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■春牛(11)

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和実たちは盛岡から出て来てくれた梓たちや、仙台在住の伊藤君たちと一緒に金曜夜から月曜朝まで泊まり込みで企画会議を続けていた。
 
「淳さんは、いつこちらに来られるの?」
「一応3月一杯で退職させてもらうことになっているけど、具体的な日にちはまだ確定していない。今関わっているシステムの仕様書を整備したり、後任の人に引き継ぎしたりして、ひょっとしたら、3月37日の月曜日くらいまでは、ずれ込むかもね」
 
「3月に37日があるのか?」
「僕が以前勤めていた信用金庫には、伝票入れが35日と書かれたものまで並んでいたよ」
「日本の暦が分からない」
「31日の取引より、理論的に後でなければおかしい伝票を32日の所に入れる。それより後でなければならない伝票を33日の所に入れる」
「それで35日までできちゃうんだ」
「大抵はそのあたりで何とかなる」
「でも3月に決済したことになるのね」
 
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「淳さんは3月3700日くらいまでずれ込んだりして」
「そこまで延びたらさすがに離婚だな」
と和実。
 
「和実、淳さんと別れたら、俺が結婚してやってもいいぞ」
「おお、大胆なプロポーズだ」
「じゃ、3月3700日になってから検討しよう」
 
(2020年3月3700日は“普通の言い方”に直せば2030年4月17日になる)
 

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「ライブだけどさ、相互中継しない?」
「中継?」
 
「若林店青葉通り店の両方でライブやってる時は別にいいけど、片方だけでライブやってて、片方ではやってない時は、生中継してプロジェクターに向こうの映像を流して音も流すんだよ」
 
「ああ、それはアーティストさん側の同意があればできると思う。コスモスさんや山崎さんと話してみるよ」
 
「それ時間帯がぶつかった場合も時間差中継できない?」
「それは適当な権利料を払えばできると思う」
「権利料が要るんだっけ?」
「当然でしょ。テレビの再放送だって、ちゃんと著作権料払っているはず」
 
「権利料払うという前提に立てば常に録画を流していてもいいんじゃない?そして概ね夕方くらいからは生ライブ」
 
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「採算を度外視すれば可能だな」
「録画じゃなくてCD流しておけば著作権使用料は安いよね」
「うん。CDは安い。有線だともっと安い、FM放送流しておくだけならタダ」
 
「でもそれだと普通のカフェだもん。何か特徴が無ければみんなスタバに行ってしまうから、少し費用掛かっても、ライブにこだわらない?」
「ちょっと収支計算してみるよ」
 
「そうだ!特徴出すんだったらさ、男の娘メイドをずらっと並べたりするのは?」
「それは全く趣旨が変わってしまうから却下。ハルがメイドの服を着てここで働きたいというのなら、やってもらってもいいけど」
と和実は言ったのだが
 
「給料次第ではやってもいいかな」
と伊藤が言うと
「俺がクビにする」
と小野寺君が言った。
 
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録画放映の件に関しては、(クレールのスタッフではないのだが)冬子がTKRの松前社長と交渉してくれて“プロモーション”ということで、無料で録画を流してよいことになった。また冬子とコスモスの話し合いで、§§ミュージックのタレントさんたちについても、やはりプロモーションの名目で無料で流せることになった。ボニアート・アサドに関しても最初は有料と言われたのだが、兼岩会長が「クレールはボニアート・アサドのホームグラウンドみたいなもんだもん。録画くらい無料でいいじゃん」と言って、これも(クレールでのライブ映像に限り)無料で流せることになった。
 
ちなみに原則として毎月1回行われるボニアート・アサドのライブのギャラはこれまで1回60万円だったが、これをどうせ仙台まで帰って来たついでに若林店と青葉通り店で1回ずつ出演して2回で100万ということにしようという話になっている。
 
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そういう訳で、中継および録画が無料でできることになり、生ライブもしくはその録画を常時流すというのが、クレールの“売り”になることになった。
 

