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■クロ子義経(3)

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画面は源氏方で、源頼朝(秋風コスモス)と北条時政(立川ピアノ)・阿野全成(中村昭恵@信濃町ガールズ)・源義円(三田雪代@信濃町ガールズ)および武田信義役の竹原さんという人と打合せしている所が映っていた。
 
『これだけの軍勢だ。乱戦になると敵味方が分からなくなってしまいがちだ。何かいい手は無いだろうか』
と頼朝(コスモス)が言う。
 
北条時政(立川ピアノ)が言った
『古(いにしえ)の天下分け目の戦い、壬申の乱では、天武天皇側は味方の符合として、兵士全員に赤い布を付けさせたと言います。それでそのようなものを付けていない大友皇子側の兵と区別が付いたのです』
 
『それはよい。だったら、全員に赤い布を持たせるか?』
『いや、赤王と呼ばれた天武天皇なれば赤でしょうが、源氏は昔から白と決まっています』
『よし。それなら白い布を武具に付けさせよう』
『白い布は全軍所持していますよ。白い麻布はあれこれ使うので』
 
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『この戦いは厳しいと思う。形勢不利ならあまり被害が出ない内に引かなければならないと思うが、それをこの多数の軍勢に伝える方法はないだろうか?』
 
すると頼朝の弟・阿野全成が言った。
『音で伝えるのがいいと思う。私が源氏の印である白旗の大旗を持って後方の高い場所に立っていよう。それで進軍の時は太鼓、退く時は銅鑼を打つ。白旗は進軍の方向。攻める時は水平に前に向け、退く時は後ろに向けて横に振り、不動の時はまっすぐ垂直に掲げる』
 
『進むのが太鼓、退くのが銅鑼というのは分かりやすいな』
『相手方の音の合図と紛らわしいと思ったら旗を見ればよい』
『もし撤退する場合は、頼朝様、伝令を出してください。私が白旗を横に振って銅鑼を打ったら撤退の合図です』
 
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『しかしそんな目立つ場所に立っていたら、真っ先に矢を射かけられるぞ』
『死んでもお役目果たします。私が死んだら、次の戦いからは乙若、お前が代わってくれ』
と全成(中村昭恵)が言うと
『分かった』
と弟の義円(三田雪代)は緊張した面持ちで答えた。
 
『ではそうするか。全成の所への伝令は重忠、そちが果たせ』
『かしこまりました!』
と畠山重忠(オーディションで選ばれた勝沢さん)が答えた。
 
(畠山重忠は当初平家方で参戦し、石橋山の戦いで頼朝軍を壊滅させた。しかしその後、頼朝が軍勢を建て直して再起すると圧倒的な兵力を見て降参。先祖伝来の白旗を持って頼朝の前に帰順。その後、頼朝にとって貴重な腹心として活躍した。同僚の梶原景時が独善的で義経をはじめ多くの家臣を讒言して死に追いやったのに対し、畠山重忠はひじょうに好人物で、奥州の処理でも敵方から尊敬されたという)
 
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『こういう戦いでは、奇襲戦法が使われやすいと思う』
と北条時政が言うと、みんな緊張する。
 
『だいたいこういう場合の奇襲は明け方だ。平氏方はそれを狙ってくるかも』
『だったらこちらはもっと前の夜中にしないか?』
『今夜は月は何時頃出る?』
と北条時政が近くに控えていた文官に尋ねる。
 
『戌四刻五分(20:45)です』
と文官が暦を見て答えると
『そんなことが分かるのか?』
と武田信義が驚いている。
 
頼朝は「ふーん」という顔をしている。多分意味が分かっていない!
 
『だったら、俺がその月が出る前に平氏の後ろを突こう』
と武田信義。
『危険だぞ』
と頼朝。
『任せろ。俺が精鋭を率いてやる。甲斐源氏が男だというのを見せてやろうぞ』
と武田信義は言った。
 
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『失敗したら女になる?』
『どうやったら女になれるんだ!?』
 
(武田信義は、武田信玄につながる甲斐武田家の祖となる人物。頼朝と並ぶ源氏の統領の地位を目指したが、頼朝と北条がうますぎて屈服し、頼朝の御家人という立場に甘んじるハメになる。67歳で祭事の射手を務めるなど元気で、かなり高齢になるまで生きていたものと見られる。頼朝とどちらが先に死んだかは不明)
 

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この日の日没は申四刻七分(16:50)であった。しばらく待ち、天文薄明も終わって暗くなった、今の時刻でいえば18時半頃、武田信義が率いる精鋭部隊が富士川を渡り始めた。
 
