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■夏の日の想い出・虹の願い(1)

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(C) Eriko Kawaguchi 2022-03-31
 
2021年11月27日(土)友引・“さだん”。
 
私の長年の友人で、スターキッズの正ピアニストでもある近藤詩津紅(しづく)が★★レコードの八雲真友子課長の弟・氷川来瞳(らいどう)と結婚式をあげた。詩津紅は妹の妃美貴(ひびき)とともに、長年私のアシスタントも務めてくれている、
 
2人は天然女子(詩津紅)と天然男子(来瞳)の結婚である!
 

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2人は2019年3月の震災復興支援イベントで知り合い、2019年秋頃から恋人として交際を続けてきた。コロナ下での交際は大変だったようだが、この夏に結婚することを決め、来瞳が詩津紅にダイヤの指輪を贈った。
 
2020年1月頃、来瞳が小平市の詩津紅の実家を訪れた時。
 
スーツで決めた来瞳が詩津紅の両親に名刺を出すと、
 
「ひかわ・くるみさん?」
と“氷川来瞳”の名刺を見たお母さんから言われる。
 
「いえ“らいどう”と読むんです」
「びっくりしたー。詩津紅が女の子と結婚するのかと思った」
「わりとそう読まれちゃうんですよ」
「らーちゃん、スカートも似合うけどね」
「ちょっと。ちょっと誤解を招くようなこと言わないでよ」
「FTMさん?」
「いえ、天然男子です」
「取り敢えず男性能力はあるみたいね」
「ちょっとぉ」
 
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などというやりとりはあったものの、どうも普通の男子と普通の女子の交際ということは理解してもらえたようであった。
 

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詩津紅が氷川家を訪れた時が、もっと大変だった。
 
詩津紅がレディススーツ(スカートタイプ)を着て、来瞳と一緒に東村山市の氷川家を訪れ、名刺(サマーガールズ出版の名刺ではなく、当時勤めていた?会社のほうの名刺)を出すと
 
「こんどう・しづおさん?」
などと言われる。
 
なぜ、そう読む〜〜〜〜!?
 
「いえ、“しづく”です」
「ああ。じゃ女性的な名前に改名したんですね?」
「いえ、生まれた時から、しづくです」
「もしかしてFTMさん?」
「いえ。普通の女のつもりですが」
 
「え〜〜!?スカート穿いてるからてっきり男の娘さんかと」
 
この家ではスカート穿いてたら男なのか〜?
 
そういえば真友子さんのスカート姿なんて見たこと無い。
(★★レコードの制作部には圧倒的にパンツ女子が多い)
 
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「お母ちゃん、詩津紅は天然女子だよ」
「だって、あんたが女の人と付き合うなんて」
「僕の基本的な恋愛対象は女の子だよぉ」
「だって去勢してたよね?」
「そんなの、してない」
 
「わかったレスビアンなのね?」
「ヘテロだよぉ」
 
ということで、普通(?)の男子と普通の女子の交際であることを理解してもらうのに、かなり苦労した!
 
「じゃ偽装結婚とかじゃなくて、本当に付き合ってるのね」
「僕は詩津紅を愛してるから」
 
「だったら赤ちゃんができる可能性もあるの?」
「本当にできるかどうかは分からないけど、できる可能性はある」
「だったら、あんた去勢する時は、その前に精子の冷凍を造って」
「去勢とかしないって」
 
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「ごめんなさいねー。うちの子供たちって、みんな複雑な結婚してるから」
 
うーん。確かに真友子さんは性転換して女になった人とレスビアン婚したけど、他にも色々あるのか??
 
「私は様々なセクマイには理解があるつもりですが」
と詩津紅が言うと
 
「ああ。だから、あんたみたいな子と結婚してくれるのね」
とお母さんは何か納得していた!
 
でも、来瞳は結局母に
 
「せっかく生殖能力のある女性と結婚するならまだ精子がある内に」
 
と言われて冷凍精液を3本作った!
 
