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■クロ子義経(7)

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ヒバリの語りは続く。
 
『この後1年、源平の戦いは一進一退が続きます。この年の夏には三日平氏の乱といって近畿地方で散発的に平家残党の蜂起があり、義経が対処しますが、ゲリラ的な戦闘になりさすがの義経も苦労します。頼朝は義経が結果的に近畿から離れられない状況なので、範頼を大将とする平家討伐軍を西国に送ります』
 
『範頼は食糧不足とそこからくる軍規の乱れに苦労しますが、12月に倉敷市の藤戸の戦いで平行盛の軍に辛勝。九州の源氏協力勢力の支援で食糧と船を確保することができました。元暦2年2月1日には福岡県芦屋町の葦屋浦の戦いで平氏の原田種直を倒し、これで範頼は彦島対岸の九州地区を押さえました。これで結果的に平知盛は彦島から動くことが出来なくなりました』
 
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『ところで頼朝は義経に自分の腹心・河越重頼の娘・郷(さと)と結婚するよう勧めました。自分と義経の関係をより強固にするための政略結婚です。一応、歴史上は彼女が義経の正室とみなされています。腹心の娘ということで、実際スパイ的な意味合いもありました。ところが・・・』
 

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義経が郷御前と結婚式をあげようと準備している場面が映る。ところがそこに佐藤忠信(今井葉月)が走り込んで来る。
 
『義経様、六条のほうで平家が暴れております』
『何?すぐ行く』
 
と言って、義経は郷御前(水谷康恵@信濃町ガールズ)に
『済まぬが仕事だ。お主はゆっくりしていてくれ』
と言い、忠信と一緒に走って行ってしまった。
 
(義経はずっと後ろ姿で、顔は最後まで映らなかった)
 
私どうしたらいいの〜?という感じで郷が立ちつくしていると、兄の河越重房(青木由衣子@信濃町ガールズ)がやってくる。
 
『あれ?義経殿は?』
『お仕事に行かれました』
『今日は祝言なのに!?』
『平家の武士が暴れているとかで』
『あの方は、お忙しすぎる・・・』
 
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明智ヒバリは語る。
 
『そういう訳で郷御前との結婚式は行われた(?)ものの、義経は三日平氏の乱の対処、そして次の屋島の戦いの準備などで忙しすぎて、ゆっくり妻と過ごす時間もなく、名前だけの妻だった可能性もあります。義経には6人の妻妾が居たのですが、郷御前、平時忠の娘・蕨姫、久我某の娘、の3人については結婚の実態がよく分かりません』
 
『さて義経が京都でゲリラ的な蜂起に振り回されている間に、西国に向かった範頼の軍は鎌倉からの補給ラインが物凄く長い上に瀬戸内海は平氏が押さえているので、長期間は対峙していられない状況でした。人数が多いので軍規を保つのも大変です。範頼から苦境を聞いた義経は、早い時期に屋島を叩かなければならないと決断しました』
 
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『後白河法皇は義経が京都を不在にすると京都の治安に不安があったのですが、義経は何とか説き伏せて元暦2年1月10日、法皇より西国出陣の許可をもらいました。義経は、相手が水上戦を得意としていることから、熊野水軍と伊予水軍の協力を得て渡辺津、今の大阪市天満橋付近にあった港に船や武器・食糧を集積しました。京都の治安維持のために頼朝に頼んで派遣してもらった100騎の増援を含め200騎ほどを残すことにします。河越重頼なども京都に残りました』
 
『2月17日、その日は夕方から雨がひどくなり、風もかなり出ていました』
 

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テレビ画面には、義経が陣屋の戸を開けて外の様子を見ている後ろ姿が映る。
 
『これは酷いな。明日四国に渡るというのは、とても無理だ』
と義経。
 
『この分だと明日いっぱいくらいはきっと荒れてますよ。戦(いくさ)はこの嵐が終わってからですな』
と掘景光(マツ也)は言いながら手近にあった酒を杯に注いで一口飲む。
 

