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■夏の日の想い出・Long Long Ago(24)

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ΛΛテレビの『昔話シリーズ』は、10/9-17に松田理史主演で『大工と鬼六』を撮った後、10.23-11.06にはビンゴアキ主演で『オズの魔法使い』を撮影した。『オズの魔法使い』は2時間半枠である。
 
そして11.7-20には、ラピスラズリ主演で『アルプスの少女』が撮影された。これも2時間半枠である。監督は、『大工と鬼六』『アルプスの少女』が美高鏡子、『オズの魔法使い』は沢口富恵である。
 
『アルプスの少女』では、東雲はるこがクララで、町田朱美がハイジである。その他の主な配役は下記であった。
 
クララ:東雲はるこ(16)
ハイジ:町田朱美(16)
ロッテンマイヤー:里山美祢子(37)
アルムおんじ:藤原中臣(71)
ペーター:斎藤良実(16)
デーテ:頼元麗華(42)
ゼーゼマン:香川満夫(46)
ゼーゼマンの母:長坂ひとみ(68)
ペーターの母:湯沢駒子(39)
ペーターの祖母:入江光江(67)
セバスチャン:木村次郎(32)
ティネット:栗原リア(17)
 
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ギャラが高い!が、ラピスラズリ主演で視聴率が取れるのは確実なので、予算が結構付いたようである。
 
念のため親族関係を確認しておくと、アルムおんじ(原作でも名前が出てない。単にAlmöhi = Alm Onkel と呼ばれている)の息子がトビアス(Tobias)で、トビアスと妻アーデルハイト(Adelheid)の娘も母と同じアーデルハイトという名前である。物語の主人公は娘のほうのアーデルハイトであり、通常、Adelheidの愛称であるハイジ(Heidi)で呼ばれる。デーテ(Dete)は母の方のAdelheidの姉妹で、“おんじ”というのは、デーテから見て伯父になるからである。
 
なお、デーテ・アーデルハイトの曽祖母とおんじの祖母が姉妹だった。つまりハイジの両親は三従兄妹どうしの結婚である。
 
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おんじはハイジからは祖父である。ハイジの父(おんじの息子)トビアスは大工さんだったが、建設中の事故で死亡した。そのあと母親も病気で亡くなり、ハイジは母親の姉妹であるデーテが引き取ったのだが、女1人で姪を育てるのは大変だった。4年間頑張って育てていたが、新しい仕事に就くのに子供の世話ができなくなり、伯父(ハイジの祖父)に託したのが、物語の発端である。
 
なお「アルプ(Alp)」といったり「アルム(Alm)」といったりしているが、いづれもアルプス地方に広がる、高山地域(2000m以下)の放牧場(Alpwirtschaft/ Almwirtschaft)のことである。そこからアルプスという名前が出たという説もある(異説もある)。アルムおんじのような人たちは結構いて、家畜の所有者たちから家畜を託され、村から離れた場所で家畜の世話をして孤独な生活をしていた。
 
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原作は2本の小説から成っている。
 
『Heidis Lehr und Wander jahre』(ハイジの修業と遍歴の時代)
 
ハイジがアルプスに連れて来られて、アルプスの自然に馴染むところから始まり、フランクフルトに連れて行かれてクララと親しくなるが、病気になってアルプスに戻るまでの物語。
 
『Heidi kann brauchen, was es gelernt hat』(ハイジは習ったことを使える)
 
その後日談で、おんじがハイジを学校に行かせるようになり、自分も教会に行くようになり、またクララがアルプスを訪ね、立つことができた話。
 

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今回のドラマでも、アルプスでの生活→フランクフルトでの生活→アルプスに戻る→クララが来る、という流れで物語を展開する。クライマックスのクララが立つシーンでは、クララ役の東雲はるこがずっと座って演技していたのを急に立ち上がったので、立ちくらみして(だいたい、はるこは少食すぎる)、本当によろけそうになり、慌ててハイジ役の町田朱美が支えたので、この映像を見た視聴者は「迫真の演技だ」と言っていた(実は演技ではなかった!)。
 
今回のドラマで、ゼーゼマン家の若いメイド、ティネテ役に栗原リア(ColdFly5)が起用されている。実は、後述の理由で、リアが年内くらいスケジュールが空いてしまったので、“コスモスが”美高さんに頼み込んで使ってもらったのである。最初の台本にはティネテの役が無かったのを急遽書き加えた。
 
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リアはこの面倒くさがり屋の(でもたまに親切な)メイド、ティネテの役をうまく演じ、その演技力を大きく評価されることになる。
 

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10月29日にトリビュートアルバムの制作が決まった後、コスモスは醍醐春海(千里)およびケイと3人で話し合った後、大宮万葉(青葉)に電話を掛けた。
 
「大宮先生、フィリピンのアジア水泳選手権に出場なさいますよね。いつ渡比なさいます?」
「あれは延期になったんですよ。既に1年延期されていたから実質中止ではないかと思っています」
「あら、でしたらスケジュール空きました?」
 
青葉は“負けるものか”と思って答える。
 
「社会人選手権が11/6-7日に宇都宮であるので、それに出ます。だから今練習で忙しくて」
「だったら、毎日津幡で泳いでおられるんですか?」
「です。だから忙しくて忙しくて」
「でも津幡と自宅の往復たいへんですよね」
 
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あれ・・・?
 

