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1月1日の朝は5時に目が覚めた。昨日の年越し蕎麦のダシに水を加え、めんつゆを足し、カツオ菜を入れる。かまぼこを切る。やがて彼が目を覚ます。
「明けましておめでとう。お雑煮の餅は何個入れる?」
「3つかな」
それで自分の分と合わせて4つ、レンジに掛けた。汁を椀に盛ってからお餅を入れる。彼が起きてくるのでキスして雑煮の椀を出した。かまぼこ・昆布巻きと黒豆も出す。
「おとそ用意してなかった。ごめん」
「いいよいいよ。どっちみちこのあと運転するからお酒は飲めない」
「どこ行くの?」
「初詣に行こうよ。僕が車を取ってくるからその間に振袖着ててよ」
「分かった」
彼はお餅3個をあっという間に食べたので
「お代わりしようか」
と訊いた。それで更に2個食べた。カツオ菜は「面白い野菜だ」と言っていた。かまぼこも昆布巻きも黒豆もたくさん食べていた。
一息ついたところで、彼は車を取りに出掛けたので、朝日はその間に振袖を着た。やがて彼から電話があるので戸締まりをしてマンションの前に出る。彼のアコードの助手席に乗る。
「どこに行くの?」
「三社参りしよう」
「へー」
太宰府(だざいふ)天満宮→宮地嶽(みやじだけ)神社→筥崎宮(はこざきぐう)と回ろうということだった。
まずは徳岡都市高速に乗り、環状線の月隈(つきぐま)JCTから太宰府線に進んで終点まで行き、福岡市の南方、太宰府(だざいふ)市の太宰府天満宮に行く。駐車場待ちの列が凄かった。30分ほど待って何とか駐めることができた。
(太宰府天満宮の駐車場はいつも混んでいて駐めにくいので、ここだけ行く場合は西鉄電車を使うのがお勧め)
しかし参拝客が多い。
「学生さんが多いね」
「センター試験も近いからね」
「お参りに来るより勉強していた方がいいと思う」
「全く全く」
人混みを縫うようにして何とか拝殿の近くまで行くがまだ拝殿までは30mくらいある。
「この辺でいいか」
と言うと彼は百円玉を賽銭箱に向けて投げた。命中!
「すごーい!私のもやって」
「貸して」
それで朝日の百円玉も彼が投入してくれた。(*12)
(*12) 筆者が学生時代に太宰府天満宮に行った時、帰ってきたらスカートの裾の折り返しの所に百円玉がはさまっていたことがある。誰かが後方から投げたお賽銭が賽銭箱に届かず、そこにはまってしまったものと思われた。次回太宰府に行った時に賽銭箱に入れてきた。
拝殿前に梅の木がある。
「あれが“飛び梅”(*13)だね」
「東風(こち)吹かば匂ひ起こせよ梅の花、主(あるじ)無しとて春な忘れそ」
「それそれ」
「たまたまこちらにも梅の木があったから、それで京都の自宅の梅を思い出したのかなあ」
「きっとそんなところだろうね。本当に自宅の梅なら挿し木を植木鉢か何かで持って来た可能性もあるけど」
「なるほどー。当時、京都から福岡までどのくらい掛かったんだろう」
「半月くらいかなあ」
(延喜式に書かれた京都から長門(山口県)までの標準日数が11日なので、太宰府へは普通なら15日程度で到達できたと思われる。しかし実際には道真は55日掛けて到達している。かなりのスローペースである)
「今なら太平洋の孤島にでも転勤させられる感覚かな」
「それに近いと思うよ。でも殺されないだけまだマシ」
「確かに」
おみくじを引いたらふたりとも吉だった。また「縁談:進めよ」「縁談:良き人あり」だったのでドキッとした。また神社の前の通りで太宰府名物の“梅ヶ枝餅”を買った。
(*13) 菅原道真の京都の自宅にあった梅の木が、太宰府に左遷された道真を慕って京都から飛んできたというもの。
菅原道真(845-903)は宇多天皇に重用されて右大臣にまでなったが、宇多天皇退位後、後任の醍醐天皇と藤原時平により太宰府の師(そち:長官)に左遷された。
サトウサンペイの『夕日くん』にこの歌をモチーフにした話があった。課長とやりあって男女群島の支店に飛ばされた同僚をみんなで送別会してあげる。公園に行き、本人は暗い顔をしているが見送る側は元気で、お団子とか焼き鳥とか食べている。最後に飛ばされる本人が「東風吹かば・・・」と歌を詠む。ここで匂いを起こすのは、送別会でみんなが食べた団子や焼き鳥の匂いである。
