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ヒバリが語る。
『義経は小潮になる3月24日を決戦の時と決め、陸上から支援してくれるよう、九州側にいる範頼にも伝えましたが、平家方に情報漏れするのを避けるため、このことは義経の側近と範頼の側近だけが知っていました』
『一週間ほど前に範頼の軍から義経の軍に移動してきていた梶原景時は、数日以内に攻撃を仕掛けると耳にしたようで、義経の所に来て、自分に先陣を務めさせて欲しいと言いました。しかし義経は許可しませんでした。義経が詳細にこの海域の潮の状況を調査し、地元の船頭もある程度確保していたのに対して、景時はそういう情報も持っていないでしょうし、この海域に慣れた船頭もいないでしょう』
『攻撃は私が最初に出るから、それまでは他の者は動いてはならない』
と義経(演:?)が言うと、梶原景時(演:タンニ・バーム)は
『でも大将が先陣に出るなんて聞いたことないですよ』
と言った。すると義経はこう答えた。
『景時殿、そなたはとんでもない勘違いをしている』
『え?何か?』
『私は大将などではない。大将は鎌倉におられる頼朝殿だ。私は下っ端の捨て駒に過ぎない。私が死んでも頼朝殿は何とも思われないだろう。私の成功は全て頼朝殿の成功であり、私の失敗は全て私の責任である。私の仕事は頼朝殿の捨て駒になることだから、私は死んでも構わないのだよ。だから私が先陣を務める。それで私がやられた時は侍大将たる景時殿の出番だ。私が少しでも平家の戦力を削いで、景時殿がやりやすいようにするから』
と義経は言った。
景時(カメラに向かっている)は黙って義経(カメラに背を向けている)を見つめていた。そこにヒバリの語りが入る。
『この時、景時は思ったのです。こいつには色々個人的な恨みもあるにはあるが、それ以上にこいつは危険だ。こんな奴がいたら、自分は頼朝を倒して天下を取ることができないではないか?こいつは絶対陥れてやらなければならない。理想は頼朝と離反させて潰し合いをさせることだ、と』
『そして元暦2年3月24日の早朝4時頃、義経は手勢の船100艘ほどを率いて、拠点にしていた小月の港を出発しました。これは潮流の西流れが最も強い時間帯に出発したかったからです』
『源氏船団の出港は平家側の斥候により早馬と狼煙のリレーで彦島の本陣に伝えられ、平家側は安徳天皇たちが乗る船も一緒に彦島を出発、両者は朝6時頃、壇ノ浦より少し東側の領域で相まみえました』
『平家がわざわざ戦の場に天皇や多数の女性たちまで連れてきたのは、彼女らを彦島に残して出て行けば、範頼の軍がそこを急襲して、天皇を奪還する恐れがあったからです。それで平家はこれら足手まといになる者たちを連れて一緒に行動する必要がありました。これが最終的には勝負の分かれ目になったとも言われています』
『屋島の戦いの時は一番大きな船に天皇や二位の尼などが乗っておられたのですが、この戦いの指揮を執ることになった平知盛は、それをおとりにして伏兵を潜ませ、天皇や女性たちは中規模の船数艘に分散して載せていました』
『平家方は、その大きな船を反流があって比較的潮流が弱い田ノ浦湾に行かせ、自分たちは源氏と矢を射合って戦いを始めました。最初は源氏方優勢で進みました。潮流は強い西流れなので源平双方流されて、壇ノ浦と和布刈の間の早鞆の瀬戸付近が戦場になります。すると義経配下の船の内半数くらいは早い潮流に慣れていないので、うまく操船できず、岸にぶつかってしまう船などもあります。このため源氏方の勢いが弱くなります』
画面では源平双方が海上で戦っているシーンが映るが、これは千本浜で撮影した映像と、室内のセットで撮影した映像、模型を使った撮影、更にはCGを、たくみに混ぜて使用している。
「なんかさあ」
とテレビを見ている政子が言った。
