広告:國崎出雲の事情-10-少年サンデーコミックス-ひらかわ-あや
[携帯Top] [文字サイズ]

■女子大生・冬景色(14)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

雅を訪問したとき、常務さんから
「来年は成人式ですよ。豪華御振袖を作りましょう」
と言われ、京友禅の120万円の振袖を注文してきた。柄は「桜っぽいもの」とだけ言って、細かい点は祥代さんにお任せした。
-

↓ ↑ Bottom Top

「みんなも良かったらよろしくー」
と言って千里は振袖のパンフレットを双葉と清香に渡した。
 
「振袖かぁ。頭が痛い」
「1回しか着ないし、レンタルでもいいんだけどなあ」
「振袖のレンタルは物凄く高いよね」
「うん。安いのでも15万くらいする」
「買うのと大差無かったりして」
「そうなんだよね」
「何でそんなに高いの?」
「パーティードレスやウェディングドレスと違って振袖は成人式の時にレンタル需要が集中するからね」
「ああ」
「だからひとつの振袖をせいぜい2−3回しか貸せない。すると売値の半額は取らないと採算が取れない」
「なるほどー」
「成人式は20歳の誕生日でやるとかいうのだったら需要が分散して安いレンタル振袖も出てくるだろうけどね」
「あ、その方式が良い。みんなまとめてじゃなくて誕生日がきたら成人式というのでいいんじゃない?」
「昔の元服とか裳着(もぎ)はそれぞれの日程でやってたから、その方式に戻せばいいんだと思うけどね」
 
↓ ↑ Bottom Top


「パンフレットに出てるのは20万以上だね。もっと安いのは無いの?」
「最後のページにある振袖21なら8万円。20回払いなら月4千円」
「これ普通の振袖とどう違うの?」
「上下のセパレートなんだよ。だから洋服着る感覚で着られる。美容院での着付けも不要」
「便利じゃん。着付け料も高いし」
「料金の問題もあるけどそれ以上に予約を取るの自体が大変」
「当日は混むよね」
「私もコリンも着付けできるから当日はやってあげるよ」
「じゃ頼もう」
 
「あと生地が合成繊維のシルックだから礼装としては使えない」
「でも成人式くらいならいいよね」
「構わないと思うよ。普段着で出席する人とかコスプレで出る人もいるし」
「コスプレよりはマシだと思う」
「あとシルックは洗濯機で洗濯可能」
「素晴らしい。こちらが優秀なのでは」
「まあ考え方次第だね。今年はシルックではなく本当の絹を使った振袖21特というのも出すよ。16万円」
「いや化繊の方がいい」
「利便性を取るか高級なのを取るかの問題だね」
 
↓ ↑ Bottom Top

「きみちゃんはどんな振袖着る?」
「ぼくは男物の和服を着るよ」
「振袖似合いそうなのに」
「やだ」
 

↓ ↑ Bottom Top

「そういえば昔は呉服屋で和服は売ってなかったんだって?」
「嘘?」
「うん。昔は呉服屋さんで売ってたのは服では無くて生地だね。昔はみんな服は自分で縫ってたから」
「なるほどー」
「誰でも料理ができるように昔は誰でも裁縫ができた」
「ああ。1960年代ころまでは子供の服はお母さんが縫うものだったらしいね」
「今の主婦は随分労働が軽減されてるよ。御飯はスイッチ入れるだけで炊けるし、洗濯も洗濯機だし」
「ああ、昔は洗濯板だよね」
「初めチョロチョロ中パッパ、ぶつぶつ言ったら(*17)火を引いて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもふた取るな」
「神経使うよね」
「昭和30年代までの主婦ってよくやってたね」
 
「普段着は全部自分で縫うけど、振袖みたいに難しいのは仕立屋さんに出す」
「そうか。仕立屋さんというお店があったんだ」
「悉皆(しっかい)屋さんというのもあった」
「なんだっけ?」
「和服のことをよろず相談に乗ってくれるお店」
「へー」
 
