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『ペチカ』作詞:北原白秋(1885-1942),作曲:山田耕筰(1886-1965)
雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔 昔よ 燃えろよペチカ
雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 表は寒い
くりやくりやと 呼びますペチカ
雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
今に柳も もえましょペチカ
雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 誰だか来ます
お客さまでしょ 嬉しいペチカ
雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち はねろよペチカ
ペチカは北欧生まれの暖房システムで、物凄く熱効率が良いことで知られています、だいたい朝夕2回焚くだけで1日中暖かい。見た目は一見暖炉に似ていますが、暖炉とは全く異なるシステムです。暖炉が燃える火の放射熱で暖めるものであるのに対し、ペチカは煉瓦の壁の中に長い煙路を持っており、この煙路で壁を暖める。そしてその壁からの輻射熱で部屋を暖めるものです。だから蓄熱性が物凄く高い。ただし暖まり始めるのにも時間が掛かる。今日のオイルヒーターと似てますね。またペチカを部屋の仕切りに使うことで2つの部屋(例えば居間と寝室)を同時に暖められる。
ペチカは北欧からロシア経由で明治時代の北海道に伝わり、その後、満州でも普及しました。白秋と耕作の『ペチカ』は満州で書かれ「満州唱歌集」(1924)に収録されたもので「栗や栗や」というのは、当時の満州ではよく見られた焼き栗屋の呼び声です。「や」は「竹や〜竿竹〜」「豆腐〜や豆腐〜」の「や」と同じ。単なる呼びかけ語。
また「やなぎももえましょ」は「燃えましょ」ではなく「萌えましょ」で花芽が出るということ。柳は春に花を咲かせるので春を告げる木とされていました。
10月31日(土)、和弥とまゆりは星月を連れて桜ジェットで姫路に帰還した。11月は姫路での七五三に対応する。内地の七五三参拝集中日は11月14-15日(土日)と思われる。
また11月3日は立花K神社の例祭なので、その神事も行う。
10月下旬、雅の振袖の製作進捗状況を見て“££新報”は雅に和解を申し入れてきた。小川社長は同誌の編集長と会って話し合い、このような条件で和解することにした。
・損害賠償は告訴状では5500万円だったが、報道後実際にキャンセルした人(10人)の購入見込額300万円とし、それも支払いを当面猶予する。(編集長が個人で用意して裁判所に供託。下記の記事の掲載後返却された)
・££新報は軽率な報道をしたことを謝罪する。
・雅も適正数でオーダーストップできなかったことは非を認める。
・££新報は雅の製作体制を正確に取材して報道する。
これを受けて同誌は常務の案内で一週間にわたり雅を取材し、次のような記事を掲載した。
“雅のミッション・インポシブル”(11月上旬掲載)
(1)この春にエレガントの親会社になった姫路のプリンセスグループは兵庫県内に丹後縮緬に準じる高品質とされる但馬縮緬の工場を所有しており、そこから大量の特上縮緬が供給された。
但馬縮緬の製織所で多数の織機が動いている様子の写真が掲載される。記事では他に最高級の丹後縮緬に関しても新たな製織所2箇所と契約したことに触れている。
(2)世界的なシルク生産国ブラジルから大量の上質縮緬をチャーター機を飛ばして緊急輸入した。
関空に駐まったチャーター機の写真、チャーター機の座席に多数の反物の箱が積まれた写真と現地の工場の写真(リオ・タンゴ・シルク提供)記事では他に中国からも輸入したことに触れている。
(3)他の呉服店が縫い子の派遣などで協力してくれた。
