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2009年春、留萌の市民病院前に鬼ヶ島うどんといううどん屋さんがオープンした。病院の通院者などが利用するほか、多数の高校生が来た。
実は市民病院前のバス停はU高校やK高校から三泊・小平・幌延方面へのバスの乗り換え地点でもある(留萌駅前でも乗り換えられる)。またS高校からは(高校生の足で)徒歩圏内である。それで部活の前後に高校生が腹ごしらえに来店してくれるのである。
ここのメニューは素うどん(掛けうどん)が200円、高校生に人気の力(ちから)うどん、つまり餅入りうどんが250円である。しかもここは関西方式で、ねぎ・天カス・七味は自由に好きなだけ入れられる。それで高校生たちは天カスをどっさり入れて食べていた。しかも餅入りでも250円というのは高校生の財布に優しい。U高校・K高校からはバスが必要だが定期券を持っていればタタで来られる。
S高校からも歩いて10分程度(走れば5分らしい)なので部活の前に食べてくる子が結構居たが、玲羅は行ってない。玲羅は毎月赤の姉がくれる2万円と神社のバイト代(1〜2万)で、自分の携帯代・部費・漫画代・ゲーム代などを払っているので、あまりお金に余裕が無いのである。
玲羅はそもそもロゼ姉がお弁当に加えておにぎりを何個か付けてくれているので、お腹が空いた時はそれを食べるし、購買部に何か残っていればパンとかを買うし、ロゼ姉に電話するとおにぎりとかトーストをを転送してくれる。また金色三姉妹のオーロラを呼ぶと何か持って来てくれる。オーリタはあまり優しくないし(間食はよくないと叱られたりする)、これがオーリン(呼ばなくても勝手に出てくる)になると逆に「玲羅〜ぼくもお腹空いた。何か無い?」などと言われる!(おにぎりをあげたこともある)でもオーロラはわりと優しい。
7月1日(水)、心斎橋筋にある雅の大阪支店に長身の客が入ってくる。そして
「あれ?お店が変わったのかな?」
などと言っている。
店長の千絵は出て行って応対した。
「いらっしゃいませ。京都の呉服店“雅”(みやび)と申します。S社さんから店舗を引き継ぎましたが、S社さんの着物の取り次ぎも致しておりますので」
客は言った。
「いえ、カタログとかで頼むような製品ではなくて、4月頃にここにあった店に来た時、凄く長身のマネキンが著ていた振袖があって、あ、これなら私でも着れるかもと思って眺めていたのですが。店自体が変わったんじゃ仕方無いですね」
千絵は前からいるパートさんの中で年長の人に尋ねてみた。するとその振袖はS社で営業していた内に外人さんの客に売れてしまったらしい。千絵はお客様に言った。
「お客様、大変申し訳ございません(←良く聞くけど、おかしな日本語)。その振袖は何かの手違いで他のお客様に売れてしまったようです」
「いや、私も別に予約とかしていたわけでもないし」
「もしよろしければ、お客様の寸法で新たなお振袖をお仕立て致しましょうか?」
「ああ。でもお高いですよね」
「手描き友禅の高級品とかはそれなりのお値段がしますが、インクジェットプリンターで染める普及品ですと20万円くらいからお作りできますよ」
「それでも20万かぁ」
「今ですと金利手数料無しの20回払いとかも承っておりますが」
「私学生なんですけど、そんなのできます?」
「はい。学生さんでしたら、全く問題ありません」
一般に学生は信用度が高い。
「コンピュータのシミュレーターで模様をお選び頂けますが、ちょっと見てみられませんか?シミュレーターや採寸は無料ですから」
「じゃ見るだけ」
それで360度の写真を撮らせてもらい、それに振袖の模様を乗せる。
「見ていたのは桜の花の模様だったんですよ」
「ではこんなのはいかがですか」
千絵は客と15分くらいやりとりしていたが、その内、客の気に入った模様が定まる。
「これでしたら付属品付き税込み22万6800円、20回払いですと月々1万1340円ですね」
「それなら何とかなるかなあ」
「ではご採寸を」
千絵はメジャーで採寸しながら思った。この人背も高いけど胸もでかい。着付けするときの体型補正が大変そう。和服はドラム缶みたいな寸胴(ずんどう)体型の方が着せやすい。それにしても、このお客様には幅広の反物が必要だ!
