広告:モーイモーイ-mooimooi-ロングブーツ-ダークブラウン-【返品・サイズ交換は無料】
[携帯Top] [文字サイズ]

■夏の日の想い出・虹の願い(12)

[*前p 0目次 8時間索引 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
前頁 次頁 時間索引目次

↓ ↑ Bottom Top

12月8日(水)は“望坂拓美”の取材に行った。
 
実際に訪問したのは、栃木県小山(おやま)市のオフィスビルの中にある小さな事務所である。インタビューに応じてくれた“望坂拓美”プロジェクトの主宰者・王絵美さんは
 
「ともかく余計な費用は掛けまいというので、安くオフィスを借りられる所を求めて、ここを借りたんです」
と話していた。
 
望坂拓美のオフィスが入居しているオフィスビルは小山駅に近い“裏通り”にある。駅に近いけど、裏通りなので家賃が安い。雑居ビルならもっと安いが、セキュリティを考えてオフィスビルにしたのだと言う。小山市を選んだのは都内よりは家賃相場が低いが、新幹線で東京にアクセスできるから、急ぎの仕事を手で持って行けるからである。
 
↓ ↑ Bottom Top

東京からすれば田舎かも知れないが、2018年に前後して起動した、夢紗蒼依が鹿児島県川内(せんだい)と福井県小浜(おばま)、松本花子が(恐らく)明確な本拠地を持たずに全国分散(窓口は沖縄:千里の口ぶりからすると、どうも、北海道・北陸・沖縄・台湾にブランチがある)で始めたのに比べると、まだまだ東京に近いところでスタートしている。
 
10m×5m(15坪)ほどの面積で、そこにアクリル板で仕切られた席にヘッドセットを付けた人が5人、パソコンを前に作業をしている。パソコンにはmidiキーボードなどは接続されていない。
 
「ここに居るのは、クォリティ・マネージャー(品質管理者)さんたちです。望坂拓美は50人ほどの作曲者と、20人ほどの作詞家からなる作曲集団です。作曲者は、音楽大学などの出身で、現在は主婦などをしている人が多いです」
 
↓ ↑ Bottom Top

「作詞者はniftyの創作系フォーラム, mixiの創作系コミュなどで活動していた人、そしてそこからの横のつながりでスカウトした人が多いです。作曲者が自分で詩を書くケースもあります。詩は毎日でも書けますが、曲を書くのは早い人でも一週間掛かるので、どうしても作曲者の方が多人数必要になります」
 
「それで納品された歌詞、納品された楽曲をここで検査して、修正して欲しい箇所があったら指摘します。簡単な文法ミスや漢字の読み違い、登録商標や商品名、あるいは差別語など、使ってはいけない言葉が無いか、また和音の勘違いや歌いにくいと思われる所があったらそれも指摘します。このやりとりを何度か繰り返すことによって、歌手さんたちに渡せる作品の品質になるんです」
 
↓ ↑ Bottom Top

とサリーを着た王さんは説明する。彼女は2018年の緊急帰国以来、一貫して、サリー姿で報道機関の前には姿を見せている。
 

↓ ↑ Bottom Top

王さんの両親は台湾籍だったが、2人とも日本生まれで、お祖父さん・お祖母さんの代から日本に住んでいた(絵美さんもその両親も台湾に行ったことがない)。それで王絵美さんも日本生まれだが、生まれた時は(血統主義により)台湾国籍になっていた。しかし日本の小学校・中学校に通っているので、スポーツ界では日本人扱いになり、中体連の卓球では全国大会まで行ったことがあるし、インターハイでも県予選BEST4まで行ったことがある。高校卒業後は卓球を選手としては引退し(指導者や審判の資格は持っていて卓球連盟には所属している)、タレント活動をしていて、20歳を過ぎた所で日本国籍を取得した。
 
タレント活動時代にCDを出したこともある(後述)が、その後、むしろ作曲家に転向し、"Magic Emi"のペンネームで年に5-6曲の作品を書いていた。でもそれほど売れていないので、2012年頃までは、やはりタレントがメインだった。
 
↓ ↑ Bottom Top

元卓球選手ということで、テレビ番組で当時まだ小学生だった福原愛と対戦したこともあるが、全く歯が立たなかったので「愛ちゃん、ほんとに凄い!」と完敗の弁を語った(でもその後、彼女とはずっと交流が続いている)。
 