工房で様々な会社の制服を着た縫い子さんが働いている様子の写真。記事では既製服振袖買い付けにも協力してもらえたことに触れている。同誌は縫い子を派遣した呉服店のひとつ、田代呉服の社長のインタビューも取っていた。「困った時はお互い様ですよ。とにかく新成人さんにちゃんと振袖を届けるんだというのをテーマに普段の競争とか損得勘定抜きで協力させていただきました」
(4)インクジェットプリンターを2台も増設した。
インクジェットプリンターが3台並んでいる写真(姫路ネオラボを作る前に東山に搬入した時の記念写真)
記事では3台のプリンタのお陰で2000枚の反物を1ヶ月余で染めることができたことを紹介している。
(5)8割ほどをミシンで縫える“振袖21”を導入した。
振袖21の写真。記事では振袖は通常全て手縫いだが、振袖21は著た時に下に隠れる部分にはミシンを使っていることが説明される。ミシンを使ったのはセパレート仕立てでも強度を出すためである。その代わり“お仕立て直し”ができない(ミシンの縫い目の跡が残る)。
(6)プリンセスから20億円ほどの資金が注入されている。お陰で工房を3つも増設したり大量増員したり高額なチャーター機の代金を払えた。
桜製菓・姫路駅前店の写真(プリンセスグループのコア企業と説明)
同誌はプリンセスの片倉社長にもインタビューしていたが「だってせっかくご注文頂いたからには、ちゃんと作るのが商人(あきんど)としての意地じゃないですか」というコメントを掲載していた。このあたりは、千里・交野片倉・田上などに共通する哲学である。
しかし実際には片倉も田上も「やはり村山は絶対に敵には回せない人だ」と思っていた。資金力よりその決断力とか発想・人脈が凄い。中国や韓国からの縮緬輸入は誰でも思いつくが、ブラジルというのまでは考えない。しかも現地の生産力のある会社とコネがあったのが凄い。反物代金の倍以上の飛行機チャーター代を払って緊急輸入した決断力も凄い。
片倉が頼まれて紹介した中国の会社は反物を250しか用意できず、増産には3ヶ月待ってくれと言われた、それでは間に合わなかった。今回のミッションはブラジル産が使えたからこそ達成できた。ブラジルは"BRICS"の一角だが政治的には最も安定している。
(BRICS=Brazil, Russia, Indo, China, South africa)
リオ社は以前フランスの服飾メーカーにシルク生地を売っていたので大きな生産力を持っていたが、中国企業との価格競争に敗れて契約を切られていた。それを紫微は知っていたので紹介した。
片倉が見る、今回のミッション成功の三大要因
・反物を7月頭までに3000反確保できた(内2000がブラジル産)。
・プリンタ3台でひたすら染めた。
・雅のスタッフの倍以上に及ぶ派遣縫い子さんの力
また何年も前から但馬縮緬の製作所を所有していたことに見るような“予定調和”が村山には多いのである。それは単に運が良かったでは片付けられない何かがある。
ブラジルからのチャーター機は6/29に日本に到着しており2000反の“振袖用反物”が積まれていた。振袖用反物は通常の反物の1.5倍の長さである。つまり注文されてから織ったものである。2000反を織るには多分1ヶ月は掛かる。すると村山は5月下旬には反物を発注していたとしか思えない。片倉が中国の縮緬会社の紹介を頼まれたのも5月中旬である。
とんでもない数の予約が入ったことが問題になる前である。村山の行動というのはしばしば時系列を無視している。村山の友人がよく言う。「彼女が傘を持って行けと言ったら必ず雨が降る」村山には必要になるものが予め分かっているのだ。(ただしなぜ必要になるのかは本人にも分かってないことが多い。お客様が来て『あ、お菓子が無い』と思うと村山がケーキを買ってきたりするらしい。本人は何故ケーキを買ったか分かってない)プリンス株の話もふざけてる。中古住宅を買ったらそこの障子に障子紙代わりにプリンスの株券が貼られていただと!?
