[*
前頁][0
目次][#
次頁]
15時から小学生の巫女舞が行われた。今年の舞手は10人だった。
雅楽の奉納などの後、18時から21時まで1時間置きに、先導巫女4人による巫女舞が奉納される。1日目はこの21時の巫女舞で終了する。
小学生の巫女舞で、小学生たちは通常の巫女更衣室(倉庫部屋)ではなく、その隣の第2倉庫(旧光辞部屋)で着替えた。これは巫女更衣室は先導巫女やおとなの巫女さんが使っていて混み合うためである。むろんアキも他の子たちと一緒にそこで着替えた。
アキの居ない時に一部の上級生から質問がある。
「アキちゃんって女の子だったんだっけ?」
アキは女の子下着を着けていたしパンティに膨らみのようなものは無かった。
「生まれた時は男の子だったけど、幼稚園の時に性変換手術とか何とかいう手術受けて女の子になったらしいですよ」
「ああ、だったら今はもう女の子なのか」
「同じクラスの女子がホテルの大浴場で一緒にお風呂入っているから女の子なのは間違い無いです」
「ほほお」
「ちゃんと割れ目ちゃんもあったらしいですよ」
「ふむふむ」
「幼稚園の時にも神居岩温泉で一緒にお風呂入った子いるし」
「じゃ、だいぶ前から女の子だったんだ」
(きっと佳月か誰かと混同されている)
「最初に幼女の舞した頃から女の子だったんだったりして」
「巫女舞をしたご褒美に女の子に変えてもらったんだったりして」
2日目も1日目と似たような順序で行事は進行する。姫奉燈は今日は御旅所を出発して町内を巡回し、本社に戻る。
この2日目の運行で副祭主が腰に付けた剣は松田さん製作のレプリカである。
本社には拝殿前に藁で作った大鹿の像がある。姫奉燈の後ろを歩いていた副祭主の千里は腰に佩(お)びていたクトネシリカを抜くと大鹿の4本の足を切り、首を落として、最後は胴体を切った。拍手が沸き起こる。
(この部分、実は姫奉燈と一緒に巡回したのはレプリカを持ったロゼで、赤は本物をもって本社で待機していた。副祭主の衣裳は大神から予備を頂いていた)
鹿の藁には火番の公世により火が点けられ、そのまま焚き火となる。これは夕方まで維持される。
暖かくてよいと好評だった:本来秋祭りは火祭りでもあり、昔は多数のろうそくの火で結構暖かったらしい。暖かくないのはLEDの欠点かも。
火を焚いたことで上昇気流が生じ、浜から風が吹いてきて拝殿の屋根に取り付けてある風車がカラカラと音を立てて回った。「縁起がいいな」という声があがった。
このあと、鹿肉(峠の丼屋さん提供)の串焼きと暖い甘酒(神居酒造提供)が振る舞われた。
拝殿では真っ白い衣裳を着けた高校生巫女の“白鳥の舞い”が奉納され、そのあとまた様々な奉納が行われる。
わりと笛の上手い神様のお使い(雑用係)小市がドレミ調律の篠笛で唱歌の類いを吹いた。
そのあと今年もS高校吹奏楽部のピックアップメンバーによる木管五重奏が奉納される。(玲羅がピンクのアルトサックスを吹いたほかクラリネット・フルート・オーボエ。ファゴットが入ってないのは吹けるのが玲羅だけであるため。玲羅はサックスを吹きたかった)
今年も16時半から最後の姫奉燈運行が行われた。この日(10/25)の日没は16:34である。夕暮れの中、カンデラの灯る道を扇形の姫奉燈が静かに運行されていく、美しい風景である。観光客っぽい人たちがたくさん写真を撮っていた。
去年までだと姫奉燈の最後の運行が終わってから30分ほどの後、先導巫女4人による巫女舞があって、先導巫女は慌ただしかったのだが今年は18時の巫女舞が無くなり、先導巫女はゆっくり休めた。でも出前一丁を作って食べていた。
18時には先導巫女の巫女舞に代わり、大人の巫女による巫女舞が奉納された。今年これを舞ったのは世那・千里・蓮菜・善美・美都の5人である。この舞いを指導してくれたのは蓮菜の祖母。この舞いは“先導巫女の鱒”の原形で、オリジナルの五節舞(ごせちのまい)である。実に半世紀ぶりくらいの復活らしい。五節舞は本来婚礼(する人の)舞でかなりセクシーなのだが、1994年にこの祭りが復活した時は先導巫女に中高生も入ることから“なまめかしい”部分の仕草が省略または改変されたのである。実際、今年舞った千里たちも「なんつーエッチな舞いだ」と思った。
この舞いのため、世那は火の番から抜け出して来た。千里は姫奉燈の後衛(副祭主)をしたばかりに見えるが、姫奉燈と一緒に歩いたのは赤で、舞いを舞ったのはロゼである!(つまり朝と逆になった)
今日は19時から21時まで1時間置きに3回、先導巫女4人による巫女舞が奉納される。これで祭りの公式行事は終わりであり、道路に置かれたカンデラや境内のLEDは消灯される(出店は20時で撤退する)。神殿の燈台はこのあとは燃料補給せず、燃え尽きるにまかせる。この時、最後に燃え尽きるのは必ずいちばん奥の燈台である。
