広告:素数-8008710-エアーブラパッド
[携帯Top] [文字サイズ]

■女子大生・冬景色(3)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

そんな中、以前から雅に四条店の土地を売って欲しいと言っていたブラウンホテルの社長・岡田さんが12月頭、雅の本社に小川社長を訪ねてきた。
 
「申し訳ありませんが、うちは売りませんからね」
と小川は言ったのだが、岡田氏は思わぬことを言った。
 
「いや逆にうちの土地を買ってくれませんか?」
「は?」
 
話を聞くとこういうことである。烏丸(からすま)にあった外資系のホテル“メイプル・インターシティ”が京都駅の近くに移転することになり、その後に居抜きで入居することになった。ただし一等地の烏丸だから売値も高く、30億と言われている。それでもし現在のブラウンホテルの土地を買ってもらえたら、烏丸の土地・ビル買収の原資の一部にできる。
 
↓ ↑ Bottom Top

・現ブラウンホテルの土地引き渡しを2月くらいとして、代金を年内くらいにもらえないか
 
・その代わり代金は12億でいい。(相場なら15億円ほど)
 

↓ ↑ Bottom Top

小川社長は千里に電話した。
「いいですよ。取り敢えずそちらに行きましょう」
と言うと千里は5分で雅の本社に現れた。小川はこういう千里の行動を何度も見ているが岡田氏は驚いた。
 
「近くにお住まいですか」
「ええ。南区です」
 
むこうはたまたこの近くに来ていたのだろうと思ったようである。
 
「口座番号教えてください」
「はい」
 
それで岡田氏が口座番号を印刷されたもので渡すと千里はそこに12億円振り込んだ。岡田氏が残高を確認させて仰天する。まさか即現金でもらえるとは思っていなかった。普通なら速い場合でも株を処分して3日後とかである。(株の売却代金は3日後に入る)(向こうの経理担当者が2度も桁を読み違えた)
 
↓ ↑ Bottom Top

すぐに司法書士を呼び、売買に関する書類を作った。なおブラウンホテルの土地の引き渡しを2月1日(月)とするのは書類にはせず、口約束とすることにした。登記はすぐに移転するが、1月まではブラウンホテルが実質占有する(ホテルの備品等の引越作業を1月におこなう)。
 
(その後、引き渡しは1月31日に変更された。2月1日は三隣亡である。1月31日は“定ん”の吉日)
 

↓ ↑ Bottom Top

メイプル・インターシティの土地建物の買収は年内に行われた。ブラウンホテルは雅から12億もらったおかげで無借金で買収ができた。
 
雅の土地買収資金に関しては経理上は雅が社債を発行し、千里が引き受けた形で処理された。その後のビル建設費も同様。
 
雅の振袖売上代金の中で10回払い・20回払いの分は徐々に入ってくる。クレカで売った分は翌月入金されているが、それも高額の給与・派遣料などでかなり消えており、税金の支払い資金も確保しておく必要があるため雅自身にはあまり自由になる現金が無かった。それで千里に相談した。千里は近々大きな取引がある気がして普通預金に30億入れておいた。
 

↓ ↑ Bottom Top

12月11-13日、桃香を含めた複雑な遭遇が続けて発生した結果、次のようなことが起きた。
 
・千里(ブレンダ+ゆき+ブルーム)は貴司の浮気に怒って指輪を返した。
 
・緋那が撤退を宣言し、貴司のマンションの鍵を千里に返す。
 
・緋那が撤退したことから千里は貴司と和解し、改めてアクアマリンの指輪を受け取った。
 
この後、貴司と千里は伏見に行き、京平と会った。京平は毎週黄色の千里と会っているが、青の千里にとっては、京平と会ったのは、2007年4月以来2年半ぶりである。
 
12月10日(木)に京都北邸に来た京平に夜梨子は「この週末に青のお母ちゃんが伏見に来るよ」と予告しておいたので、京平は貴司と一緒に伏見に来た千里が青い腕時計をしているのを見て「なるほどー」と思った。これは貴司が高校時代に千里に贈ったスントのスポーツウォッチである。
 