通常の反物は幅が1尺(38cm) (*1) であるが、その幅の反物ではこの客には裄丈(ゆきたけ)、つまり手首までの長さが足らず(*2)、いわゆるツンツルテンになってしまう。
(*1) 通常の1尺(曲尺:かねしゃく)は30.3cmだが、和服関係ではその1.25倍で37.9cmを1尺とする“鯨尺(くじらしゃく)”が使用される。
(*2) “足らず”“足りず”はどちらも正しい日本語。前者は五段活用動詞“足る”の未然形、後者は上一段活用動詞“足りる”の未然形。一般に“足らず”は関西で、“足りず”は関東で多く使われるともいう。
「ちょっと反物の在庫を確認します」
と言って、千絵は千里に電話した。
「村山さん、こんにちは。雅の小川千絵です。特別サイズの反物とか用意できます?」
「長い奴?」
「幅広のが欲しいんです」
「どのくらい?」
「幅が45cm, 長さが24m欲しいのですが(*3)」
客のサイズを入力すると必要な反物のサイズが表示されるようになっている。
「いいよ。製作して数日中に届ける」
「ありがとうございます」
それで千里は但馬縮緬工場の管理をしている筒川という子に、そのサイズの反物を製作するよう指示を出した。
(*3) 通常の反物は長さが12m(三丈)だが、振袖を作るにはそれでは足らず18m程度の生地が必要である。しかし身体の大きな人の振袖は更に長い生地が必要になる。
一方千絵は客に言った。
「大丈夫です。反物はすぐご用意できるようです」
「良かった。実は以前別の店で、反物のサイズの制約であなたに合う振袖は作れないと言われたことがあるんです(*4)」
「うちは外国人の方で身長が2mを越す方の振袖もお作りしたことがありますよ」
「すごいですね」
などと話したのだが、この時、千絵は気づいた。この人、男性だ。でも全然気付かなかった。雰囲気が完璧に女なんだもん!おっぱいも大きいし。
でもこんなビッグサイズの振袖を製作できる所は少ないだろうね。
(*4) はっきり「作れない」とい言う店はまだ良心的である。ツンツルテンのお仕立て着物を押しつけてしまう店も多い。高い値段取るのに!
ちなみに“振袖21”が発表されたのはこの日の夜で、この時点では社長の娘である千絵もまだ知らなかった。
またプリンターで染める“友禅風”振袖はこの年はブラジル産縮緬を使用したのだが、この客はまだ生産体制が固まる前のオーダーだったしイレギュラーサイズだったため、特上の但馬縮緬で作ってもらうことができた(とてもお買い得)。
この客は注文番号7番で、7月17日(金)には完成(メールで通知)。翌日には店頭を訪れ、この振袖を受け取ることができた。しかも記念写真の公開を条件に1割引きにしてもらった!(著付け代もタダだったし)
雅のサイトに公開された記念写真に「175cmの長身美人さん」とあったことから、この後もこの年は170cm越えの人の振袖を5着も製作した。全てプリンタ染めではあるが、特製但馬縮緬反物使用である。東山のベテランの縫い子さんが仕立てている。
2009年7月8日、AKB48選抜総選挙の第1回記念大会が赤坂BLITZで開票され、前田敦子が初代女王に輝いた。
2009年7月14-15日。
留萌三泊P神社では夏祭りが行われた。夏祭りでは初日の朝に幼稚園児の巫女舞が奉納される。
この日の巫女舞で要(かなめ)の位置で舞いをしたのは、小学1年生の男の子だった。この初日の舞い“初穂の舞(幼女舞)”は昔は幼稚園生のみで舞っていたが、年々子供の数が減り、幼稚園生だけでは足りないので一度は小学2年生まで使ったこともある。しかしさすがに2年生は大きすぎるので、2年前2007年の祭りでは氏子さんたちの話し合いで小学1年生までにしようということになった。小学生の親とかしたことのある人は分かると思うのだが、小学1年生と2年生では顔つきや動作なども大きな違いがある。1年生は幼児の顔だが、2年生は児童の顔である。
