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■夏の日の想い出・Long Long Ago(1)

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(C) Eriko Kawaguchi 2022-03-05

 
Long, Long Ago
ずっとずっと昔
 
written by Thomas Haynes Bayly (1797-1839)
 
Tell me the tales that to me were so dear,
Long, long ago, long, long ago.
Sing me the songs I delighted to hear,
Long, long ago, long ago.
私にあの素敵だった日のお話をして。
ずっとずっと昔、ずっとずっと昔、
私が聴いて喜んだあの歌をまた歌って
ずっとずっと昔、ずっと昔。
 
Now you are come all my griefs are removed.
Let me forget that so long you have roved,
Let me believe that you love as you loved,
Long, long ago, long ago.
今またあなたと出会えて、悲しみは消え去った。
あなたが私をずっと放っておいたことは忘れるわ。
あの時のようにまた私を愛してくれることを信じるわ。
ずっとずっと昔、ずっと昔。
 
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Do you remember the paths where we met?
Long, long ago, long, long ago.
Ah, yes, you told me you never would forget,
Long, long ago, long ago.
私たちが逢ったあの小径(こみち)を覚えてる?
ずっとずっと昔、ずっとずっと昔、
そう、あなたは決して忘れないと言ってくれたわ。
ずっとずっと昔、ずっと昔。
 
Then to all others my smile you preferred,
Love, when you spoke, gave a charm to each word.
Still my heart treasures the praises I heard,
Long, long ago, long ago.
他の誰のよりも、私の笑顔をあなたは好きだと言った。
あなたが話す言葉には、愛の魅力が宿っていた。
私が聴いた称賛の言葉は、今でも私の心の宝物なの。
ずっとずっと昔、ずっと昔。
 
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WADO(若春・淳紀・大児・央我→若南・淳子・大菜・央花)は全員そろって性転換したことを10月16日(土)に発表したのだが、その直後から、WADOのメンバーが女装で写っている写真がいくつもネットに流れ始めた。
 
恐らくはジョークか何かで女装していたのだろうと撮影者が思っていたのが、実は“本来の姿”だったのかと認識して、ネットにあげたものが拡散しているのだろうと考えられた。中には、デビュー前と思われるWADOの4人が全員女装で歌っているビデオまで拡散した。
 
このビデオに関しては若南が特にコメントして、
「これは私たちが、プロダクシュンとかに売り込みを掛けていた時期のビデオです。結構あちこちに配ったので、持っておられた方は多いと思います」
ということだった。恐らく今まではWADOが契約した事務所に遠慮して公開しなかったのが、もういいだろうということで出したのだろう。
 
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そんな中、アクアのところにこんな企画が持ち込まれてきた。
 
「え?WADOの人たちと一緒にお風呂に入るんですか?」
 
性転換したWADOについてマスコミは最初はどう扱うかお互いに様子見をしていたものの、一般の視聴者が受け入れる態勢にあると判断すると、かえってオファーが増えた!ようで、WADOの4人はクイズ番組やバラエティの出演が増えている。その中で、WADOが温泉に行くという企画が浮上したらしい。取り敢えず4-5回の短期企画で様子見をするということらしいのだが、その第1回放送に、アクアに出演してくれないかという話だったのである。
 
「それってWADOの4人と一緒にお風呂に入っている所を撮影するんですか?」
「もちろんそうです。お風呂の中で楽しくおしゃべりしている所を撮影して。むろん湯船の水面より下は写らないようにします。その後は、豪華なお食事を満喫してもらおうと。温泉の周囲の自然や風景とかも取材しますけど」
 
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「でもWADOの4人は女の子になっちゃったけど、ボクは男の子なので、一緒にお風呂に入るのはまずいです」
「え?アクアさんも女の子になったんですよね?だから最高の企画だと思ったんですけど」
「ボク女の子とかになったりしてませんよー。ボクは男の子です」
「だって国民はみんなアクアさんが女の子になったことを知ってますよ。今更男の子だなんて嘘を言わなくてもいいのに」
 
と向こうのプロデューサーさんはかなり食い下がったものの、あくまでお断りした。アクアが断ったので、結局この番組の第1回ゲストはスリファーズの3人になったようである。スリファーズの春奈が性転換者なので、性転換者×性転換者、という企画になったようである。2回目以降は普通の女優さんや女性歌手などが登場するようである。
 
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2021年9月、コスモスは父から電話を受けた。
 
「ヒロさ、本当に忙しい所、申し訳無いんだけど」
「なあに?お父さん」
「実はうちのキューブが壊れてしまって」
「ああ」
 
コスモスの父・伊藤太郎は元々バイクが好きで、バイクは250ccのCB250R と 1800ccのGold Wing を所有しているが、四輪は“必要だから運転する”程度である。それで大きな車は場所も取るしということで(だいたいゴールドウィングでかなり場所を食ってる)、一貫してコンパクトカーに乗っている。
 
