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明智ヒバリが語る。
『当時はもちろんGPSもジャイロコンパスもありません。嵐の夜ですから星も見えません。その中で船を出したのは無謀を通り越してほとんど自殺行為です。船頭が言ったように稲光でたまに見える島影だけが頼りです。しかしこの時はこの5艘は運良く朝までに四国の徳島付近(*9)に到着してしまったのです。それは航海というよりほぼ漂流に近いものだったでしょう』
『当時、渡辺津から四国まで“航海”する場合は淡路島の港に寄港しながら、だいたい3日掛かりでした。それをわずか4時間で渡りきったことになります。もっとも昔は基本的に昼間しか航海しませんし、潮流や風の関係で、日中でも航海に条件のよい数時間しか船は運航されないのが普通です。ですから3日と言っても実際の航海時間は合計で12時間程度でしょう。しかしこの時は暴風に流される形で、その更に3分の1という短時間で到着してしまいました』
テレビ画面では雨が降る中浜辺に到着した(漂着した?)5艘の船から武士たちが出てくるものの、大半が砂浜の上で倒れて横になっているシーンが出てくる。
『貴様ら情けないぞ。それでも源氏の武士か?立て』
と叫んでいるのは弁慶(品川ありさ)だが、佐藤忠信(今井葉月)が言う。
『弁慶殿、さすがにあの嵐ではみんな辛かったでしょう。一時(2時間)ほど休みましょう』
『仕方ないな。倒れている奴らを担いで進む訳にもいかん』
地元の協力者が彼らに食事を提供してくれたものの、実際にそれを食べることができたのは、弁慶・千光坊・義経・静・佐藤兄弟などわずかだった。那須与一(桜野レイア)はしっかり食べていたので「おぬし凄いな」と佐藤継信(桜木ワルツ)から声を掛けられていた。
『しかし、大将(義経)の奥方殿もしっかり食べておられるな』
と那須与一。
『あの方は凄いぞ。宇治川の戦いでも獅子奮迅の活躍であったし、一ノ谷でも到着は遅くなったものの10人は斬ったはず』
と佐藤継信。
『すげー。戦(いくさ)に女連れてくるのかよと思ったけど、今夜の航海だけで俺は大将も奥方も見直したぞ』
と那須与一(桜野レイア)は言った。
『あの方は男だったら武士として名前をあげているよ』
『しかし奥方が男だったら困るよな?』
『まあ男では子供を産めないな』
『子供産めない前に旗をさす穴が無くて困るだろ?』
『まあそれも多少は問題だな』
(*9)吾妻鏡は義経たちの上陸地を“椿浦”と記すが、平家物語は“阿波勝浦”と記す。一般的に史料の信頼性では吾妻鏡の方が高いのだが、椿浦は現在の阿南市に当たり、屋島へは遠すぎると考えられる。それで定説では平家物語に記された小松島市の“勝浦”が正しいのではないかとされ、阿波赤石駅から3kmほどの芝田小学校の近くに《源義経上陸の地》の石碑が立てられている。
明智ヒバリが語る。
『2月18日朝に四国に上陸した義経たちは、まだ風雨の強い中、地元の協力者・近藤親家の案内で、陸路を1日掛けて屋島に向かいます。屋島というのは現在の高松市のそばにある島で、21世紀の現代には埋め立てで陸続きに近い形になっていますが、一応“相引川”と呼ばれる狭い海峡で隔てられています。当時は明確に独立した島でした。その東側には屋島と平行して庵治半島があります。屋島の行宮(あんぐう)は島の南東、庵治半島との間の水道の奥深くの檀ノ浦(だんのうら)にありました』
↓(再掲)
『義経たちが上陸した徳島の地から屋島までは約80kmあり、義経たちが屋島対岸の篦原(のはら:現在の高松市)の地に辿り着いたのは2月19日の早朝でした』
場面は義経たち150名ほどが馬で浜辺に立ち、屋島を眺めるシーンとなる。この屋島は現代の屋島の写真をPhotoshopで加工して埋め立て地を消し、コンクリートのビルやアスファルトの道路などを消した、映像担当さんたちの力作である。なお実際にアクアたちが馬で浜辺に立っているのは実は伊豆の堂ヶ島である。
『あれが屋島か』
『義仲殿はまともに正面から攻めようとして、先に向こうから出てきた水軍にやられてしまった』
