広告:Back-Street-Girls-12-ヤンマガKCスペシャル
[携帯Top] [文字サイズ]

■クロ子義経(15)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

ヒバリの語りは続く。
 
『11月17日、河尻の戦いから12日後、義経一行がバラバラになってから11日後、河越重頼らが処刑された5日後、義経一行が吉野の山に潜伏しているという情報があり、吉野山の僧兵たちに捜索の命令がありますが、誰も見つかりませんでした(実際にはあまり捜索する気はない)。ところが夜10時頃』
 
『若い女性が藤尾坂を下りてきて蔵王堂で一休みしていたようでした。こんな夜更けにこんな場所に女性がいるというのは?と思い、僧兵が声を掛けます』
 
『もし御前、そなたどこかにお参りにでも参られたのか?』
と僧兵。
 
『私は九郎大夫判官の妾で静と申します。船が難破して大物浜に打ち上げられてから予州(義経のこと)と一緒にこの山に来て5日ほど滞在しました。しかし衆徒蜂起の噂を聞いたので伊予守(予州に同じ)は山伏に姿を変え、どこか他の所に行くということでした。女は足手まといになるからと言われて、金銀を与えられ、伴に雑色を付けて京に戻るよう言われたのですが、雑色が私から金銀を奪って私を雪の中に捨てて逃げてしまいました。私はやっとのことで山を下りてここまで辿り着いたのです』
 
↓ ↑ Bottom Top

と静(アクア)が言う。
 
『それは大変でしたね!』
 

ヒバリは語る。
 
『吉野の執行(管理者のこと:演=冬風オペラ)は静にたいへん同情し、鎌倉に送るにしても少し身体を休ませてからにしたいと、義経の後任として京都守護に入った北条時政(演:立川ピアノ)に申し出て認められました。時政の命令で静の証言に基づき義経のいそうな場所を捜索しますが、義経は見つかりませんでした。静は12月8日に北条時政の屋敷に移送されました。そして12月15日の静の証言』
 
簡素な小袖姿のアクアが語る。
 
『予州は都を出て西国に向かうということでしたので同行しました。大物浜から出港しましたが、船が転覆して乗っていた者もバラバラになりました。その夜は天王寺に泊まりました。予州は迎えを寄こすといってどこかに行かれました。しばらく待つと迎えの馬が来たのでそれに乗って進むこと3日して吉野山に至り、予州に再会しました。そこで5日滞在したのですが、また別れることになりました。行き先は聞いておりません。私は雪山を何とか頑張って下りて蔵王堂に到着し、執行様に保護して頂きました』
 
↓ ↑ Bottom Top

なんか先日話したことと微妙に違っている。
 
ヒバリの解説。
『それで結局、静は鎌倉に送られることになり、2月中旬に京都を出発。母の磯禅師が付き添って、3月1日鎌倉に到着。安達新三郎清常の屋敷に入りました』
 
静(アクア)と磯禅師(演:満月さやか)が馬に乗り、鎌倉方の役人と一緒に道を行くシーンが映る。やがて到着する。
 
静が安達を見て、笑顔で挨拶する。
『新三郎様、お久しゅうございます。ご出世なさったんですね!御家人になられたのですか?』
 
清常(演:森原准太)は焦る。実は頼朝の命令で京都の義経の屋敷で雑色として働いていたことがあるのである。要するにスパイである。静がそんな下っ端の下男の顔まで覚えていたとは思いも寄らなかった。清常は慌てたものの
 
↓ ↑ Bottom Top

『あの後、頼朝様に拾って頂いたんですよ。まだ御家人の身分ではないのですが、頼朝様のおそばに仕えさせて頂いております』
と答える。
 
『それはよかった。伊予守に仕えてくださっていた方々の行く末を心配しておりました』
と静は笑顔で言った。
 

↓ ↑ Bottom Top

ヒバリが解説する。
 
『安達は以前間者をしていた負い目もあるので、静と母の扱いは客人として丁寧なものでした。また北条政子が気を遣って色々贈り物などもしてくれたので、静と磯禅師は快適に暮らすことができました』
 
『一方で静は幕府の役人に取り調べられるものの、静の言うことが聞く度に微妙に違うし、肝心なことは忘れたと言うので、役人たちも報告書をまとめられずに困りました』
 
『頼朝は静の処分に悩むのですが、政子が言いました』
 
北条政子(演:高崎ひろか)が源頼朝(演:秋風コスモス)に厳しく言う。
 
『罪人でもない女人をこんなに長期間拘束しているのは頼朝様の人柄を問われますよ。早く解放してあげてください。男同士の争いに女は関係無いではありませんか』
 
↓ ↑ Bottom Top

『しかしあの女、なかなか口を割らん』
『本当に何も知らないのではないですか?単に足手まといになるから放置しただけでしょう。それにあの子、妊娠していますよ。早く解放してあげなきゃ』
 
頼朝がピクッとした。
 
『だったら、あの女が出産するまで留め置く』
『じゃ赤ちゃんが産まれたら京都に帰しますか?』
『産まれた赤ん坊が女だったら許す。しかし男ならその赤子は殺す』
『頼朝殿が赤子を恐れるのですか?』
『成長すれば我にわざわいをなすかも知れない。実際私や義経は清盛殿に情けを掛けられて、その後平家を倒した。同様のことを繰り返してはいけない』
『あら、だったら頼朝様を先に殺してしまいましょうか?』
などと政子が言うので、頼朝は不愉快な顔をした。
 