テレビの画面には信義たちが馬で静かに川を渡ろうとしている場面が映る。部隊はできるだけ静かに渡ろうとしていたのだが、部下のひとりがうっかり水面で休んでいた水鳥を馬の蹄で踏みそうになる。
 
するとその水鳥が驚いて飛び上がり、そこから連鎖的に多数の水鳥が飛び立って物凄い騒ぎになった。
 
この暗い中多数の水鳥が飛び立つシーンが圧巻である。これは実は昼間撮影して、画像処理で明度を落としたものである。
 
『しまった』
と武田信義は思ったのだが、ここで思わぬ事態が起きた。
 
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物凄い数の鳥が飛び立ったため、その音を平氏の軍勢が敵襲と思い、慌ててしまったのである。全く戦闘準備をしていなかったので、武器を捨てて逃げる者、応戦しようと馬に乗ったはいいが武器を持っていないことに気付き、慌てて探すもの、中には馬を棒杭に留めていたことを忘れて馬を出そうとし、杭の回りでぐるぐる回ってしまう者もあった。
 
(この馬がぐるぐる回るシーンはスタントマン会社のアクターさんにお願いして実行してもらった)
 
結果的に平氏の軍勢は総崩れになって全員逃げ出してしまったのである。平氏の大将である平維盛(篠原倉光@研修生)や平知度(オーディション選出の山崎さん)らが
 
『こら、逃げるな!戦え!』
と叫ぶものの、パニックになっている兵士たちには伝わらない。それで結局、平維盛や知度たちも退却せざるを得なくなってしまう。
 
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一方、驚いたのは源氏の軍勢も同様である。
 
『敵襲か?』
『応戦は?』
と言って、各部隊のリーダーは後方の崖の上に陣取る阿野全成の旗を見る。
 
『旗はまっすぐ立っているぞ』
『太鼓も銅鑼も鳴らない。みんな動くな』
 
『動かなかったら平氏の軍勢にやられますよ』
『やられても動くな。攻撃すべき時はちゃんと指令が出る』
 
それで源氏の軍勢は動揺したものの、事前の指示の伝え方が周知されていたため、何とかパニックを起こさず、不動のままでいたのであった。
 

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これが名高い“富士川の戦い”であるが、実際には戦闘は行われていない。平家側が勝手にパニックを起こして逃げ出しただけである。
 
『信義く〜ん、失敗したね』
と頼朝が楽しそうに言った。
 
『面目ない』
『失敗したら女の子になるんだっけ?』
『女になってどうすんのさ?』
『僕のお嫁さんになってもらおうかな』
と頼朝が言うと、北条時政がギロリと睨む。彼は北条政子の父である。
 
『勘弁してくれ〜』
と信義が困っていると、時政が助け船を出した。
 
『頼朝殿、結果的に信義殿の部隊のおかげで平家の軍勢は総崩れになって退却してしまいました。作戦は失敗したかも知れませんが、戦いは勝利したのだから信義殿の行動は価値があったのです』
 
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『じゃ、いいことにするか』
と頼朝は残念そうに言った。
 
一方信義は
『どうやったら男の俺が嫁になれるんだ?』
と悩んでいた。
 
武家の女の衣装を着けた竹原さんの映像が背景に映るが、女物の衣装が全く似合っていない!身長180cmで元ラガーマンの竹原さんには女装は辛そうだ。
 

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“戦い”の夜が明けた時、頼朝の陣を訪れた30人ほどの集団があった。
 
『源義朝が九男、義経、遅ればせながら馳せ参じました。源頼朝殿の指揮下に入らせて頂けましたら幸いです』
 
と頭を下に伏せたまま言う。
 
『おぉ、確か奥州に行っていたんだったな。よろしく。全成と義円の弟であったな』
と勝利の後なので頼朝(コスモス)は機嫌がよい。
 
『いや、三兄弟別々の寺に預けられましたし、牛若は平治の乱の時にはまだ生まれて1年くらいでしたので(*5)、私も兄の今若も実質初対面に近いですね。しかし凜々しく良き男に育ったな』
と義円(三田雪代@信濃町ガールズ)も楽しそうに言った。
 

