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6月26日25:00JST(19:00EEST).
バスケット日本女子代表は初陣でトルコと対戦したが、トルコの堅い守備に阻まれて、王子以外は全く中に入れてもらえず65-49で完敗した。エレンは3本しかスリーを入れることができなかった。コートから戻ってきた時、エレンは
「生卵とシュークリームは悪いけど付けといて」
と“千里”と亜津子に言うと、疲れたような表情で引き上げて行った。
翌27日。日本は格下のプエルトリコに苦戦する。前半リードを許す展開であったが、ハーフタイムに千里と亜津子の厳しい視線を見たエレンは立ち上がると持っていたコーヒーのスティール缶を握りつぶした。
そばに居た宮本睦美は、その握り潰されたコーヒー缶に入っていたコーヒーを浴びてぎゃっと声をあげたが、エレンはその悲鳴にも気付かず、千里・亜津子と睨み合っていた。
後半、そのエレンは超絶な活躍で7本もスリーを放り込んで試合をひっくり返す。そして日本は何とか70-79で勝利したのである。
これで日本は1勝1敗で決勝トーナメントに進出することができた。
但しエレンは試合が終わり控室に戻った途端倒れてしまい、医務室に運び込まれて、点滴まで受けた。
6月28日(木).
阿倍子は困惑していた。
実は25日頃に来るはずだった生理がまだ来ないのである。
「まさか・・・ってことないよね?」
阿倍子は薬局に行くと、早期妊娠判定薬を買ってきた。生理予定日から妊娠判定ができるタイプである。
結果は陽性である!
「うっそー!?」
しばらく考えていた阿倍子は貴司に電話した。
貴司は合宿中だったのだが、阿倍子からの驚くべき話に、外出許可をもらって都内のホテルで新幹線で東京に出てきた阿倍子と会った。
「どういうこと?妊娠したって?」
「だからこないだの晩ので妊娠したとしか考えられないのよ」
「だって僕たちセックスしてないよね?」
「セックスはしてないけど性器は接触させたし何度か柔らかいまま入れたよ。だから我慢汁の中に含まれる精子が私の膣内に進入して、子宮まで辿り着いて受精した可能性はあると思う」
「そんな馬鹿な」
「可能性はあるでしょ?」
(こういうトラブルを経験していたのに5年後に美映と同じトラブルを起こす貴司はほんとうに馬鹿である)
貴司は困ったような顔をしていたが、やがて言った。
「申し訳無い。費用は僕が出すから中絶して欲しい」
しかし阿倍子は言った。
「それは絶対嫌」
「どうして?」
「だってだって、私、前の旦那と何年も不妊治療して、一度も妊娠成立しなかったんだよ。初めてなんだよ、妊娠したのって。貴司さん以前言ってたよね。妊娠って相性があるから、他の人となら妊娠する可能性あるって。だから、私と貴司さんって凄く相性がいいんだと思う。でも相性がよくても妊娠の可能性って凄く低いと思うんだよ。こんなこと絶対二度と無い。だから産みたい」
と阿倍子は涙を流して訴えた。
「僕は認知しないよ」
「認知を求めて裁判起こすよ。遺伝子判定してもらったら間違い無いと思う」
貴司は考えた。ここまで阿倍子が頑張るというのは本当に自分以外とは性的な接触をしてないのだろう。それで言った。
「分かった。だったら出産費用と養育費は出すから」
千里から何と言われるかと考えたら恐ろしいが、ここを納めるにはこの選択しかないと貴司は思った。女性を妊娠させて裁判などということになると、不祥事を起こした選手ということになり、せっかく掴み掛けている代表の話も消えてしまうだろう。チームでも何か処分を受ける可能性もある。
「それならいっそ結婚してよ」
「それは無理だって」