しかしそれでは人数が足りないので、2007年の祭りでは男の子を混ぜることになったのである。
「小学1年生以下の女の子だけだと舞手が5人しか居ないんですよ。因幡さんちの佳月君、巫女舞に入ってもらえません?去年、お姉さんの菜月ちゃんが舞うのを見てるし」
「ああ、あの子は巫女衣装着れそう」
とお母さんも許容的であった。
彼は現在年中である。髪を長くしているし、雰囲気も優しい感じである。お姉さんがいるせいか、言葉使いも少し女の子っぽい。お姉さんのお下がりで左合わせの服を着ていることもあるし、スカートを穿いているのも見たことがある。よく女の子たちと一緒に遊んでいる。
本人に聞いてみると、やってもいいかなあというので、早速巫女衣装を着せてみたら凄く似合っている。しかも自毛が長いので付け毛の必要が無い。それで因幡佳月は2007年の巫女舞に入ることになったのである。
彼が入ることでメンツは6人になるので1−2−3のフォーメーションで舞うことができる。彼は真ん中2の左側で舞うことになった。先頭の要の位置は1年生の女子、沙里ちゃんである。年中の時からやっているので3年目のベテランである。
また最後尾の3人のうち中央は1年生、両翼は年長さんである。実は舞いの途中で全員後ろ向きになる箇所があるので、最後尾の特に中央はその部分ではお手本無しで舞う必要があり、舞いを完全に覚えておかねばならない。それで経験の長い子が務める。そして初参加となる年中さんは2列目に置かれるのである。佳月の右隣は広海ちゃんといって実は年少さんである。本当は年中さんからなのだが、人数が足りないし一応女の子だしということで担ぎ出された。それに彼女は4月生まれで年少さんの中では身体が大きいほうである。彼女はきっと4年目となる2010年には要(かなめ)で舞うのだろう。
巫女舞の練習は祭りの1月前、6月の中旬から始まった。毎日夕方4時頃から1時間ほど、神社の拝殿で練習した。小学5−6年生のお姉さんたちが指導してくれた。佳月は去年も一昨年も姉の菜月が舞うのを見ていたので舞いの形を覚えており、最初からうまく舞っていた。菜月は今年2年生で、幼女の舞いはもう卒業である。
この練習を幼稚園児の男の子たちが数人見ていた。
彼らは女の子たちの初穂の舞いのあと、稚児衣装を着て、お魚を奉納する初魚の儀をすることになっている。一応その練習もしているが、お魚を載せたザルを神殿の前に置くだけだから練習はすぐ終わる(紙粘土で作ったお魚の模型で練習)。それで自分達の練習のあと、女の子たちの練習を見学している。
「きれーい」
「かわいーい」
などと声をあげている。
「あんたたちも巫女さんの衣装着て舞いに加わる?」
と舞いの指導役の知代さん(5年生)が言う。
「男が巫女衣装着ても変になるだけだよ」
「佳月ちゃんは男の子だけど巫女衣裳きれいに着てるよ」
「因幡さんは可愛いもん」
「因幡さんはきっとそのうちお嫁さんになれる」
「今度の学芸会でも乙姫様の役をするんだよ」
「へー」
もっとも乙姫様は5人、浦島太郎は4人いるらしい。浦島太郎は男女2人ずつ。乙姫も男女2人ずつを計画したが、普通の男の子たちは姫様衣装をいやがり、結局佳月以外の4人は女子である。
ちなみに亀は干潟に取り残されてしまっていたのを太郎が助けてあげたという設定である。またお魚たちは、タイ・ヒラメ・ニシン・タラ・サケ・ブリ・カツオ・サンマ・マグロ・アジ・などといる。総勢15人である。ひとことずつセリフもある。