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■クロ子義経(10)

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ヒバリは更に語る。
 
『義仲が討たれ、更にその子・義隆も討たれたのが1184年の4月で、これは一ノ谷の合戦の2ヶ月後のことでした。義経は翌年1185年2月19日には屋島の戦いに勝利しています。義高が討たれてから10ヶ月後のことです』
 
『屋島の戦いの後、義経は京都の後白河法皇や鎌倉の頼朝、九州に展開している範頼と早馬で連絡を取りながら、彦島の平家を攻めることにします。それで義経が率いる源氏の軍と伊予水軍・熊野水軍の連合軍が瀬戸内海を西行し、3月中旬には長門近辺に集結したのです』
 

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ヒバリは昔の時代の速度表現について簡単な解説をした。
 
『今では速度の単位として自動車などでは時速何キロ、海上では何ノットという言い方をします。ノット(knot)というのは1時間に何海里進むかで、1海里は1852mです。つまりノット数を1.852倍するとkm/hの数値が得られます。例えば6.5kn=12km/hです』
 
『ちなみにこの“海里”の数値ですが、1852という数字を覚えるのに「分からなくなったらカレンダーを見ろ」というのがあります』
と言ってヒバリは2020年のカレンダーを見せる。今回の特別番組の写真を使用したカレンダーである。1月の写真は“牛若丸”状態で笛を吹くアクアだ。
 

 
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『何月のカレンダーでもいいから、手近のカレンダーを見ます。1日の所から縦に見ると、1, 8, 15, 22 と並んでいます。この1の位だけ見ると 1852 でこれが海里をメートルで表した数字です』
 
『さて、日本では明治時代になるまで、明確な速度の単位がなく、江戸時代の和算書などでは、火縄が燃える時間あたりの進む距離で表せといったことが書かれています。火縄というのは、火を付けた縄の燃えた長さで時間を計るもので、火時計の一種です』
 
ヒバリが《火時計》と書かれたプレートを持っている。“ひどけい”と聞くと一般に《日時計》の方を連想する人が多いので、区別するためである。背景には近江神宮境内にある火時計の映像が映る。この火時計は線香を使用した精巧なもので、線香が燃え進むと金属球を吊った糸を焼き切り銅鑼に当たって時報が鳴るという優れモノである。近江神宮の火時計の場合、一時(いっとき:2時間)おきに時報が鳴り14個の銅球で14時(14とき:28時間)計測することができる。ヒバリはこの時計の仕組みを説明した。
 
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火縄を使用するものは線香タイプに比べると精度は落ちるものの、何と言っても安価である。普通は火縄に結び目を作っておき、その結び目が燃えた所で時を知ることができるようになっている。
 
『人の歩く速度は4km/hとするとノットでは2.2ノット、半時(はんとき)に36町です(町=109m)。それでこの半時に歩ける距離を日本では“里(り)”と呼びました。中国の里の6倍相当です』
 

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ヒバリは続いて船の速度について説明した。
 
『現代の船は石油を燃やしてエンジンで動作していますので結構な速度が出ます。例えば庶民の足として活躍している阪九フェリーとか、大阪−志布志や大洗−苫小牧のさんふらわあ等が23-25ノットくらい、高速船になると新潟と佐渡の間を結ぶジェットフォイルは46ノットも出ます』
 
『ローカルな航路ですと、もっと遅い船が使用されています。10ノット程度とか、中には5-6ノットというのんびりした旅客船が就航している場合もあります』
 
『エンジンを積んだ船ならそのくらいの速度が出ますが、昔の人力ではこんなに出る訳もありません。例えば公園のスワンボートは1-2ノット程度、手漕ぎボートで4-5ノット程度と思われます。多数の漕ぎ手を乗せたボート競争のボート場合、男子のエイトなら10ノット近く出ますが、エイトなどの場合、漕ぎ手しか乗っていないので、乗客が乗っていれば、さすがにこんなには出ません』
 
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『福岡県柳川市の川下りの場合4.5kmを70分掛けて移動するので平均して2ノットということになります。船頭1人で最大20人くらい乗る舟ですが実際にはもっと少ない人数で運行することが多いようです』
 
『福岡の神湊(こうのみなと)から宗像大社中津宮のある大島までの航路は現在はエンジンを積んだ船で20ノットの旅客船で15分、12.5ノットのフェリーで25分で到達しますが、昔は手漕ぎの渡船で4時間ほど掛かっていたらしいです。ノットに換算すると1.3ノットくらいでしょうか』
 
『平安時代の舟というのは、帆は張っているのですが、この帆は追い風でしか使えず、向かい風でも推進できる帆は江戸時代になってやっと現れています。それ以前の推力のメインはやはり人力です』
 
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ここで古代の和船の想像図が背景に表示される。
 
『昔の船では船頭は船尾に乗って櫂(かい:オール)を操作します。この櫂は地域により違う形で発達しており、瀬戸内海では長櫂、東北では車櫂というものが用いられました。これは推進力と進行方向の制御を兼ねていました』
 
