広告:ここはグリーン・ウッド (第1巻) (白泉社文庫)
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■クロ子義経(4)

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ヒバリの語りは続く。
 
『源氏と平氏の戦いは1182年・養和の大飢饉で一時休止になりますが、1183年になるとまた動き出します。2月、頼朝は野木宮合戦で関東を平定しました。この時、甲斐源氏に合流していた、頼朝や義経の兄弟で義朝の六男にあたる源範頼が頼朝に合流しました。頼朝の兄弟の合流は彼が最後です。彼の母親は池田宿の遊女だったため、範頼はここまで歴史の表舞台に出ていなかったのです』
 
『頼朝軍が強大になってきているのは、平氏としては憂慮すべき事態でしたが、北陸方面で力を蓄えてきている木曽義仲も気になりました。平氏としては先にこちらを叩こうと考え、平維盛・平行盛・平忠度が率いる10万の討伐軍を北陸に派遣しました。対する義仲の軍はわずか5000ほどでした。そして寿永2年5月11日』
 
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というところでヒバリは言葉を切った。
 
テレビの画面には現代の倶利伽羅峠の道の駅に置かれた“火牛”の像がそばにいる観光客っぽい家族と一緒に映る。
 

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『おい、義仲、敵はありゃ20万くらいいるぞ』
と乱暴に声を掛けて今井兼平(義仲の乳母子で義仲四天王の1人・巴御前の兄・演:桜井真理子@信濃町ガールズ)は、あぐらをかいて座った。
 
『ああ、それは楽しそうだ』
とお酒(実際には水)を飲みながら本当に楽しそうに言っているのが兼平の妹で義仲の妻である巴御前(演:石川ポルカ)である。
 
『じゃ逃げるか?』
と義仲(演:白鳥リズム)が言うと、
 
『こんな所でビビって逃げるようなものなら、あんたのチンコぶった切って、倶利伽羅峠の崖の下に投げ捨ててやるよ』
などと巴御前(石川ポルカ)は言っている。
 
『崖の下か・・・・』
と樋口兼光(今井兼平・巴御前の兄・演:悠木恵美@信濃町ガールズ)が言って考えるようにした。
 
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『何何、やっぱり義仲のちんこ切っちゃう?』
と巴御前。
『俺のちんこ切るなら、代わりに巴のちんこ寄こせ』
と義仲。
 
『俺にちんこが付いてないのは知ってるだろ?』
『いや隠しているかも知れん』
 
とても女子アイドルたちの会話とは思えない。全員女を忘れてやりますと言っていたが、このシーンには「あんなセリフ言わせるって可哀相」と結構抗議がきた。
 

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『義仲のちんこ切り落とすなら、火にくべて焼いて、みんなで食っちまうか』
と根井行親(演:左蔵真未@信濃町ガールズ)。
 
『火か・・・・』
と兼光がまたつぶやく。
 
『ちんこって美味いのか?』
と巴。
『食ってみたことはないから分からんな』
と楯親忠(根井行親の息子・演:今川容子@信濃町ガールズ)
 
『巴こそ、義仲のちんこ舐めたりしたことはないのか?』
『かじったら痛いと言われた』
『そりゃ痛いわな』
 
『だったらこうしよう』
と樋口兼光が言った。
 
『どうやってちょんぎるの?やはりみんなで押さえつけておいて、刀でスパッと切る?』
と巴。
 
『油の類いを集められるだけ集めろ。それから牛をたくさん集めろ』
『やはりちんこは不味いから牛を食うのか?』
『殿のちんこを食いたければ個人的に後でやってくれ。それより戦いだ。こういうやり方を思いついたんだよ』
 
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それで全員樋口の説明を聞いたのであった。
 
『よし、それで行こう。行親と親忠は牛を集めろ、兼平は油を集める。巴は布と紐を集めろ。兼光は用意出来たところからどんどん牛を仕立てろ』
と義仲が指示を出す。
 
それで近隣から大量に牛が集められた。
 

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夕方近く、楯親忠率いる軍勢約1000名を平通盛・平知度らが布陣する志雄山(能登国志雄町:現宝達志水町)に向かわせ、結果的にそちらの三万の兵士を釘付けにする。一方でこの案の立案者である樋口兼光自身が率いる特殊部隊が用意した多数の牛を連れ、牛飼いたちに案内させて山道を越える。そして平維盛・平行盛・平忠度が率いる7万人の本隊が居る場所の後方に回り込ませる。彼らは牛を休ませて角に布を巻き付ける一方で地面に多数の木の棒を立て、そこにも布を巻く。
 
