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■夏の日の想い出・Long Long Ago(28)
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当時村上制作次長がこういうことをしていて、それに松前制作部長が気付かなかったのは当時の★★レコードの指揮系統問題がある。村上次長は無藤清専務から指示を受けており、星原会長系の松前制作部長は彼には何も言えなかったし彼から報告を受けることも無かった。制作部内部が2系統に分かれていたのである。
記者会見は3時間ほど続いたが、記者たちは全員、上島たちの説明に納得してくれた。
★★レコードは緊急役員会議を開いた上で、夕方、町添社長が記者会見して述べた。
・女性アーティストに中絶を要求するというのはあってはならないことである。このようなことが他にも行われていないか、調査委員会を設置した。また今後絶対にこのようなことか無いよう、全社員に向け、通達を出した。
・責任を取って、町添社長は向こう1年間報酬を全額返上する。加藤制作部長は報酬を向こう1年間100分の50返上する。
なおアクアは夕方になって、放送局に姿を現した(ドラマの撮影があった)。
普段は先行して葉月が入ってリハーサル役を務めるのだが、今日アクアは葉月に「ボクがリハーサルから参加するから」と言って休ませ。自分でリハーサルから出て来た。
当然、記者たちにつかまる。彼(彼女?)は言った。
「びっくりしましたが、ワンティスの事務所社長さんのことを誤解していたようで、私も謝りたいです」
「村上さんがアクアさんのことを詐欺師呼ばわりしていましたが」
「村上さんの誤解と思い込みでしょ?ボクは間違いなく、高岡猛獅と長野夕香の息子ですよ。ちゃんとDNA鑑定でも証明されていますから」
「あのぉ、若杉千代さんの遺書には“女の子”と書かれていたのですが」
「どこかで千代さんは私の性別を誤解していたみたいですね」
とアクアは平然として語った。
なお、ドラマのプロデューサーは、今日あの騒動が起きたばかりで、アクアは撮影を欠席するのではと恐れていたので、アクアの顔を見ると
「来てくれたんだ?ありがとう!大変だったね」
と言って、思わずアクアの両手を握って喜んでいた。
なおこの日はトリビュートアルバムの音源制作のほうは元々お休みだった(青葉が社会人選手権の間は休んでいたので、まだ歌うべき曲が無かった)
なお、村上氏が提訴した問題については下記のように処理された。
最初に村上氏が不正があったと主張する2019年6月の株主総会での投票について、検察庁は、株主総会決議取消訴訟の期限が過ぎているとして提訴を却下した。結果的に地位確認訴訟も門前払いとなった。
しかし★★レコードは疑惑が残るのは困るとして、公正な第三者に投票の再集計を依頼した。★★レコードと関わりのない証券会社N証券のスタッフにより再度集計が行われた所、当時の議案の票数は下記であるとされた。
会社案 127万2400株→125万1900株
ライオンペアズ案 394万2200株→394万1100株
鈴木片子案 2498万5300株→2498万6300株
会社案・ライオンペアズ案への投票で無効票が1票ずつ見付かり、逆に無効票とされたものの中に鈴木案への有効投票と認められるものが1票あってこのようになった。
ということで、かえって村上氏を支持する票はもっと少なかったことが判明した!
独占禁止法違反と業務妨害の件に付いては、公正取引委員会は告訴状を受理するかどうかを決める前に、MSMレコードの元役員である、無藤鴻勝氏と佐田博栄氏に非公式に事情を聴いた。
その結果、MSMは営業活動以前に、会社として運営すること自体が困難な状況であったことが分かった。
何の準備もないまま設立し、いきなり150人ほどの社員を抱えたため、執務のための机・椅子、パソコンなどを買い、電気の配線をするのに1ヶ月掛かった。
社内の派閥対立のためPBXもLANも導入できず、結局固定電話の使用を諦めて大量のスマホを社員に配布した。LANが無いからデータ交換はUSBメモリに頼っていたし、パソコンをネットにつなぐのに、スマホのテザリングを使うという恐ろしい状態になった。パケット量をオーバーして“ギガ死”により接続不能=稼働不能に陥るパソコンが相次いだ。セキュリティも適当だったため、コンピュータウィルスが蔓延した。
指揮系統が混乱し、当時、制作部長が4人、営業部長が5人、経理部長が7人居た。
会計システムを導入しようとしたが、組織も事務の流れも混乱しているため、ソフトハウスも会計事務所も匙を投げた。
派閥対立から、社員名簿自体を作ることができず、早い話が、誰を雇っているのかも分からなかった。給料も「まだ今月の給料もらってません」と言われたら現金で渡していたので、誰にいつ、いくら払ったかも分からない。二重取り・三重取りした社員どころか、社員を装って給料をもらった者もあったと思う。
会計システムが無いまま、大量の手書き伝票が積み上げられ、収拾が付かなかった。請求書は処理されず、スマホが全部止められた。結果的にパソコンも稼働不能になった。やがて家賃も払えなくなって退去を求められたが、その時点では退去作業をするお金も無かった。
要するに、レコード会社を運営するという以前に、会社というものを運営できる状態では無かった。
無藤氏も佐田氏も「あれは完璧に準備不足のまま会社を立ち上げてしまった。自分たちの明確な失敗であり、営業妨害されたような認識は無い。村上氏の思い違いだと思う」と述べたので、告訴状は不受理となった。