(禁欲が凄く辛かったようである。たくさん妨害してあげたらしい:楽しそうだが)
 

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そういう訳で、2人は2年半にわたって愛を育んでいき、2021年12月27日(土)の結婚式に至ったのである。
 
ふたりは都内のホテルの神式結婚式場で、朝9時から結婚式をあげ、10時からネット形式で祝賀会をおこなった。
 
結婚式に出席したのはこういうメンツであった。
 
氷川家(8人)
来瞳の両親、華桜(はなみ)姉とその夫、来布(らいぶ)兄とその夫、真友子姉と妻
 
近藤家(8人)
詩津紅の両親、妹の妃美貴、伯母夫婦、叔父夫婦、従弟の康宏
 
双方最大8人ということでこういうラインナップになった。
 
氷川家の2人の男の子(華桜かおう・来瞳らいどう)の名前は、胎蔵界5仏の開敷華王如来・天鼓雷音如来から来ている。各夫婦の性別と結婚形態はこのようになっている。来布(らいぶ)は来布子(きぬこ)から改名した。華桜(かおう)は高校卒業後すぐに市役所に届けることで読み方を「はなみ」に変更したが、後に裁判所の審判を経て性別も変更した。
 
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華桜 MTF(女男婚)夫 FTM
来布 FTM(男男婚)夫 天然男子
真友子 天然女子(女女婚)妻 MTF
来瞳 天然男子(男女婚)妻 天然女子
 
来布は法的な性別を変更しないまま夫と結婚した。真友子と妻(礼江)の結婚も礼江が法的な性別を変更しないまま真友子と結婚した。そのため、こんなに変則的なのに全員、法的に婚姻しているのである。
 
華桜と夫の結婚は、双方法的な性別を変更した上で結婚した。双方性転換前に生殖細胞を保存していて結婚後、代理母さんに子供を産んでもらい育てている。法的には特別養子だが、本当はふたりの遺伝子的な実子である。(子供を作ってから性転換手術を受けると法的な性別が変更できなくなるのでこういう変則的なことをしている)
 
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4きょうだいの中で、スカートを穿くのは、MTFの華桜と、来瞳のみ(*1)で、まさに“この家でスカートを穿くのは男の娘”だけだった。真友子も中学高校の制服以外ではスカートなど穿いたことがない。
 
詩津紅の叔父などは相手の親族関係がたぶん分からなかった。礼江などは真友子たちの妹と思っていたようだ。
 

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(*1) 本人に女性指向は無い(本人談)が、姉たちに穿かされていたので自分のスカートを10枚くらい持っていた。そのため来瞳はスカートを穿くことにほとんど抵抗がなかったという。
 
詩津紅と交際し始めたのでスカートは全部処分しようとしたものの、詩津紅から
「スカート穿いていいんだよ」
と言われたので、結構詩津紅の前では穿くようになった。それで同棲開始以降スカートの枚数が増えている。
 
下着も女物を着けるようにさんざん唆しているようだ。取り敢えず後ろ手でブラを留められるようになったし、ショーツは50枚くらいタンスに入っているとか(男物のパンツは既に無いのでは?)。最近は小便器を使わなく(使えなく?)なったらしい。
 
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「スカート穿いて会社行く?」
「それは叱られる〜」
「らーちゃんの会社なら理解してもらえると思うけどなぁ」
「その方面に理解されたくない」
 

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足のむだ毛と顔のむだ毛は、詩津紅に唆されてレーザー脱毛してしまった(ヒゲ剃りしなくてよくなって楽だと喜んでいる)。
 
お化粧も指導してあげたらだいぶうまくなったとか。先日はエスティローダーのセットを一緒に買ってシェアしたらしい(仲良きことは美しき哉)。
 
入れられた経験は(本人の弁では)無かったらしいが、入れてあげるとかなり気持ち良さそうにしているらしく、最近は「入れて入れて」とねだることもあるとか。でも入れられた後はやはり痛いらしく、ナプキンを着けている。
 
でも数年後には、2人は実質的なビアン婚になってしまうかも知れない!?
 
母に言われて交際開始間もなく精液を冷凍したのは正解かも。
 
「じゃ私の妊娠中は、女装で私の代理務めてね」
 
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彼は音大のピアノ科出身で、詩津紅よりピアノが上手い。
 
「ぼくは会社があるよ〜」
「妊娠・出産に伴う休職ということで」
「さすがに認めてもらえない」
 
「私の代わりにらーちゃんが妊娠出産してもいいけど」
と詩津紅が言うと、悩んでいた!?
 