タレント時代も最初はそんなに目立つタレントでは無かった。ワンギャルなどにもなっているが(釈由美子などと同期)、当時はファンレターをもらったことも無いと言う。写真集も出したが500部も売れなかったらしい。幼児番組に出演していた時代に知名度があがり、2002-2004年に、ゲームバラエティでベテラン・コメディアンの山田次郎さんに鍛えられた。2006年から2009年まで本坂伸輔さんがメインの司会をする音楽番組のアシスタントというよりも事実上の共同司会を務め、この時、本坂さんと個人的にも交友を深めた。当時は、何度か本坂邸にも招かれて、奧さんの里山美祢子とも仲良くしていた。今でも彼女は美祢子のことを“姉御(あねご)”と呼んでいる。
 
↓ ↑ Bottom Top

2013年、王はインドに渡り、向こうで女性の教育活動に従事し、同じく慈善運動をしていたイギリス人男性と結婚した。
 

↓ ↑ Bottom Top

本坂伸輔は多数のゴーストライターを使っていたが、2014年に本坂が急死した後、そのゴーストライターさんたちは仕事ができなくなって困った。美祢子から相談を受けた王は、その代作者たちを下川工房に紹介して、彼らに“上島雷太”の名前で作品を書かせるようにした。これは上島本人も知らないことだった。当時は上島雷太作品の需要が凄まじかった一方で、上島自身の制作ペースが落ちてきていたので、上島本人の真筆だけではとても足りなかったからである。
 
これは実は王絵美が下川圭次と高校の同級生だったという縁もあったのである。その縁で王は下川が編曲した歌でCDを出したこともあるが前述のように全く売れなかった!(メジャーレーベルから出したのに1000枚も売れていない)
 
↓ ↑ Bottom Top

一方、上島と本坂の関係というのは2001-2003年のワンティス時代に遡る。本坂は実はワンティスのメインキーボード奏者だった。ワンティスの初期には、キーボードとギターはドリームボーイズの原埜良雄・滝口将人が弾いていた。しかし彼らはドリームボーイズの活動が盛んになって来たことから離脱し、代わりにスカウトされたのが、キーボードの本坂伸輔、ギターの志水英世であった。当時は、本坂の報酬は上島が、志水の報酬は高岡が個人的に払っていた。それで本坂と上島は元々盟友関係にあったのである。
 
要するにこの4人は“四角関連”である。

 

↓ ↑ Bottom Top

2018年には今度は上島自身が土地不正取引で逮捕され、起訴猶予にはなったものの音楽活動を自粛したため、再び代作者たちは困った。
 
それで再度彼らに泣き付かれた王は、これはインドからのリモートでは無理だと判断。イギリス人の夫をインドに置いたまま日本に戻り、望坂拓美プロジェクトを立ち上げたのである。代作者たちを再編して、彼らの作品を望坂拓美の名前で発表するようにした。そういう訳で望坂拓美の“坂”は本坂伸輔に由来する。motosaka→motisaka なのである。(oをiに変えたのはイタリア語の複数形を作る規則からの連想らしい。拓美は“匠”に由来する)
 

↓ ↑ Bottom Top

このあたりの経緯は、私は小山市に向かう道々ラピスラズリの2人には説明したが、上島雷太の代作時代以前のことはインタビューでは触れないように2人には頼んだ。
 
多くの歌手が歌うべき曲が無くて困っていると聞き、音楽番組をしていた関係で“ほぼプロ”レベルの作曲者とのコネが多いので、それを組織化して、集団で楽曲を生産することにしたという、建前的な説明が番組内ではされることになる。
 
この作曲グループは実は2005年頃から16年ほど活動していたが、2018年になって初めて表舞台に出てきたのである。現在、品質管理者としてオフィスに出てきているのは実は初期の頃このグループに参加していた作曲者たちである。
 
2019年春にUDP(上島代替プロジェクト)が終了すると、それに参加していたセミプロ作曲家さんたちの大半が、望坂拓美に移籍したので、参加する作曲者はほぼ倍増した。移籍してきた作曲家さんたちは、しっかり校正してもらえるし、助言ももらえる上に、基本が買取りで支払いも良くて生活設計を立てられるしで感激していた。
 
↓ ↑ Bottom Top

望坂拓美は月末締めの翌月10日払いなので“日銭(ひぜに)”に近い感覚で報酬がもらえる。これがUDPだと通常の著作権処理だったから、最悪7ヶ月後の支払いだったし、曲がヒットしないと雀の涙程度の報酬しか得られなかった。
 