↓ ↑ Bottom Top

(*17) “ジュージュー吹いたら”と言う地域もある。いづれも「沸騰したら」という意味。また以前にも述べたが昔の釜+炭火ではなく現在の厚手鍋+ガスで炊く場合は“初めちょろちょろ”が不要。最初から中火で炊いて良い(強火はNG)。沸騰したところで弱火にする(3合なら弱火で10分。その後12分蒸らす)。炊いてる最中は蓋を開けて様子を見てもよいが、火を止めて蒸らしている最中は蓋を開けてはいけない。キャンプなどで飯盒(はんごう)で炊く場合は上下ひっくり返して蒸らす。薄手鍋の場合は湯炊き、つまり最初は米を入れずに水のみで火に掛け、お湯が沸騰してから充分浸透させた米を投じる方式のほうがうまく行きやすい。湯炊きは寿司用の飯を作るのにもよく使われる。
 
↓ ↑ Bottom Top


東の千里はチェリーツインの桃川春美が2007年11月に旭岳で落として2年間雪の中に埋もれていた譜面の中で唯一判読不能だった『雪の光』という曲の復元を雨宮から依頼された。これは一連の作品の中でも快心作だったらしい。
 
桃川春美(出生名:春道)は1978年奥尻島の生まれだが1993年の北海道南西沖地震で両親をはじめとして多くの家族・親戚を失った。2007年当時は婚約者の男性が春美との婚約を破棄して別の女性と結婚しようとしており、春美は絶望して自殺しようとしていた(そこを後にチェリーツインを組むことになる紅ゆたか・紅さやかに助けられる)。春美は当時、死ぬ前に両親やご先祖様に挨拶しようと奥尻島の菩提寺を訪れていた。
 
↓ ↑ Bottom Top

それで千里はそこに何かヒントが残ってないかと思い、オールジャパンが終わった後、奥尻島に行った。それで菩提寺に入ろうとするのだが、例によって青の千里はお寺に入れない。
 
困っていた時、ふとお寺の通用口が目に付いた。そしてそこからなら入れそうな気がしたので入ってみると確かにお寺の境内に入れた。居心地は悪いが!
 

↓ ↑ Bottom Top

住職に話を聞くと確かに桃川春美は2007年11月にここに来たらしい。千里は彼女が泊まった部屋に自分も泊めてもらい、彼女の創作ノートを発見した。ノートには『雪の光』の歌詞推敲の跡が残っており、これから完成形をだいたい復元できた。千里は地震の慰霊碑の所に行き、そこで頭の中に流れて来たメロディーを書き留めた。“他人の服を着る”ような感覚なので自分の作品ではなく他人の作品だと区別できる。でもこの感覚は・・・
 
千里は雨宮に電話した。
「つかぬことをお聞きしますが、ひょっとして桃川春美さんって元男性ですか?」
 
雨宮は答える。
「なんで今更そんなことを訊く?」
 
だって教えてくれなかったじゃん!
 
しかし春美さんが元男性なら、今捉えたメロディーで良さそうだ。
 
↓ ↑ Bottom Top

千里は、これで曲はかなり復元できたのではないかと(この時は)思った。
 
千里はその後、旭川に移動し、ロープーウェーで旭岳に登って桃川春美が自殺しようとした場所を訪れた(年末の探索の時は千里は来ていない)。すると、ここでも新たな曲が得られたのである。
 

↓ ↑ Bottom Top

千里は美幌町のマウンテンフット牧場を訪れ、桃川春美に復元?した曲を見てもらった。すると、千里が奥尻島で得た曲が『雪の光』だということであった。旭岳で得られた曲は「これは金の斧です」と春美は言った。
「木こりが鉄の斧を泉に落として女神様が出てくる。あなたが落としたのは銀の斧ですか?金の斧ですか?と訊かれる。この曲はその“金の斧”です。立派すぎます」
 
ただこの曲にも覚えがあるということだった。自殺しようとして雪の中に埋もれ、遠のいていく意識の中で頭の中に流れていた曲だという。
 
この旭岳で得られた曲について雨宮は言った。
「いい歌だけど売れん」
「ええ。でも売れるように修正するとこの歌の良さが失われます」
「だからどうにもならん」
「次のアルバムにでも入れますかねぇ」
 
↓ ↑ Bottom Top

結局千里が奥尻島で得た曲を『雪の光』、旭岳で得た曲を『命の光』のタイトルで、カップリングして発売されることになる。そしてこの2曲はチェリーツインの代表曲となるのである。
 