「紅白って今でもよく対抗戦があるけど、しばしば赤は月経の色、白は精液の色で赤は女性の色、白は男性の色ともいわれるよね」
「うん。そういう話はある」
「でもこの番組見てたら、平家ってわりと女性的、源氏って男性的な気がする。この船上でも源氏はほぼ男性ばかりなのに、平家はかなり女性が参加しているし」
「それはあると思う。混乱した船上の中で、平家の武将の中には源氏の武将を装おうとした者もあったけど、お歯黒をしていたのでバレたという話もある。平家って、武力も持つ貴族で、源氏は純粋な武士。だから平家の幹部たちって、美学で動いている面もある」
「当時女性は戦場にいても殺されないよね?」
「巴御前や、この番組での静御前みたいに戦闘自体に参加していない限りは、殺されるまではなかったと思う。まあ船が沈んだり、流れ矢に当たって死ぬことはあるだろうけど」
「じゃ女装すれば逃げられかも?」
「まあ女装して女に見える人ならね」
『先陣の義経たちの形勢が不利になっているのを見て、後方に控えていた景時が率いる残り300艘ほどの船が応援に来ます。しかし彼らはこの海域に慣れていない船頭ばかりなので、義経たち以上に操船に失敗してリタイアする船が続出します。また囮とは知らずに“天皇を奪回しようと”田ノ浦に居る大型の船を目指していき、そこに潜む大量の兵から激しい攻撃を受けて大きな被害を出しました』
ヒバリが語る背景に多くの戦闘シーンが流れている。
『そして7時を過ぎると潮流は緩やかになり、源氏方の船も何とか操船できるようになります。ここでしばらく互角の戦いが続くのですが、8時半になると潮の流れが東向きに変わり、11時頃には潮流の速さが3ノットに達します。大きな船ほど推力が弱いため潮に流されようになり、結果的に源氏方は後退することになります。戦線は満珠島・干珠島付近まで下がってしまいました』
↓(再掲)
『ところが12時頃に、平家方の田口成良率いる300艘ほどが突然源氏方に寝返ってしまったのです。それまで平家の赤旗を掲げていたのが、唐突に源氏の白旗を掲げました。これで形勢は逆転してしまいました』
背景には赤旗を掲げていた船がそれを降ろして白旗を揚げる様子が映る。
『実はこれには伏線がありました。屋島の戦いの時に田口成良の子・田口成直が大軍を率いて屋島を出て河野通信を討ちに行っていました。その隙を狙って義経は屋島を攻略しています。そしてその直後、義経の部下・伊勢三郎が、成直を欺し、父の成良が捕虜になっているから、あなたも投降しなさいと言って、投降させてしまったのです。そのため結果的に子の成直が人質になっている状態で、今度は義経の腹心・掘景光が、父の田口成良を口説いて、彼の部隊は壇ノ浦の戦いの途中で寝返る密約ができていました。ですから最初から源氏の白旗を用意して彦島から出陣していたのです』
『元々源氏が400艘ほど、平家が800艘ほどで戦っていたのに、300艘が寝返った結果、源氏700艘と平家500艘と、形勢がひっくり返ってしまいます。そもそも平家方の船には天皇や女性たちなど非戦闘員が多数乗った船もあるので、500艘の内、実際の戦力にならない船もかなりありました』
『そして田口成良の寝返りをきっかけに、他にも源氏方に寝返る武将がどんどん出てきます。白旗など用意していなかった武将も、取り敢えず赤旗を降ろし、適当な白い布を掲げて源氏方であることを示しています』
『更に沿岸には範頼の軍が居て、岸から多数の矢を射てきます。加えて田口成良は源氏方に極めて重要な情報をもたらしました』
『それは田ノ浦湾に待避している大型の船に安徳天皇は乗っておらず、戦場の後方に居る中型の船に隠れているというのです。そこで源氏方は大型の船は無視して、平家の船の後方にいる中型の船を目指しました』
『ところが平家方が劣勢になったと思われた14時すぎ、平家方の船に異変が起きます。それは平家方の船から身投げする者が出始めたのです』
とヒバリは語った。
