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■女子大生・冬景色(17)

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2010年は2月3日が節分で4日が立春であった。1985年から2020年まではこのパターンが続く(1984年は5日立春、2021年は3日立春)。
 
各地の神社では今年も豆まきをおこなった。
 
留萌P神社では常弥、善美、花絵、高校生巫女たち、漁協の三泊支部長さん、留萌新鮮産業の専務、桜観光の社長(柳里君)、留萌自然電力会社の社長(木崎さん)、C町とA町の町内会長、市会議員さんなどが豆を撒いた。今年は柳里君が音頭取りをした。玲羅や貞美たちも豆を撒くほうに参加した。
 
姫路の立花K神社では今年も警察の指導で、豆まきは北町社のみでおこなった。
 
豆を蒔いたのは、和也、まゆり、越智さん、千里(夜梨子)たち常勤巫女、東北屋・プリンセス・ローソンの店長、立花楽器の店長、立花各町の町内会長、市会議員さんなどである。音頭取りは和弥がした。夜梨子は今年も境内に設置した台の上から撒いた。
 
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引換券の交換は今年も冷水の女性従業員さんたちが事務員を示す松葉色の袴を着けてやってくれた。
 

京都南邸では、節分の恵方巻きを食べた後、今年もきーちゃんが小郷に手伝わせて段飾りの雛人形を飾った。
 

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雅福岡店では火曜日が定休日で従業員も全員休みである。その他に各スタッフは1日休むことができる。その休む日は次のようになっていた。
 
月休:副店長・篠崎・春日・戸倉
水休:店長・広中・森田・坂口
 
さて2月7日(日)は篠崎君と(戸倉)悦美の結婚式である。当然その2人は休む。それで、店長・副店長・篠崎で話し合い、こういうことにした。
 
(1) 篠崎と戸倉は結婚式前日の2/6(土) から2/16(火:店休日)まで休みとする。
 
(2) 2/7 は、翌日月曜日と振り替える。副店長と春日もお休み。このふたりは従業員代表として結婚式にも出席する。
 
2.06(Sat) 有休
2.07(Sun) 2/08と振り替えて公休
2.08(Mon) 特別休暇
2.09(Tue) 店休日
2.10(Wed) 特別休暇
2.11(Thu) 特別休暇
2.12(Fri) 2/11(1祝)と振り替えて店休日
2.13(Sat) 特別休暇
2.14(Sun) 特別休暇
2.15(Mon) 公休
2.16(Tue) 店休日
 
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(3) 当日は18時で閉店し、みんなで披露宴に出席する。
 
社員の結婚式に合わせてお店を早めに閉めるとか大きな会社ではありえないが、多忙期ではないこともあり、店長が社長に掛け合って認めてもらった。
 
なお篠崎君たちは急に結婚を決めたので福岡市内のホテルなどの式場は取れなかった。それでこのようになった。
 
結婚式:7日午前中、福津市の宮地嶽神社
披露宴:19時から福岡西区のレストラン・イリヤ(貸し切り)
 
結婚式と披露宴の間が大きく時間が空くがやむを得ない。
 
福岡市内の大きな神社もみな予約満杯だったが、福津市の宮地嶽神社が空いていた。ここは大きな結婚式場を持っている。
 
篠崎君と悦美ちゃんの親戚は京都などから新幹線で博多駅にやってくる。
 
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博多駅・お店から神社・披露宴会場へはバスを運行する。結婚式にも出る親族は披露宴までは、春日君が案内して、東公園、櫛田神社、福岡タワーなどの観光名所を見せる。
 
式当日、お店は客の多い日曜日を半分の人数のスタッフで運用することになるが、4月から福岡店に配属予定の京都からの派遣スタッフにこの日は顔見せを兼ねてヘルプに入ってもらうことになった。
 

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さて当日、京都からヘルプに来てくれたのは白木エニさんという人であった。
 
「現在京都の京極店で販売員をしています。6月からどこかのお店の店長をしてくれと言われているのですが、その前に4−5月の2ヶ月間、福岡店のヘルプに入ってくれと言われておりますが、今日は顔見せを兼ねて臨時のヘルプに参りました。着付けはひととおりできます」
「助かる」
 