『船の両舷には船竅iせがい)という張り出した材木の上に水主(かこ)が多数乗って、艪(ろ)を操作します。この艪という推進機構は東アジア独特で西洋などには見られないものです。現代のボートのオールとは違って応力を受けないため、疲労も少なくて長時間漕いでいることができます。また少人数の水主でかなり大きな船を推進させることができます。ただ立って操作する必要があり、安定性が悪いので悪天候の時は使用できません』
 
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『平家が安徳天皇などを乗せていた大型の船の場合、恐らく10-20人程度の水主を使用したのではないかと思われます。なお、水主や船頭は船を操作するだけの乗員なので非戦闘員です。戦闘自体には参加しません』
 
『義経たちが屋島の戦いで大阪から徳島まで行った時は、嵐の中なので水主は使用していないはずです(不安定の前に風で吹き飛ばされる)。帆の推進力と船頭の櫂操作だけで進行したものと思われます。この時は120kmほどを4時間で渡っているので平均速度30km/h, 16.5ノットくらいで、現代のフェリーの速度です。大嵐の風で流されたのでなければ絶対に考えられない速度でした』
 

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『ところで昔の船の“艪”(ろ)という機構は前進する能力しか持たず、後退することはできませんでした。後退する必要のある船には、普通の艪と逆向きに取り付けた“逆艪”(さかろ)を使用します』
 
『屋島の戦いの時、梶原景時が船に逆櫓を付けようとしたら義経が許可しなかったという話があります。義経は後退するような機構をつけていたら乗員が怖がって退却してしまう。だから軍船は前進するだけでよいのだと言ったというのです』
 
『このため梶原景時は義経を恨むようになったという話があるのですが、実際には当時梶原景時は大坂におらず、範頼がいる九州に行っていたので、そのような論争はもしあったとしても梶原景時ではないことになります』
 
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とヒバリは説明した。
 

その日、義経の部屋には側近だけが集まっていた。
 
義経(アクア?)、静(アクア)、弁慶(品川ありさ)、千光坊(スキ也)、佐藤四郎忠信(今井葉月)、一条能成(山口暢香)、源有綱(高島瑞絵)、掘景光(マツ也)、亀井六郎重清(佐藤ゆか)、伊勢三郎義盛(南田容子)、駿河次郎清重(大崎志乃舞)、鷲尾三郎義久(木下宏紀)、それにいづれ彦島での決戦は避けられないと考え一ノ谷の合戦終了後、1年前から斥候させていた漁師出身の海野浪安(坂田由里)である。彼は鵯越(ひよどりごえ)を降りた者の1人である。この日は海野の報告を聞くのがメインだった。
 
『だったら、潮の流れが勝負を分けるな』
と静は言った。
 
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『はい。この付近はいつも速い潮が流れています。速い時は半時(はんとき=1時間)に140-150町ほども流れることがあります』
 
『そんなに速いのか!』
『この地図で見て頂いて、秋津島(本州)と筑紫島(九州)の間を大瀬戸、秋津島と彦島の間を小瀬戸と言いますが、大瀬戸の中でこの壇ノ浦と和布刈(めかり)の間を特に早鞆の瀬戸(はやとものせと)といって、海峡の幅が6町(650m)もありません。ここがいちばん速い時には1分(ぶ)で7町くらい、ですから半時に140-150町相当の速さになるんですよ』
 
『そこは怖いな』

 
『これがここの満珠島・干珠島あたりになればかなり緩やかになります』
 
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『それ、どちらが満珠島でどちらが干珠島?』
『それが聞く人ごとに違うことを言うのでハッキリ分かりません(*12)』
『むむむ』
『まあいいか』
 
『それから、こことこことここ、湾になっている所では反流になりますのでお気を付け下さい』
 
(上記の地図で濃い青で塗った部分である)
 
『それは知らないと戸惑うだろうな』
 
『普通の軍船は普通半時に30町か40町くらい、櫛崎殿から頂いた早船でも半時に70-80町くらいしか進めません。だからここの瀬戸の流れが速い時は完全に逆向きに押し戻されることになります』
 

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(*12)「萬珠島・千珠島」ではなく「満珠島・干珠島」であることに注意。満潮・干潮から採られた名前で、ここに彦火火出見尊(山幸彦)が海神より授かった潮満珠(しおみつたま)と潮干瓊(しおひのたま)を埋めたという伝説がある。
 
どちらがどちらの名前なのかは一定しておらず、現代の公式文書でも、土地台帳では沖の島が干珠、国土地理院の地図では沖の島が満珠とされている。忌宮神社は沖の島を満珠としている。
 

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『勝負所は東流れと西流れが切り替わる時かな』
と弁慶が言う。
 
(風は東風というのは東から吹いてきた風だが、潮流は東流れとは東へと流れていく潮である。風向きの言い方と潮流の向きの言い方が逆なので注意)
 