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祝賀会で、私は詩津紅の求めに応じて『君に届け』 をキーボードの弾き語りで歌ったが、詩津紅が「冬と一緒に街頭ライブとかもしてたね」と懐かしそうに言った。
 
ここで詩津紅と私は“女友だち同士”と思っている人が大半なので。大きな問題は無かった!
 
(なんか人間を性別で分類するのは意味が無いのではという気がしてきた)
 

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2007年6月9日(土).
 
14年前。私が“フェイクボーイ”をしていた高校1年の頃、私は毎日放課後体育館の用具室に置かれたピアノを弾きながら、詩津紅と2人で歌を歌っていた。最初の頃は私は男子制服を着ていたのだが、6月1日から衣替えになると、私は女子制服を着て放課後体育館に行き
 
「おお、可愛い!それで授業に出てるの?」
などと言われる。
 
「出ないよ〜。放課後だから着てみた」
「それで授業に出ても誰も何も言わないと思うけどなあ」
 
それで9日は
「せっかく女子制服着てるなら、それで街頭ライブに行こうよ」
と言われて、私たちはこの土曜日の午後、三鷹駅前に出たのである。
 
詩津紅は
「新宿行こう」
と言ったものの、
 
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「いきなり新宿って無茶〜。国分寺あたりで」
と私が言ったので、妥協点として三鷹になった(*2)
 
(*2) 中央線の主な駅
 
高尾−八王子−日野−立川−国立−西国分寺−国分寺−武蔵小金井−武蔵境−三鷹−吉祥寺−荻窪−中野−新宿
 

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詩津紅が、カシオトーンSA-75(mini37鍵1.5kg)をネックストラップで吊って伴奏し、2人で、流行りの歌などを歌った。
 
女子高生2人が制服で歌っていると、わりと目立つので、足を停めて聴いてくれる人もあった。
 
「君たちの名前は?」
と訊かれたら、詩津紅が
 
「“綿帽子”です」
と答えたので、私たちのユニット名は“綿帽子”になった。
 
「君たちCDとか無いの?」
と言われると、詩津紅は
 
「今作ってる所なんです。来週にはできてるかな」
などと言う。
 

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そして詩津紅は翌日の6月10日(日)、(女子制服姿の)私を連れてカラオケ屋さんに行った。
 
「ここのカラオケ屋さんは録音したものをCDにしてくれるサービスやってるんだよ」
「へー」
 
そのカラオケ屋さんに入ろうとしていた時、空に大きな虹が架かった。
 
「きれーい」
「大きな虹だね」
「副虹も出てるよ」
 
その虹を見ていて、私は突然インスピレーションが浮かんだ。
 
「詩津紅、何か紙無い?」
「これで良ければ」
と言って、詩津紅が五線紙をくれたので、私はインスピレーションが浮かぶままに五線紙に音符を書き綴っていった。
 
「可愛い曲だね」
「うん。これ・・・・で完成かな」
「それに歌詞を付けていい?」
「うん。任せた」
 
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それて詩津紅は、その曲に合わせて歌詞を書いてくれた。虹を見詰める女の子が恋の思いを語る可愛い詩である。
 
「おお、可愛い!」
「これ今日吹き込もうよ」
「いいかもね」
 

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それでその日は、この『虹の願い』という曲、それから昨年中学の修学旅行の時に書いた『ダイアモンド・ウェイブ』(『金剛波羅蜜多菩薩』を改題!)、そして昨日の路上ライブで好評だった、レミオロメンの『粉雪』、平井堅の『瞳を閉じて』を吹き込んだ(著作権使用料とか何も考えてない)。
 
それでCDをお店から受け取ったが
「これコピーしてくるよ。メディア代、半分こしない?」
「OKOK」
 
それで私たちはこのCDをコピーして100枚も作ったのである。レーベルには私が虹と女の子の絵を描いて、それをプリントした。
 
それで6月16日(土)にこれを持って街頭ライブに行くと、60枚も売れたので、びっくりした。このCDは7月までに全部で300枚くらい売れたと思うが、さすがにこのCDを今持っている人は居ないだろう。
 
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と思っていたら、持っている人がいたのである!
 