↓ ↑ Bottom Top


12月中旬、雅では幹部および従業員代表の河内さん、そして筆頭株主の千里が集まり、来年に向けての体制の再構築について話しあった。
 

↓ ↑ Bottom Top

(1) 今回何とかなったのは奇跡である。
 
これは会議参加者全員の共通認識であった。様々な偶然、また多数の同業者の協力があってなしえたものであり、二度とはできないだろう。
 
(2) 自社生産能力の評価
 
今回は多数の同業者や短期雇用者のお陰で何とかなった。最終的に製作した振袖は振袖21を除いて1800着に及ぶが、短期雇用者を除く雅の基礎力で作ったのは恐らく1000着程度と推定された。この数字は最も冷静に見ていたと思われる沢村専務(番頭)の推測である。
 
システム部長から数値的な報告がある。振袖製作が始まった7/1から完了した11/13までの製造部門の社員の総労働時間の中で正社員の労働時間は55%であった。ここから正社員だけによる生産力は1800×0.55=990 と推算できる。これが専務の推測に近い。また正社員の定時就業時間内の労働時間は35%であった。ここから推算される雅の基礎力は1800×0.35=630 ということになる。
 
↓ ↑ Bottom Top


思ったより小さいとして出席者から驚きの声があがった。来年はあんなには残業させないことを従業員側と約束している。
 
「今年はみんな夜9時くらいまで残業してたし土日も出勤してましたからね」
「あの状態が続いたら労働争議が起きかねんよ」
「それ以前に過労死も出かねん」
「給料増えて喜んでた人も多いけど、家族と時間が過ごせないって不満も大きかったです」
「特に縫い子さんはほとんど女性だからな。お母さん帰ってこないと子供は寂しいよね」
「体力的に辛いから辞めたいと言っている人が数十人居て、来年は原則として残業させないから残ってほしいと説得しているところです」
と祥代から報告がある。特に東山の縫い子さんには既婚女性が多い。
 
↓ ↑ Bottom Top

「今年時間外労働してもらった分をノー残業で仕上げるためには100人規模の増員が必要になるという計算になるね」
「やはり他の呉服店からの派遣受け入れと短期雇用者の募集は必須だね」
 
今年縫い子の派遣をしてくれた呉服店には来年も派遣をしたいと言っているところがあるし、今年短期雇用で縫い子をしてくれた人で来年も来たいと言っていた人もある。
 

↓ ↑ Bottom Top

来年は仮予約を700程度でオーダーストップすべき。(本注文は仮予約なしでも各製品ランクごとのキャパまであらためて受けてよい)
 
今年はあんなに予約が来ることを想定しておらず仮予約のオーダーストップの仕組みが無かったことが根本的な問題だった。
 
各々の製品ランクごとの生産可能数については、あらためて生産能力評価委員会(仮称)で検討する。各ランクごとの本注文もその8割程度の数値でオーダーストップすべき。
 
またインクジェットの最終締め切りはやはり8月15日がいいと思う。今年8月31日でも間に合ったのは多数の派遣縫い子さんのお陰であり、雅単独では無理だった。
 

↓ ↑ Bottom Top

(3) 商品ラインナップの見直し
 
ここで千里から改良されたブラジル産・里王縮緬のサンプルが配られる。
「凄くよくなっている」
という意見で一致した。
「丹後縮緬でもこれより落ちる所もある」
という意見もあった。
 
里王社が大きな生産能力を持つことから来年は中国産は使用せず生地は次の3ランクにすることにした。
 
A.丹後縮緬および但馬縮緬
B.里王縮緬
C.シルック
 

↓ ↑ Bottom Top

そして振袖のランクもこうする。
 
A.(京友禅)丹後・但馬縮緬/手描き友禅/東山・山崎 80-120万円
B.(準友禅)里王縮緬/手描き友禅/東山・山崎 50-80万円
C.(友禅風)里王縮緬/プリンタ/姫路 20-50万円
D.(振袖21特)里王縮緬/プリンタ・セパレート/姫路 16万円
E.(振袖21)シルック/プリンタ・セパレート/姫路 8万円
 
