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■娘たちのクランチ(10)

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和実は6月25日(月)の朝から新幹線と《はくたか》を乗り継いで射水市の病院まで行き、性転換手術前の最後の定期検診を受けた。今回は2日掛かりでの診察である。
 
「先月の写真を見て私はワクワクしたよ。こんな楽しい患者さんは初めて」
と言って、松井医師は先月の写真を見ていた。
 
しかし・・・この病院でMRIを取ると、全部男性の身体しか写らないのである。松井医師がとっても不機嫌である。
 
「性別が不安定になっていると聞いたから期待していたのに」
「実は除霊してもらったんです。それで私の身体に憑依していた女性の霊がいなくなったので、本来の身体の写真が写るようになったんだと思います」
 
「でも睾丸が写っているんだけど」
「存在しますから」
「それ取ったんじゃないの〜?」
「大間先生がそう思い込んでおられるようだったので、取り敢えず話を合わせておきました」
 
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松井医師はしばらく考えていた。
 
「今から性転換手術してあげるから。今日の午後は手術室空いているんだよ」
「来月にしてください」
 

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和実が退院して帰ってしまってからも松井医師はぶつぶつ言って不機嫌であった。相棒の鞠村医師がおかしさをこらえながら
「残念だったね」
と声を掛ける。
 
「誰か性転換したい。どこかに可愛い男の娘いない?今すぐ女の子に変えてあげたいんだけど」
 
「ほんとに絵理って性転換が好きなんだね〜?」
と半ば呆れるように言ってから、鞠村はふと、1枚の写真に目を留めた。
 
「ねえ、ここに写っている影みたいなもの何だろう?」
「ん?」
 
松井医師はその写真の番号を確認するとモニターに呼び出し、分かりやすいように大きく拡大した。
 
「これ・・・卵巣だよね?」
「凄く薄い影だけど、この形は卵巣に見える」
 
「やったぁ!!やはり和実ちゃんには卵巣が存在するんだよ」
と松井医師は嬉しそうに言った。
 
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「やる気出た?」
「出た出た。ところで猛烈に今日性転換手術したいんだけど、この歳、男の娘でなくてもいいし、年食っててもいいから、誰かちんちん切っても構わない男いない?」
 
「いない、いない。くれぐれも犯罪行為だけは慎んでね」
と鞠村は松井に釘を刺した。
 

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6月25日(月)仏滅。
 
桃香はその日のバイト勤務を終えて季里子と一緒に暮らすアパートへバスで帰った。このバイトもあと一週間で終わりである。バイトが生活の一部になっていたから、無くなると張り合いが無くなるかも知れないが、大学の方もゼミがけっこうきつくなってきているので、そちらに集中しないといけないなと考えていた。
 
またこの時期、桃香は大学院に進学するかどうかでも悩んでいた。理学部は修士課程までいく学生が多い。しかし正直、修士まで行く意義も分からない気がしていた。修士の学位が必要な職業に就く予定もない。とは言っても実は自分が大学を卒業した後、何をするのかというプランも無い。逆に言うと自分が何をしたいのか考えるモラトリアムとして修士の2年間を使う手はあるという気もしていた。
 
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鍵を開けてドアを開け
「ただいまあ」
と言って中に入る。
 
そしてそこに居る人物を見てギョッとする。
 
「お父さん?」
 
「高園さん、お帰りなさい」
と言っているのは季里子の父である。
 

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「まさか季里子さんに何かあったんですか?」
と桃香は尋ねた。
 
「季里子は取り敢えず親戚の家に預けました」
「はい?」
 
「この通りです」
と言って季里子の父は畳に頭を付けて土下座の姿勢を取った。
 
「何です?何です?」
「お願いします。季里子と別れてください」
 
それで桃香はここに季里子の父がいる理由(わけ)が分かった。季里子は父に自分と桃香の関係を打ち明けたのだろう。そして自分たちを夫婦として認めて欲しいと言ったのではなかろうか。それに父が激怒して、別れさせに来た??桃香はそういう展開を想像した。それもっと時間を掛けてから言いたかったのに。
 

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父は言った。
 
「私はある程度同性愛や性同一性障害にも理解はあるつもりです」
「はい」
 
「お聞きになっていると思いますが、うちには3人の子供がいます」
「ええ」
 
「いちばん上の男の子は物心ついた頃から女の子のような傾向を見せていました。実際小さい頃からよく女装していました。高校生の内に親にも黙って去勢してしまって、高校卒業した後は性転換手術を受けて本当の女の子になってしまいました。そして戸籍の性別も変更し、正式に女になって男性と結婚して家庭を築いています」
 
