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■春二(9)
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さて鹿児島の松崎真和がまだ男女の境界線上をふらふらしている一方で、宮崎の藤弥日古(ふじ・やひこ)は、本人にあまり明確な意志が無いまま、ほとんど成り行きで女子生徒として9月から学校に通い始めた。
女子制服でみんなの前に出ること自体、物凄く恥ずかしかったが、男子制服は捨てられちゃってるし、学校では既に女生徒として登録が変更されているので女子制服で出ていく以外の道が無かった。
女子トイレを使うのも女子更衣室で着替えるのも恥ずかしくてたまらなかったが、クラスメイトたちが励ましてくれたので、何とか頑張った。
彼の場合、性別自体に関することより急務となったのが進路問題だった。彼は現在高校3年生である。
(月城としみ・水巻アバサは高校1年生)
彼はとっても成績が悪い。彼が入れる大学はたぶん無い。といって高卒で就ける職業で、女子なら販売員とか電話受付とか飲食店のフロア係とかありそうだけど、男子は概して力仕事の類いしかない。しかし弥日古はとても非力である。100m走るのに20秒近くかかるし、泳ぐのも10mくらいが限度である。バスケットのシュートが全く入らない。野球のボールを投げて2塁から1塁まで届かない。
彼はネジが締められないし(彼の締めたネジは緩すぎる/電動ネジ回しは飛んで行く!)ハンダ付けもできないので、自動車工場や家電工場も無理である。静電気が酷いので製造“用”の機械を壊すかも。そもそもムラ気のある性格なので、決められたことを決められた時間できちんとこなすことができない。
取り敢えず運転免許は取っておこうと言っていたのだがこの夏は『竹取物語』の制作でずっと東京にいたので結局取っていない。彼は資格試験の類いにことごとく落ちている。
ITパスポートは2回受けたが2度とも落ちた。彼の解答を見た情報の先生は「なんか根本が分かってない」と言っていた。彼はメインメモリとUSBメモリの区別が付いてない。機械音痴でマウスのケーブルをLANケーブルのジャックの所に差し込もうとして「入らない」と言って5分くらい悩んでいた。ブラインドタッチもできない。日商簿記(初級:昔の4級)も似たような状態。「これ最初から勉強し直さないと無理」と言われた。つまり簿記が根本的に分かってない。
英検は4級(中1程度)に落ちた。危険物取扱者(乙種4類)も落ちたが、他の子によると「藤君がGSに勤めたら車が爆発する」ということらしい(静電気問題も大きい:彼自身が“危険物”だったりして)。だいたい運転免許を持ってないとGSへの就職はできない。
実を言うと彼が唯一持っている資格が、エレクトーンの6級である。これはセミプロのレベルである。他にも彼は楽器が多数できて、ピアノ・エレクトーン・ギターなどの他に、サックス・オーボエ・クラリネット・トランペットが吹ける。音楽の時間のピアノ当番のひとりである。吹奏楽部に入ってはいないものの、頼もしい助っ人として頻繁に演奏に参加していた。歌もとてもうまい。アルト音域まで出ていたのだが、この夏にソプラノまで出るようになった。
ただこの技能を活かす就職先というのはあまり無いと思われた。彼は成績が良くないので、音楽関係の大学にも入れない。
専門学校に行く手もあるが、専門学校で何を学ぶかは大きな問題だった。音楽があれだけ優秀なのに絵は下手なのでデザインとか学んでも仕方無いし、腕力が無いから介護は無理。ビジネス関係を学んでも男子の募集は無い。プログラミングはできそうにない(彼の書いたプログラムは多分永久にコンパイルが通らない)。
色々検討して、美容師になったら?と先生は言ってて「それなら自分にもできるかも」と思った。男性の美容師はわりと居る。人と話すのはわりと好きである。
ところがもし弥日古が女子ということになれば、高卒でもわりと仕事がある。
彼は愛想がいいし、元々人と話すのは好きだから、お店の販売員とかレストランのフロア係とかが務まりそうである。そういう適性があるのは分かっていたのだが、これまでの問題はそういうお店は“女性しか採ってくれない”ことだった。
この付近の事情が実は、彼と吉川日和(入瀬コルネ)はとても似た状況である。ただ日和が女の子にしか見えないし、体付きもまだ性別未分化なのに対して、弥日古は身体付きがやや微妙である。男の骨格ができかけていた。今の骨格では赤ちゃんを産めるかも微妙(骨盤が男の形に近く流産しやすい)。だから弥日古の場合、卒業までの半年で、いかに女らしくなれるか!というのが課題かも!?