この燈台が燃え尽きると、神殿前に、和弥(祭主)・善美(巫女長)・小市(神様のお使い)の3人が並び和弥が〆の祝詞を奏上する。これで秋祭りは本当に終了する。千里もいつものようにこの〆の神事に付き合った。
梨花さんが暖かいおでんを持って来て、番の人たちをねぎらう。それを食べると番の人たち(まゆり以外)は帰宅するので、和弥とまゆりで見送る。そのあと和弥は燈台に火が残ってないのを確認(火の用心)して、まゆりと一緒に部屋に戻る。ただしセックスはしない。
千里(ロビン)は大神様から呼ばれた。
「今年も神様会議に行って来るから一週間留守番を頼む」
「はい、いってらっしゃいませ」
それで大神様は飛んで行かれた。千里はいつものように深部に行き、大神様の座の横の座に座った。(千里の担当は夜間で、昼間は小市がお留守番するが邪霊とかが来た時は深川司令室のゆりが処理する)
同時刻、姫路の夜梨子はK神社の深部に行き、K大神様がお出かけになるのを見送り、やはり大神様の座の横の座に座った。夜梨子は姫路で一週間お留守番である。京都北邸にはジェーンが入り、京平と遊んで國學院に通う:夜詩子はK神社で昼間のお留守番:関西司令室はアイリーンが見ている。留守番期間は千里のやりくりが大変である。教育大にはローゼンが行った。ローゼンは日本では実は姫路の司令室に居る。ローゼンは青黄色を消さないように設定されているので黄色の夜詩子と同居できる。
なお京都のM神社では銀色姉妹のセリアがお留守番を務める(昼間はスーザンが代わる)。
ロビンも夜梨子もジェーンに差し入れを頼んだので、留萌ではゆりが、姫路ではジェーンが缶コーヒーやカップ麺、おでんや牛丼などを差し入れしてあげた。
留萌のP大神も姫路のK大神も11月1日(日)の夜にお戻りになった。
10月下旬、京丹後市、てんとうむし工房の十島慶子は、通訳の白鷹さんと一緒に関空からロサンゼルス空港行きに乗り、ロスでアントニオ・カルロス・ジョビン空港行きに乗り継いだ。そしてリオ・タンゴ・シルクの本社に行って千里からの紹介状を見せると、同社の生糸工場に入った。
彼女にはここで半月程度にわたり生糸・撚糸の製造指導をしてもらう。
しかし日本から技術指導者が来ると聞いていた向こうの社員さんたちは40-50代の男性を想像していたので、派手な服を着たおば*ちゃん(伏字は自粛)が来たので驚いていた。
慶子さんは「一富士二鷹三茄子」の振袖を着て行っていた。夏に日本に研修に来ていた技術者から質問がある。
「日本では振袖は未婚の女性が着ると聞いていたのですが」
慶子さんは英語で言った。
「Since my husband cannot stand his pole, I am ten years virgin」
「ten years virgin!?」というので受けていた!
向こうの女性スタッフが
「女は次のセックスまでは処女だから」
と言うと
「それは詐欺だ」
と非難されていた。
振袖の柄についても質問があり、これは白鷹さんが、「日本で夢に見ると幸運が来ると言われているもの」と説明していた。富士山と鷹はいいとして茄子にはみんな首をかしげていた。
しかし向こうの人たちは面白いおば*ちゃんだと思ったようである。それで指導もうまく行くことになる。
後日、白鷹さんは
「日本では民謡の唄い手も振袖を着る。彼女は民謡を唄う」
と説明すると
「ぜひ聞きたい」
という声が多かった。千里は青月と交換で三味線が弾ける前橋を送り込んだ。それで伴奏させて、慶子さんは『丹後縮緬小唄』と『宮津節』を唄った。
繰り返される「丹後の宮津でピンと出した」というところは向こうの人たちも
「タンゴ・ノー・ミヤ・ツデ・ピント・ダッシ・ター」
と唱和していた。
宮津節サンバが生まれたりして!?
慶子さんは現地滞在期間中は白鷹さんと一緒に“青の家”に寝泊まりし、空いている時間にはサンバチームの練習を見学したり、コルコバードの巨大キリスト像なども見学する。
買い物や料理は青島たちにさせるようにしていたのだが、慶子さんは「ブラジルのスーパーも見てみたい」と言って白鷹さんも連れて青島たちと一緒にスーパーに行き、お肉などをどっさり買っていた。「ブラジルのお肉は美味しい」と言ってもりもり食べていた。
慶子さんは海外旅行は10年ちょっと前にエジプトに行って以来(きっと「神々の指紋」(*9)ブーム)ということだったが、楽しい出張になったようである。
(*9) 『神々の指紋』はグラハム・ハンコックの超古代史に関する著作で世界的なベストセラーになり、エジプト観光ブームが起きた。