さだまさしに『飛梅』という曲がある。太宰府天満宮の心字池とか梅が枝餅とかを読み込んだ歌である。グレープが解散してソロになってすぐの頃の作品。当時はグレープが解散してしまってもグレープの続きをやっている感じだった。「あなたがもしも遠くへ行ってしまったら私も一夜で飛んでゆく」などと歌っている。「時間という樹の想い出という落葉を拾い集めるのに夢中だったね君」というフレーズも好きでした。
太宰府を出たら今度は九州自動車道を通り、福岡市の東方、福津市の宮地嶽(みやじだけ)神社に行く。こちらは10分くらいで駐車場に入れられた。
(ここは以前は西鉄宮地岳線ですぐそばまで行けたのだが、2007年に同線が廃止され、公共交通で行くのが困難になった。駐車場は比較的駐めやすい。拝殿に飾られた古代の太刀は一見の価値がある。車で行くなら山の向こう側にある宗像(むなかた)大社も一緒に訪れるのがお勧め。また近くには海の近くにおっぱいのように小さな山が2つ並んで見える場所がある。前回行った時、写真を撮り損ねたのでお見せできないのが残念)
トイレに行ってから参拝する。こちらは賽銭箱の近くまで寄ることができた。
「注連縄(しめなわ)が大きいね」
「うん。ここは拝殿に掛かるしめ縄としては日本一なんだよ」
「へー。凄い」
(拝殿でなくても良ければ出雲大社の神楽殿に掛かるものが日本一)
ここの神社の前の通りで“松ヶ枝餅”を買った。
「これ太宰府の梅ヶ枝餅と同じ物では?」
「そうなんだよ。同じ物を太宰府(だざいふ)では梅ヶ枝餅、宮地嶽(みやじだけ)では松ヶ枝餅、更に宗像(むなかた)大社では幸福餅の名前で売ってる」
「面白〜い」

(2009.1.7撮影)
宮地嶽を出た後は近くの中華レストラン・八仙閣に寄り、昼食にした。朝日は炒飯、和彦は酢豚定食を食べた。(炒飯は服を汚しにくい。中華は危険なものが多い)
「九州では酢豚のことをスーパイコと言うんだけど、これが国籍不明の不思議な言葉らしい」
「中国語じゃ無いの?」
「こんな中国語は存在しないらしい。そもそも酢豚は日本で生まれた中華料理」
「ああ。普通に知られている中華料理ってほとんど日本生まれだよね」
「陳建民さんが作った料理とか多いよね。酢豚は違うけどね」
“スーパイコ”は特に長崎県でよく使われる表現なのでもしかしたら長崎の中華街あたりで生まれた言葉かも知れない。
陳建民さん(陳建一の父)が作った料理としては海老チリソース、麻婆豆腐(まあぼうどうふ)、回鍋肉(ほいこうろう)、青椒肉絲(ちんじゃおろーすー)、担々麺(たんたんめん)、などがある。ベースとなる四川(しせん)料理はあるが日本独自の食材や調味料を使ったり、日本人向けにアレンジしている。
お昼を食べた後は、車をいったん和彦のマンション近くの駐車場に戻し、地下鉄で筥崎宮(はこざきぐう)に行った。ここも人が多かった。車を置いてきて正解だったようである。
(町の名前は箱崎(はこざき)だが神社の名前は筥崎宮(はこざきぐう)で漢字が違う。地下鉄駅の名前は箱崎宮前(はこざきみやまえ)。JRは箱崎駅。箱崎というと東京の人はエアターミナルのあった日本橋の箱崎を思い浮かべるが九州の人はここを思い浮かべる。以前は近くに九州大学の本部があった。この当時は移転作業中)
ここは「敵国降伏」という額が掛かっている。
「穏やかじゃない額だね」
「元寇の時のものだからね」
「ああ」
「元々ここは飯塚市の大分(だいぶ)八幡の行宮(あんぐう)だったんだけど、元寇の時にここでの祈祷が効いたとして独立の神社に昇格したんだよね」
「へー」
「敵国降伏の額は亀山上皇が書いたもので、東公園には亀山上皇の銅像も建っているよ」
「まあよくモンゴルの大軍に勝てたよね」
「奇跡だと思うよ。向こうが集団戦法なのに、こちらは一騎だけ出て『やあやあ我こそは』とやっていた。だから集中射撃を受ける」
「まあよく勝てたね」
筥崎宮の後は
「疲れたね。うちで休む?」
と言ったら嬉しそうに「うん」と言うので、地下鉄の駅(箱崎宮前)に戻り、乗換駅の中洲川端(なかす・かわばた)駅(*14)でケンタッキーに寄ってから早良区のマンションに戻った。
