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(C)Eriko Kawaguchi 2019-04-27
明智ヒバリの語りは続く。
『都落ちした平家が山口県の彦島と香川県の屋島に本拠を置き、瀬戸内海を勢力下に置いたのに対して、源氏方は水軍を持っていなかったので、これを攻めあぐねました。しかし何とかしなければというので、木曽義仲自身が1万人近い兵を率いて屋島に向かいました。しかし平家は義仲が瀬戸内海を渡海する前、現在の倉敷市にある水島で叩くことにしました。時は寿永2年閏10月1日』
『平家方が、わざわざ対岸まで行って源氏の軍勢と戦うことにしたのは、実はこの閏10月1日、グレゴリウス暦で11月24日という日付に重大な意味があったためなのですが、そのことを木曽義仲の側は全く知りませんでした』
『平家方は夜の内に船を出し、水島沖に舟を並べ、舟と舟の間に板を渡して水面上に広い陣地を作っていました。源氏方も何とか調達した舟を揃え、平家の陣に攻めていきます』
『この時代の水上の戦いというのは、現代のように大砲を撃ち合ったりというのは無いので、専ら相手の舟に飛び乗って甲板の上で白兵戦を行うというものです。平家方は水上での戦いに慣らしている馬も多数動員していました』
ここで海岸に多数の舟が並んでいるシーンが出るが、これは富士川の撮影にも参加したエキストラを使って沼津市の千本浜海水浴場で撮影したものである。エキストラの人たちはこのように動いている。
(土)富士市内
13:00
A斑=体育館で倶利伽羅峠の崖
B斑=牧場で倶利伽羅峠の火牛
C斑=オープンセットで衣川館の戦闘
D斑=市内の急傾斜面(高さ3m)で一ノ谷鵯越
E斑=田子の浦みなと公園で一ノ谷海岸戦闘
17:00-18:00 バーベキュー これも撮影!!
18:00-21:00 富士川の戦い(頼朝vs忠度・知度・維盛)
(日)AM10:00
(A)沼津市千本浜海水浴場 水島の戦い(義仲vs重衡・通盛・教経)
(B)西伊豆町堂ヶ島 屋島の戦い(義経vs宗盛)
(C)富士川の戦い撮影場の清掃
PM 千本浜海水浴場
12:30 壇ノ浦の戦い
15:30-16:30 バーベキュー これも撮影!!
16:30-17:00 白鳥リズム・スペシャルステージ!
17:00-18:00 海岸清掃
舟は一部だけ本物(但しエンジンは付いていない)で多くは発泡スチロールを組立てスプレーで色を塗った張りぼてに近いものである(一応水には浮くが人は乗らない:撮影終了後はファンクラブグッズ通販のクッションに再利用させてもらった)。その張りぼても入れて千艘の舟を用意しており、費用は2億円近く掛かっている。海戦で舟の上に乗る人は、最低25mは泳げることを条件にしており、救命胴衣の上に(プラスチック製)甲冑や(女性貴族役の人は)袿などを着けている。泳げない人は浜辺の戦闘シーンに入ってもらった。万一の場合に備えて、ライフセーバーの資格を持つ人を200人動員しているが、幸いにも事故はなかった。
ちなみに男性でも女性の服を着れば女性に見える人は女性貴族役をしてもらっていいと発表したら、希望者が50人もいて、念のため面談の上、実際に女性貴族役をしてもらった。見ていたらほんとに可愛い子がいて、ひとりには廊御方役をしてもらい、しっかり顔も映っている(この人には普通に役者さんのギャラを払った:化粧品を買うといって喜んでいた)。
水島の戦いの様子が映る。沖に舟を並べて陣取る平家に対して、源氏方は浜辺に並び、こちらも舟を出して戦闘体制である。源氏方の舟に対して平家方が矢を射始めたところから戦闘は始まった。
テロップで《寿永2年閏10月1日朝9時》というのが流れる。
明智ヒバリの姿が画面左隅に枠を取って映り、こう語る。
『戦いは最初は義仲側が押す状況で展開しましたが、劣勢の平家方の武士の中にチラッ、チラッと太陽を見上げる者がありました。その意味を源氏方の武士たちは見当もつきませんでした。そして現地時刻10時5分頃』
巴御前役の石川ポルカがふと空を見上げて声をあげる。
『何だ!あれは!?太陽が!??』
『太陽が欠けてる』
と近くで戦っていた楯親忠(今川容子@信濃町ガールズ)が驚いたように声をあげる。
最初は僅かな欠けだったため、気付かない者もあったが、気付いた者が声をあげるので、多くの兵士たちに知れ渡っていく。そして太陽の欠けはどんどん大きくなっていった。
『神が怒っているんだ!』
『やはり三種の神器を持っておられる向こうの帝が本物なんだ。その帝を攻めたりするから天が怒っているんだ』