「50mプールの傍に、無料で食事と宿泊ができる所をご用意しますので、ちょっと熊谷まで出てこられません?だって津幡と御自宅の行き来って、片道1時間近く掛かりますもん」
 
しまったぁ!
 
「それにそちらにおられると、結構細かい雑用とかも出ますよね。集中して練習できた方がいいですよね」
 
負けそう・・・・でもそちらに行くと“細かい”どころか“大きな”用事が用意されているのでは?
 
「それにこちらなら、フィアンセさんと会うのにも便利だし」
 
うっ・・・。桃姉からまで、もっと会ってやりなさいと言われてるし。
 
それで一応訊いてみる。
 
「で、とのくらい掛かるんですか?半月くらいですか?」
「大した期間ではないんです」
「あ、そうなんですか」
 
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だったら一週間くらいかな。大会中は休ませてもらうから、大会の前後数日ずつ用事を片付ければいいんだろうか。
 
「ほんの2〜3ヶ月だと思いますから」
「え〜〜〜〜!?」
 
半月より長いじゃん!!!
 
「だからアメリカに行くのを断る理由にできますよ」
 
落ちた!
 
「行きます」
 
実は例の日食観測の件で、訓練まで受けなくてもいいから、12月に向こうで宇宙飛行士の適性検査だけでも受けてくれないかと言われていたのである。
 
11月6-7日の社会人選手権から、1月20日の北島康介杯までの間、大会日程が空いていた。そこに12月にアラブ首長国連邦で、短水路世界水泳選手権があるはずで、青葉はその派遣選手として発表されていたが、コロナの状況が厳しいのでつい一週間ほど前、10月23日に、日本は不参加を表明。派遣もキャンセルになっていた。
 
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それで大会がキャンセルになったようなので、もし時間が取れたらアメリカまで半月くらいでいいから行ってきてくれないかと言われていた。
 
でも半月の約束が2年になるとか、よくある話なので、青葉は警戒していた。
 

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アメリカまで宇宙飛行士の訓練に行くくらいなら、コスモスちゃんに付き合ったほうがまだマシだと青葉は思った。(でもこれ、ちー姉の入れ知恵だな?)
 
「では明日の朝、お迎えを行かせますので」
とコスモスは言った。
 
明日の朝!?
 

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翌日(10/30)朝7時!青葉の家に訪問者があった。
 
「お早うございます、大宮先生いらっしゃいますか?」
と言って、笑顔で挨拶しているのは、アクアのマネージャー、高村友香と緑川志穂である。
 
「お早うございます!お疲れ様です。今出る準備しますから、ちょっとあがって休んでいてもらえませんか」
「はい、すみません」
 
それでふたりを家に上げて、母に頼んで取り敢えずコーヒーを出してもらう。
「早朝から飛行機でいらしたんですか?」
「いえ。ふたりで交替で運転してきました」
「それはお疲れ様です!」
「能登空港が8時半からなので、それからこちらに向かっていては遅くなるので」
 
つまり何か急を要する仕事なのだろうか。でも私、大会前にあまり時間を取りたくないんだけどなあ。
 
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「だったら、朝御飯もまだでは?」
「いえ、有磯海(ありそうみ)SAで朝食は食べてきました」
「じゃ冷凍ピザでも」
「いただきます」
 
ということで、母が冷凍ピザをチンしてくれたので、ふたりはそれを頂いていた。
 
「そうだ。大宮先生、楽器を持ってきてくださいとのことです」
「楽器ですか?」
「サックスとフルート・龍笛にギター・ベースに」
「はいはい」
「ピアノは向こうに用意しておきますので」
「ピアノを持ち歩くのは辛いですね!」
 
というかうちに今ピアノは無いけど。もっとも千里姉は新しい家が完成したらピアノ1台買ってあげるよと言っていた。
 
それで青葉はフルートと龍笛を荷物に入れ、サックスケース、ギターとベースのケースを用意する、ギターとベースは緑川さんが持ってくれた。
 
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それで、母に行ってきますを言い、出掛ける。路地を歩いて道路まで出る。近くの公園に車は駐めてあった。この付近は時間貸し駐車場のようなものも無いので、駐める場所には結構苦労する。
 
