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■夏の日の想い出・Long Long Ago(32)
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「え〜!?カレー粉って割らずに入れたほうが速くとけるの?」
と、その日政子はmixiの書き込みを見ていて声を挙げた。
「ああ、今話題になってるね。メーカーも困惑しているみたいでカスタマーセンターの回答が不安定だけど、多くの人が追試して確認してる」
「私も確認したい。冬、カレー作って」
「はいはい」
それで私はアクアに渡す曲『風よりも速く』のスコア最終調整の手を休めて、台所に立ち、玉葱・人参・ジャガイモを切って、お肉・しめじを解凍。ルクルーゼに入れて15分煮た。私はデスクに戻って作業していたのだが、IHのタイマーが鳴ったので、ごはんを冷凍室から出して電子レンジに掛けた上で、政子に
「カレールー入れていいよ」
と言う。
「よぉし」
と言って政子はモンハンライズの手を休めて出てくると、S&Bゴールデンカレー中辛のルーを半分切り取り線で切ると、開封して、割らずにそのまま入れた。
それでお玉で攪拌していたのだが、やがて
「嘘!?もうとけた」
と驚いている。
「速いね」
「あのね、あのね、最初はなかなか溶けないみたいで、やはり時間掛かるのではと思ってたのよ。それなのに、瞬間的に急に溶けちゃった」
「そうそう。突然とけるらしいね」
「今まで苦労して割っていたのは何だったの?」
「中にはすぐとけるようにと、わざわざ苦労して包丁で刻んでた人もいたみたいね」
「どうしてこんなことになるの?」
「まだ諸説あるけど、溶けると融けるの違いみたいね」
「何それ?」
私はホワイトボードに幾つかの“とける”を書いた。
溶ける
融ける
熔ける
解ける
そしてその横に意味を書いた。
溶ける:水に溶ける
融ける:融点を超えて液体になる
熔ける:金属が高温で液化する
解ける:雪や氷が暖かくなり水になる/方程式や問題を満す値が見つかる
「つまり何かと混ざって液体になるケースと純粋に態が変わる場合とがあるんだ」
「そうそう。サンズイの溶けるは水あるいは溶媒の中でイオン化または微粒子化して混じること、でもそれ以外はその物質自体が融点を超えて液体になること。特に金属や岩石の場合は火偏の熔を使う」
「戦後当用漢字制限で理科の授業で“熔岩”のことを“溶岩”と書いてたけど、岩が水に溶けたわけじゃないからあれは完全な誤り。“融岩”なら許せた」
「きっと日本語の分からない人たちが決めたのよ。“高嶺の花”を“高根の花”と書くのも意味がまるで違ってしまう」
と政子が言う。
「右側が虫の融は一般的に融点を越えて固体が液体に変化すること。解の字は雪や氷の類いだけに使う」
「でもごめん。もう少し簡単に説明して」
「つまりね。カレールーがスープの中に“溶ける”のなら、表面積が大きいほうが速く溶ける。だからみんなそういう原理で溶けるのだと思って、割ってみたり、あるいは更には細かく刻んだりしていた。ところがカレールーは“溶ける”んじゃなくて“融ける”ものだったんだよ」
「どういうこと?」
「カレールーというのは、様々な旨味成分やスパイスを油脂で堅めたものなんだよ。油脂で固めているから、ある程度の温度になれば自然と融解する。あれはお湯に溶けていたんじゃないんだな」
「へー!へー!へー!」(さすがに古いと思うがマリは時代を超えて生きている)
「だから高温にするのなら別に割らずにそのまま鍋に入れた方が熱が籠もりやすいし、隣接している部分に融解する熱が伝わって速く融ける。更には周囲が融け始めるとスープの成分と混じって融けにくい性質に変わるらしい。だから、細かく割ってしまうと、かえって融けにくくなる。刻むのは最悪」
「つまり今まではわざわざ手間掛けて融けにくくしてたのか」
「まあ恋もそうだね。相手の心は“溶かす”ものではなく“融かす”もの」
「ほほぉ」
「べたべた相手の身体にタッチして口説こうとしても相手は逃げる」
「私はぶん殴った」
“殴った”って実体験??相手は大輔さんか?