その話は全く知らなかった。季里子から自分の上に兄と姉がいるとは聞いていたのだが、そのことについて季里子はあまり話そうとせず、また会わせようともしなかったのである。
 
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「2番目の男の子は」
とお父さんが言った時点で季里子が言っていた「兄と姉」の内、姉というのは兄から姉に変わった人だったのかということを桃香は認識した。
 
「本人はふつうに男の子だったのですが、小さい頃から男の子が好きで中学や高校の時にも、ボーイフレンドを自宅に連れて来たこともありました」
 
桃香は思った。LGBTってわりときょうだい全員に現れることがあるんだよなと。親としてはたまらないのだが。兄弟そろって、あるいは姉妹そろって性転換してしまった人たちも何組か知っている。
 
「お前女の子には興味無いの?と聞いたのですが、女なんて触られただけで気分が悪くなると言っていました。ところがある日、今女性と付き合っていて結婚したいというので、私も妻も諦めていただけに喜んだのですが、その結婚相手というのを聞いてびっくりしました。実は生まれた時は女性だったものの、男の子になりたくて男性ホルモンを服用していて既に女性機能は停止して、ヒゲも生え、声変わりもした人だったんです」
 
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「あぁ・・・」
 
「向こうはまだ性転換手術はしていないということでした。女から男に変わる性転換手術って異様に高いらしいですね」
「そうなんですよ。私も男になる手術受けようかなと思ったことありますが、あまりにも高くて手が出ない感じで」
 
「それでその人は手術するお金も無くて、それで戸籍上の性別も男に変更することができないでいたそうなのですが、でもかえって息子と結婚するには好都合だったんですよ」
 
「なるほどー」
「それでふたりは結婚しました。結婚式もごく内輪でやりましたが、ふたりともモーニングを着た式になりました」
 
桃香は思った。結果的に上の2人はどちらも法律的にも結婚しているんだ!と。
 

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「まあいいんではないですか。でも上のふたりを認めてあげたのに、私と季里子さんとの間のことは認めてもらえないのですか?」
と桃香は純粋に訊いた。
 
「私は・・・私は・・・孫が欲しいのです」
「あぁ・・・」
 
「いちばん上の子は性転換手術をした時に生殖器は取ってしまったので、もう子供は作れません。2番目の所は相手の生殖機能が停止してしまっているので子供が産まれることはありません」
 
「それで季里子に」
 
「季里子にだけは普通の男性と結婚して欲しかったのです。桃香さん、私はあなたのことが気に入っている。季里子と実は夫婦になったと聞いて驚きましたが、桃香さんであったら季里子と結婚してもらってもいいと思いました。でもそれでは子供ができません」
 
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「そうですね。私も精子は持ってないので」
 
「それで本当に申し訳無い。この通りなので、季里子と別れてもらえないでしょうか」
とお父さんは再度桃香の前に土下座した。
 
「季里子さんは何と言っているのですか?」
「手当たり次第物を投げつけられました」
「季里子らしい」
 
「ここに手切れ金を300万円用意してきました」
と言ってお父さんは分厚い札束を差し出した。
 
「こちらが桃香さんから頂いたエンゲージリング、そして結婚指輪です」
と言って2つのジュエリーケースを差し出した。
 

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桃香はなぜか冷静だった。
 
こちらが泣き叫びたい気分だ。しかしなぜか桃香は静かに言った。
 
「エンゲージリングもマリッジリングも、季里子だけのために用意したものです。返されても困ります。もしよかったらエンゲージリングは、ファッションリングとしてでも持っていてもらえませんか?指につけるつけないは別として」
 
「分かりました。それでは別れてもらえますか?」
「手切れ金は、そのまま季里子の結婚祝いのご祝儀としてお父さん、受け取ってもらえませんか?お金をもらって季里子と別れたら、私は自分を許せなくなります」
 
お父さんはしばらく考えていた。そして言った。
 
「分かりました。それではこの結婚指輪だけを返却したいのですが、いいですか?」
「受け取ります」
と言って桃香はそれを受け取った。
 
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これで離婚は成立してしまった。さすがに涙が一粒目からこぼれた。
 