『義仲殿ほどの人がやられた所だ。心して掛からねば』
『干潮まであとどのくらいだ?』
と弁慶(品川ありさ)が訊くと甲冑を着て御高祖頭巾をしている静が言う。
『今有明の月が沈もうとしている。あと1刻もしない内に干潮になると思う』
(一般に月が昇る頃・沈む頃に干潮が来て、月が南中・北中する頃に満潮が起きる。ただしその港などによっては地形的な条件で早まったり遅くなったりする)
『よし。少し休もう。月が沈む頃、瀬を渡るぞ』
と義経(向こうを向いていて顔を見せていない!)は言った。
(この当日、元暦2年2月19日=グレゴリウス暦1185.3.29=ユリウス暦1185.3.22の高松地方の月入は朝8:07(現地時刻8:03)。実際に干潮になったのは海上保安庁水路部の計算サイトによると7:30頃である。13:00頃が満潮)
↓
海上保安庁水路部の計算サイト(ユリウス暦で指定する)
辰一刻(7時)、月はまだ沈んでいないものの、もう充分な浅瀬になっている。義経は突撃を指令する。予め因果を含めて立ち退かせておいた近隣の民家に佐藤継信指揮下の別働隊が火を付けて回る。こちらが大勢いると見せかけるためである。そして地元の猟師に案内させ、嵐の海を渡った150騎+近藤親家配下50騎の合計200騎ほどで、最も浅瀬になっている所を越えて、屋島に攻め入った。
明智ヒバリが語る。
『平家では海側から攻められる場合だけを想定していましたし、嵐がやっと鎮まった頃なので、こんな時に源氏が来るとは思ってもいませんでした。手勢が少ないこともあり、慌てて天皇たちを守って、とりあえず船に乗り対岸の庵治半島に逃れます』
『ところが落ち着いてよく観察すると源氏方の武士はそう多くありません。これなら何とか応戦出来ると、向こうも源氏方に向けて矢を射始めました。源氏方もたくさん矢を射ますが、天皇たちが乗っていると思われる豪華な装飾の船には矢を向けません』
義経は言った。
『矢を射てばかりでは埒があかない。突撃するぞ。親家殿、援護を頼む』
『分かった』
と近藤親家(オーディション選出の多山さん)。
それで近藤親家配下の武士たちの援護射撃の中、義経は弓を手にして浅瀬を馬で走る。佐藤兄弟、弁慶、千光坊、駿河次郎、鷲尾三郎、それに静などが続く。弁慶と千光坊は
『殿お待ち下さい』
と言って、義経の前に出て先頭に立った。他にも20騎ほどが続き、矢が飛び交う中、平家方に攻め込む。
そして天皇がおられると思われ船まであと40-50mという時、横の方の少し離れた場所に停泊している船から、平教経(西宮ネオン)が強弓を思いっきり引き、義経に狙いを定めた。
教経の矢が放たれる。
しかし矢は狙いをはずれて、義経の後方を走る静の所に飛んできた。この時、静のいちばん近くに居たのは佐藤継信(桜木ワルツ)である。虫の知らせでもあったかのように右手を見ると、矢が飛んできている。
『危ない!』
と言って、継信は馬の尻を叩いて、静の横に走り込んだ。
『あっ』
と静が声をあげる。
矢は継信の胸に刺さり、継信は落馬した。
近くに居た弓の名手、亀井六郎重清(佐藤ゆか@lyceenne-d'or)が矢を射てきた平教経に向けて強弓を射たが、教経はすんででかわした。ただ、どうも腕をかすったようで手を押さえている。しかしこれで教経も義経を強弓で狙うのはできなくなったであろう。
『継信!』
と静が降りて介抱したが、継信(桜木ワルツ)は
『短い間でしたが、楽しゅうございました。ご武運を』
と言って、事切れた。
『継信』
と言って、静は彼を抱きしめた。
義経は『気を抜かれるな。あそこに1人来たぞ』と馬上から言う。
(義経は終始向こうを向いたままである。カメラは決して義経の顔を映さない)
見るとひとりの若武者がこちらに走り寄ってくる。白い布を付けていないから平家方の武士だろう。静(アクア)は立ち上がって刀を抜き対峙しようとしたが、少し離れた所に居た佐藤忠信が弓矢でその若武者を射殺した。これは継信を射殺した平教経の小姓で菊王丸という武士であった。《菊王丸−演:太田芳絵》というテロップだけが出て、矢が胸に刺さって倒れている所が映る。演じているのは信濃町ガールズの子である。セリフは無かった!
