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■夏の日の想い出・Long Long Ago(27)
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この報道を聞いた瞬間、コスモスは2人のアクアに、ただちに八王子の家に行って籠もっているよう指示した。それで報道関係の誰もアクアをキャッチすることはできなかった。一部の記者が代々木のアクアのマンション前に詰めかけたが、むろん彼らはマンションの中に入ることはできない。30分くらい騒いでいたのでマンションの警備員が「迷惑行為として警察を呼ぶよ」と言うと、渋々引き上げた。
コスモスの予想通り、代々木のマンションは一部の人に知られていたものの、八王子の家は誰も知らないようで、向こうに来た記者の類いはいなかった。
コスモスがどう対処すべきか悩んでいた時、上島雷太から電話が掛かってきて
「僕に任せて」
と言うので、お任せすることにした。
上島は報道各社にFAXを送り、アクアの出生問題について重要な証人を伴って正午から記者会見をすると述べた。
11月11日(木)正午。
記者会見は、都内のHホテルの記者会見場から、ネット型式で行われた。ネット形式だが、報道陣を代表して、##放送の風海報道局長!が質問をすることになった。報道局長が質問に立つというのは異例だが、この記者会見の内容如何によっては多数の会社の倒産、何万人もの失業、さえあり得る事態なので、若いアナウンサーなどには任せられないということになったのである。
記者会見場に並んでいるメンツを見て、ネットで接続していた記者たち、またテレビ放送を通して見ている全国の視聴者が騒然とした。
並んでいたのはこういうメンツである。
上島雷太
雨宮三森
水上喜子
志水照絵
太荷馬武
鍋島栄子
(福井県在住の志水照絵は本人に車で小浜まで走ってもらい、ミューズ飛行場から、いつもそちらに駐機しているムーランの CRJ900 に乗せて連れてきた。常滑市在住の太荷馬武は、緊急にHonda-Jetをセントレアに飛ばして連れてきた。いづれも熊谷から東京ヘリポートまでヘリコプターで運んでいる。記者会見が12時になったのは彼らの到着を待っていたからである)
しかし記者たちが会見の席に並んでいる人物の中で何と言っても最も驚いたのが、作曲家・鍋島康平(2009年没)の妻、鍋島栄子さん(87)だった。栄子さんは発言した。
「私は実は、若杉千代の遺書を預かっていたのですが、来るべき時まで開封しないでほしいと本人が遺言していました。それで私もずっと開封していなかったので、内容も知らなかったんです。でも今年8月20日にアクアちゃんが自分の出生に関する記者会見をしたので、私は来たるべき時が来たと思いました。それで上島君に相談したんです。それで私と上島君・雨宮ちゃんの3人、それと公正な第三者として、馬佳祥先生に立ち会って頂きまして、4人で開封しました。すると驚くべきことが書かれていました」
文書のコピーと4人の署名・捺印がされた文書を鍋島さんは提示した。
「すみません。若杉千代さんと、鍋島さんのご関係は?」
「実は、若杉千代は、鍋島康平の恋人だった時代があるんです。まだ私が康平と結婚する前ですが。その縁で、康平は千代さんの相談に乗ることがあり、それで千代さんは自分の遺書を康平に託したのです。康平の死後は私が管理しておりました」
明言していないが、千代と康平の関係が、栄子との結婚後も続いていたことを示唆する発言である。しかしここは本題から離れるので、誰も突っ込まない。
上島雷太が発言する。
「私たちは、2013年にワンティスの楽曲の作詞作曲者偽装問題で、事務所とレコード会社の指示でやむを得ず全て高岡の作詞ということにしていたと発表していたのですが、その件に付いては、太荷君が説明できるよね?」
と上島が言うので、太荷馬武が引き継ぐ。
「これに関しては私は死んでお詫びをしなければならないほど申し訳無いです。この作詞者偽装については、当時の制作部次長だった村上さんの指示でやっていました。ワンティスの事務所の社長には、そういう名義にすることで、レコード会社側とワンティスが同意しているからと言って、容認してもらいました」
と彼は言った。
「そのことを2013年の時は言わなかったよね?」
と風海報道局長が訊く。
「業務上知り得た内容を勝手に話してはいけないと考えておりました。しかし今回、村上さんが亡くなったことを知りましたので、だったら、守秘義務より歴史的な事実の公開が優先すると考え、公表することにしました」
当時、太荷馬武は記者たちに何を聞かれても自分は知らないとしか言わなかった。それで彼は偽装問題の張本人として激しく糾弾されたが、それでも何も言わなかった。彼はすっかり悪者になったが、後に特撮番組や時代劇の“悪者”役俳優として人気になってしまう。
彼を放送局が悪役俳優として受け入れた背景には、彼は恐らく誰かをかばっているだけだろうという見方が支配的だったのがある。
上島が発言する。
「若杉千代さんの遺書を拝見してから、ここ数ヶ月、私と雨宮は高岡夫妻が亡くなった時期のことを知っているかも知れない人に可能な限り接触して当時のことを尋ね回りました。それでようやく当時のことの全容が判明したのです」