実は弥日古は進路指導の先生とそのあたりをかなり話しあったのである。それで取り敢えず、ビジネス系の専門学校に行っては?という話をした。秘書検定を受けたり、簿記やパソコンをいちから勉強し直し、英語も中1からやり直したらなんとか就職口が見付かるかもと言われた。
ただ弥日古は、花ちゃんから言われた「信濃町ガールズに入らない?」という言葉も魅力的に感じた。高卒メンバーは正直な所、その年齢から歌手デビューを目指すのは難しいと言う。ただ、高卒だと学校で昼間の時間拘束されたりしないし、深夜労働ができるので(←怖い気がする)、使い道が多いらしい。主として若いタレントさんのサポート役になるけど仕事はあると花ちゃんは言っていた。それに彼の場合、楽器が色々できるので伴奏の仕事もあると言う。
「それで25-26歳になってお嫁さんになるまでお仕事するのも楽しいと思うよ」
結局ぼくお嫁さんになるのかなあ。OLとかしてもだいたいはそのコースという気もするけど。などと弥日古は思っていた。
でもお嫁さんになった場合、男の人とセックスするのはいいとして(やはりいいのか)、ぼく赤ちゃん産めるかなあ、と少し不安もあった。だいたいまだ生理も来てないしなどと思う。
9月14日(水).
弥日古がそんなことを考えていた時、薩摩川内市の松崎真和(まな)ちゃんから電話が掛かって来たのである。
「ヤコちゃんさ、ぼくと相前後して女の子に変えてもらったでしょ?」
「うん」
「あれからもう半月近く経つからそろそろ生理が来る可能性あると思うんだよ」
「せ、せいり?」
ぼくに生理が来るの??
「だから来ても慌てなくていいように、生理用品準備してた方がいいと思う」
「せ、せいりようひん??」
「何を用意すればいいか分かる?」
「それナプキン使うんだよね?」
「ナプキンの昼用と夜用、あるいは普通の日用と多い日用、サニタリー・ショーツ、ナプキン入れ、パンティライナー。あ、これメールするよ」
「お願い」
「お金はギャラもらったので充分払えるだろうけど、最初はひとりで買いに行くの恥ずかしいだうから、お母さんと一緒に行くといいよ」
「うん。ありがとう。考えてみる」
電話を切ってすぐ彼女からメールがある。必要なものの一覧に加え、中高生女子にはセンターインが人気というのも書き加えてある。こういう情報は貴重だ。あれこれ試してみて自分の好みのにしていけばいいけど、最初は何買っていいかきっと悩むもん。
しかし言われてみれば、なんかお腹の下のほうにやや痛みがあるような気がするぞ。これほんとに生理が来るかも。
弥日古は生理用品の購入について、ひとりで買いに行くのと母に相談するのとどちらがより恥ずかしくないかという問題について、慎重に検討を重ねた結果、やはり母に相談してみることにした。
「お母ちゃん、私、昨日辺りからお腹の少し下のあたりに軽い痛みを感じるんだけど、これ生理ってことないかなあ」
「どの辺が痛いの?」
「この辺」
「それほんとに生理かも」
「ナプキンとかサニタリーショーツとか買うのに付き合ってくれない?ひとりでは不安で」
「うん。一緒に行こう」
それで母は弥日古を連れて一緒にアモリ(ドラッグストア)に行ってくれたのである。
ナプキンのブランドについては真理奈(広瀬みづほ)がセンターイン、留依香がソフィ、母がエリスを使っているので違うブランドということでロリエを使ってみることにした。
弥日古の姉妹
藤井寿海(大2)
藤弥日古(高3:広瀬のぞみ)
藤真理奈(高1:広瀬みづほ)
藤留依香(中2)バスケットをしている
弥日古はドラッグストアで見て、スリムガードの羽根つきで無香タイプ、少ない昼用と夜用を買う。それと生理用ショーツ4枚、パンティライナーはしあわせ素肌を使ってみることにした。お金は弥日古が払った。
「それ付け方とか交換の仕方分かる?」
「うん」
「さすがさすが」
多分男の娘はみんなナプキンの使い方は知っているよね?