忠信(今井葉月)が下馬して
『兄上・・・』
と言って継信(桜木ワルツ)を抱きしめる。
「ねえ。もしかして葉月ちゃん、ワルツちゃんのこと好きなのでは?」
とテレビを見ながら政子が言っている。
「今のを見てそう思った視聴者はわりといる気がする」
と私は答えた。
「まあワルツは葉月のお母さん代わりを自称しているけどね」
「ああ。母と娘か」
「母と息子じゃなくて?」
「いや、葉月ちゃん、あれ密かに性転換手術したのでは?もう男の子の雰囲気がまるで無いんだよ」
と政子が言う。
それは怪しいよなと私も思った。
テレビ画面の中、静(アクア)が言った。
『忠信、そなたは継信の遺体を馬に乗せて屋島側に戻れ』
『分かりました』
それで忠信が退く。静は馬に乗ると
『進みましょうぞ』
と義経に声を掛けた。
『よし、進め』
と義経が言って、あと少しで辿り着けそうな、天皇がおられると思われる船を目指すが、さすがに守りが堅い。おびただしい数の矢が飛んでくる。馬をやられて落馬する者もある。継信同様、義経の楯になって矢に倒れた者が2人あった。
『殿、これは無理です。いったん引きましょう』
と千光坊(スキ也)が言い、それで義経もいったん引くことにした。
ここで戦況は一時休止のような感じになる。
お昼頃になれば、河野通信の指令で伊予水軍が援軍にやってくることになっている。河野も本人が今、平家の大軍に攻められているのだが、義経たちの本隊がきたらいつでも支援出来るように別働隊を編成しておいてくれたのである。しかし伊予水軍が来るまでには近くの島に居た平家側の戦力も集まってくるだろう。義経たちは何とか昼前に決着を付けたかった。
するとそこに平家方から1艘の小舟が漕ぎ出てきた。
見ると船頭の他は、豪華な唐衣を着た女性(松梨詩恩)が乗っているだけである。《玉虫の前》というテロップが流れる。玉虫の前は竿の先に扇を掲げている。
『何だあれは?』
と義経(例によってカメラには背を向けている)。
『あの扇を射貫いてみせよという意味では?』
と義経の弟・一条能成(山口暢香@lyceenne-d'or)。
『戦場で何をふざけているんだ?平家は戦(いくさ)をしているという緊張感が無い』
と静が文句を言っている。
『しかしここは放置すれば源氏はこんな的(まと)も射ることができないのかと笑われますぞ』
と千光坊七郎(スキ也)。
『やむを得ん。六郎殿、そなたできんか?』
と静が亀井六郎に言う。
『私の矢は当たりもしますが外れもするので、重忠殿のほうが確実です』
と六郎。しかし突然名前をあげられた畠山重忠(オーディション選出の勝沢さん)は
『もう少し近ければ当てる自信があるのですが。那須十郎殿は?』
などと言っている。
ところがその那須十郎は怪我しているようである。それで彼は
『与一、お前がやれ』
と弟の那須与一を指名した。
『え〜〜!?』
と那須与一(桜野レイア)は驚いているが
『あまりグズグズしていると、源氏には弓矢の使える者は居ないのかと笑われる』
と兄から言われ、兄の強弓を借りて馬を少し進める。
そして弓をいっぱいに引くと『南無八幡大菩薩』と念じて矢を射た。すると矢は美事に扇の要の所に当たり、扇は竿の先から外れて海に落ちた。平家・源氏双方から歓声があがる。不安そうな顔で竿を掲げていた玉虫の前(松梨詩恩)が感心したような顔をしている。
すると、今度は別の船が漕ぎだしてきて、50歳ほどの武士が船の上で舞を舞い始めた。
『平家は何考えてんだ!?』
『ここは戦(いくさ)の場だぞ?』
千光坊が那須与一に命じる。
『あいつも射ろ』
『え〜〜?戦闘態勢にない相手を射るんですか?』
と那須与一は困惑して言う。
『戦場を馬鹿にしている奴は地獄に落としてやれ』
と千光坊。
それで那須与一も命令なので仕方なく、その50歳くらいの武者を射た。武者が矢に射られて海に落ちる。
これに源氏方では歓声があがったが、平家方は凍り付いたような空気が流れた。
怒った平家方が源氏方に向けて再度矢を射始めた。源氏方も応戦して戦いは再開である。
ところが少ししたところで遙か海上に多数の船影が見える。
『白旗を掲げている』
『源氏だ!』
『伊予水軍だ!』
船の数から見て1000人は居そうである。それで平家方には撤退命令が出た。
天皇が乗っておられると思われる船を取り囲むようにして平家方の船が沖に向けて移動し始める。
『どうします?』
と源有綱(高島瑞絵@lyceenne-d'or)が訊く。
『我々は船を持っていないし、伊予水軍はあの距離からは追いつけない。よって追撃は不可能だ』
と静が言った。
『深追いして伏兵に遭ったらいかん。伊予水軍には追撃不要という狼煙を上げよう』
と弁慶(品川ありさ)が言った。
画面が引くと静の近くで義経(例によって後ろ姿)が佐藤継信の亡骸(なきがら)を抱きしめているのが映り、静(アクア)は悲しそうな目でそれを見ていた。