但し友禅風でもイレギュラーサイズの人は但馬縮緬の特製反物で対応する。
 
紙田さんから“まるで手描き友禅みたいに見える”プリンタ染め『電子友禅』の試作品が配られた(生地は但馬縮緬)。
 
「これ型押し友禅じゃ無いの?」
と多くの出席者が言った。手描きでないことを認識したのは、常務と祥代・河内さんのみで、社長や専務にも分からなかった。
 
↓ ↑ Bottom Top

手描きとの微妙な違いを見分けた河内さんも
「上手な彩色職人が型押し友禅で作ったものに似ている」
と言った。
「手描き作品の山に埋もれたらもう取り出せない」
と祥代。
「経験3年未満の職人さんの作品よりできがいい」
と常務。
 
非常によくできていた。紙田によるとプリンタを少し特殊な使い方をし、また印刷時間も数倍掛かるらしい。(実は特殊な設定にした補助プリンタが必要:紙田の“おねだり”で千里がもう一台プリンタを買ってあげた)
 
しかし“電子友禅”という商品ランクを作ることには多くの出席者が消極的で、一応“友禅風”に含めるが、価格帯を高めの設定にすることにした。
 

↓ ↑ Bottom Top

「そもそも一般の人には手描き友禅とプリンタ染の違いが分からない」
と千絵。
「なんか手描き友禅の存在意義を揺るがす発言だ」
と雅夫。
「工場で機械生産されたそうめんと手延べそうめんが普通の人には区別できないようなものか」
「最近は手作りおにぎりを食べられない子供がかなりいるらしいね」
「その内工業規格とかでお店で販売する和服は機械染めでなければならないと決められたりして」
「怖い話だ」
「名人さんの作品だけが手描き友禅として残る可能性はあるだろうね」
と典恵。
「今年うちもシルック使ったけどイオンとかがナイロン製ミシン縫いの振袖とかを2〜3万で出す可能性はあると思う」
「和服は手縫いだからお仕立て直しが可能なんてのも、そもそも今時、昔みたいに娘時代に著た振袖を結婚してから留袖に仕立て直しする人とか居ないし」
「三歳の七五三の和服を七歳の七五三用に仕立て直しする人も居ない」
「仕立て直しが無いならミシンで縫ってもいいじゃんということになりかねない」
 
↓ ↑ Bottom Top

「昭和40年代まではみんな和裁ができて家庭で服を縫ってたけどそもそも服は買う時代になったから」
「昔は誰でも料理ができるように和裁ができたけどね」
「昔は裁縫は料理と並ぶ女子の基本素養だった」
 

↓ ↑ Bottom Top

(4) 生産体制の再編成
 
伏見工房は閉鎖して単に家族寮とする。技術者は東山に吸収する(一部は山崎)。雅夫さんは東山の工房長に復帰する。
 
山科寮と山崎寮はどちらか片方で良い。どちらを閉鎖するかは再度検討。
 
東山の工房長代理の祥代(長女)について大阪店を見てくれないかという意見もあったが、これについては再度検討する。社長も雅夫さんも接客のうまい千絵(次女)を京都に復帰させたいようである。また名古屋・神戸・姫路・松阪・松山・熊本・金沢などにも出店の話があることが報告された。
 
(千絵は元本店店長で現大阪店長。大阪出店は流通コストがかかるしパートさんを全部引き継ぐなどコストが高く、また大阪店の評価はネットに反映されやすく、失敗が許されないので、エース投入だった。千絵は実は今でも名前の上では本店店長(大阪店長との兼務)。本店は今副店長が見ている)
 
↓ ↑ Bottom Top

「金沢とか加賀友禅の本場への殴り込みだな」
「いやうちに加賀友禅を売ってくれている金沢の友禅工房から共同店舗を出さないかと言われてる」
「共同ならいいんじゃない?」
「振袖21も欲しいみたいだけどね」
「なるほどー」
「そもそも振袖21は京友禅より加賀友禅に近い」
「特に写実主義とかそうだね」
「刺繍が入るのは京都流だけどね」
「金閣寺とか奥山とか凄い売れてるしなあ」
「金閣寺はあれ50着越えますよ」
 