「結婚してくれないなら私死んじゃう。そして遺書を残すの。細川貴司さんに欺されて妊娠して結婚もしてくれないから死にますって」
「それは全然事実と違う!」
と貴司は怒って言う。
「私、本当はお父ちゃんが死んだら自分も始末を付けようと思っていたの。お母ちゃんもずっと病気がちで、毎日食事前にインシュリンも打ってるし。医療費が凄くて、とても支えていけないけど、私が死んだら福祉施設とかにでも入れると思う。だけど赤ちゃんができたのなら頑張らなきゃと思った。でも結婚してもらえないなら、やはり死ぬしか無い」
と阿倍子は思い詰めたような顔で言った。
「君のことは気の毒とは思うが、僕は君と結婚することはできない」
と貴司は言った。
「だから私は死ぬから気にしないで。遺書を残すだけ」
「僕を脅迫するつもりか?」
その夜、ふたりの議論は夜遅くまで続いたが、さすがに23時になった時点で貴司は「お腹の赤ちゃんによくないから寝なさい」と言って、無理にベッドに寝せる。
「添い寝してよ」
と涙を流しながら言う阿倍子を見ると貴司はむげにはできない気がして、その横、毛布の“外側”に横になった。
「寒いよ。毛布に入りなよ」
「いやこのままでいい」
夜は更けていった。
世界最終予選を戦っている日本女子代表。
28日は休養日だが、1日練習で明け暮れる。エレンは鬼軍曹となってみんなに激しい練習をさせていた。早船が
「レンさん、こんなに練習してたら明日まで疲れが残ります」
と言ったら、エレンはギロリと彼女を睨み
「練習したくないのなら、今すぐ日本に帰れ」
と言った。
「そんな言い方無いでしょう?レンさんこそ力が衰えて足手まといなのに」
と言ってふたりは喧嘩になってしまう。
何とか黒江咲子がふたりを引き離し、羽良口英子が「センちゃん、言っていいことといけないことがある。謝りなさい」と言って、早船も渋々謝り、何とかその場を納めるというシーンもあった。
そしてむかえた6月29日の準々決勝。日本はこの試合に勝てばオリンピックに行くことができる。
しかし世界ランキング4位のチェコは無茶苦茶強かった。第1ピリオドなど17-4という一方的な展開になる。その後何とか挽回していったものも及ばず。53-47で敗れた。
この日勝ったクロアチア、チェコ、トルコ、フランスの4国はオリンピック出場決定である。残るたった1つの椅子をこの日敗れた、カナダ・日本・アルゼンチン・韓国で争うことになる。
30日の準決勝。日本は韓国と対戦したが51-79で勝った。昨日チェコ戦で4本しかスリーを入れられなかった三木エレンはこの日は8本もスリーを入れて“辻褄を合わせた”が、千里と亜津子に「昨日これをしなかったら意味無いですね」と言われるハメになる。
この日もうひとつの試合ではカナダがアルゼンチンを破り、最後の決勝戦は日本とカナダで争われることになった。
2012年7月1日16:00JST(10:00EEST).
大田区総合体育館で台湾との親善試合ゼビオチャレンジが行われた。
貴司は試合直前に目をつぶって少し瞑想し、精神を集中させる。今は試合のこと以外考えないことにしようと思い切る。
貴司はベンチスターチではあったが、第2ピリオドに3分、第3ピリオドに5分出してもらい、8分間の出場の間に2アシスト6得点とまずまずの活躍を見せた。
試合が終わってちょうど控室に戻ってきた所で千里から電話があり
「勝利おめでとう」
と言う千里に
「ありがとう。何とか頑張れたかな」
と貴司も明るく答えた。
この日は貴司としては阿倍子とのことで重大な局面にあったものの、勝利の後ということもあり、千里と明るく会話することができた。
「女子代表も今日勝てるといいね」
「うん。頑張って応援するよ」
2012年7月1日24:00JST(18:00EEST).