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その嵐の中、佐藤忠信(今井葉月)が陣屋に入ってくる。
 
『おお、忠信殿戻られたか』
と景光。
『吉次殿、いい匂いですな』
 
(掘景光の別名は金売吉次(きんうり・きちじ)。元々は貴金属の行商人だった。全国の道に精通しているので、元服したばかりの義経が最初に平泉に行く時に同行者となり、その後義経の腹心のひとりとなる)
 
『まあ貴殿も1杯飲まれよ』
『かたじけない』
と言って、忠信もお酒(実際には水)を1口飲む。
 
『忠信殿、どうでした?』
と言って奥から出てきたのは静(アクア)である。小袖姿である。一緒に佐藤継信(桜木ワルツ)と弁慶(品川ありさ)など数人の側近も出てくる。
 
『うん。状況を報告する』
と言って忠信(葉月)が地図のようなものを広げた。
 
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ネットでは
《アクアが静の役をしているということは、ここに映っている義経は誰?》《やはり姫路スピカか?》
といった書き込みがある。
 

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『これが屋島付近の地図です。このように多数の島が前方にあって、それぞれの島に兵がいます。その防衛線を突破して屋島まで攻め入るのはなかなか難しいです』
と忠信は説明する。
 

 
なお、ここで忠信・継信・静・景光・弁慶たちは座って輪を作っているが、カメラは義経の背後から会議の様子を映しており、結果的に義経の顔は映らない。
 
『無理に突破して屋島本隊を攻めても各々の島にいる兵に背後を襲われる』
 
『ということは陸地側から攻めるべきですね』
と静。
 
『地元で確認したのですが、篦原(のはら:現在の高松市)の里と屋島の間は浅瀬になっていて、干潮の時は馬や人の足でも島に渡ることができるんですよ』
『なるほど』
 
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『ちょっと待って』
と言って静は本のようなものを取り出す。
 
『屋島と京の時差は1分(いちぶ)くらいだから月入りの時刻はこうなる』
と言って静は時刻を書き出す。(今は17日夕方。↓の括弧書きは現代の言い方)
 
二月十八日 辰二刻O分(7:30)
二月十九日 辰三刻一分(8:03)
二月二十日 辰四刻四分(8:42)
二月廿一日 巳一刻八分(9:24)
二月廿二日 巳三刻四分(10:12)
二月廿三日 午一刻一分(11:03)
二月廿四日 午三刻O分(12:00)
 
ここで分(ぶ)は刻(こく)の1/10で現代の3分(ふん)相当である。
 
『月入りの時が干潮だっけ?』
と掘景光が確認する。
 
『そうそう。月の出・月の入りの時が干潮、月がいちばん高くなる時が満潮。見えないけど月が地面の下、いちばん低い所にある時も満潮』
 
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『攻撃は早朝がいいなよ?』
『当然』
『だとすると、これはせめて21日くらいまでには攻めたいな』
『だけどここから伊予までは船で3日掛かる』
『ということは明日の朝出港して最速で20日夕方か』
『少し離れた所に船をつけて後ろから回り込もう』
『じゃ明日の朝出発』
『無理だと思う。この嵐、たぶん明日いっぱいは吹いている』
『だけどそれ以上遅らせたくないぞ』
 

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『それとこちらの方が重要だと思うのですが』
と忠信(今井葉月)が言う。
 
『屋島の本隊が、向こうで聞いた時、ここ数日中と言っていたのでたぶん昨日か今日あたりに河野通信殿を討たんとして、田口成直殿が3000騎の大軍を率いて出陣なさったのですよ』
 
『何と!』
『だったら屋島は今手薄だよな?』
『はい。そう思います。残っているのは恐らく1000騎ほどですが、実際には男木島・女木島・大島・兜島・鎧島・稲毛島、それに庵治半島とかに50-100騎くらいずつ分散しているのですよ。だから、今、檀ノ浦(*8)にいるのは多分500騎程度です』
 
『だったら今すぐ攻めるべきだな』
と静(アクア)が言う。
 
『うん。次に干潮が早朝と重なる半月後を待っていたら、その本隊が戻ってくる可能性がある』
と継信(桜木ワルツ)。
 
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『第1の目的は言仁様(安徳天皇)と二位尼殿を確保して三種の神器を奪還すること。そのためにはできるだけ相手が手薄な所を襲いたい』
と弁慶(品川ありさ)。
 