しかしこの家に2011年4月から10年半住んでるけど、この付近も区画整理されたら全然様子が変わってしまうんだろうなと青葉は少し感傷的になった。住民さんも半分くらいはどこかに移転してしまうようだ。青葉の家同様、敷地面積の狭い家が多いので、区画整理で面積が減らされると、建蔽率の問題もあり、事実上生活のできるサイズの家を建築できなくなってしまう人が多いようだ。
 
でも確かにここで火事とか起きるとどうにもならないし、死人も相当出そうだから、区画整理もやむを得ないのだろう。
 
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“日産のエンブレムを付けた” BMW 225xe iPower に乗り込む。高村さんの運転で能登空港に向かう。能越自動車道を終点まで走り、9時前に能登空港に到着した。
 
高村さんだけが降りて緑川さんは車に残る、
 
「あれ?緑川さんは?」
「私はこの車を東京に回送します」
「お疲れ様です!安全運転で」
「はい。ありがとうございます」
 
それで青葉と高村さんだけで能登空港のビルの中に入り、熊谷からの便が到着するのを待つ。やがて到着するので、通行証を見せて駐機場に行き、Honda-JetRedに搭乗した。この機体はアクア専用機で、パイロットも主としてアクアを担当している高山峰代さんである。
 

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9時半頃、離陸許可が出るのでホンダジェットは能登空港を離陸した。機内で高村さんは
「大宮先生、取り敢えずこのアルバムを聴いて下さい」
と言ってMP3プレイヤーを渡すので聴いてみる。
 
「ワンティスですか!」
「2004年1月に発売されるはずだったアルバムです」
「でも初めて聴いた」
「ずっと音源が行方不明になっていたのが、つい一週間ほど前に見付かったんですよ」
「それは凄い」
 
「19日に亡くなった関西に住んでいた男性が持っていたんです。このCDが大好きでいつも掛けていたので、棺に入れて送ってあげようと言っていたのをたまたま葬儀に出席していた音楽関係者が気付いて、ゆずってもらったんですよ」
 
「それは間一髪だった」
 
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“音楽関係者”というけど、§§ミュージックの関係者なのだろう。だからこの話がコスモスから来たのだろう。
 

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「たぶん当時営業用に作られたプロモーション版と思われるのですが、日本国内にそれ1枚だけ残っていたのではないかと思います」
 
青葉は少し考えた。
 
「たぶん3枚です」
 
「他に2枚あるんですか!」
「場所までは私には分かりませんけど」
「凄い」
 
「でも物凄い幸運でしたね」
「だと思います。詳しい話は向こうで伊藤(コスモスのこと)がすると思いますが、これのトリビュート版を作るんですよ」
 
その瞬間、青葉にはコスモスの意図が分かった。
 
「なるほどー。うまいですね。この20年ぶりに発見された音源をそのまま発売したって5万枚売れるかどうかですけど、最近の歌手・・・あ、アクアが歌うんですね?」
「そうです。彼女しか歌っていい人はいないと思います。高岡さんの娘ですから」
 
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うーん。娘かどうかは疑問があるが、子供であることは間違い無い。
 
「アクアが歌えばミリオンまで行かなくても40-50万枚は売れる」
「それを狙っているんですよ。それでワンティスに興味を持ってくれた人はきっとオリジナル版も買ってくれる」
「それならオリジナル版も12-13万枚程度は売れるでしょうね」
 

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青葉はフライト中にこのアルバムを全部聴き終えたが、微妙な音源だと思った。楽曲としてはわりといいのが揃っている。特に2曲目の“ロングロングアゴー”というリフレインのある曲が物凄くいい。
 
でも楽曲のアレンジが良くない!
 
きっとワンティスには、しっかりした音楽教育を受けたアレンジャーが付いてなかったんだ。青葉は、自分は正規の教育を受けた訳ではないけど、それでももう少し何とかアレンジするのにと思った。明らかな和音の間違いも目立つ。
 
また演奏技術も低い。リードギター(高岡さん?)と第1キーボード(下川さん?)はわりとまともだけど、それ以外の楽器は技術が低い。今でこそ雨宮先生とか凄いサックスプレイヤーだけど、当時はまだまだ下手だったんだなあと思った。
 
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やはりワンティスって『無法音楽宣言』のインパクトが凄くて、それで3年間突っ走ったバンドではないかと青葉は思った。特に作詞担当が夕香さんになってからは、言っちゃ悪いけど、普通の曲が多くなった。ファンにもレコード会社さんにも理解しやすい曲になったけど。最後の『疾走』だけが異様だけど。あれは何か特異な状況で書かれた詩だ(薬物なら事故の時に検出されているはずだから、薬物ではない)。
 
結論として、このアルバムを今出しても多分2-3万枚行くかどうかだ!
 
 
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