アンカラで日本とカナダの試合が始まる。勝てばオリンピックに行けるが負けたら行けない。どちらにとっても極めて単純な勝負である。
しかしカナダは最初から主力をぶつけ、第1ピリオド21-11と日本を圧倒した。日本代表チームには身体能力で遙かに勝るカナダを抑えるすべが無かった。体格的に対抗できるのが馬田恵子と高梁王子だけなので、他から突破されるとどうにもならないのである。
エレンはスリーがあると警戒されているので、早め早めに潰すようにしてくる。結果的にエレンはスリーポイントラインの所に立つことができなかった。
そしてこの試合は71-63で敗れ、日本はオリンピック切符を掴むことができなかったのであった。
沈んだ空気の選手控室で三木エレンが、バスケ協会の鰥臣理事に話しかけた。
「私はキャプテンとしてこの大会に臨みました。しかしオリンピックにみんなを連れていくことができなかった。それで考えていたんですが、私はこの大会をもって・・・」
そこまでエレンが言った時、生卵とシュークリームが飛んできてエレンに当たる。
「何をしてるんだ!?」
と鰥臣さんが怒った。
しかし千里は言った。
「レンさん、勝ち逃げは許しませんよ」
「勝ち逃げ?」
「この大会で私も花園も三木さんに負けて代表になれなかった。その中で三木さんが万一このまま引退してしまったら、私も花園も永久に負けたままです。私も花園も3年後のアジア選手権までに力を付けて、実力で三木さんを代表の座から引きずり降ろします。ですから、それまで三木さん、バリバリの現役でいてください」
すると三木エレンは泣き笑いのような表情になった。
「サン、フラ。ありがとう。分かったよ。こんな老いぼれさっさと引退した方がいいのかも知れないけど、憎まれっ子世にはばかるで頑張るから3年後にまた勝負しよう。って、来年もアジア選手権はあるんだけどね」
とエレンは言った。
アジア選手権は2年に1度であるが、来年のアジア選手権の上位は2014年の世界選手権に出る。3年後2015年のアジア選手権覇者は2016年のリオデジャネイロ五輪に出ることができる。
「それに3年後も私がまた私がサンとフラを蹴落とすから覚悟してなさい」
とエレンが挑戦的な顔で言うと、千里も亜津子も笑顔で頷いた。
そんなことをしていたら早船和子が
「サンたちにやられる前に私がレンさんには引導を渡してあげます」
と言っている。
「あんたは返り討ちにしてやるから」
とエレンは言った。
そういった対話を聞いて鰥臣理事も笑顔で頷いていた。
日本代表の一行は7月2日帰国した。
ESB 7/2(Mon)13:00 (TK2143) 14:05 IST (1h05m)
IST 16:55 (TK50) 7/3 10:10 NRT (11h15m)
日本到着後は都内のホテルでバスケ協会会長に結果を報告した後、記者会見を行って解散したが、記者会見ではキャプテンの三木と、帯同した鰥臣理事、それに日本国内に居て選手たちを出迎えた強化部長に厳しい質問がされていた。なお、ヘッドコーチもアシスタントコーチも日本には来なかった!最後まで責任の所在が全く分からない代表活動であった。
なお日本女子A代表の活動は今年はこれで終了であり、次は来年6月の国際親善試合、9月の東アジア大会、10月のアジア選手権(これが最も重要)に向けて来年の2月くらいからまた強化活動が始まる予定である。
千里はバスケ協会で解散してから、何人かのメンバーと一緒にお昼を食べ、その後、いったん葛西のマンションに戻って遠征の荷物を置いた後、普段着に着換えて千葉のアパートの方に行った。
桃香が何だかボーとしている。
「ただいまあ。牛丼買ってきたけど食べる?」
「食べる食べる」
それで一緒に食べていたが、やはり桃香はボーっとしたままである。季里子ちゃんと別れたのが本当に痛手だったんだろうなと思っていたら桃香は別のことを言った。
「いや、実は今朝までの勤務で、電話受付センターのバイトが終わったんだよ」
「ああ。辞めたんだ?」
「というかセンターが閉鎖になっちゃって」
「ありゃ」
本来は6月末で終わりの予定だったのだが、大きなイベントの受付の仕事が入り、その受付締切りが今朝10時だったらしい。
「でもバイトしながらゼミやるのが結構辛かったからこれでいいかも知れないという気はする」
「でも千里、大学院はどうするの?」
「行かない。行かない。12月に結婚するから、卒業した後は大阪で彼と暮らすよ」
「結婚かぁ。いいなあ」
「桃香も2〜3年後には結婚したいと思う子ができるかもね」
「そうだな。2〜3年後にはできるかもね」
と桃香は少し疲れたような顔で言った。
「桃香は大学院どうすんの?」
「実はまだ何も就職活動してないんだよね」
「ああ、それはやばい」
「就職するなら、会社回りとかしないといけないけど、なんか気力が足りない」
「まあバイト退職して今は疲れがどっと出ているだろうし。いっそ夏休みに突入してから就職活動してもいいかもね」
「そうだなあ」
と言ってから桃香はハッとして言った。
「千里、性転換手術受けるのいつだったっけ?」
「7月18日だよ」
「準備とかしてる?」
「別に準備も何もないと思うけど。7月14日にタイに渡って18日に手術受けて帰ってくるだけ」
「まるで観光旅行にでも行くようなノリだ」
「似たようなものだと思うけどね」
「以前言っていたように、私も付いて行くから」
「大変なのに!」
「青葉と同じ日だからさ。青葉には母ちゃんが付いているから、千里には私が付いている」
「ありがとう。助かるかも。旅費・滞在費は私に出させてね」
「出してもらおうかな。実はちょっときつい。退職金は通常の給料と一緒に7月末の支払いだから、それまでは余裕が無くて」
「うん。無理しないでね」