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のと里山海道で2月24日深夜(25日早朝)白いワゴン車を封印した青葉は同日お昼に神谷内さんに連絡してデファイユ津幡地下の小会議室に来てもらった。ムーランでテイクアウトしたランチ(今日は和食店なので天麩羅定食:千里のおごり)を食べながら青葉・千里・神谷内の3人だけの会議である。
 
「何か密談という感じだね」
「そうなんです。悪い相談をしましょう」
 
と青葉は言った。そして「幻のワゴン車」事件が今朝解決したことを語った。
 
そして実際の解決に至った経緯を青葉はこのように説明した。
 
・8号線でパトカーや白バイの後を走っていれば、事件に遭遇するのではないかと考え、何度か夜中に8号線に出てパトカーにうまく遭遇したのでその後を追尾してみた。
 
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・その結果、うまくパトカーが速度違反の車を捕まえる所に遭遇することができた。警官はその車が先頭と思ったようだが、青葉と千里の目にはその先に実体の無い車の影を確かに認めた。
 
・その“幻の車”を見た瞬間、青葉にも千里にもその車が炎上しているように見えた。それでこれはこの道路で事故死した多数の死者の集合体なのではという気がした。
 
・死者の集合体は速度違反の車が積極的に捕まるようにすることで、事故が減ることを祈り、自らおとりを務めていたのではないか。
 
・そこでこの道路で死んだ人たちの供養を再度することで怪異は納まると判断した。
 
・8号線は実際には沿線のいくつかの寺社に分担して守護されている。そこで、これらの神社・お寺を巡礼して祈願をすることにした。
 
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・ところが下見をしている内、守護している神社のひとつである火牛神社の御神木が折れていることに気づいた。これではこの神社は充分な守護力を発揮できない。
 
・そこで杉の植え替えをしてもらうことにした。これで火牛神社のパワーは復活するはずである。
 

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「その巡礼というのは?」
「明日やりますからそれを撮影してください。それから28日に杉の植え替えをしますので、それも撮影してください」
 
「なんか“作った話”という臭いがプンプンするんだけど」
「その付近はあまり深く追求しないということで。今回の事件では“悪者”を作りたくないんですよ」
 
「だったらさ、こういう話にしない?」
と言って神谷内さんは少し違うストーリーを語り始めた。
 

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・金沢ドイル・コイル姉妹は深夜巡回しているパトカーを追尾するという手法でついに幻のワゴン車の出現現場を捉えた。
 
・パトカーが捕まえた車の前方に、実体の無い車の影を確かに認めた。その車を見た時、ドイル・コイル姉妹には、多数の交通事故の映像がイメージされた。それでこれは多くの事故の死者の集合体ではないかとドイルは推察した。
 
・昨年秋頃から突然“ワゴン車”が現れるようになったということは、何か死者を供養している寺社などに異変があったのではと考え、沿線の寺社やお地蔵さん、慰霊碑などの類いを調べてみた。
 
・火牛神社にも多数の交通事故の死者が祀られているからということで、そこもチェックしに行こうとしたら、途中で倒木によって折れた慰霊碑を発見した。この慰霊碑は元は8号線にあったのが道路工事のため火牛神社の旧社傍に移されていたが、6年前に火牛神社が移転した時、移転されそこねて旧社近くに取り残されていた。倒木は昨年秋の大雨で発生したのかも。
 
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・それでこれをきちんと移転して供養すれば怪異は収まると判断した。
 
・移転しようとしていた時、火牛神社の杉が1本折れているのを発見。これも植え替えをすることにした。
 

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「神谷内さん、小説家になれますよ」
と千里が言ったが、要するに原因のメインを慰霊碑ということにして火牛神社の杉の植え替えは“ついで”にすることで、火牛神社には責任が無いことにできる、ということで、神谷内案でいくことにした。
 
“壊れた慰霊碑”はどうしようと言ったら、千里が「そのくらい調達してくるよ」と言うので、お任せすることにして、杉の植え替えをする前日の2月27日に、この撮影もすることにした。
 