11月3日、姫路の立花K神社で例祭が行われた。今年も千里は来年のえと(虎)の人形を売る店を出した。張り子の虎とぬいぐるみがよく売れていた。便乗して阪神タイガースのグッズを売る店も出ていた(立花長町在住のタイガース・ファンの人の企画)。
そのほか、大学生のたこ焼き屋さん・クレープ屋さん、また市内の作業所(*1)の人が出した焼きそば屋さんも繁盛していた。
(*1) 作業所とは、知的障碍を持つ人(“利用者”という)に軽微な作業をさせる事業体のこと。草むしり・箱詰めなどの本当に簡単な作業で月数千円の報酬を払うB型作業所(これが大半)と一般企業に近く報酬も数万円になるA型作業所がある。A型作業所の利用者さんはかなり普通の人に近い。普通の会社ででも仕事ができるのではと思うくらいの人たちである。イベントの出店などは作業所に来ている利用者さんではなく、作業所を運営しているスタッフ(職員)が、利用者さんの給与の原資を増やすために、おこなうことが多い。
11月13日、雅では“友禅風”振袖の最後の注文品を完成させ、注文者に通知した、雅ではこの後も成人式直前まで人気柄での振袖21の製作を継続するが、今回の“振袖ミッション”は完了した。またこれに伴い停止していた留袖・訪問着のオーダー受付を再開する。むろん振袖のオーダーも受ける!
小川社長はミッションが完了したことを友禅の組合にも報告し、また消費者向けのメッセージをyoutubeに公開した。
また地元のテレビもわざわざ特集番組を作って報道した。5月8日(金)に流れた振袖CMから、最後の完成通知がメール送信された瞬間の映像まで流していた。また出石町の縮緬工場で織機が多数動いている様子、姫路ネオラボでプリンタが動いている様子(7月撮影)、多数の縫い子さんが作業している様子(10月撮影)などがビデオで紹介された。
「この振袖着て日本刀振るCMが話題になったんですよね」
「この人がプリンセスグループの会長さんなんですよ」
「若いですね」
「若いから大胆な決断でミッションを成功に導いたんですよね」
「なるほどー」
「ちなみに剣道五段・囲碁四段・書道三段だそうです。巫女も本職だそうです」
「なんか凄い人ですね」
この報道のおかげで翌年の展示会でも千里は多数握手を求められることになる。
11月7-8日、千里(せんり)の貴司のマンションを訪ねてきた千里(ちさと:ブレンダ+ゆき)に貴司はアクアマリン(千里の誕生石)のプラチナリングを渡し、あらためてプロポーズした。
しかし貴司がずっと緋那との二股も続けていることから、彼女と切れるまでは婚約指輪は受け取れないと千里は言った。貴司が「だったらファッションリングとして受け取って欲しい」と言うので、千里(ブレンダ+ゆき)は、だったら貴司が結婚するまで預かると言っていったん受け取った。
その後この指輪を千里は、貴司が他の女性と結婚していた時期も、ずっと持っていて、ふたりが最終的に2021年に結婚するまで千里(2番)の心の支えとなる。
※千里と貴司の間の指輪
(1) 携帯リング
2007.1に千里と貴司が内輪の結婚式をあげた時に保志絵及び妹たちからもらった指輪状のアクセサリー。千里と貴司がお互いの携帯のストラップに取り付けている。ふたりは各々別の人と結婚していても、この携帯のリングは一度も外さなかった。
最初は真鍮製だったが、後に酸化ステンレスのものに置換した。また千里が持っているほうは2017年に2度、事故(落雷事件と東京駅事件)により焼損したので、あらためて貴司が製作させ贈っている。
(2) このアクアマリンのプラチナリング
千里が「他にも恋人がいる人からエンゲージリングは受け取れない」と言ったので貴司は「だったらファッションリングとして受け取ってくれ」と言い、千里は受け取った。ただのファッションリングであることをいいことに千里はこれをずっと持っていた。千里2の宝物である。"Takashi to Chisato Love Forever"の刻印がある。
