも贈ってくれるんだよ」
その“伯父さん”の素性を知っているのは彩佳だけで、桐絵と宏恵は知らない。
川南と夏恋も来てくれたが「プレゼント」といって渡された箱の中身は可愛いドレスである。
「今度のピアノの発表会で着るといいよ」
などと川南は言っている。
「拒否」
と龍虎は言うが
「そんなこと言ってて、去年も一昨年も龍はドレスを着てピアノを弾いた」
と彩佳から指摘される。
「だって他に着て行けそうな服が無かったんだもん」
と本人は言うが、幸恵も照絵も夕香も笑っている。
「その前の年はどうだった?」
「普通に男の子用のスーツだったよ」
と龍虎は言うが
「あれは発表会が終わってから知ったのだ」
などと川南は言っている。
「でもドレスで2度も出場していたら、みんな龍のこと女の子だと思ってるかもね」
と宏恵は言った。
チキンやサラダ、サンドイッチなどの料理やケーキを食べながら1時間ほど楽しくリビングで過ごした後は、子供たち4人だけで龍虎の部屋に行き、ボードゲームで遊ぶ。
「まあ今時、友だち同士で集まってDSじゃなくて紙のゲームで遊んでいるのは私たちだけかもね〜」
「小3の時、DSを取るか、ピアノやヴァイオリンを取るか、どちらかだとお母さんから言われたんだよ」
「お母さんが正解という気がする。DS始めたら、永遠に遊んじゃうもん。他に何もできなくなる」
「それにここはいつも新しいゲームがあるしね」
「川南さんが持ち込んで来るし、ケーキ贈ってくれた伯父さんも贈ってくれるし」
川南が持ち込んで来るゲームの中には千里が海外に出張や遠征で出た時に見つけて買ってきたものも結構含まれている。
「他では見たことのないようなのがあるよね」
「このゲームも面白いけどボードに書いてある文字は全く読めない」
「これインド語か何か?」
「タミル語って言ってた」
「どこだっけ?」
「インド南部だって。インドは公認言語だけでも22個、実際に使われている言語は500種類以上あるらしい」
「それは大変だなあ」
「ところでさあ。川南さんが贈ってくれたドレス、彩佳が着てくれたりしない?」
と龍虎は言った。
「自分で着ないの?」
「ボクはドレスとか着る趣味は無いよ」
「それは明らかに嘘だな」
「ボクは男の子用のスーツ着るつもりだけど、せっかくもらったものを着ないのももったいないし。彩佳なら140サイズ入るよね?」
「じゃちょっと着てみようかな」
と言って、彩佳が着てみると問題無く着られた。彩佳は去年までは140サイズだったものの最近は150サイズを着ることが多い。しかしドレスなら多少のサイズの融通が利く。
「ああ、似合う似合う。可愛い」
と桐絵が言っている。
「龍が着たら膝下サイズなのが、私が着ると膝丈サイズになるという感じかな」
「ウェストきつくない?」
「全然問題無い」
「龍もアヤも細いからなあ」
「まあドレスも男の子に着られるより女の子に着られた方が嬉しいかもね」
と宏恵も言う。
「じゃ私がこのドレスで発表会に出よう」
「ごめんねー」
「いやドレス代が節約になっていい」
「あれ、レンタルでも結構するもんね〜」
それでこのドレスは彩佳がもらうことにした。彩佳は龍虎のスマホを借りてすぐ母に連絡していたが、彩佳が龍虎から服をもらうのもいつものことである。
「あ、そうだ、思い出したけど」
と宏恵が言った。
「こないだの宿泊体験で龍、女子みんなにお股を見られたでしょ」
「うん。あれは恥ずかしかった」
「それで龍は、小学1年の時に、おちんちんを病気で切って根本だけ残っているからトイレも女の子と同じように座ってすることになったんで、それでいつも女子トイレを使っているという噂が広がっているみたいだから」
「うっそー!?」
「それは龍が小学1年の時に腫瘍を切る手術をしたという話と混線してるな」
と彩佳は楽しそうに言った。
台湾で行われているウィリアム・ジョーンズ・カップ。
8月21日のヨルダン戦は強い相手なので貴司はなかなか出番が無かったが、第4ピリオド途中で主力が消耗してきたので、コートインした。第3ピリオドまで日本がリードしていた所をこの最終ピリオドではヨルダンが猛攻を掛けてきて、どんどん点差を詰めてきた。しかし日本の主力がみんな疲労していて完全に劣勢に立たされる。
しかし最後相手選手が攻めてきたのを貴司が巧みにスティールして、そのまま相手コートへドリブルで速攻。行く手を阻まれたものの、ブラインドパスで龍良につなぎ、龍良がゴールを決めて3点差となる。そのあとヨルダンがブザービーターで2点入れたものの及ばず。83-84の1点差ゲームをものにした。
思わず貴司は近くにいた龍良と抱き合ったが、キスまでされそうになって、慌てて離れた。
「龍良さんコート上のキスはやばいです」
「祝福の印だよ」
「私、高校時代にコート上でキスして警告くらって始末書まで書きましたから」
「ああ、やはり細川、男の子でも行けるんだな?」
「えっと・・・」
8月22日のフィリピン戦は最後まで競っていたこともあり貴司の出番は無かった。23日のアメリカ戦は強すぎる相手だったし、24日の韓国戦も厳しい相手なのでどちらも貴司の出番は無かった。この3つの試合は全て負けた。
8月23日(木).
春奈が性転換手術を受けたアメリカから帰国し、そのまま高岡にやってきた。彼女は高岡市内の知人の家でしばらく静養することになっており、青葉は毎日そちらを訪問してヒーリングしてあげることになっている。これは人気アイドルの春奈にあまり出歩かせたくないからである。騒ぎになってファンが春奈を一目見ようと出没する事態は避けたい。
春奈のヒーリング作業が増えるので、千里は、千里の分のヒーリングはしばらくお休みにした方がいいと言った。青葉もさんざん「働き過ぎ」を注意されているので素直にそれに従うことにした。
「ごめんね、ちー姉」
「いや。私は青葉に倒れられては困る。それに私は元々人より傷の治りが早い」
「ほんと、ちー姉、凄いペースで回復しているよね!」