すぐ払うことができるのは、里山美祢子の弟で大俳優の片原元祐が初期の運営資金を提供してくれたお陰である。なお片原姉弟が表に出ない(運営会社の株主にもなっていない)のは、その2人の名前を出すと、このプロジェクトは2人の母である作曲家の松居夜詩子が実質統括しているのではと誤解されるからである。
 

↓ ↑ Bottom Top

なお私たちは、小山市への移動に2台の車を使用した。
 
◇◇放送の車:佐竹カメラマン(◇◇放送)・長江ディレクター(〒〒テレビ)
私のエルグランド:佐良ドライバー、ラピスラズリ(2列目)、青葉と私(3列目)
 
私たちは現地で、まずはオフィスでクォリティ・マネージャーさんたちの作業の様子を見せて頂いた後で、応接室に入り、そこでインタビューをした。
 
今日は個人宅ではないので、ラピスの2人も少し勝手が違うようだが、町田朱美が中心になって、プロジェクトを始めた経緯や、このプロジェクトに参加したい作曲家の志願方法などについても尋ねていく。
 
「作品を見せて頂きますが、一般的なコンペとは採用基準が全く違いますので注意して下さい。うちでは、コンペに通りやすいような派手派手しいアレンジはむしろお断りしています。継続して活動して頂くことが大事なので、個性を求めますし、盗作まがいの曲を書く方はお断りです。また、人間の演奏者が演奏して、人間の歌手が歌う前提なので、人間が演奏できないようなスコアも困ります」
 
↓ ↑ Bottom Top

と王さんは説明する。
 
「コンペに通るのは、派手な作品ですからね〜」
「目立たないと採用してもらえないし」
「最近は人間には絶対無理って伴奏が結構ありますよね」
 
「それと各々の楽器の特性を無視したものも多いんですよ」
「トランペット吹いたことの無い人がトランペットの音を打ち込みで作ってますからね」
 
「私も高校を出た後、10年ほどアレンジの仕事をしてたんですが、管楽器の経験が無かったので、初期の頃、そのあたりをかなり注意されたんですよ」
と王さんは言っている。
 
「それCDを出される前ですか?」
「むしろその後ですね。でもあのCDは恥ずかしいので黒歴史にさせて下さい」
 
「ある人からお借りして来ているのですが」
と言って、私がそのCDを見せると
「きゃー、恥ずかしい!」
などと言っている。
 
↓ ↑ Bottom Top

「でも懐かし〜。それ私も持ってないのに」
などと王さんは言っていた。
 
このCDは上島先生が持っていたもので、2018年の事件で上島先生が破産した後は、アクアが丸ごと先生が所有していたCD群を買い取った。それで現在は八王子の家にあった。今日はアクアから借りて来たのである。
 
(放送時にはこのCDの音源が流され、視聴者は若い頃の王さんの歌を聴くことになり「結構うまいのに」と言われていた)
 

↓ ↑ Bottom Top

ラピスラズリには、王さん自身が書いて望坂拓美の名前で発表し、トライン・バブルが歌った『愛のゆりかご』を歌ったが、
 
「あんたたち、本当にうまいね」
と褒めてくれた。
 
「そういえば、王絵美さんの夫さんの名前はジョージ・キングというんだよ」
と私は言った。
 
「王さんとキングさんが結婚したんですか!?」
と東雲はるこが驚いている。
 
「そうそう。王様と王様が結婚したって、日本のマスコミは書いた」
と本人は楽しそうに言う。
 
「そのパートナーさんは、ずっとインドですか?」
と朱美は尋ねた。
 
「うん。放置」
「浮気大丈夫ですか?」
「浮気したら去勢と言ってますから」
「ああ、それは恐い」
 
「でも2018年と2019年は1回ずつ日本に来たよ」
「じゃ1年に1回のデートですか」
「そうそう。七夕夫婦。でも2020年,2021年はコロナで来日できなかったんだよ」
「ああ」
「会いたい会いたいと言うから、私のヌード写真と、テンガ100個送ってあげたけどね」
「凄いもの送りますね!」
 
↓ ↑ Bottom Top

「“会いたい”というより“セックスしたい”だろうしね」
「まあ男の人はそんなものでしょう」
 
 
↓ ↑ Bottom Top

前頁 次頁 時間索引目次

[*前p 0目次 8時間索引 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 
夏の日の想い出・虹の願い(12)

広告:Back-Street-Girls-9-ヤンマガKCスペシャル