今日は高島さんがお休みなので、朝日ひとりでしなければならないところだった。
 
「エニって変わった名前ですね」
「はい。たいてい“エミ”と思われちゃいます。宛名がエミになっている郵便物は普通です」
「何かいわれがあるんですか?」
「ゲーム会社のエニックスから取ったのではと疑っているのですが」
「今一瞬そうなのかと思いそうになった」
「父によると竹久夢二からとったらしいです。絵画の絵+夢二の二らしい」
「へー」
「難しい」
「絶対嘘っぽいですよねー」
 
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「彼女は社長の姪御さんね」
と店長が言う。
「そういうのばらさないでくださいよー。ただの下っ端ですから」
「御免御免」
 
なるほど。身内だからこういう遊軍的な仕事に起用したわけかと納得が行く。
 
四条店長の典恵さん(常務の妹)のお嬢さんらしい。6月から京都府内のどこかの店長に発令予定だという。そこが6月に新設されるお店らしく、それでその前の4−5月に福岡に行ってきてということになったらしい。今日一日は京極店からの出張扱いである。
 

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2月7日、結婚式当日は日曜日なのでけっこうお店はお客さんが多い。しかしエニさんがそつないのでお店はうまく回っていた。忙しいので朝日はこの日はピアノとか弾かずにお客さんの対応をしていたのだが、店長が
「白木さんもいるし大丈夫だよ。弾いてよ。客寄せ客寄せ」
と言うのでピアノのところに行く。最近のジャニーズ系やモー娘。・宇多田ヒカルの曲とか映画音楽などを弾いていたらけっこうお客さんが足を停めてくれた。すかさずエニさんがお客様に声を掛けて試着を勧める。それで振袖・色留袖・訪問着などが10着くらい売れた。上々の売上であった。
 

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18時でお店を閉める。朝日は勤務中に着ている営業用の豪華振袖から私服の振袖に着替える。これはしばしばデートに使っている展示品処分の振袖では無く、別途30万円で買った、富士山模様の振袖である。
 
そしてみんなと一緒に出る。高島さん(式の後でいったんお店に出て来た)も私服の色留袖に着替えていた。
 
送迎バスで披露宴会場に行く。悦美ちゃん本人に御祝儀袋を渡した。御祝儀は“広中和彦・朝日”と連名にした。店長と副店長も連名で出したようである。
 

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披露宴では朝日がお店に置いてあるエレクトーンを弾き、みんなの余興の歌の伴奏もしてあげた。司会は福岡の結婚式場紹介所から紹介してもらった司会者さんにお願いした。
 
披露宴はお色直しは無しで新郎新婦はずっとメイン・テーブルに就いており、みんなからのお祝いのことばを受けていた。変な凝った演出(ゴンドラとかドライアイスとか)も無い、密度が濃くて良い披露宴だった。悦美は花束を直接高島さんに渡した。高島さんたちは来月3月8日(月)に結婚する予定である。
 

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披露宴まで終わったあと2人は福岡市内のホテルに一泊してから沖縄旅行に行った。実は海外旅行をするには準備期間が足りなかったのである。
 
なお篠崎君と悦美ちゃんは、しばらく悦美ちゃんのマンションで暮らす。
 
これは新たなマンションとかに引っ越しても、どうせ4月からは小倉に行くので何度も引越するのは大変すぎるからである。
 
篠崎君は着替えのボストンバッグとパソコンを入れたバッグだけで悦美の家に来て暮らし始めたようである。
 
篠崎君のマンションの荷物については、必要と思われるものは段ボールに詰めて小倉に送るが、送るまでもないものは、大半を同じマンション内の春日君の部屋に移動してしまうことになった。これは篠崎・広中・春日の3人の部屋が同じフロアにあり移動が楽だからである。しかし広中は朝日のところに移動して退去する可能性があるので春日君の部屋が選ばれた。
 
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結婚に伴い、悦美は篠崎悦美になるが、店内に篠崎が2人いると紛らわしいので悦美は旧姓使用することにした。これまで通り“戸倉さん”と呼ばれる。名札も“戸倉悦美”のままである。結婚指輪は着けてていいことにした。篠崎君もお揃いの結婚指輪を着けている。
 

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今日(こんにち)、丹後縮緬や但馬縮緬を織っている機械は、19世紀初頭にフランスのジョゼフ・マリー・ジャカール (Joseph Marie Jacquard 1752-1834) が発明したもので、日本では Jacquard を英語読みしてジャカード織機と呼ばれている。
 