(3) ティファニーの指輪
2012年にティファニーで作ったダイヤのエンゲージリングとマリッジリング。バスケットボールの絵と《a takashi ad chisato, semper amemus》という文字の刻印がある。(always let's love という意味)
貴司が阿倍子と婚約した時、千里は保志絵に返却したが、保志絵は2016年11月にあらためて千里に渡した。その時貴司は既に阿倍子と離婚秒読み段階だった。
この貴司用のマリッジリングは、貴司と阿倍子の結婚式の時勾陳たちが阿倍子とのマリッジリング(チタン製)とすりかえてしまい、貴司は結婚式でこの指輪をはめた。「だったら兄貴は千里さんと結婚したことになる」と理歌の説。チタンの指輪の行方は不明。
(4) 淑子から渡された指輪
2013年1月、貴司の祖母・淑子から“嫁の印”としてもらった指輪。
淑子が「これは自分の年金で買った」と言ったので千里は受け取りを拒むわけには行かなかった。
(5) プラスチーナの指輪
プラチナに見えるプラスチック、プラスチーナ製の指輪。
プラスチーナは貴司が勤めていたMM化学が開発した製品で、これを作る工場が閉鎖されたのを東の千里が雨宮に頼まれて工場および従業員ごと買い取ったのが朱雀化学のはじまりである。雨宮の恋人がこの工場に勤めていたため彼女を「失業させたくないから」と言い、雨宮は工場を千里に買わせた。
2007.01 内輪の結婚式
2009.12 アクアマリンの指輪
2012.01.06 ティファニーにダイヤの婚約指輪を作りに行く
2012.07.08 貴司が阿倍子と婚約。千里は保志絵にダイヤの指輪を返却。
2012.09 千里が桃香と結婚。でも半月で離婚。
2013.08.09 貴司と阿倍子の結婚式。
2014.07 桃香に結婚指輪を返還する。
2014.10.05 体外受精(ゆきの卵子)
2015.06.28 京平誕生。
2015秋 貴司と阿倍子が離婚協議開始(実家の権利問題を貴司からの慰謝料で解決する方向)。
2015.12 京平が貴司と千里の子供であるというDNA鑑定書を作成してもらう。
2016.11.13 保志絵が千里に指輪を再度渡す。千里は貴司の従兄の結婚式に出る。
2016.12 22 貴司と千里、一緒に新しい車(プラド)を買う。
2017.04.16 落雷事件。東の千里が3つ(0を入れると4つ)に分裂。
2017.07.04 東京駅事件。千里0と小春が死亡。1番(ブレンダ)も深刻なダメージ。
2018.01.21 貴司が阿倍子と離婚。
2018.02.03 貴司と美映の婚姻届提出
2018.03.17 千里(1番)と信次の結婚式。
2018.07.04 信次死亡
2018.08.23 緩菜誕生(法的には貴司と美映の子。本当は千里と信次の子)。
2019.01.04 由美誕生(桃香の卵子と信次の精子で代理母さんに産んでもらう)。
2020.11.04(水) 貴司が美映と離婚(美映が千里に貴司を金銭トレード)。
2020.11 千里、復氏届を出して村山千里に戻る。信次の指輪を康子に返却。
2021.03.28 結婚式(越谷市)
11月15日、全日本女子学生剣道優勝大会が、愛知県春日井市総合体育館で行われた。関西2位の京教チームはベスト8まで行ったところで関東のチームに敗れた。
11月16日(月)、和弥とまゆりは再度人工授精をおこなった。まゆりの子宮に和弥のY精子を投入した。順調にいけば来年の8月に男の子が生まれるはずである。
この時期に人工授精をしたのは夏祭りで忙しい7月の出産を避けるためである。
11月中旬、千里は9月下旬に麓におろし機械乾燥させていた宮崎の榧(かや)を棋花製作所に持ち込んだ。製作所の社長さんは木を見ただけで
「これは日向榧(ひゅうが・かや)やないか」
と言った。これで碁盤の製作をお願いする。