(*14) 漢字穴埋め問題で「中OO端」をよその人は「中途半端」と解答するが、博多の人は「中洲川端」と解答するというネタがある。中洲川端は地下鉄の1号線(姪浜−福岡空港)と2号線(中洲川端−貝塚)の乗り換え駅である。歓楽街の中洲と古い商店街の川端地区に跨がって駅がある。
帰ったらすぐ御飯のスイッチを入れた。
「着替えてるから先に食べてて」
と言って奥の部屋で振袖を脱ぎ、木綿の絣(かすり)の服に着替えた。
「着替えても和服なんだ?」
「私は和服が標準なんだよねー。洋服を着る時は構えてしまう」
「純日本女性だ」
「女性かどうかが怪しいけどね」
「女性であることは確認した」
「そうかな」
その後は2回セックスしてから、夕食に鰤の照り焼き(*15)を作った。わかめのお味噌汁・炊きたてご飯と一緒に出すと、彼は美味しい美味しいと言って食べていた。筑前煮もたくさん食べてくれたのでほとんどはけた。かまぼこ・昆布巻きも無くなった。
「この青い唐子(からこ)の茶碗は和ちゃんのにするね」
「うん」
「その黒いお箸も」
「分かった」
「私のはこの赤い唐子の茶碗と赤いお箸」
「うん」
(*15) 「ぶりは照り焼きに限るのよ」は『魔法陣グルグル』の重要セリフ。鰤と言えば照り焼きが有名ではあるが、作るのは結構難しい。フライパンをこがさないようにするのが大変である。特に朝日は、みりんを使ってないようなので調味料を作るのが難しいと思う。砂糖の量の加減が難しい。普通はみりん・醤油で作るがコーラで作るという裏技もあるらしい。わりと有名だが筆者は試したことは無い。
鰤が名物の町に住んでいるが、鰤の照り焼きは筆者の家ではあまりやらない。だいたい“ふくらぎ”と北陸では呼ばれる成熟した鰤の1/3〜1/4サイズの物(1匹700円くらい)を買ってきて3枚に降ろし、片身はお刺し身にして食べ、もう片身はそのままロースターで焼いて食べ、最後に中骨はお味噌汁にして食べている。
フクラギは鰤に比べて脂身が少ないので筆者などはこちらが好きである。なお九州などで“はまち”と呼ばれるサイズのものは北陸では“がんと”と呼ぶ。
お正月の魚というと東日本では鮭をイメージする人が多いようだが西日本では鰤のイメージが強い。
北陸では新婚夫婦が夫の実家に鰤を贈るという風習があり、若いカップルが鰤を入れた巨大な発泡スチロールの箱を一緒に運ぶ姿をよく見かける。成熟した鰤は1m近くあり2〜3万円する。
「これ預けとく」
と言って、朝日はマンションの鍵をひとつ彼に渡した。
「僕のマンションの鍵は今度渡すよ」
「うん」
お風呂に入った後、もう一回セックスして、カロリー補給?にぜんざいを食べてから彼は帰宅した。
朝日は魔女っ子千里ちゃんから渡されていた性別訂正届に記入し、封筒に入れて机の上に置いた。封筒は翌朝には無くなっていた。
トイレに行ってみるとお股は割れ目ちゃんではなく“綴じ目ちゃん”に戻っていた。はぁと溜息をつく。魔女っ子千里ちゃんの声が聞こえた。
「睾丸は要らないだろうと思ったから戻してない」
「うん。それでいい」
「代わりに卵巣入れておいたから、ホルモン剤は飲まなくていいから」
「分かった」
卵巣のおまけなのか、“綴じ目ちゃん”の向こう側にヴァギナが残っていた。指を入れてみたら中指が全部入っちゃったから、ヴァギナって深いんだなと思った。朝日は「尼僧が一物底無し」という話を思い出した(*16)
しかしこれでもセックスできたりして!?彼がちんちんを気にしなければ!
(*16) ある時尼寺に男の僧が乱入してきてペニスを露出させると
「我が一物(いちもつ)三尺!」
と叫んだ。するとそこの庵主様は自分も陰部を露出して
「尼僧(にそう)が一物(いちもつ)底無し!」
と叫んだ。男の僧は恐れ入って退散したという。
禅問答というものの性格をよく表す話である。禅問答とはボケとツッコミである:どちらかというとボケとボケかも。大事なのは瞬発力。
(そんな大した話か?ただの痴漢では?)
ちなみに三尺とは90cmで、こんな長いペニスは存在しないと思う。18cmとしても六寸である。(一尺は10寸)