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■夏の日の想い出・虹の願い(17)

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(C) Eriko Kawaguchi 2022-04-22
 
『作曲家アルバム』最終回の取材で、青葉を含む私たち取材陣一行は、先月完成したばかりで、まだ青葉本人も見ていなかった高岡市内の新居を訪問し、広大なピアノ室に来ていた。
 
そこで青葉はスタインウェイ&ソンのコンサートグランドで『猫ふんじゃった』を弾いてみせた。
 

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「でもこの部屋は音の響きが凄く自然だね」
と青葉は言った。
 
私もそれを感じた。町田朱美が頷いているが、東雲はるこは首を傾げている。
 
「マンションや普通の戸建てで業者さんに防音工事頼むと、全面に吸音板を貼り付けたり、酷い所は、壁にグラスウール吹き付けたりするでしょ?」
と千里は言う。
 
「それダメなの?」
と私は訊いた。
 
「そういう業者があまりにも多いからね〜。火牛アリーナとか、織姫・牽牛の構造を考えてみなよ」
と千里は言ったが、私は分からなかった。
 
「まず壁にグラスウールを吹き付けるのの最大の問題点は、空気層が無いこと。音を停めるのは空気なんだよ。だから吸音板とかを使う場合も、壁に直付けするのではなく、壁から少し浮かして固定する必要がある。結果的に壁は二重壁になる」
 
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「うちのマンションの防音室は吸音板を浮かして留めてる」
と私は言った。
 
「取り敢えず、防音のことが分かってる業者さんはそうする」
「うん」
 
「でもその手の防音室で楽器を演奏すると、まるで反響が無いんだよ。だから野外のステージで演奏しているような感じに近い」
 
「ああ、確かに野外の感覚に似ている気はする」
 

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「音楽のことが分かっている業者さんなら、ちゃんと音楽室の音響を考えた施行をする。音楽室というのは、それ自体が楽器なんだよ」
 
と言って千里は龍笛を取り出すと、それを吹いてみせた。
 
ラビスラズリがその素敵な笛の調べに感動しているようだ。長坂さん・佐竹さんも「凄い」という顔をしている。私と青葉のあらためてその笛に聴き惚れた。そしてその笛を聴いていて、私は千里の言う“音響”というのが少しだけ分かったような気がした。
 
千里が吹き終えると、みんな拍手をしたが、千里はそれにお辞儀をして返してから言った。
 
「今のは私の笛が鳴ったんじゃない。この音楽室が鳴ったんだよ」
「音楽室というのは、つまりギターの共鳴胴を更に大きくしたものだ」
 
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「そういうこと。全面に吸音板貼り付けちゃう業者さんは、音楽室それ自体が鳴り響く楽器であることを認識してないんだな。楽器の音を騒音か何かと思っているんだよ。だから騒音を外に出さないということしか考えない。でも吸音板で覆われていると、音は全部吸収されて何も響きが無い。エレキギターをアンプにつながずに弾いてるのと同じ、お布団の中で女物の服を身につけてみる女装初心者と同じ」
 
「そうか。音楽室はちゃんと鳴らないといけないんだ。女装初心者は分からないけど」
「うん。だから、音楽室の壁は必ず二重壁にして、内壁は音響を考えた作り方をして、外壁は防音のために作る。その防音の壁は吸音板を浮かして作るから最終的には三重壁になるけどね」
 
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「そうか。火牛アリーナや牽牛・織姫はそういう作り方をしたんだ」
「でしょ?でもここはあんなに広くないから、あそこまでは鳴らすことができない。それなりの音響を作るしかないけどね」
 
「そういうことだったのか」
 

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「冬も一戸建てで創作活動しなよ。今とはきっと感覚が変わるから」
「そうかも知れない気がして来た」
 
「音響を考える場合、様々な要素があるんだけど、最も大事なのが残響時間なんだよ」
「それは結構コンサートホールの特性として言われるよね」
 
「基本的には楽器から出た音や歌声などが、60dB(デシベル)小さくなる、つまり10-6= 100万分の1になるまでの時間を残響時間という。大阪のシンフォニーホールは日本で初めてこの残響時間というものを意識して造られた本格的なホール。あそこが落成した時は“残響時間2秒”というのが流行語になった。その後、やはり音響をよくよく意識して造られた東京のサントリーホールは残響時間が2.1秒の設計になっている」
 
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「それってクラシック向けの残響時間だよね?」
 
「そうそう。オーケストラやピアノの演奏では残響が豊かに残って欲しい。でもオペラだとこんなに残るとセリフが聞き取れないから残響時間は1.3-1.6秒くらいでいい。講演会なら1.0秒以下。ロックやポップスなら、その中間のだいたい1.0-1.5秒くらい」
 