深夜丑二刻(1:30)、月が沈む。それを合図に樋口たちの部隊は連れている牛の角に巻いた布に油を染み込ませる。そして松明(たいまつ)を焚き、地面に刺した棒や、牛の角の布に移す。兵士たち自身も両手に松明を持つ。戦闘に参加しない牛飼いたちにも両手に松明を持たせて後方に待機させた。それと同時に本隊側では木を叩き、馬をいななかせ、兵士たちにも思いっきり鬨の声をあげさせた。
 
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平氏の軍勢は多くが寝入りばなだった。大きな音がするので義仲軍が夜襲を掛けてきたと思ったものの、ふと気付くと後方にも大量に松明が見える。
 
『馬鹿な。いつの間にあんな大軍が?』
『ひょっとして単に松明を立てただけでは?』
『違う。多数の松明が動いている。本当にあれだけの人数がいるんだ』
『あれは5000はいるぞ』
『きっと鎌倉の頼朝が援軍を送ってきたんだ』
 
この時、実際に後方に回り込んだのは300人くらいの兵士と200頭くらいの牛にすぎない。それが両方の角、または両手に松明を持っているので“動いている”松明は500×2=1000ほどである。しかしそれ以外に地面に固定で刺している松明や牛飼いたちが持つ松明も1000ほどあり、実際の松明総数は2000ほど、その内ほんとうに動いているのは半分の1000ほどにすぎなかったが、不意打ちをくらってパニックになっていることもあり、2000の松明は夜目には5000に見えてしまう。
 
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平氏側はパニックになってしまった。
 
幹部の武将が必死に制止しようとしても無駄で軍勢は総崩れになる。前方にも後方にも大軍がいる(と思っている)ので、横に逃げる。多くが人間の習性で左側に逃げたのだが、その先には高い崖があった。元々他地域から連れて来た軍勢で現地の地理に不案内。しかも月が沈んだ闇夜である。崖になっているのは足元が無くなってから分かる。先に目の前に崖があると気付いた者も、後ろからどんどん押されるので、やはり崖から落ちてしまった。
 
その多数の兵士が崖から落ちていくシーンがテレビ画面には映される。ここは富士川の戦いの撮影に参加したエキストラの人たち(の一部)の演技である。実際には1mほどの高さから飛び降りている。下には念のためマットを敷いている。これに実際の倶利伽羅峠の崖で撮影した映像を適宜ミックスしている。崖から多数の人が落ちていく遠景はCGである。
 
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明智ヒバリが登場して語りを入れる。
 
『こうして倶利伽羅峠の“戦い”では多くの平家の兵士達が、戦わずして勝手に崖から落ちて死亡してしまったのでした。その数は数万人に及びます』
 
『本隊が思わぬ大軍に急襲されたと報せを受けた、志雄山の別働隊も本隊を救援に向かおうとしますが、当然、楯親忠率いる軍勢と激突します。こちらは本格的な白兵戦となりました。人数としては平家側が圧倒的なのですが、何とか持ち堪えている内に倶利伽羅峠の戦いに決着を付けた本隊が合流。互角の戦いとなります。しかし倶利伽羅峠で勝って勢いに乗る義仲軍の士気が高かったこともあり、この戦いは義仲軍の勝利となりました』
 
『倶利伽羅峠の二回戦ともいうべきこの志雄山の戦いでは、平家側の大将の1人で清盛の七男・平知度が源氏方の源親義と相討ちになって死亡しています』
 
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背景で相討ちのシーンが流れるが、平知度役も源親義役もオーディション選出の人である。特に源親義役の人はここに出てくるだけでセリフも無く退場である!
 
ネットでは「またナレ死!」というツイートが多数発生していた。
 

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ヒバリの語りは続く。
 
『勝利の勢いに乗る義仲はそのまま京都に向けて進軍し、7月28日に京都に入りました。その軍勢に恐れをなした平家一門は、幼い安徳天皇を連れ、三種の神器を持って京都から脱出しました』
 
『木曽義仲の最大の失敗はこの大軍を京都に入れてしまったことです。京都にはこんなに大量の兵士たちが食べるだけの食糧が存在しません。また元々荒っぽい男たちや、田舎育ちの者が多いので、乱暴狼藉を働く者もありました。この義仲軍の統制の乱れには都に残った後白河法皇も困り果て、源頼朝に、そちらが京都に入ってくれないかと要請したほどでした』
 
『一方で後白河法皇は平家側と三種の神器を返して欲しいと交渉するのですが、平家側としてはそれを返却すると、こちらは賊軍と認定される危険があるので拒否します。それで法皇はやむを得ず、神器が無いまま、安徳天皇の弟・尊成親王に皇位を践祚させました。これが後鳥羽天皇ですが、神器を持たないまま即位したことで、後々までその正統性に疑問をつけられることとなります』
 