↓ ↑ Bottom Top


ヒバリは語る。
 
『北条政子はかなり頑張って、静が産んだ子供が男の子であっても助命するよう説得を試みたのですが、頼朝の意向は覆りませんでした』
 
そして安達邸。
 
北条政子は人払いをして、政子(高崎ひろか)と静(アクア)の2人だけで話していた。話を聞いた静は戸惑うように言った。
 
『私、妊娠とかしてないんですけど』
『妊娠していると言った方が情けを掛けてもらえるから、そういうことにしたのよ。だから赤ちゃん産んだら京都に戻れることになったから』
 
『妊娠もしてないのに、どうやって産めばいいのでしょう?』
『それは適当な赤ちゃんを調達するから』
『でも男の子だったら殺されるんでしょ?』
 
『うん。だから女の赤ちゃんを調達する。ちょうど夏頃に赤ちゃん産みそうな女が3人ほどいるのよ。3人もいれば誰かは女の子を産むと思うから、その子を身代わりにする。そのあたりは私の腹心の女房にやらせるから』
『分かりました。お任せします』
 
↓ ↑ Bottom Top


『それと4月に頼朝が鶴岡八幡宮に参拝するのだけど、その時にあなた、白拍子の舞を舞ってくれないかしら?』
と政子(高崎ひろか)は言った。
 
静(アクア)は厳しい顔をして断る。
 
『私は伊予守の妾です。もはや白拍子ではありませんから、衆人の前で舞を舞うのは恥辱です』
 
『私もそう思ったんだけど、頼朝と言い争いをしていて、そういう話が出てきて。あなたが白拍子ではなく、義経殿の奥様であることは私も認識している。でも舞の名人がこの鎌倉の土地に来ていて、源氏の守り神である八幡大菩薩にその舞をお目に掛けないのも惜しい。これは私からもお願い』
 
ヒバリの解説。
『静はかなり渋ったものの、政子が静の身を守ろうと努力している気持ちは伝わってきたので、これに同意するのです』
 
↓ ↑ Bottom Top


《文治2年4月8日》というテロップが流れる。
 
静(アクア)が白い水干を着ている。
 
つまり静は男装している!
 
白拍子というのは男装して舞うものである。
 
テレビを見ていてこちらの政子が「アクアちゃんの男装だ」と騒いでいるが、テレビの中の北条政子(高崎ひろか)も見とれて『格好いい!』と呟いた。
 
(このセリフは台本には無かったもので、ひろかが思わず言ってしまったものをそのまま生かすことにした)
 
義経の側室が舞を舞うというので、伴奏陣が豪華である。工藤左衛門尉祐経が鼓を打ち、畠山次郎重忠が銅拍子を打つ。工藤は元々楽を得意としており、また畠山重忠は元々義経に同情的だったこともあり、この役を買って出たらしい。
 
↓ ↑ Bottom Top

(なお、畠山重忠役は富士川の戦いの所にも出ていた、オーディション選出の勝沢さん、工藤祐経役はやはりオーディション選出の金井さんである。ふたりともオーディションの時に実は和楽器の演奏ができる人という枠で合格している)
 

↓ ↑ Bottom Top

静が歌を歌う。
『よしの山みねのしら雪ふみ分ていりにし人のあとそ恋しき』
 
「吉野山」と「義経の山」が掛詞になっている。そして自分は義経を愛していると歌っている。これに頼朝は激怒するものの、北条政子は『健気ではないですか。私があの子の立場でもこのように言いますよ』というので他の人たちも静の覚悟を褒め称えた。
 
更に他の曲を歌いながら舞を舞ったあと、更にこのような歌を歌う。
『しつやしつしつのをたまきくり返しむかしをいまになすよしもかな』
 
自分の名前「静」と糸の「倭文(しづ)」を掛けている。「をたまき」は苧環。糸を巻いたもので、時の経過を表している。義経が頼朝と仲良くやっていた頃に戻れたらと歌っている。これも他の人がみんな頼朝におもねる発言ばかりする中で、はばからずに義経を慕う姿に、多くの人が感動したのである。
 
↓ ↑ Bottom Top

頼朝(秋風コスモス)が不機嫌そうに言う。
『八幡宮の神前で芸を見せるのに、誰もが関東万歳を言っている中ではばからずに反逆の義経を慕う歌を歌うとは大したもんだ』
 
それに対して北条政子(高崎ひろか)は言う。
 
『あなたが流人として伊豆に流された時、私とあなたが思いを通わせ、父時政でさえ、平家の勢いをはばかって、あなたと八重姫との子供(千鶴丸)は殺されましたし。そんな中、私は父の目を盗んで、闇に紛れ、大雨の中、あなたの所に通いました。また石橋山の戦いでは(敗戦した後)あなたとはぐれてしまい、あなたが無事かどうか知るすべもなく心細い思いでした。あの時の私自身の気持ちを思えば、今の静の心と同じです。もし彼女が伊予守(義経)から長年愛されたことを忘れたとしたら、それこそ貞女の姿ではありません。あっぱれと褒めてあげましょうよ』
 
↓ ↑ Bottom Top

いつも政子に頭のあがらない頼朝なのだが、この時は政子の優しい言葉に頼朝も怒りを収め、自分の卯花重の御衣を出して静に渡してあげたのであった。自分の衣を渡すというのは、平安時代には一般的な、称讃を表す行為である。
 

↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
■クロ子義経(15)

広告:月刊熱帯魚-ニューハーフ界トップクラスの美女たち[DVD]