↓ ↑ Bottom Top

雅では昨年は大量の注文をこなすため、従業員にたくさん残業をしてもらい、また基本給自体も特別に上げていたのだが、その特別処置は12月で終了した。結果的に1月からはもらえる給料が大幅にダウンすることになる。
 
あまりにも下がるのは志気にも影響するため、雅ではこういうことをした。
 
(1) 1月の仕事始めに当たって、全従業員に“お年玉”を配布した。
 
(2) 製造部門の従業員に1月から3月の間に一週間の特別休暇をあげる。これは必ず取らねばならず期日までに休む日を届けなかった人には会社側から日にちを指定して休ませる、
 
(3) お年玉とは別に3万円分の近畿日本ツーリストの旅行券を配布する。
 

↓ ↑ Bottom Top

雅の福岡支店は1月5日は火曜日で定休日、そして6日は水曜で朝日・広中ともに公休でふたりそろって連休である。篠崎君と悦美ちゃんも月火とそろって連休になるようになっている。
 
それで広中は4日の夕方朝日と一緒に退勤し、7日朝まで一緒に過ごして2日半のデートとなった。
 
御飯は4日の夜はオムライス、5日夜は肉ジャガ、6日夜はホットプレートを出して焼き肉をした。4日の朝に魔女っ子千里ちゃんから「御飯多めに炊いておきなよ」と言われていたので充分なごはんがあった。
 
オムライスの上にはケチャップでハートマークを描いたら喜んでいた。
 
「オムライスとか難しいのによく上手に作るね」
 
難しいということを知っているのは和彦もある程度料理をするのだろう。
 
↓ ↑ Bottom Top

「私のは略式だからねー。上手な人はフライパンで卵を焼いてチキンライスを投じてくるっと巻いちゃう。私はチキンライスを皿に盛り付けてその上に卵を焼いたのを載せちゃう」
「違いがよく分からないけど美味しいよ」
「良かった」
「子供の頃食べたお子様ランチを思い出す」
というので、もう1個作り、爪楊枝に紙を巻いて日の丸の旗を立ててあげたらまた喜んでいた。
 

↓ ↑ Bottom Top

5日は午前中映画館に行き『アバター』を見た。午後からは福岡市博物館に行き金印(↓に詳述)などを見た。6日は車でドライブに行き、海の中道大橋を渡って海の中道海浜公園で“2人乗り自転車”に乗ったり動物園を見たりして遊んだあと、志賀島(しかのしま)(*18) の先端まで行った。夕日が美しかった。
 
(*18) 海の中道は福岡市東部から志賀島まで伸びた砂州である。その先端付近に海の中道海浜公園などがある。志賀島には「漢委奴国王」の金印が出土した場所を整備した金印公園、全国わだつみ神社の総本社である海神社などがある。海の中道には航空無線基地(雁ノ巣飛行場)があるため福岡空港に着陸する飛行機の多くがこの上空を通過する。
 
↓ ↑ Bottom Top

「漢委奴国王」は現代では「漢(かん)の倭(わ)の奴(な)の国の王」と読まれている。奴国(那国)は魏志倭人伝の記述から福岡市近辺にあったことが推測されている。
 
そこに贈られた金印が何故志賀島から出土したのかはよく分かっていない(志賀島が那国の中心地だった??)。江戸時代に畑の整備をしていた農民が発見し、貴重なものかもと思い、届け出た。福岡藩の学者が調べ「中国の歴史書に日本からの使者に金印を授けたという記述があるので、おそらくそれだと思われます」と鑑定した。藩主は「この“奴”とは何だ?無礼だ。削ってしまえ」と言ったが学者は「この“奴”は“の”という意味の接続詞で奴隷などという意味はありません」と詭弁を使い、貴重な歴史的遺物が破壊されるのから守った。
 
↓ ↑ Bottom Top

黒田家が所有していたが、福岡市美術館ができた時に多くの黒田家資料と共にそこへ寄贈され、福岡市博物館ができるとまたそこへ移動された。
 

↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
女子大生・冬景色(14)

広告:【Amazon-co-jp限定】アニメ「Back-Street-Girls-ゴクドルズ-」-DVD-BOX-アニメ描き下ろしゴクドルズ応援フラッグ