ポートピアに勤めていた神戸時代は町中に住んでいて交通の便も良かったので車は使っていなかった。1986年に甲府に引っ越してから最初に買った車が中古のラングレーだった。その後、パルサー→シビック→デミオ→テリオスと乗って2014年からキューブを使っていた。
 
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伊藤太郎(1954生)の仕事と住所:−
1977 神戸ポートピア -1986
1986 甲府の学習塾 -1997
1997 上九一色村のガリバー王国 -2001
2001 多摩市のサンリオピューロランド -2019
2019 定年退職後は公園の管理人
 
「今回はだいぶ長く乗ったよね」
「7年乗ったかな」
「元々中古車でしょう?」
「うん。2008年型だった」
「だったら13年も動いてたんだ!そりゃ壊れるよ」
「エンジンがいかれててもう駄目という話で」
「壊れた時事故とか起こさなかった?」
「いきなりエンジンが停止したけど、車の勢いを利用して脇に停めたから怪我とかも無し」
「良かった、良かった」
「だけどさ。車は無いと困るから新しい車買わないといけないけど、お金が無くて」
「ああ。私が代金払うから、新しいの買ってよ」
「済まん!」
 
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それで多忙なコスモスがわざわざ半日時間を取って、夫と一緒に実家(多摩市)に行き、新しい車選びに付き合ってあげることにしたのである。
 
「私がお金出すから今度は新車を買いなよ」
「そうだなあ」
「コロナのせいで中古車の流通量も減ってるみたいだしさ」
「ああ、公共交通機関を避けるのに車を買う人は増えたみたいだけど、半導体の生産が滞って新車の製造も落ちてるらしいね」
「そうそう。だから新車はまだ手に入るけど、中古車が極端に少なくなってるみたいですよ」
「実はバイクで中古車屋さん見て回ってたんだけど、なんか値段が全体的に高くて」
 
それでコスモス夫妻とコスモスの両親の4人は、日産のお店に行った。そして結局ノート(ハイブリッド車)を買うことにし、コスモスは代金約226万円を現金一括払い(振込)した。
 
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「一括払いって凄いね」
「分割にすると管理が面倒くさいし」
 
販売店は一括現金で買ってくれたので色々サービスもしてくれて、両親は喜んでいた。なお、納期は半導体不足の影響はあるものの、両親が選んだのは特殊なオプションの無いシンプルなモデルだったので、2-3ヶ月で納入できるだろうという話であった。
 

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2021年10月、ワンティスの水上信次がCOVID-19により死去した。42歳であった。水上は9月中旬に流行中のデルタ株に感染し、入院して集中治療室で治療を受けていたものの、回復はならなかった。
 
結果的には病に倒れる直前、8月31日に行われたネットフェスへのワンティスとしての久々の出演が公の場に出た最後になってしまった。
 
彼はワクチンを信用せず「あんなの打ったら死ぬ」と言い、奧さんは打った方がいいと言っていたものの、拒否して打っていなかった。更に彼は糖尿病を抱えていたし、またヘビースモーカーで、ハイリスクグルーブであった。また彼は奧さんが停めるのもきかず、頻繁にスナックで飲んでいた。彼はスナックで飲みながら曲を書くのがいちばん発想が浮かぶんだと言っていたらしい。また自身の楽曲の売り込みで多数の業界関係者と会食していた。
 
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発熱して寝込んでも「病院に行ったらコロナを移される。風邪なんて酒飲んで寝てたら治る」と言って、診察も受けず、風邪薬さえ飲んでいなかった。しかしかなり酷いようでトイレにも立てなくなったので、奧さんが救急車を呼んだ。病院での検査でCOVID-19感染が判明し、結局そのまま集中治療室に入れられることになる。
 
奧さんや子供たちは濃厚接触者として検査を受けたが、全員陰性だったという。
 
実際には、水上は倒れて以来、自分の仕事部屋でずっと寝ていて、食事も奧さんがトレイで運んでいたし、奧さんは家族のとは分けて食器を洗っていた。また、この仕事部屋は集中して作曲作業や音源作りが出来るよう防音になっており、密閉されているので独自の換気システムが付いていた。小さいながらバス・トイレも付いていて、起きられなくなるまでは水上はそこを使っていた。欲しいものがあると、スマホのショートメールで奥さんに頼んでいた。
 
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それで倒れて以来、家族とはあまり接触していなかったし家庭内での空気交換もほとんど無かったのが幸いだったようである。つまり実質的に家庭内隔離状態にあった。なお奧さんはワクチン2回接種済みであった。
 

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時期が時期だし、そもそも死因がコロナということで、葬儀は家族だけで行い、親族やワンティスのメンバーにも、亡くなったことは葬儀の終わった後で報せた。
 
水上の仕事部屋は最初に奧さんから話を聞いた三宅が指示して楽器に詳しい消毒業者の手で徹底的に消毒された。消毒薬によっては楽器表面の塗装やメッキを痛めるものもあるので、へたな業者には頼めない。
 