「あれは無藤レコード、村上レコード、佐田レコード、黒岩レコード、板居レコード、形原レコード、島長レコード、河内レコード、三ノ輪レコードって、9つのレコード会社を各々が設立してたら、その内の3つくらいは生き残ってたかもね」
と佐田氏が言うと、無藤氏も
「あ、その可能性はある。とにかく派閥対立の酷い会社だった。それと1年間は無給で働いてもいいという少数の社員だけで始めるべきだった。150人も社員がいてもさせる仕事が無かった」
と言っていた。
(実際MSMのアーティストの受け皿となった湯河原レコードは、ほぼ無給に近い数人の精鋭社員で始めて、業務の流れが確立してから社員を増やす手法で成功している。場所代もかからない湯河原を選んだ。MSMはいきなり都内の一等地にオフィスを借りてしまった)
★★レコードとTKRは村上氏の妻に対して、★★レコードおよびTKR所属アーティスト・アクアの信用に重大な毀損を与えたとして損害賠償請求の民事訴訟を起こした。その結果、村上氏の妻に5000万円の損害賠償支払いが命じられた。
アクア本人は「奧さんは村上さんに欺されただけで、ぼくは気にしないから」と言ったのだが、同様の事件の再発を防ぐには、きっちり損害賠償を提訴してこちらが“手強い”ことを示しておかなければならないのである。
そういう訳でこの事件は、ワンティスに関する3つの問題、名義書き換え事件、なぜアクアの出生届けは出されなかったのかという問題、志水夫妻が葬儀の場で追い返された問題、の真相が明らかになり、龍虎は詐欺師どころか、失われたかも知れない命を事務所社長夫妻の機転で救われたことが判明して、かえってアクアに同情が集まることになった。
そして千代さんに対しても「よくやった」と評価する声が多数あがったのを見て∞∞レコードの鈴木社長は
「これで千代さんのトリビュートアルバムが出せる!」
と喜んだのであった。
なお千代さんの歌唱の版権は、当時千代さんが所属していたSHレコードが所有していたが、同社が経営危機に陥った時、その権利をBXレコードに売却しており、BXレコードは後に∞∞プロ傘下の אא レコードに吸収されていた。つまり現在は∞∞プロの子会社が原盤権を持っていることが分かった。
それでこの企画は∞∞プロ・§§ミュージックの共同企画で進めることになったのである。
音源自体は、鈴木の予想通り、音源図書館に千代が吹き込んだ全てのレコード(ドーナツ盤およびLP)が残っていた。実はデビュー曲の『銀の首飾り』のみSP盤(10inch 78回転)で当初出たのだが、後にドーナツ盤(7inch 45回転)で出し直されており、そのドーナツ盤が収納されていた(*32).
(*32) アナログレコードの規格
SP 78回転 7,10,11,12inchなど(ポピュラー音楽は10inchが多い)
LP 33回転 12inch
ドーナツ盤(シングル盤)45回転 7inch
EP 33回転 7inch
SPは、酸化アルミニウムなどの磁性体を混ぜたシェラック(shellac) という樹脂でできていたが、脆く割れやすかった。LP以降の世代はプラスチックなので丈夫である。
上記以外にビニール製のソノシートと呼ばれるレコードがあり、よく雑誌の付録に添付されていた。33回転のものと45回転のものがあった。
シングル盤はジュークボックスに使用されたため、中央に大きな穴(38mm)が空いており、その形状からドーナツ盤とも呼ばれた。時々、ドーナツ盤のことをEPと言う人がいるが、それは誤り。EPというのはドーナツ盤と同じ直径だが、ドーナツ盤とは違って中央の穴は小さく(8mm), 33回転のものである。つまり小さなLPである。EPには普通の長さの曲なら4曲入るので、現代のマキシシングルのような使い方がされた。
11月13日(土)“みつ”。
熊谷の郷愁村で朝食後、編曲作業をしていた青葉は、母から戸惑うような声の電話を受けた。
「新居が竣工したと言われたんだけど」
「もうできたの〜〜〜!?」
だって、だって、10月27日に工事始まったばかりなのに!
半月くらいしか経ってないじゃん。南田さん、11月下旬の竣工と言ってたし。
「取り敢えず今から現地に行って受け取りしてくるけど、引越とかどうしよう?」
「桃姉には連絡した?」
「まだ。これから」
「桃姉とちー姉に行ってもらおう」
「あ、千里ちゃんがいたら安心よね!」
うん。桃姉だけだと物凄く不安がある。
それで朋子が“千里に”電話したところ、千里と桃香の2人で手伝いに行くということであった。2人はその日の内に彪志および子供4人と一緒に、Honda-Jetで熊谷→能登に移動し、現地で男性の友人?4人と合流して、伏木に行った。
そしてこの日の内に全ての荷物を移動させてしまったので朋子が驚いたらしい。千里が呼んだ男性4人が凄くて、彪志も貴重品などを運んだだけだった。桃香はビール飲んでた!
結局その日の夕方、新居で焼肉をして引越祝いをしたということであった。子供たちが大はしゃぎだったという。
千里姉からは
「新居の結界は張っておいた。あと“ピアノ1個”置いといたから」
という連絡が入っていた!!
日曜日は子供たちを新湊に連れて行って帆船・海王丸を見せ、夕方“彪志・千里・京平の3人”がHonda-Jetで熊谷に帰還し、浦和の家に戻った。
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