「それ電気楽器をバリバリ使う人と、ギターやピアノだけで伴奏する人とで、かなり違うよね」
 
「違う。生ギターで伴奏しながら歌う人なら長めがいいけど、ハードロックみたいなのは短めにしないと耳が壊れる」
 
「ああ」
 

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「お風呂の中で歌うと凄く残響があって気持ちいいよね。一般的なサイズの家庭用お風呂の残響時間は2-3秒あって、実はクラシック用のホール並み」
 
「そんなにあるんだ!」
「歌ってて気持ちいい訳だ」
と朱美も言っている。
 
「でもお風呂でエレキギター鳴らしたら耳が潰れるよね」
「エネルギーが大きすぎるからね」
 
「この部屋は今残響時間が1.1秒くらいの設定になっているんだけど、これを変えてみる」
と言って千里は壁のロータリースイッチを回した。
 
カーテンが自動で閉まる!
 
「今残響時間を最短の0.3秒にした。青葉もう一度弾いてみ」
「うん」
 
それで青葉が再度『猫ふんじゃった』を弾く。
 
「ああ」
とラピスラズリの2人が声を挙げる。
 
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「これは普通の防音室の響きに近い」
と青葉が言う。
 
「カーテンが物凄い吸音性能を持っているからね。だからここはカーテンの開け閉めによって、残響時間を変えることができるんだよ」
 
「これいいかも」
 
朱美は「このシステム、私の家にも欲しい〜」と思った。七瀬さんに電話して頼めばいいかな?
 
「他に中に居る人の数でも変わるね。人間は音の吸収体だから、人数が多いほど音はよく吸収されて残響時間が短くなる」
 
「あ、ピアノの発表会で、リハで人が入ってない時と、観客が入ってからの本番では全然音響が違ってましたよ」
と東雲はるこが言っている。
 
「うん。だから、音響技術者は観客の人数を見て残響時間を調整する必要がある。夏と冬でも違うし、男女比でも変わる」
 
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「夏と冬で違うのは分かる」
「冬は夏の倍吸収する」
「でしょうね!」
 
「性別でも変わるんですか?」
「女性の衣服は概して装飾が多い。特にスカートは表面積が物凄くある。更に髪も長い。だから、女性は男性よりずっと音を吸収する」
「女性は夏冬の差が男性よりあるかも」
「それはありそうだね」
 
「男の娘は女性と同じ計算でいいと思う」
「女の子の服を着てれば女の子の計算でいいですよね」
「普通の女の子以上かも。概して背が高いもん」
「髪を長くしている確率も高いかもね」
「あ、それは絶対そうですよ」
 

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「まあそういう訳で、ここは二重壁になってて、外側の壁は吸音板を使って音を音楽室の外に漏らさないようにしてるけど、内側の壁はアテ(*19)の板壁と合板の穴あき板を組み合わせて音響優先の設計がされてるんだよ。複雑な反射を起こすためにレリーフも作っている」
 
「それ格好いい!と思ったけど、音響のためだったんですね」
「ホールなんかにこういう感じのレリーフがあるよね」
「ええ」
 
「そしてカーテンの開け閉めで残響時間は0.3秒から1.1秒まで変わる。今カーペットを敷いているけど、これを全部剥がしてしまうと下はアテの無垢材のフローリングが出るから残響時間は1.3秒まで上げることもできる」
 
「なるほどー」
 

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「いっそクラシック・ホールみたいに残響時間2秒とかにはできないんですか?」
と長坂ディレクターが尋ねる。
 
「この部屋の内部を全面石膏ボードに交換すると、残響時間2秒になりますよ」
と千里は意味ありげの微笑みで答える。
 
「できるなら、そうしないんですか?」
「更にタイルなら4秒、コンクリートなら8秒まで上がりますね」
「そんなに!?」
と長坂さんは言うが、朱美が
「それは、さっき話の出たお風呂の状態ですね」
と言った。
 
「そうなんだよ。朱美ちゃん、よく分かってる」
と千里は純粋な笑顔で言った。
 

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「その部屋の広さに応じた、適正な残響時間というものがあるんですよ」
と千里は言う。
 
「大きなホールでは長い残響時間が気持ちいいけど、狭い部屋でそんな長い残響時間はただうるさいだけになります」
「ああ、そうかも」
 
「適正な残響時間ということでいえば、だいたい一般の家庭の6畳の部屋で0.5秒、400人程度入る小型のコンサートホールで1.2秒くらい。2000人入る大きなホールで1.8秒くらいになります」
 
「それって計算式とかあるの?」
「ありますよ。理想残響時間=体積/表面積×0.254 + 0.357 です」
と言って、千里は数式をメモ用紙に書いて長坂さんに渡してくれた。長坂さんが頷いている。番組編集時にテロップで入れるつもりだろう。
 
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しかしそんな数式をさらさらと書けるということで、ここにいるのが千里3であることが(私や青葉には)分かる!
 