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(*5)通説では義経は保元4年2月2日生とされる。保元4年は平治の乱が起きた平治元年と同じ年1159年で(4月に改元されている)、それなら義経は平治の乱が起きた時、まだ生まれて10ヶ月ほどだったことになる。しかし“牛若丸”という名前は丑年の丑日に生まれたからだという俗説もあり、もしそうなら保元2年(1157)丑年の7月2日丑日の生まれという可能性がある。その場合は平治の乱の時は3歳だったことになる。ちなみに今若は1153年、乙若は1155年生まれなので、牛若が1159年の生まれなら、間にもうひとり居たが、死産か夭折した可能性もある。
 

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明智ヒバリが登場して語りを入れる。
 
『頼朝はまた援軍が増えた。しかも信頼出来る弟だと嬉しがり、陣中で腹心の梶原景時に場所を移動させ、そこに義経の一行を案内して休ませました。この時、移動させられた景時は義経を恨むようになるのですが、そのことに頼朝も義経も気付いていませんでした』
 
『さて、この義経が連れて来た手勢の中に1人“怪しい”人物がいたのに頼朝は気付かなかったのですが、陣に同行している北条政子が気付きました』
 
北条政子(高崎ひろか)が、義経の手勢の中のひとりが陣から離れた所を狙って声を掛ける。高崎ひろかはここで初登場である。
 
『ねぇ、あなた』
『はい?』
と返事をして、振り向いたのはアクアである。
 
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「きゃー!!アクアちゃん」
とテレビを見ていた政子は声をあげる。
 
『あ、やはりそうだ。あなた女でしょ?女の声だもん』
と北条政子(高崎ひろか)。
 
『北の方様、ご機嫌麗しゅうございます。私は義経様の夜のお世話を致しております、静(しずか)と申します。実は義経様の奥方(浪の戸姫)の侍女で、元は白拍子のあがりなのでございます』
『へー。白拍子!一度見てみたいね』
 
『もう引退して久しゅうございます。白拍子をしていたおかげで身体の動きもよく、薙刀や刀も使えますし、馬にも乗れるので、奥方様より同行を命じられて、義経様に付き従っております。場合によっては身を以て義経様を守れと命じられております』
と静(アクア)は言う。
 
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『すごーい。女なのに、馬にも乗れて刀も使えるって凄い』
と北条政子(高崎ひろか)。
 
『木曽の義仲様の奥方、巴御前様なども武芸が達者ということでございますが、私は巴様ほど強くはなくても、義経様の矢除けくらいは務まるかなと思っております』
 
『そっか。呼び止めて御免ね。だけど男ばかりの戦場で女の身は大変でしょう。おしっこするのにも困るよね?』
『慣れておりますから』
『何か困ったことあったら言ってね。女同士助け合いましょ』
『ありがとうございます。何かありましたら、よろしくお願いします』
 
これが北条政子と静御前の初対面だったのである。
 

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ネットは騒然としていた。アクアが静御前を演じているのなら、義経は誰が演じていたのだ?というのである。よく考えてみると、先ほどの義経の頼朝との対面シーンで、義経の顔は映らなかったのである(声はアクアだった)。
 
「だったら葉月ちゃんがボディダブルしていたのでは?」
「いや、葉月ちゃんは佐藤忠信役で出ていた」
「うん。弁慶役の品川ありさちゃんと並んでいた」
 
「だったら姫路スピカか誰かが吹き替えをしたのでは?」
「だから顔が映らないようにしていたのかな?」
 

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明智ヒバリが再度登場して語りを入れる。
 
『富士川の戦いの翌月11月19日、阿野全成が北条政子の妹・阿波局と結婚しました。恐らく時政としては、ひょっとすると兄弟の仲違いもあるかも知れないので、両方に唾(つば)を付けておこうということだったのでしょう』
 
『富士川の戦いに敗れた平氏は平清盛直々に指揮して軍勢を建て直し、取り敢えず京都近辺の蜂起はどんどん鎮圧していきました。平家に対する抵抗勢力の多い南都・奈良は平重衡が焼き討ちをして町全体を破壊しました。この時、多くの一般市民が犠牲になり、“奈良の大仏”をはじめ多数の仏像が失われました』
 
『しかしその平清盛も翌1181年閏2月、熱病に冒されて急逝。息子の宗盛たちではとてもその存在の消失を埋めることは困難と思われました。源氏は勢い付き、4月、両者の大軍が墨俣川で対峙しましたが、この戦いでは源氏方が大敗。乙若丸こと源義円が戦死しました。その死の報せを聞き、今若こと全成も牛若こと義経も涙しました』
 
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ネットでは「雪代ちゃん(義円役)ナレ死!」という追悼のメッセージ?があふれた。
 

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■クロ子義経(3)

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