『よし。今夜出よう』
と静(アクア)は言った。
 
『え〜〜〜〜!?』
とさすがにみんな驚く。外は暴風雨の真っ最中である。
 

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(*8)ひじょうに紛らわしいのだが、次の2つの地名がある。
 
檀ノ浦(高松:香川県)
壇ノ浦(下関:山口県)
 
同じ「だんのうら」と読むものの、屋島の戦いの舞台になったのは木偏の檀ノ浦で、最終的に平清盛の一族が滅亡した壇ノ浦の戦いの舞台になったほうは土偏。
 

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『いや、それはいいかも知れない』
と佐藤継信(桜木ワルツ)が言った。
 
『夜中に船を出せば、取り敢えず夜中の間はまず敵に発見されない。今夜少しでも船を進めておけば、明日日中にも夜中にも航海して、19日朝に到着出来る可能性がある』
 
『しかしこの嵐の中、船を出すのか?』
『全員行く必要は無い。景光、そなたは残って本隊を率いて、嵐が収まってから出港してこい』
と静(アクア)が言う。
 
『分かった』
『この嵐の中、海を渡ってもいいという命知らずだけを連れて行こう。それでいいですか?義経殿』
と静は少し離れて立っている義経に語りかけた。
 
『まあここで海の藻屑と消えて馬鹿な奴めと笑われるか、それとも嵐の中よく海を渡ったと褒め称えられるか、運次第だな』
と義経は向こうを向いたまま言った。
 
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政子がテレビを見ていて言った。
 
「ねぇ、なんで義経じゃなくて静が議論の中心にいる訳?」
「ふっふっふ」
 
この場面はネットでも政子と同様の戸惑いを感じた視聴者が多かったようである。
 

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明智ヒバリが登場して語る。
 
『この嵐の中出港するという話にほとんどの武将が“無茶です”と言いました。しかし一ノ谷で義経に従って崖を降りた30名ほどの武士たち、あの時は崖を降りなかったものの、掘影光や静とともに山道を進み、何とか合戦の最後の付近に間に合った20人ほどの武士たちも義経に同行すると言いました』
 
『それ以外にも、こんなとんでもないことを考える義経に従おうという命知らずが100人ほど出ます。その中に那須十郎・那須与一の兄弟もいました(“与一”は11の意味でつまり十一男。従って十郎が兄で与一が弟)。結局総勢150名ほどの武士が今夜出発することになります。しかし船頭たちは皆、船を出すことを拒否します』
 
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『貴様らそれでも男か?』
『今日から女になります』
『じゃ魔羅を切り落としてやる』
『こら待て』
 
『弓矢で脅しつけて船を出させようとした弁慶(品川ありさ)を義経は停め、褒美の額を増やすと言いました。すると5人の年老いた船頭が、自分は老い先短いし、そんなに褒美をもらえるなら、船を出してもいいと言ってくれたのです。全員その褒美は息子に渡してくれるよう言いました。そこで義経率いる150名ほどがその5艘の船に分乗して、夜中の2時頃、渡辺津を出ました』
 
テレビ画面では凄まじく揺れる船内で気分が悪くなって辛そうにしている者、揺れで船室の中を転がっていく者、吐く者もある。佐藤継信(桜木ワルツ)が壁につかまりながら船室を出て物凄い風(大型の扇風機で風を送っている)の中、甲板を這っていき、船頭(オーディション選出の猿田さん:60歳)に声を掛ける。
 
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『なんか凄い速さだな』
『風でどんどん押されます。船頭50年やってて、こんな速さは初めてです』
『明け方までに淡路島に辿り着けるか?』
『今淡路島の沖を通過中です』
『何と!もう淡路まで来てしまったのか!?淡路のどの付近だ?』
『済みません。風に訊いてください。私はもう船の姿勢を保つだけで精一杯です』
『うむむ。方角は合っているのだろうな?』
『稲光で淡路の島影が見えますから、航路は間違っていないはずです』
 

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■クロ子義経(7)

広告:わたし、男子校出身です。(椿姫彩菜)