そして桃香は言った。
 
「お父さん、少し飲みませんか?私はお酒を飲みたい気分です」
「そうですね。今夜は飲み明かしましょう」
 
こうして桃香と季里子の新婚生活は半年もせずに終わってしまったのであった。
 

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6月26日10:00JST(4:00EEST) 日本バスケットボール協会は7月1日のゼビオ・チャレンジ(台湾との親善試合)に出場する日本男子代表17名を発表した。
 
この中には貴司の名前があったので、日本に残っている《すーちゃん》からの連絡を受け、貴司たちがお昼休みになった時刻12:10JST(6:10EEST)を見計らって、千里は貴司に電話した。
 
「おめでとう」
と明るく言う千里に対して貴司は
 
「あ、うん・・・」
と何やらはっきりしない雰囲気。
 
「どうかしたの?」
「いや、何でもない。せっかくのチャンスだし出してもらえたら頑張るよ」
「うん。愛してるから頑張ってね」
「ありがとう」
 
どうも様子のおかしい貴司に千里は首をひねった。
 
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6月26日18:20JST(12:20EEST).
 
千里がお昼を食べていたら桃香から電話が入る。
「今夜千里どこに居るんだっけ?」
という桃香の声が物凄く暗い。
 
「何かあったの?」
「少し話したいことがあって」
 
千里はこれはただならぬ事態だと判断した。
「分かった。どこかで会おうよ。どこがいい?」
と千里が言うので、同じテーブルに居た玲央美が顔をしかめている。
 
「良かったらアパートに来れないかな?」
「いいよ。そちらに向かう」
 
それで千里は玲央美に
「ごめん。午後の練習サボるね」
と言うと、ちょっと席を立ってカーテンの陰に行く。そしてカーテンから出てきて玲央美のテーブルに来て
「どうもどうも」
と言っている人物を見て玲央美は腕を組んだ。
「あんた女だっけ?」
「すみませーん。試合には出ないから大目に見て」
「まあ試合に出たければ、取り敢えず手術受けてちんちん取って女にならないといけないね」
「手術は勘弁してください」
と千里に擬態している《こうちゃん》は言った。
 
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玲央美はこの日の午後の練習では“千里”に黒江咲子の練習相手をしてもらったが、咲子が全く“千里”に勝てないので、咲子は物凄く闘志を燃やしていた。その様子を見ていた横山温美が
 
「ねぇ、ひょっとしてサン(千里)って今ここにいるメンツの中で最強ということは?」
とエレンに尋ねた。
 
「何を今更。サンとプリン(高梁王子)が2強。この2人のパワーは飛び抜けている。次がレオ(佐藤玲央美)、フラ(花園亜津子)、サイド(横山温美)、マー(馬田恵子)。この4人は優劣付けがたい」
 
「なぜそのサンとフラとレオが落とされたんだろう?」
と温美が訊くと
 
「日本に負けて欲しいとしか思えないね」
とエレンは吐き捨てるように言った。
 
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緊急事態っぽいので《くうちゃん》に転送してもらって千葉に戻った千里は桃香のアパートに入った。
 
「千里、おかえり」
「どうしたの?このアパートには来ないという話だったのに」
「破談になった」
「え!?」
 
「こういう話なんだよ」
と言って桃香は季里子のお父さんとの会談内容を千里に話した。
 
「悲しいね」
と千里は涙を流して言った。
 
「今回ほど自分が男でないことが悲しかったことはない」
「諦めるの?」
 
「私はお父さんの心情が痛いほど分かるんだよ。自分の親にも同じ不孝を掛けているから」
「季里子ちゃん、だったら男の人と結婚するの?」
 
「友だちの優子が季里子と話してくれたんだけど、見合いを取り敢えずしたらしい。近い内に結納もすると」
 
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「でも子供産むためだけに結婚しないといけないのかなあ。種だけもらったらいいじゃん」
「世間では結婚してから子供を作るもんだよ。むしろ私は自分と季里子が結婚しているのに他の男と季里子が寝て赤ちゃん産んだら、耐えられない気がする」
 
「私も耐えられないかも知れない」
と千里は言ったが、この時千里は自分も一週間後に桃香と似た立場に立つことになるとは知るよしもなかった。
 
「千里、添い寝して」
「セックスはしなくていいんだ?」
「しばらく自粛する」
「いいよ。季里子ちゃんに操を立てなよ。しばらくは」
「うん」
 
結局千里はこの日、朝までアパートに滞在して、朝御飯も一緒に食べたので、その間トルコではずっと《こうちゃん》が千里の代役を務めた。
 
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娘たちのクランチ(10)

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