水上はワンティスが2003年の高岡の事故死により活動停止した後は、他のメンバーとは疎遠になっていた。2013年に活動再開した時は(ワンティス以前に入っていた)ドグドグ以来の友人である三宅の誘いで一応参加したものの、最終的な演奏収録にだけ参加し、曲を練る作業にはあまり顔を出していなかった。
 
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2018年春に土地の不正取引事件に連座して活動自粛を余儀なくされた後は、その動向もあまり知られていなかった。不祥事を起こしたミュージシャンということで作曲依頼なども途絶えていたので、実は自主制作以外の仕事をしていなかった。昨年青葉と私、ラピスラズリが「作曲家アルバム」のインタビューに行った時は、企画中のアルバムのことを熱く語っていた。実はあの時はラピスに歌わせる歌の選曲にかなり悩んだ(ムーンサークルが歌った曲を歌わせたがたぶん知っていた視聴者は少なかったと思う)。
 
そういう経緯もあり、ワンティスのメンバーは誰も水上がそもそも入院していたことも知らなかった。でも雨宮が音頭を取って、Zoomを使ってワンティスのメンバーで、バーチャルお別れ会をした。
 
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龍虎はこれに高岡猛獅および夕香の代理として参加した。また、作曲家アルバムでの縁から、ワンティス以外で、私と青葉(大宮万葉)だけが、オブザーバーの形で参加させてもらった。
 
参加者:三宅行来(追悼委員長)・雨宮三森・上島雷太・下川圭次・海原重観・海原支香・山根次郎・中村将春・龍虎・ケイ・大宮万葉・水上喜子(以上12名)
 

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最も長い付き合いであった三宅のメッセージの後で、いきなり水上の奧さんが
 
「アクアさんに謝らなければならないと水上が言っていたんです」
と涙を流して言うので驚いた。
 
「いったいどうしたんです?」
 
「実は高岡さんと夕香さんが亡くなった時、志水ご夫妻がまだ幼かったアクアさんを連れてきて『この子の処遇について相談したい』と水上に相談したらしいんです。ところが水上は高岡さんに子供が居たなんて知らなかったから『馬鹿なこと言うんじゃない。頭冷やしてこい』と言って追い返してしまったらしいんですよ」
 
「そんなことがあったのか」
と海原が驚いている。
 
「そんな話、志水のお母さんからは聞いたこともない」
とアクア本人。
 
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「志水さんはきっとワンティスのメンバーのことを悪く言いたくなかったんだよ」
と三宅。
 

「事務所の社長から追い返されたという話は聞いたが」
と山根。
 
「いやでもそれでひとつ疑問が解けた。志水君たちはなぜ事務所社長の所に話を持って行ったんだろう。僕たちに先に相談してくれたら良かったのにと思ってた」
と下川が言う。
 
「その“事務所社長”の話に関しては、ちょっと誤解があったようなんだよ。福井まで行って来て話の裏が取れた。今はまだ発表できないけど」
 
と上島。どうもみんなの顔を見ると、その件は上島と雨宮だけが知っているようである。福井というのは志水照絵に会って来たのだろう。
 
「でもボクは志水のお母さんに本当にしっかり育ててもらいました。それに高岡の子供として育てられていたら、マスコミに追いかけられて、きっとちやほやされて育ってたと思います。ボクは普通の子供として育つことができたから、結果的には良かったと思います。志水のお母さんには苦労掛けたけど」
 
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とアクアは言う。支香が頷いている。
 
「当時はまさか高岡に娘さんがいたなんて思いもよらなかった。高岡と夕香さんの関係はみんな知ってたけど、子供がいるような様子は全く無かったもんなあ」
と海原。
 
えっと・・・息子なんですけど、とアクアは思う。
 
「それに当時、高岡の隠し子とその母を名乗る女が3組くらい来たんだよ。それで当時はみんなピリピリしてたのもあったと思う」
と雨宮。
 
「そんなにいたんですか!」
とアクアが驚いている。
 
「事務所のマネージャーが全部追い返したけどね」
と雨宮。
 
「サカナミ君だったっけ?」
「佐々波さんじゃなかったかな」
「相撲の幕下まで行って、プロレスラーに転向した人だったね」
「そうそう。だから相撲の四股名のままプロレスに出てた」
「強面(こわもて)だし、体格いいから、まあ普通対抗できない」
 
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脅迫じゃないのか〜?とアクアは思う。
 
「あの人も亡くなってしまったなあ」
 
「だけど、そんなのもう昔の話ですよ。ボクは全く気にしてないから、水上先生にはそんなこと気にせず、安らかに天国に行って欲しいです」
とアクアが言うと、
 
「ありがとうございます、ありがとうございます」
と水上の奧さんは涙を流していた。
 

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夏の日の想い出・Long Long Ago(1)

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