「でも敢えて紳士的に少し距離を取って言葉で口説けば相手のハートは熱くなって心が融けるんだよ」
「そうか、恋愛とカレールーは同じだったのか!」
「この手の物事は結構ありそうだよね」
「北風と太陽もそうだよね。北風の直接攻撃には抵抗したけど、太陽の赤外線による遠隔攻撃で落ちた」
「確かに確かに」
「よし。カレールーの恋という詩を書こう」
「へー!」
それでマリはできあがったカレーライスとフルーツヨーグルトを食べながら、楽しそうに詩を書いていた。
12月4日(土).
川崎市内のオープンセット(元々『ロミオとジュリエット』の撮影のために作られたもの)を舞台に『十五少年漂流記』の撮影が始まった。
出演者は中高生世代の男性俳優15人である。人数が多いので、既にドラマや映画で活躍している人だけでなく、この時点では全く無名だった劇団の団員なども選ばれている。
ストーリーはだいたい原作の流れに近いが、原作にあるような黒人の見習い少年船員を人間としてカウントしないような箇所は修正されており、海洋少年団に所属していて、船のことに詳しいという設定になった。また後半の銃撃戦で敵を射殺するような所もカットされ、投石で戦ったり、落とし穴に落としたりして降参させ、敵も改心するという筋書きになっている(投石も充分殺傷力があるし落とし穴でも死亡することがあるが)。
『ピーターパン』の原作でも子供たちが海賊を殺しているが、恐らく19世紀のヨーロッパの感覚では、悪い奴らは殺していいし、それを殺すのが勇敢な行為であると考えられていたのだろう。しかし少なくとも現代日本では子供に殺人をおかさせるのは、許されない展開である。
なお、この物語の中で、『ロミオとジュリエット』以来使用されてきたガレオン船は(島の住居を作る材料にするため)解体される。このドラマの撮影後、オープンセットも年内に解体されて、更地にし、地主さんに返却されることになる。地主さんはここにマンションを建てたいらしい(交通の便が悪いし売れない気がする)。
このガレオン船は、基本骨格部分が実はH型鋼でできている。それが映るとまずいので、テレビ局の道具係さんが鉄鉱に木目シート!を貼り付けて木材に装う加工をして解体の場面を撮影した。
12月6日(月).
アクアが白雪姫と狩人、ドイツ人俳優ロビン・フライフォーゲルが王子を演じた日独合作映画『白雪物語 Die Geschichte von Schneewittchen』が、日本・北米・オーストラリアとニュージーランド、また、ロシアを含むヨーロッパ全土で同時公開された。日本でも0:00からの上映を設定した映画館があったが、最初に公開されたのは、時差の関係で、日本より3時間進んでいるニュージーランドだった。それでオーストラリアからわざわざ移動して見た人もあったという報道があった。
夏に公開された、アクアがロミオとジュリエットの双方を演じた映画『ロミオとジュリエット』でアクアに興味を持った人が多く、最初から加熱ぎみであった。初日だけで全世界200万人が見たのではという報道もなされていた。
(映画会社は過熱しすぎて映画館に殺到する事態を避けるため数字を公表しなかった。また月曜日の公開にしたのも初日の密集をできるだけ抑えるためである)
オミクロン株の脅威が知れわたった直後なので、アクア、フライフォーゲル、監督の舞台挨拶は中止され、代わりのビデオが主な動画サイトに掲載された。3人とも、日本語・ドイツ語・英語・フランス語・スペイン語・ロシア語の6ヶ国語で挨拶している。
なおアジア地域での公開は、各言語版がその国の配給会社に委ねられており、やや遅れることになるらしい。しかし英語の分かる人の多いインドでは、一週間後に発売される予定のDVDを予約している人がかなり出ているという話であった。
日本国内での反応。
「アクア、可愛いし格好良い!」
「アクア、もう嫁さんにしたい」
「宇菜様かっこいい!お嫁さんになりたい」
今一性別がよく分からない。
「白雪姫と王妃の戦闘シーン、すごいマジにやってる感じだったんだけど吹き替え?」
「アクアは『ロミオとジュリエット』でも剣での戦いは見せてたね」
「雨梨美貴子さんは時代劇で日本刀での立ち回りを見せたことある。たぶんどちらも吹き替え無しの演技だと思う」
「あのお城はCG?よくできてると思った」
「本当に建てたらしいよ」
「じゃ1年くらい前から企画してたのかね」
誰もわずか半月で建ったとは思いもしない。