↓ ↑ Bottom Top

金閣寺は金閣寺が大きな刺繍で入っている。奥山とは「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」を絵にしたもので金色の鹿の刺繍入りである。色とりどりの紅葉も華やかである。金閣寺は既に38, 奥山も27出ている。プリンタ染め・機械刺繍だからこそ同じものを多数生産できる商品である。
 
本来振袖21は8万円だが、このふたつは10万円する。手間が掛かるのでこれより安くするとコスト割れする。“振袖21星”と称している。しかし20回払いだと月5000円で手に入る。美事な柄なので普通の帯(丸帯)を締めると安物とは分からない:振袖21とセット売りしているのは和服をふだん着ない人でも簡単に着けられるマジックテープ帯。
 
ただし振袖21星は刺繍があるので洗濯機に掛けられない。(刺繍の無い振袖21はネットに入れれば洗濯機もOK)刺繍を入れない染めのみの金閣寺B・奥山Bもある。でも多くの人は刺繍入りを買う。このことから洗濯できるできないは商品としてあまり重要でないことが推察できる。そこで来年は振袖21星というランクは作らず振袖21特に吸収することと、振袖21(無印)は全て刺繍無しにすることにした、
 
↓ ↑ Bottom Top


支店などの出店の他、東京の梅里(ばいり)情報サービスという所から技術監修の要請が来ていることも報告される。
 
「何かコンピューター屋さんみたいな名前ですね」
「コンピューター屋さんなんだよ」
「え〜!?」
「なんでまた」
「ここは客にお絵かきソフトで自由に絵を描かせて、それをTシャツとか和服にプリンターで染めるというサービスをしている。普通の着物や浴衣はポリエステル生地だけど、訪問着や振袖は越後縮緬。事務所は東京だけど新潟に工場を持っている」
 
「梅里(ばいり)というのはそういう意味か」
 
梅里(ばいり)は徳川光圀(水戸黄門)の号である。またテレビ番組の『水戸黄門』では光圀は“越後の縮緬問屋の隠居”を名乗っていた。
 
↓ ↑ Bottom Top

「それ縫製はどうしてるんです?」
「実は仕立て上がっている服に印刷する」
「なるほどー」
「だからお絵描きしてから30分後に渡せる。但し訪問着や振袖は反物に印刷するからお渡しは1ヶ月後」
 
(千里が中学の時岩見沢のグリーンランドで作った着物がこの会社のキャンペーンだったのだが、あれをしたのは青で、赤のロビンは知らない)
 
「まあ技術供与は構わないのでは」
「仕立て上がっている服に印刷する技術は逆にこちらが欲しい」
「振袖21のライセンス生産もさせてもらえないかと言われてる」
「それは条件次第だな」
 

↓ ↑ Bottom Top

2009年12月20日深夜(21日早朝)コンビニに行った千里(ブレンダ)は途中で一緒になった佐藤玲央美と一緒に、東京北部某所にある“時空の歪み”を通過し、2009年7月1日に来てしまった。ふたりはこれから8月4日まで約1ヶ月間の“Special month”を送り、U19世界選手権に行くことになる。
 
(ゆきはコンビニに行く前にグレースによりブレンダから分離され千葉司令室に戻された。世界選手権には7月のゆきが出た)
 
一方、世界選手権を終えて帰国した千里と玲央美は、Special month の最後に盛岡に行き、わんこそばを食べて同じソバ屋に来た青葉に“鈴”を渡したあと、東京に戻り、また時空の歪みを通過して12月21日の通常時間に復帰した。
 
↓ ↑ Bottom Top

グレースには12月20日のブレンダがそのまま12月21日のブレンダにつながっているように見えた。だから何も起きたようには感じなかった。でもグレースは、この戻って来たブレンダに千葉司令室に退避していたゆきを合流させた。
 

↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
女子大生・冬景色(3)

広告:放浪息子-4-Blu-ray-あおきえい