などと言い出す者がある(実際には平家方の武士が言葉に出して、それが源氏方の武士にも伝搬した)。
戦闘をやめる者がある。退却してしまう者もある。
義仲や今井兼平らは
『ひるむな!月だって欠けるではないか』
などと声に出し、一時は驚いたものの気を取り直した巴御前も
『宮中に置くべき三種の神器を持ち出した平家に神は怒っているのだ。こちらに分があるぞ。戦え!』
などと声を出すが、武士たちの動揺と混乱はどうにもならない。源氏方が混乱している間に平家側はどんどん攻めて、源氏方は総崩れになってしまう。そして太陽がほとんど欠けてしまった頃、戦いは平家方の圧勝で勝利した。源氏方は幾人もの有力武将を失い、逃亡した兵士たちも多く、壊滅状態となった。
明智ヒバリが登場して語る。
『この日、実は金環食が起きたのです。四国の西半分、九州の北半分くらいが金環食帯に入っています。戦闘が行われた水島付近は金環食帯には入っていないものの、93%まで欠ける大きな部分食が発生しました。NASAのコンピュータによる計算を見ますと、この日の倉敷市では、日本標準時で10:10から部分食が始まり、11:48に93%の最大食、13:32に部分食が終了しています』
NASAの日食サイト
『平家はこの日日食が起きることを知っており、わざと戦闘時間がその日食に掛かるようにこちらから海を渡って相手の陣地の近くまで行き戦いを始めました。ここに来ていたのが、頼朝の本隊や、義経の軍などなら、日食のことも知っている文官がいたかもしれませんが、義仲の軍には、あいにくそういうスタッフはおらず、日食の発生に武士たちが混乱してしまい、この戦いは平家の勝利になったのです』
なお、この日食の映像は実はこの放送のわずか4日前、2019.12.26にアラビア半島からインド、インドネシア、グアムなどで観測された金環食の映像を使用している。スタッフをサウジアラビア、スリランカ、スマトラ、グアムに派遣して撮影しているが、万一どこででも撮影失敗した場合に備えて、2017.2.26にチリで撮影された金環食の映像を購入して、それであらかじめ映像を編集しておいた。実際には今年の金環食の映像が撮れたので、それを3日で差し替えている。
どっちみち、物凄い予算を掛けている!
ヒバリの語りは続く。
『この後、義仲たちはいったん京都に戻るものの、敗戦で失った信頼は大きく、また頼朝との対立も回復不能な状態になっており、頼朝は義経を総大将とする木曽義仲討伐軍を京都に派遣しました。義仲は後白河法王を脅迫して自分を征東大将軍に任じさせ、頼朝討伐の院庁下文を出させたものの、水島の戦いで戦力を失った上、義仲が法皇を拘束している状況から、義仲に従う武士は少なく、年が改まって寿永3年1月20日、宇治川の戦いで義経軍に大敗。それに続く粟津の戦いで腹心の今井兼平らとともに戦死しました』
これに対してネットでは「白鳥リズム、ナレ死!」という追悼文(?)が多数出た。
『なお巴御前については消息が分かっていません。義仲は「武装を解けば義経たちも女の命までは奪わないだろうから、それでどこかに落ち延びよ」と言ったのですが、彼女がその言葉に従って落ち延びていったのか、それとも最後まで武士として戦って戦死したのかは、義仲も戦場で巴御前とはぐれてしまったため、分かりません。しかし気丈な彼女のことですから最後まで戦って命を落とした可能性が高いと思います』
とヒバリが語るので「石川ポルカもナレ死!」とネットでは追悼ツイートが出る。
『義経は義仲の轍を踏まないよう、大軍を京都に入れることを避けました。むしろ京都の治安維持に必要な数百名の義経直属の軍だけを京都に入れ、本隊は源範頼が率いて京都近郊に駐留させました。人口の多い消費地である都心でなければ数万の兵の食糧調達も何とかなるのです』
『さて、源氏が義仲と頼朝でいわば内輪もめをしていた間に、水島の戦いの勝利で勢いに乗る平家は戦力を回復させ、京都奪回のため、福原(神戸市)まで迫っていました。朝廷内部では、平家と和解して三種の神器を取り戻すべきという意見と、平家を討伐すべきという意見が対立しますが、平家が戻ってきたら今度は平家に幽閉されそうな後白河法皇は戦いを決断。寿永3年1月26日、密かに平家討伐と三種の神器奪回の宣旨を頼朝に出しました』
『源氏方は範頼が率いる6万の大軍を京都に入れないまま、摂津に進めます。これは今の地形で言うと、淀川より西の領域になります。福原は現在の神戸市内で摂津国の西端付近です。一方、義経が率いる1万ほどの別働隊は丹波の山の中を進軍して平家の後方に回り込もうとしていました』