『まず平清盛の弟たちですが、平経盛(つねもり:平敦盛の父)は戦いから離脱して上陸し、出家!しますが、その後、戦場に戻り、弟の平教盛(のりもり)と一緒に、鎧に重りを付けて手を取り合って水中に身投げしました』
『これで平清盛の兄弟で残ったのは平頼盛(よりもり)だけです。彼は木曽義仲が京都に攻めてきて平家一門が都落ちした時、宗盛から忘れられていて!ひとり京都に取り残されてしまいました。それで仕方なく源氏方に投降したので、それ以降頼朝の配下に組み込まれました。彼は頼朝が朝廷や平家側と様々な交渉をするのに重要な役割を果たすことになります。壇ノ浦以降は出家して余生を過ごしています』
『清盛の息子達の中で、長男重盛(しげもり)と次男基盛(もともり)は源平の合戦が始まる前に亡くなっています。その重盛の息子で、資盛(すけもり)と有盛(ありもり)、それに基盛の息子の行盛(ゆきもり)は3人で一緒に水中に身を投じました』
『但し行盛については最後まで戦って討ち死にしたという説もあります』
画面には中型の屋形船が映る。
正面には二位尼(平時子−清盛妻:演=上野陸奥子−今井葉月の叔母)が8歳(満でいうと6歳)の安徳天皇を抱えている。二位尼は覚悟を決めているのか喪服用の灰色二枚重ねの衣を頭にかぶり、練絹の袴を穿いている。近くには建礼門院(平徳子−清盛娘で安徳天皇母)が正装の五衣唐衣裳を着ている。その他、多数の女性たちが乗っている。
そこに平家方総大将の平知盛(演:町田朱美@信濃町ガールズ)が乗り込んでくる。
『もはやこれまでです。見苦しいものは捨てて、船内を掃除して下さい』
と言って、自ら掃除を始めるので、女房たちも協力して船内のゴミを拾い、拭き掃除などをする。
ひとりの女房が尋ねた。
『戦況はどうですか?』
すると知盛はカラカラと大笑いして言った。
『間もなく皆さんは見たこともないような関東男たちを見ることになるでしょう』
ヒバリが画面隅の枠内に姿を現し厳しい顔で解説する。
『関東男、つまり東(あづま)武士というのは源氏の武士たちのことで“見る”というのはセックスするということ。つまり君たちはもうすぐ源氏の武士たちにレイプされるだろうね、と言っているのです。古来、戦争では敵方の男は殺し、女は犯すのが基本でした』
船内では女房たちが恐怖のあまり悲鳴をあげる。
すると二位尼は立ち上がって言った。
『私は女ですが、敵の手には掛かりません。主上のお供をして参ります。自分も主上のお供をしようと思うものは、私に続きなさい』
すると美しい服を着て黒髪を背中の下まで伸ばした、幼い安徳天皇(演:間島志保美:年長さん)が言う。
『尼前(あまぜ)、我をどこに連れて行くのか?』
ここで二位尼は安徳天皇の祖母である。しかし安徳天皇は幼いながらも自分が天皇であるという意識があるので、二位尼はあくまで臣下にすぎない。
そう天皇が訊いたのに対して、二位尼は答えた。
『この国は粟散辺地(ぞくさんへんち:粟粒を撒き散らしたような辺境の地)で不快な所でございます。極楽浄土という素晴らしい土地へお連れ申しあげます』
それで二位尼は天皇に東を伏し拝んで伊勢の大神宮にお暇を申させ給い(つまりここで天皇は退位したことになる)、次いで西を向いて阿弥陀浄土の迎えを頼んで念仏を唱えさせた。
それから二位の尼は、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の箱を脇にはさみ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を腰に差し、天皇を抱いて水中に身投げをした。天皇の衣が花のように美しく広がった。
(このシーンで飛び込む時に上野陸奥子が抱いているのは人形である)
なおこのシーン、平家物語は「悲しき哉、無常の春の風、忽ちに花の御姿を散らし、情けなきかな」と描写する。わざわざ花にたとえるのが、安徳帝が女帝であると示唆するかのようである。