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『京都を脱出した平家一門は讃岐国屋島(高松市)に臨時の内裏を作り、こちらにおられる安徳天皇こそ正統な天皇であると主張していました。つまりこの時は一時的に天皇が2人居る異常事態が発生していたのです』
 
背景に束帯姿の幼い男の子が後白河法王(演:藤原中臣)や木曽義仲(白鳥リズム)らに祝福されている様子が映り、続いて五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)を着けた幼い女の子が平宗盛(日野ソナタ)・平知盛(町田朱美@信濃町ガールズ)らにかしずかれている様子が映る。各々に“後鳥羽天皇”“安徳天皇”というテロップが入る。
 

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テレビを見ていた政子が言った。
 
「安徳天皇って女帝?それとも男の娘?」
「公式には男の天皇ということになっているけど、当時から女帝ではという噂がかなり強かった」
と私は答えた。
 
「へー!」
 
「平家物語にはこういう記述がある。后御産の時、御殿の棟より甑をまろばかすことあり。皇子御誕生には南へ落とし、皇女誕生には北へ落とすを、これは北に落としたりければ、こはいかにと騒がれて、取り上げて落とし直したりけれども」
 
「日本語で言ってぇ!」
 
「つまりだね。お后が、ここでは建礼門院徳子だけど、天皇の子供を産んだ時、御殿の屋根の上から、茶碗を落とす習慣があった。男の子が生まれた場合は南へ落とし、女の子が生まれた場合は北へ落とす。それで実際に徳子が子供を産んだ時、茶碗は北へ落とされた。それで、え?姫御子様だったの?とみんなが騒いでいたら、茶碗が取り上げられて再度南へ落とし直された」
 
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「それって、生まれたのが男の子でないと天皇にできないから、女の子が生まれたけど、男の子だったということにされたのでは?」
 
「だと当時みんな思っていたんだろうね。慈円僧正が書いた『愚管抄』でも安徳天皇のことを、平清盛の祈願により厳島神社の神が化生した存在で、元々“龍王の娘”だから海に還っていったのだと書いてある」
 
「厳島神社の神って、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)じゃん」
「だから、みんなが安徳天皇は実際には女の子だと思っていたのだと思う」
 
「女の子だとは知られていたけど、時の権力者・平清盛の孫だから、みんな性別を公言できなかったということか」
 
「清盛としても、次に徳子が男の子を産んでくれれば、その子と天皇は交替させればいいと思っていたのかもね。時代が下って『義経千本桜』になると、安徳天皇が壇ノ浦から生き延びて女の子として暮らしているシーンが出てくるしね」
 
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「あぁ」
 
「他に京都・泉涌寺に伝わる安徳天皇の御影がある。これがどう見ても女の子の絵なんだよね。この絵には宅間法眼の名前が入っている。法眼というのは絵師に対する尊称だから、宅間派の誰かが描いたということだよね。宅間派というのは、平安時代末期から室町時代初頭に掛けて活躍しているから、わりと当時に近い人が描いたものかも。元々は長楽寺にあったものが、何かの折りに泉涌寺に移されたらしい。現在、長楽寺には渡辺拍舟(1908-1988)の模写が納められている」
 
「やはり女の子確定かなぁ」
と政子は言っている。
 

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「でも男の子だけど女装好きだったということはないの?」
と政子はワクワクテカテカした目で訊く。
 
「あり得ないことはないけど、やはり普通に女の子だったのではという気がするよ」
「女装していた天皇っていないの?」
「日本の天皇では知らないけど、ローマ皇帝のネロは女装好きで、よく女装でパーティーなどに出ていたらしい。彼の場合はただの女装趣味だったみたいだけど、3世紀のヘリオガバルス帝は常に女装していて、みんなに自分を《女帝》と呼ぶように言い、性転換手術も受けてヴァギナまで作ったらしいよ」
 
「すごーい!3世紀に性転換か」
 
「ちんちん切って、割れ目ちゃん作るくらいは当時の医療技術でも難しくなかったと思う。機能するほどのヴァギナを作るのはさすがに難しかったんじゃないかな。形だけ穴を開けることは可能だったかも知れないけど」
 
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「そうだよね。宦官がいたんだから、ちんちん切るのは難しくないよね」
「まあ死亡率も高かったろうけどね。ヘリオガバルス帝は自分が手術受ける前に男の子のちんちんを何本も切らせて手術の練習をさせていたらしい」
 
「それ女の子になりたい子?」
「別にそういう訳ではなかったと思うけど」
「女の子になりたい訳でもない男の子のちんちん切ったら迷惑じゃん」
「迷惑というか無くなったら不便だよね、普通の男の子は」
 
えっと“不便”というだけでいいんだっけ?
 
 
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