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2020年2月25日(火)、青葉・千里(高岡)、冬子・若葉(東京)、和実(仙台)はZoomを使用した緊急会議を開いた。
 
冬子にしても千里しても1月の段階では今回の新型コロナは2002-2003年に大流行し、旅行業界に多数の倒産を出したSARSクラスのものと認識していた(それでもかなり大変なものだと考えていた)。しかし2月上旬の札幌雪まつりでクラスターが発生し、2/13には国内で初の死者が出た段階で、これは100年前のスペイン風邪レベルの人類存亡にも関わる、凶悪なウィルスかも知れないという認識を持った。
 
(2月14日時点での中国の感染者は63865人・死者は1381人、当時国別第2位の患者数であった日本は患者数253人・死者1人である。ちなみにSARSの時は世界の患者数8096人・死者774人で、これを既に大きく上回っている)
 
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2月15日福島、2月16日東京のローズ+リリー公演では入場者全員にマスクとポケットティッシュを配布するとともに、入場ゲートに赤外線サーモグラフィシステムを設置して、体温の高い人の入場をお断りした。咳をしている人は、たとえ喘息や花粉症だと本人が主張してもお帰り頂いた(強面の社員を並べて対応)。また、公演中は声援禁止・私語禁止・手拍子禁止・立ち上がり禁止でクラシックコンサートのように、静かに聴いてもらうことにした。
 
2月23日の津幡公演に関しては、同様の入場管理をするとともに、会場に次のような改造をすることで実施しようと考えていた。
 
・防音を犠牲にして大量の窓を壁に開け、換気扇を設置して強制的に空気を入れ換える。
 
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・トイレの扉は自動開閉・自動ロックに。トイレットペーパーのホルダーカバー撤去
 
・入口にゲートを作り1人ずつ通過してもらって、赤外線で高温を検知したら自動的に閉まる
 
この改造は2月12日に発注した。改造費用としてムーラン建設には無理を言う分のお詫び料を含めて冬子が1億円支払った。播磨工務店・ムーラン建設はアクアゾーンの建設を一時中断してこの改造をわずか10日間でやってくれた。
 
このほか座席にビニール製のついたてを大量に並べて飛沫感染を防止することにした。特に座席の後ろには全てついたてを並べることにして、必死についたての確保に走った。
 
しかし、2月21日に石川県でも初の感染者が出たことで、冬子たちは断腸の思いで23日のローズ+リリー津幡公演の中止、そして以降の全ての公演中止を決定した。そして一段落した2月25日午後にネット会議をしたのである。
 
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この日の会議では、津幡アリーナ、クレール青葉通り店、若林公園の感染対策について話し合った。
 
「取り敢えず津幡のアクアゾーンは開業を無期延期することにした」
「若林公園の体育館その他の建設も適当な時期まで延期することにした」
「津幡の屋内テニスコートと屋内グラウンドゴルフ場も建設延期」
「火牛アリーナでやったようなトイレ改造を、クレール本店でもやってもらったんだよ」
 
「津幡のジョギングコースは、安全確保のため、壁の上部と床部に空気の通る場所を作ることにした。雨風避けは天井から50cm下に新設した棒の下から垂らす。あと、猪避けの扉は全開放することにした」
 
「それ若林公園でも同じことしたい。そちらの工事が終わったらその工事した人たちを仙台に回してくれない?」
「OKOK」
 
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「ムーラン津幡店はトレーラーを地下に入れずに体育館の前で営業しようかな」
「ああ、それがいいね」
 
その他4人は感染防止のため様々な対策を話し合った。ローズ+リリーの公演で使用する予定で大量に調達したビニールのついたてが余っているのは、若葉が全国のムーランで使いたいと言って取り敢えず200枚購入、和実もクレールとテナントさんで使いたいと言って300枚購入した。
 
またクレール若林店は大幅に座席数を減らして“ソーシャル・ディスタンス”仕様にした。クレールでこれがすぐできたのは、元々客室の広さに対して客が極端に少ない!というこの店の特性(?)が幸いした。
 

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