「高岡の葬儀に、志水夫妻はアクアを連れて参列し、焼香までした後で実は最初に、ワンティスのメンバー水上信次に相談しました。ですよね、志水さん?」
と上島は照絵に確認する。
「はい。そうです」
「でも『馬鹿なこと言うな。頭冷やして出直してこい』と言われた」
「確かにそのようなことを言われました」
すると隣に座っている水上信次の妻・喜子が発言する。
「その件について、水上は、あれは本当に申し訳なかった。アクアに謝らなければならない、と死ぬ間際まで申しておりました」
「すみません。志水さん、その件、どうして今まで明らかになさらなかったのでしょう?」
と報道局長が尋ねる。
「ワンティスの仲間のことを悪く言いたくなかったので。葬儀の席で追い返されたことを説明するには、事務所の社長に追い返されたことだけ言えば充分と思ったので」
と照絵は言った。
「仲間ということでいいんですか?」
と報道局長。
「当時、志水英世君と本坂伸輔君は実質ワンティスのメンバーでした。当時、ギターは志水君、キーボードは本坂君が弾いていて、僕と高岡は楽器は演奏せずに歌だけ歌っていたんです」
と上島が言うと、記者たちはかなり騒然としていた。
「でもその“事務所の社長に追い返された”というのが誤解だったんだよね?」
と上島が言う。
「そうなんです。先日上島先生にご指摘頂くまで、私も完全に勘違いしていました。事務所の社長さんに申し訳無いです」
と照絵は言う。
「どういうことでしょう?」
と報道局長。
「実は私も夫も、ずっと千代さんとだけやりとりしていたので、私たちは村飼藤四郎社長のお顔を知らなかったんです」
記者達がざわめく。
「葬儀の席で、ちょうど太荷主任を見かけて、太荷主任が『村飼社長』と60歳くらいの男性に話しかけていたので、あ、これが社長さんかと思っちゃったんです」
「それが多分勘違いです」
と太荷本人が言う。
「僕は志水さんたちと、その人物とのやりとりを見てないけど、僕は村飼社長と葬儀の席で話した覚えはない。僕が声を掛けたのは、“村飼社長”ではなく“村上次長”だったと思う」
記者達が騒然とする。
「言われてみたらそんな気もするんです。それで、上島さんからあらためて、村飼社長と村上次長のお写真を見せて頂いて、それで18年前に私たちが勘違いしていたことを知りました。私たちが話したのは間違いなく村上次長です。そして村上さんからヤクザ動かして、その子供も含めて3人海に沈めるぞとか言われて、私たちは帰ることにしました」
と照絵は言う。
「“村飼(むらかい)”と“村上(むらかみ)”、“社長”と“次長”って音が似てるから」
と太荷は言っている。
「それって結果的に村上さんの遺書と内容が一致してますね」
と記者のひとりが言う。
「まさにその通りです。私たちはどうやって村上さんを追及しようと準備を進めていたのですが、本人が遺書に残してくれたので手間が省けました」
と上島は言っている。
「ちなみに私たちは金品など要求していません。私たちは養育のための費用は自分たちで負担するから、この子をこのまま自分たちに育てさせて欲しいと言いました。それを金品の要求と取られたのなら、本当に残念です」
と照絵は言っている。
「村上さんが夕香さんに中絶を要求したという件については?」
と報道局長は尋ねた。
「太荷君はその件は何か聞いてた?」
「私は聞いてません。私はただ、夕香さんが体調を崩していて、しばらく制作に参加できないからと村上次長から聞いて、事務所側と話し合って、代替のコーラスに仮名S子ちゃんを手配しただけです」
と言ってから、
「すみません。彼女の名前は伏せさせて下さい。彼女は本当にこの件には関わってませんから」
と太荷は付け加えた。
「その件に付いては、千代さんの遺書に書かれています」
と鍋島さんは言い、遺書を広げたのでカメラが寄る。
カメラの映像は取り敢えずネットで接続されている記者たちだけに見えるようになった(テレビ映像には映していない)。
「これは間違い無く、千代さんの字だ」
と報道局長が言った。他にもネットで接続している記者の中で年配の記者が数人頷いている。50代以上の芸能記者では彼女の字を知っている人がわりと多い。
「念のため筆跡鑑定もして頂きましたが、若杉千代さんの字に間違い無いという鑑定結果が出ています」
と上島は言い、その鑑定結果書を見せた。彼女はファンレターの返事をまめに書いていたし、手紙魔でもあったので千代の直筆は大量に残っており、筆跡鑑定もしやすかったであろう。
記者たち、そして上島・雨宮・鍋島の同意のもと、この遺書がテレビ画面にも映し出された。
遺書にはこのようなことが書かれていた。
・自分はもう長くないと思うので、この文書を残す。これは、然るべき後に公開して欲しい。たぶん自分が死んですぐ公開すると、様々な面倒な問題を引き起こす。
・志水英世・照絵夫妻が育てている女の子・龍子ちゃんは、高岡猛獅・夕香夫妻の子供である。★★レコードの村上制作次長から中絶を要求されたが、夫妻は絶対に中絶は嫌だと言った。そもそも既に妊娠6ヶ月だったので、どっちみち中絶は不可であった。
この遺書がテレビ画面に映された時、一般視聴者は
「若杉千代さんの遺書にも“龍子という女の子”とあるぞ」
「やはりアクアは女の子だったんだ!」
と騒いでいた!