「郷愁村に建ってるよ。年明けたら八犬伝村と合わせて公開するらしいよ」
「ああ。八犬伝も録画予約しとかなくちゃ」
(対牛楼は、あの急な梯子を観光客に登り降りさせるのは危険なので、エレベータを取り付ける改造をする予定。また春日部で組んでいたセットも八犬伝村に移送予定である)
海外での反応。
「アクアちゃん、ジュリエットも可愛かったけど、白雪姫も可愛い」
「やはりこの子、ジュリエットにしろ、白雪にしろ、意志の強い女が似合うね」
「新しい女性像の理想型だと思う」
「俺の妻にしたい」
「私の奧さんになって欲しい」
「共演の弟のアクオ君も格好良いね」
「うん。アクオ君が馬を走らせるシーン、弓矢を撃つシーン、格好よくてしびれた」
「私を奧さんにして欲しい」
海外では、アクアとアクオ(或いはマクラとサクマ)の男女の双子と思われているようである。
今回もエンドロールでは
MAQURA -> MR.AQUA,
SAQUMA -> MS.AQUA
というアナグラムがアニメーションで入っている。
なお、フライフォーゲルも美形なので、奧さん志願の女性がたくさん出ていたようである。
コスモスは大曽根さんが、またまた直々に信濃町の事務所まで来たので、とってもいや〜〜〜な予感がした。
「まあそういう訳で、コスモス君。アクアちゃんの次の映画を撮ろう」
「今度は何でしょう?エンデの "Die unendliche Geschichte" (日本では英語の"Never ending story" の名前で知られる)のアトレーユでもさせましょうか」
「アクアちゃんにエンデの『モモ』(Momo)を演じてくれないかという話もあるんだけどね」
「『モモ』の時間泥棒の役ですか?」
大曽根さんは虚を突かれたようだったが
「アクアちゃんが、うようよ大量に動き回ったら、ファンは喜ぶかも知れないね!」
と言った。
大曽根とコスモスが視線を交わして意味ありげに微笑む。
「何か『逃走中』の大量ハンターみたい」
と川崎ゆりこ。
「『くるみ割り人形』のクララというか原作ではマリーなんだけど(原作ではクララはマリーの姉の名前。たぶんプティバの間違い)、そんな話もあったんだけど、アクアちゃん、確かバレエの『くるみ割り人形』を踊ったことあったと言ってたよね?」
「ええ。クララと金平糖を踊ったそうです。本来の主役の子が怪我して出られなかったので代役だったそうですが。でもクララは病弱で、ねずみに脅されてお菓子を取られるとか性格的に弱すぎる感じで、アクアには合いませんよ」
「うん。実は僕もクララはアクアちゃんの性格ではない気がした。もしやるなら、木田いなほではどうかと推薦しておいた。そちらで話が進むかも知れない」
「ふたりのロッテとかはどう?アクアちゃんのロッテとルイーゼの1人2役で」
「どちらも女の子じゃないですか!」
「男女のふたごだけど容姿はそっくりという設定に改変すればいい。男の子と女の子が入れ替わると、男の子の女装と女の子の男装が見られることになるよ」
と大曽根さんが言うと
「それいい!やりましょう」
と川崎ゆりこが言った。
「でもそれだと先日水森ビーナでやった『あべこべ物語』と似てますよ」
「そういえばそうかな」
「それにそういう設定をアクアが了承する訳が無い」
とコスモスは言ったのだが
「欺せばいいですよ。あの子簡単に欺されるから」
などと、ゆりこは言っている。
「あの子、わざと欺されてるのではないかという気がしてならないんですが」
と近くに居た花咲ロンドまで言う。
「本当は女の子役をしたいんだけど、それを言うのが恥ずかしいから、ボク女の子役はしませんと主張して、それで欺されて仕方なく演じた、というのを装ってるんだよ」
などとゆりこ。
「『ロミオとジュリエット』が良かったから同じシェイクスピアで『お気に召すまま』という意見もあったのだけどね」
「それアクアが適任!」
と川崎ゆりこが言う。
「だいたい『白雪姫』だってルーツはシェイクスピアですからね」
「まあそういう訳で、第1候補『ふたりのロッテ』、第2候補『モモ』、第3候補『お気に召すまま』といった線で考えている。少し検討しててくれない?他にももしアクアちゃんに似合いそうな“女の子主人公”の話があったら提案してもらってもいい。年明けから具体的なプロジェクトを始動させたいから」
と言って、大曽根部長は帰った。
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