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「体積と表面積が関係するんだね?」
と私は言った。
 
「音は室内の空気で響くからね。だから体積が無いと音のそもそもの響きが生まれない」
 
「あ、そうか」
 
「小さな部屋は空気の体積が小さいから、どんなに頑張っても大きなホールのような音響にはならない。人工的にホールのような音響を付けると称する装置は昔からわりとあるけど、個人的に満足のいく音響になっているものに遭遇したことがない」
と千里が言うので
 
「同感」
と私も言った。
 
「だから音響をよくするには空気の体積を増やすのがいちばん良いやり方。家庭などで面積が取れない場合は、可能な限り天井を高くする。ここは移動にストレスがないように地上に作ったから天井5mだけど、地下に作ったら7mとか14mとかにすることも可能だった」
 
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と千里が言うと、朱美は「だったらうちの音楽室は地下に7mで作って正解だったんだ」と思った。
 
「そして表面積で音が吸収されて減衰していく。大きなホールで音がよく響くのは、スケールが倍になった時、体積は8倍になるけど、面積は4倍にしかならないからだよ」
 
「なるほどー!」
 

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「だからこの部屋の音響は、小型のサロンの音響に近い」
と千里は言うが、
 
「むしろこの部屋はサロン並みの広さがあると思うんだけど」
と私は言った。
 
「基本的にグランドピアノが快適な音響で響くには、天井が普通の家のように2.4mの場合で、壁の総周囲長がグランドピアノの長さの10倍以上でなければならない」
 
「そんな規則があるんだ?」(*18)
 
「経験則だよ。だからスタインウェイ&ソンのコンサートグランド、長さ274cmをまともに響かせるには、壁の周囲長が2740cm必要で、この条件を満たす部屋の広さは、正方形部屋なら32畳程度ということになる。この部屋の内寸は実際には7半間×9半間の 31.5畳だけど。壁の総延長は(7+9)×2=32半間=2909cmで、2740cmより長いからOK」
 
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「コンサートグランドなら、最低そのくらいの広さは欲しい気がしてきた」
「まあコンサートグランドを4畳半に置くのは無茶だよね」
 
「でもそれほとんど小ホールだよね?」
 
「例えば東京の雑司ヶ谷音楽堂は約57平米で、これは7半間×10半間の35畳、つまりここより少し広い程度なんだよ。面積的には」
 
「やはり小ホールだ」
「まあ向こうはもっと天井が高いし、更に置いてあるピアノはコンサートグランドではなくて1つ下のクラシック・グランドピアノだけどね」
 
「音響的に許されるギリギリでは、やはり微妙なのだと思う」
 
「まあ普通の家では、さすがにそこまではできないけど、可能な範囲で、それに迫る音響を作ろうと頑張った」
 
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「お疲れ様!」
 

(*18) Steinway and Sons Grand Pianos
 
size(cm) 音響的最小部屋
D-274 32畳(8x8)
B-211 24畳(8x6)
A-188 15畳(6x5)
O-180 12畳(6x4)
M-170 12畳(6x4)
S-155 10畳(5x4)
 
ここで述べているのは最低限の音響が確保できる広さである。部屋の天井の高さは8フィート(2.4m)である場合を想定している。
 
なお、音響を考えずに単に“設置”するだけなら、コンサートグランドは最低3畳、それ以外は最低2畳あれば“置く”ことはできるが、とてもまともな音にはならない。音響を作り出す部屋の空気の体積が絶対的に足りなさすぎるのである。
 
(グランドビアノは分解すると小さくなるので“搬入”の問題は起きにくいが、アップライトピアノや多くのエレクトーンは分解できないため、しばしば“設置”は可能なはずだが、“搬入”できない!という問題が生じたりするので注意。玄関経由では不可能だったので、クレーンで吊って窓から入れたなどという話も過去に何度か聞いた)
 
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ただ、ヤマハのグランドピアノCシリーズは元々日本の一般的な家庭に置くことを想定した音造りがされているため、6畳程度の部屋になら置くことが可能である(洋室より畳部屋に置いたほうがよい。畳は吸音板並みの吸音能力があるので騒音問題が起きにくい)。
 
ケイの古い友人・鳥野(旧姓野乃)干鶴子は実家に居た頃は四畳半にC3を置いていた(搬入しに来た人が置けたことに驚いていたらしい)。ピアノの下で寝ていたのだが、朝起きると毎朝のように頭をピアノにぶつけていたという(学習能力が無い)。
 
槇原愛の家では、もう少し?余裕があって5畳半!?の部屋にC3を置いている。こちらもやはりヤマハCシリーズというピアノの特性に救われている。
 
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夏の日の想い出・虹の願い(17)

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