およそ布というものは、タテ糸とヨコ糸を交差、組み合わせて作られるものである。織機は一般にタテ糸を張っているところにヨコ糸を付けたシャトル(飛び杼:とびひ)を往復させて組織を作っていく。この時、タテ糸を個別に上げ下げすることで、ヨコ糸は個別のタテ糸の下または上を通過し、様々な織りのパターンができる。基本的な織り方として、縮緬やキャラコのような平織り、サテンや緞子(どんす)のような朱子織り、デニムやツイードのような綾織りがある(この3つの織り方を織り方の基本として三原組織という)。これらの織り方は個別のタテ糸を上下させるパターンで作り出される。1本おきに上と下にして、それをヨコ糸1本通すごとに反転させれば平織りになる。この程度は綜絖(そうこう)という簡易な装置を織り手が足で踏むことで実現できる。しかし複雑な織り方では単純にはできない。
 
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このため、複雑な織り方では織り手の他に助手が付いていて人手で個別のタテ糸の上下作業をしていた。18世紀のヨーロッパではドローボーイと呼ばれる少年労働者がこの作業を担当していた。
 
少年達は結構過重な労働を強いられていたし、また人手での操作はミスも多かった。そこでジャカールはパンチカードを使うことでこのタテ糸の個別の上げ下げを自動化したのである。ナポレオン(*31)が開発のための資金提供をした。
 
(*31) 当時のフランスは繊維先進国のイギリスに何とか追い付きたかったので新技術の開発を支援した。ちなみに資金源はゴート札ではないと思う!?
 
(Googleでナポレオンの資金源と検索したらGoogle AI 君は「ゴート札」と表示したのでびっくりした。あのアニメの影響は凄い)
 
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パンチカードというものは元々織機の制御のために発明されたもので、これを後にIBMの祖となるハーマン・ホレリス(Herman Hollerith 1860-1929) がデータ処理に利用することを思いつき、コンピュータの原型のひとつとされるPCSというシステムが生まれている。PCSは人手では10年掛けても終わらなかったアメリカの国勢調査の集計をあっという間に処理してしまった。
 
明治時代の日本ではジャカード織機の導入により絹織物の生産効率は大きく上昇し、絹織物は明治・日本の重要な輸出品となった。
 
ジャカード織機の制御をするためのパンチカードは昔は人手で製作されていたが、近年コンピュータ技術が発達すると、織りのパターンからコンピュータによって自動的にカードに穿孔するということが行われるようになった。
 
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日本ではこの技術を応用して、織りのパターンを記録したデータを織機そのものに読ませて、パンチカードを作るのではなく直接タテ糸の上げ下げを制御する方法が考案され、これを“ダイレクト・ジャカード”方式という。これは日本だけで発達した独自のもので織機に織りのパターンを記録したデータを入れたフロッピーディスク装置が接続されている。
 
ここで使われているフロッピーディスクは、1980年代の大型コンピューターや一部メーカーのオフコンで使用されていた通称“IBMフォーマット”で、現在ではこの形式のフロッピーを読めるパソコン等は存在しない。
 
一方海外では織機の糸の上げ下げをコンピューターにより直接制御する“電子ジャカード”方式が発達した。
 
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日本では2000年代以降、フロッピーディスクの耐久性が問題になり、また、フロッピーディスクそのものが入手困難になつてきたことからダイレクト・ジャカードの織機の更新が問題になっている。織物組合などでは、海外で普及している電子ジャカード方式の導入を推奨しているが、織機の入れ換えには資金が必要であり、零細業者には辛い。そのため、ダイレクト・ジャカード方式の織機のフロッピー装置をCFカードなどに置換する改造がおこなわれている。
 
それにしてもデータの移行はかなり難しいと思われる。多分単純移行はできず、再度作るしかない。しかも丹後縮緬は織りのパターンが製作所ごとに異なる!
 
各々の製作所が他との差別化を図るために各々独自に工夫してきた結果だが、結果的に全く互換性が無い状態になってしまった。しかも各製作所は職人が数人しかおらず生産力が無い。一般に利用する側からは統一規格で大量生産することを求められるのだが、多品種少量生産しか出来ないのが丹後縮緬である。団体さんのお弁当を100人の板前さんが作るようなもので、弁当を食べる人が隣の人と見比べると入っている料理が異なるという状況にある。
 
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なお近年ではヨコ糸をシャトルではなく空気や水のジェットで飛ばすジェット織機が開発されており、物凄い速度で布を織ることができる。普段着用の布はだいたいジェット織機で織られている。しかしジェット織機で作られた布は風合いがシャトル織機のものに劣るので高級織物は時間は掛かるもののシャトル方式の織機で織られている。
 

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