・妊婦に中絶を要求するというのは、あり得ない暴挙であり、私はワンティスを★★レコードに託したことを後悔した。★★レコードの上層部に抗議しようとしたが、折角デビューが決まったのにここで揉めるのは他のメンバーに悪いから自分たちはワンティスを脱退すると高岡夫妻は言った。
・私と村飼藤四郎は高岡夫妻を支援して、夕香さんに密かに出産させることにした。出生届をすぐには出さなかったこと、高岡夫妻が育てるのではなく、志水夫妻に託されたのは、レコード会社側にバレないようにするためである。私たちは夕香さんの出産費用を出したし、その後、当社社員の左座浪に頼んで必要なものを届けさせていた。だからこのことは、高岡夫妻・志水夫妻、私と社長に左座浪のみが知っていた。
・高岡夫妻は、いつまでも龍子ちゃんを戸籍の無いままにしておく訳にはいかないし、ワンティスの人気も安定しているからもう大丈夫だろうと言って、2004年年明けたら、ワンティスからの脱退を表明するつもりでいた。そのことはメンバーにも言ってなかったと思うが、自分と社長のみが相談を受けていた。私は年明けたら、上島さん・雨宮さんと話し合って、高岡さんの脱退、本坂さんの正メンバー昇格という線でまとめるつもりであった。
・それを進める前に高岡夫妻が急逝したことにショックを受けている。志水夫妻が龍子ちゃんを育てて行く支援のため、毎月夫妻に龍子ちゃんの養育費を高岡さんの名前で振り込むよう、左座浪に頼んで手続きをしてもらった。
この会見を八王子の自宅でテレビで見ていたアクアたちは2人とも涙を流していた。
松田君、彩佳が2人の手を握ってあげたのだが・・・
松田君が握ったのがMの手で、彩佳が握ったのがFの手だった!
「ごめん、逆なんだけど」
とFが言う。
「なんでお前たち、そういう座り方してるんだよ!?」
と言って、松田君と彩佳が立って席を交替した!
照絵が言う。
「私たちは当時高岡さんが借りてくださったマンションに住んでいたのですが、その家賃は高岡さんが亡くなった後も、3年ほどずっとちゃんと支払われていました。養育費もやはり3年ほど支払われていました。私たちはいいのかなあとは思ったのですが、ワンティスの仕事が無くなって収入が激減して生活が大変だったので、家賃が支払われている間はそこに住んでいました」
「家賃を除けば、私たちは自分たちの蓄えも少しはあったし、英世が亡くなるまでは、スタジオ・ミュージシャンやツアー・ミュージシャンの仕事も割とあって、何とか生活していけました。ただ、アクアがピアノを習いたいと言ったので、主としてそのレッスン費用や発表会の費用、また良い音楽を聴かせてあげるためのCDなどの購入費に養育費は使わせて頂きました。残ったお金は龍虎の名前で貯金していたのですが、龍虎が病気で倒れた後は、その診療費に使っていました。でもそれが底を尽きて、英世も亡くなり、私ひとりではどうにもならなくなって、最終的に支香さんに泣きつくことになりました」
と照絵は説明した。
「2006年にその口座の残高が尽きて、養育費送金と家賃の支払いが止まってしまったようです」
と上島。
「それで私たちの収入ではとても家賃が払えなかったので、そのマンションを出て、安いアパートを借りました」
と照絵は説明した。
「でもこの遺書では、千代さんは志水夫妻を支援していくようにしたようですが、そのことは志水夫妻には伝わっていなかったのでしょうかね?」
と報道局長が尋ねる。
「そのあたりの事情は私たちもよく分からないのですが、恐らくはきちんと伝える前に千代さんが亡くなってしまったのではないでしょうか。また千代さんは志水夫妻が“社長”に脅迫されたなどということを知らなかったと思います。左座浪君が生きていたらそのあたりの事情ももう少し分かると思うのですが。当時の事務所の社員を訪ね歩いたものの、事情を知る人は居なかったんですよ」
と上島は言った。
「しかし、中絶要求問題についても、千代さんの遺書の内容と村上氏の遺書の内容がきれいに一致していますね」
と報道局長が言う。
上島が言った。
「その問題でも、僕と雨宮は千代さんの遺書で知って、どうやって村上さんを追及しようかと思っていたのですが、これも村上さんが遺書に書いていたので、全く手間が省けました」
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