弥日古はその夜からナプキンを付けて寝ていた。すると結局17日(土)、再度東京に行ってから『天下』のセリフ先録りをしている最中に来た。
自分のセリフの時ではなかったので何とかなった。それにナプキン着けてなかったらみんなに迷惑をかけかねない所だった。これ結構きついよーと思った。でも生理来たということは、ぼく赤ちゃん産めるようになったのかな?そう考えると嬉しい気持ちになった。ぼくお嫁さんになれるかも?
9月16日(金).
松崎典佳(月城たみよ)が学校から帰ってきたら、女子寮のフロントのところで電話を掛けていたふうの花ちゃんが典佳を見て携帯から手を離し、彼女に声を掛けた。
「典佳ちゃん、いいところへ。今時間ある?」
「はい、あります」
(こういう時は別の仕事の予定が入ってない限り「時間はあります」と答えろと教育されている)
「うん。いい返事だね。君確かフルート吹けたよね」
「はいフルートは得意なんです」
(こういう時は自信が無くても「得意です」と答えろと教育されている)
「じゃ学校の荷物置いたらフルート持って地下のB10スタジオに来て。服はそのままでいいから」
服も着替えなくていいというのは急ぎの仕事なのだろう。
「はい、すぐ行きます」
と言って典佳は駆け足でエレベータの所まで行った。
典佳が部屋で荷物を置き、トイレに行ってうがいをしてから、フルートを持ち、新しいマスクを付けてB10スタジオまで行くと、木下さん・篠原さん・ルーシーさん・谷口君がいる。舞音ちゃんのバンド“招き猫”の音源制作をしていたようだ。舞音ちゃん本人が居ないが、きっと歌は別録りなのだろう。しかしB10スタジオということは、これはもう本番のはずである。練習でこのスタジオを使うことはまず無い。
スタジオには、招き猫の4人、ヴァイオリンを持った七石プリム君が居る。どうも基本4楽器にヴァイオリンの音を乗せていたがそれにフルートの音も欲しいということになったのか?
スタジオにいるメンツを見て、典佳は一瞬でそこまで判断した。でもプリムちゃん学校は?
「おはようございます。月城たみよ、フルートで入ります!」
「おはよう。取り敢えず今できてる仮ミックスを聴いてくれる?」
「はい」
それで聴くが舞音ちゃんの曲らしい、踊り出したくなるような曲である。仮歌をプリムが入れている。そこにヴァイオリンがフィーチャーされているが確かにこれはフルートと・・・クラリネットあたりの音が欲しい気がした。
「もう譜面を書く時間が無いんだよ。この演奏に合わせてフルート吹けない?」
「はい、吹きます」
「よしよし。いいお返事するね」
と花ちゃんが笑顔で言う。
典佳は“純粋に”質問した。
「これはフルートで完成ですか?それとも更にクラリネットとか入れられます?」
実はクラリネットもはいるかどうかで吹き方が変わるのである。
すると木下君が言った。
「ほらやはり。この曲にはクラリネットも欲しいんですよ」
あれ〜?もしかして私まずいこと訊いた?
「すみません。駆け出しの分際で生意気なこと聞きまして」
「いや、意見を言うのは全く構わない。でも実はクラリネットが欲しいという意見もあったんだよ。時間が無い。私がクラリネットを吹く」
と言って花ちゃんはクラリネットを取りに行く。
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