場面は義経(アクア)が先頭に立ち、乗馬で山中の道を進む場面となる。
「アクアちゃん、やはり義経してる!」
と政子が声を出す。同様の声がネットにも書き込まれていた。
従っているのはこのようなメンツである。
佐藤忠信(今井葉月)、佐藤継信(桜木ワルツ)、駿河清重(大崎志乃舞)、亀井重清(佐藤ゆか)、伊勢義盛(南田容子)、一条能成(山口暢香)、源有綱(高島瑞絵)、掘景光(マツ也)、千光坊七郎(スキ也)。そのほか60名ほど。
このメンツは全員乗馬の訓練を受けてこの撮影に臨んでいる。同行しているエキストラの人たちも乗馬のできる人たちである。
ここで、大崎志乃舞は信濃町ガールズのメンバーだが、佐藤・南田・山口・高島の4人は、今年の春に中学を卒業し、自動的に信濃町ガールズも卒業することになって、この4人で結成したリセエンヌ・ドウ(フランス語で“黄金の女子高生”という意味)のメンバーである。身分としては§§ミュージックの研修生で、お給料は無く(但しレッスン代も無料)、ステージやテレビなどへの出演があれば、その都度ギャラ(数千円)をもらうことになっている。仕事に出て行く時のアゴ・アシ・マクラはむろん事務所持ちである。
信濃町ガールズは仙台のクレールで定演しているが、リセエンヌ・ドウは現在、福島のムーランパーク(若葉が作った体育館およびその付帯設備)で定演している。アブクマーズの試合がある日はハーフタイムショーにも出演するので、それ目当てで試合のチケットを買って見に来る人もあり、アブクマーズの観客動員にも貢献している。また、仙台のクレールに頻繁に来ていた人で、わざわざ福島まで出てきてくれる人などもあるらしい。
「あれ?ありさちゃんが居ない」
と政子が言う。
そうなのである。このメンツの中に当然居ておかしくない、弁慶がいない。と思っていたら
『殿!道に詳しい者を見つけました』
と言って、弁慶役の品川ありさが後ろに人を乗せて馬で駆けてきた。
(実はこのメンツで馬を駆けさせることができるのは、ありさ・アクア・葉月の3人だけである)
全員いったん下馬する。
『そちら様が今評判の九郎義経様ですか!かっこいいなあ』
と言って、その若い男(演:木下宏紀@研修生)が向かって言っているのは、掘景光を演じているマツ也である。取り敢えずこの中では最年長だ。
『いや、わしは殿の護衛のようなものだ。殿はこちらだ』
とアクア演じる義経の方に手を向ける。
『嘘!?九郎義経さまって、女だったんですか?』
と若者。
『私は男なんだけど』
とアクア。
『え?でも女にしか見えないし、女の声だし』
『まだ若いから声変わりもしてないのだよ』
『へー。ほんとですか?でも袿(うちき)とか着たら女に見えそう』
などと若者は言っている。
『それより我々はこの付近に出たいのだが』
と言って、僧兵出身で弁慶の元同僚でもある千光坊七郎が地図を示す。
『ここに書いてある道を進みたいのだが、今来ている道でよいのだろうか?』
『合ってますけど、人が通れるのはこの付近までですよ。ここから2〜3町(200-300m)も行くと、とても普通の人は通れなくなります。物凄い傾斜を登ったり、蟻の門渡りって幅がこのくらいの所を通ったり』
と言って若者が手を広げてみせる幅は2尺(60cm)程度である。
『しかし君たちは通っているのだろう?』
『まあ、おいらたちは通るけどね』
『だったらそこを通りたい。案内してくれ』
『分かりました。でも無理だと思ったら言ってください。迂回路を案内しますから』
『迂回路というのはどのあたりを通る?』
『この付近だと思いますが』
と若者が指で示すが
『それでは遅くなる。やはりこの道を突破しよう』
『分かりました』
『そうだ。君の名は?』
『三郎です。兄貴2人いるけど、太郎は今隣村まで行っていて今日は留守で、次郎は去年、嫁に行っちまって』
『待て、兄さんが嫁に行ったのか?』
『ええ。男でも構わんと言われて、長者さんとこの妾さんになりました。名前も次郎を次(つぎ)と改めて』
『美人だった?』
『花嫁衣装着たら女に見えるからびっくりしました』
『まあ、たまにそういう人はいるかもね』
『小さい頃に猪に襲われて金玉食われてしまって、金玉無かったんですよね。だから女並みの腕力しかないから猟師はできなくて、畑仕事ばかりしてたんです。鬚(ひげ)も生えてなかったし』
『ああ、金玉が無かったら女並みかも』
『九郎義経様もやはり、金玉無いんですか?』
『そんなことはない。ちなみにここにいる中で殿がいちばん強いぞ』
『へー!見かけにはよらないもんですね』