「ああ、綿帽子の『虹の願い』持ってるよ」
と千里は言った。
 
「なんでそんなの持ってるの〜?私でさえ、どこかに行ってしまって持ってないのに」
と私は言った。
 
「いや、当時私、インターハイに出る直前でさ、私が本当に女かという検査を受けさせられたんだよ。その時、偶然女子高生2人組の街頭ライブを見かけてさ。あ、うまいじゃんと思ったからCD買った」
と言って、翌日にはそのCDを持って来てくれた。
 
(よく見つけ出せるものである。私なら14年前に買ったCDを見つけ出すなんて絶対無理)
 
「何ならあげようか?」
「いや、コピーさせてもらうだけでいい」
と言って、私は千里が持っていたCDをコピーさせてもらった。
 
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それで音源どころか譜面も行方不明になっていた、『虹の願い』『ダイヤモンド・ウェイブ』が蘇ることになったのである。
 
「ちなみに性別検査の結果は?」
「私の骨格が女子の骨格だから、思春期前に女性化を始めたのが確実ということで、女子として出場していいことになったよ」
「なるほどねー」
 
今更千里の性転換時期を問題にしても無意味な気がする。
 
「卵巣と子宮が一瞬見えた気がしたのは、その後、画像に写らなかったから、きっと見間違いということで」
「ふむふむ」
 

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『虹の願い』を聴いた八雲(真友子)課長はすぐに
 
「ローズ+リリーのシングルを作ろう」
と言った。
 
「この曲は売れるよ」
と八雲さんは嬉しそうに言う。
 
それで、結婚を目の前に控えているところを申し訳無かったが、詩津紅(作詞者!)にピアノで入ってもらい、12月上旬に、この曲を吹き込んだのである。
 
(なお歌詞は作詞者本人の手で、やや未熟な部分を修正した)
 
編曲は「冬の編曲はまだ良くない」と政子に言われて、結局、和泉がやってくれた。それで高校1-2年の時に、私が組んでいた3つのユニット、綿帽子・折紙・チューカラ、の揃い踏みの曲となったのである。
 
綿帽子:私と詩津紅のユニット
折紙:私と和泉のユニット
チューカラ:私と政子のユニット
 
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綿帽子の詩津紅が詩を書き、折紙の和泉が編曲してくれた曲をチューカラが発展したローズ+リリーが歌ってリリースされる。
 
若葉は「冬の愛人揃い踏みだ」と言っていたが、私は少なくとも、詩津紅や和泉とは性的な関係を持ったことはない。
 

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これ以外に先日書いた『恋するかれー』を入れて4曲構成にすることにした。
 
『虹の願い』
『恋するかれー』
『いつも太陽があるように』
『Dona nobis pacem』
 
『虹の願い/恋するかれー』の両A面である。
 
『いつも太陽があるように』はロシア語の歌詞からマリが日本語訳詞を書き、そのロシア語訳を添えて、著作権者に照会して既に使用の許諾を得ている。ロシア語で歌ったバージョンも収録した。『虹の願い』『恋するかれー』のカラオケ版も入れて7曲入りマキシシングルである。
 
『Dona nobis pacem』は次のような歌詞にした。
 
Dona nobis pacem pacem,
Dona nobis pacem.
Dona nobis pacem, Dona nobis pacem.
Dona nobis pacem,
Dona nobis pacem.
 
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Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, dona nobis pacem.
 
Dona nobis pacem pacem,
Dona nobis pacem.
Dona nobis pacem, Dona nobis pacem.
Dona nobis pacem,
Dona nobis pacem.
 
『Dona Nobis pacem (平和を我らに与えたまえ)』の通常の歌詞の後に、この歌の元になった賛美歌『神の子羊』を歌った上で、再度『Dona Nobis pacem』を繰り返している。この歌は全編ラテン語である!
 

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夏の日の想い出・虹の願い(1)

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