『はい。そういう時は潮止まりと言いまして、一時的に潮流がほとんど無くなりますから、この海域に慣れていない水主(かこ)たちにも何とかなると思います』
『平家方はこの付近の潮流に詳しい者ばかりと考えた方がいいだろうね』
 
『流れの切り替わりは月の出入りと何時(なんとき)くらいずれる?』
『周防灘(瀬戸内海側)と響灘(福岡県の北・山口県の西)との間の潮位の差で流れが生じるんですが、各々の潮位の変化が結構難しいので、地元の漁師でも予測は困難です』
 
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『うーん・・・』
 
『やはり小潮(*14)の時の方が攻めやすいかな?』
『はい。大潮(*14)の時は慣れている平家方が圧倒的に有利になりますよ』
『ということは上弦か下弦の月の時期に攻めた方がいいな』
『そうなります。小潮の時はどうかすると片瀬になる場合もあります』
『片瀬って何だっけ?』
 
『潮流の向きは普通は日に2回切り替わるのですが、小潮の時は潮位差が小さいので、東流れが少しずつ弱くなっていって、そろそろ西流れに切り替わるかな・・・と思ったら切り替わらないまま、また東流れが強くなることがあるんです』
『何と!?』
 
『それは小潮の時はいつも起きるのか?』
『そうとは限りません。でもそういう時は切り替わってもあまり強くならない内にまた反転しますよ』
『どっちみちこちらにとって有利だな?』
『はい。潮が弱い時こそ、不慣れな水主たちにも何とかなります』
 
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「潮止まりってさぁ」
と政子は言った。その言い方から何かエッチなこと考えたなと私は思った。
 
「男の子が少しずつ服装を女物に変えていって、潮流転換するみたいに女の子に性転換するかと思ったら、学校に出て行くので仕方無く、男の子の服に戻すようなものかな」
 
私は敢えてコメントはしないことにした。
 
「でもそういう時もパンティは女の子用を穿いてた方がいいよね?」
「そうだね。体育とか身体検査とか無い日ならね」
 

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(*14)潮汐は基本的に月の引力の影響が最も大きいが、太陽の引力も潮汐に影響を与える。太陽の潮汐力は月の潮汐力の約0.4倍である。
 
満月・新月の時は太陽と月が同じ方向に潮汐力を働かせるので潮汐は大きくなり、潮流も速くなる。これを【大潮】という。逆に上弦・下弦の時は太陽と月が直角方向にあるので、双方の潮汐力が打ち消しあい、潮汐は小さくなって潮流も遅くなる。これを【小潮】という。
 
関門海峡の潮流は周防灘と響灘の潮位差によって生じる。周防灘の潮位差は最大で4m近くあるのに、響灘は1.5m程度しかないので、満潮の時は周防灘の水面が高くなり西流れが生じ、干潮の時は響灘が高くなって東流れが生じる。
 
干満が1日2回あるので普段は1日2回潮だが、小潮の時は水面高低の反転までたどりつかずに潮流反転も起きず、1日1回潮になってしまうことがある。ただしその場合でも潮は一時的にかなり弱くなり、潮流反転の時に近い緩やかな流れになる。
 
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壇ノ浦の戦いが起きた元暦2年3月24日は下弦の月で小潮である。この日の太陽と月の出入、満干・潮流の向きは海上保安庁の計算サイトで見ると、このようになっていた。なお、この数値は“日本標準時”なので、下関時刻はこれより16分引く必要がある。
 
0:30頃 潮流が西向きに転換
1:28 月出
3:30頃 満潮
5:00頃 夜明け
5:30 日出
6:53 月が南中
8:30頃 潮流が東向きに転換
9:30頃 干潮
12:12 太陽が南中
12:16 月入
15:00頃 満潮
18:55 日没
19:13 月が北中
19:25頃 日暮れ
21:40頃 干潮
25:30頃 潮流が西向きに転換
 
朝夕(海上保安庁水路部)
潮流(海上保安庁水路部)
 
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上記海上保安庁水路部の計算による当日(元暦2年3月24日=ユリウス暦1185.4.25)の壇ノ浦の1時間ごとの潮流推測値(単位はノット)は下記のようになっている。
 
0:00 東0.4
1:00 西2.2
2:00 西4.4
3:00 西5.6
4:00 西5.9
5:00 西5.4
6:00 西4.3
7:00 西2.7
8:00 西0.8
9:00 東1.0
10:00 東2.3
11:00 東3.0
12:00 東2.7
13:00 東1.8
14:00 東0.7
15:00 東0.2
16:00 東0.5
17:00 東1.4
18:00 東2.5
19:00 東3.9
20:00 東5.1
21:00 東5.9
22:00 東6.1
23:00 東5.3
24:00 東3.6
25:00 東1.1
26:00 西1.6
 
つまりこの日は片瀬(1日1回潮)になっていた。但し15時頃は潮流がかなり弱くなっている。
 

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