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■春牛(10)
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明日香たちと別れて、青葉たちは“アテンザに4人”(青葉・千里・小枝・ゆう姫)で乗って、道の峠・倶利伽羅源平の郷に戻った。道の駅に着いてから5分ほどで千里3が青葉のマーチ・ニスモを運転して道の駅に来た。
「今出て行くとまずそうと思って遠くで見てた。車置いてってくれてありかとう」
「御飯は食べた?」
「うん。ムーランで食べてきた。“跡”は消しておいたから」
「さんきゅ」
小枝が座った付近に残る“雰囲気”を消してくれたのだろう。青葉は明日にも高岡のムーランに行って処理しておこうと思っていたのだが(今日津幡に居たトレーラーは明日は高岡で営業する)、手間が省けたようだ。
結局、この後《姫様》はずっと示現したままで、千里3は夕食に5人分のお弁当を買ってきた。今度は酢豚弁当だったが、これも小枝は「美味しい美味しい」と言って食べていた。千里3が弁当買いなどの雑用を引き受けているのは、どうも小枝の力を押さえつけるためにパワーのある千里2は絶対に席を外せないためのようである(姫様はどうせ何もしてくれない)。2番はトイレに行く時も“気配を置いたまま”行って短時間で戻って来ていた。
夜中23時を過ぎてから、千里のアテンザに、青葉・千里2・小枝の3人で乗って出発する(姫様は青葉の後ろに戻った)。千里3はマーチ・ニスモでお留守番で、何かあった時のために待機である。アテンザは運転席が青葉、助手席に千里、後部座席の右側に小枝と乗る。青葉としてはあまり自分の後ろに乗られたくないが、こちらを追い越す車を見えやすくするには右側に乗ってもらわなければならない。
この道の駅は旧国道8号線=石川県道215号沿いにあるのだが、その道をまっすぐ金沢方面に進み、浅田交差点を右斜めに進行。8号線方面に向かう。中橋ICに至るが、ここで千里2は「右方向」と言ったので、右方向へのランプを上って国道8号津幡バイパスの本線下りに合流する。
「右車線?左車線?」
と尋ねながら、こないだの出没地点に行くなら右だよなと青葉は思った。しかし千里姉は「左」と言った。「へー!」と思ったものの、そのまま左車線を走り、舟橋ジャンクションで左へ進行、津幡バイパスを走り続ける(右車線なら、津幡北バイパスに進行することになる)。
「右?左?」
と再度訊く。
「右車線」
と千里姉が言うので、青葉は舟橋ジャンクションを過ぎてすぐに右車線に移動した。これは、のと里山海道方面に進行するルートである。
実際、内日角ICで右側《月浦白尾インターチェンジ連絡道路》に分岐する。1km弱走った所で、白尾ICに至り、のと里山海道下り・羽咋方面に進行。
本線に合流した後は、左車線を90km/hほどで走って行く(ここは80km/hの道)。速度超過して走らないとワゴン車には逢えない。もう深夜0時すぎなので車が少ない。みんな好きな速度で走っている。80-100km/hくらいの車が多いが50km/h程でのんびり走る車も居るから注意していないと怖い。ポルシェが140km/hほどの速度で走り抜けて行った。
「あんなのこそ捕まえればいいのに」
「140km/hのポルシェをアルファードで追い越すのは辛いよ」
「それはそうだ」
それで10分ほど走っていた時、千里が
「来たね」
と言った。青葉もほとんど同時に気づいていたが小枝に
「来ますよ」
と言った。
「この窓はどうやって開けるのじゃ」
「ああ、開けますよ」
と言って青葉はボタンを操作して右後の窓を開けた。
「そなた、凄いな。触らずに開けるとは」
などと巫女さんは言っている。
後方から白いアルファードがどんどん迫ってきたかと思うと、右車線に移動して、追越を掛ける。そしてその車が青葉の運転するアテンザに並んだ時、小枝は、その車に向かって叫んだ。
「こら、お主ら、何をここで遊んでいる!?妾(わらわ)と一緒に帰ろうぞ」
すると、その白いワゴン車が、すっと姿を消した。
同時に巫女さんの姿も消えていた。
「わっ」
と叫んで青葉は一瞬ハンドル操作を誤りそうになったが、必死でこらえて、体勢を立て直した。
「青葉、修行が足りない」
「ごめん」
「でもこれで多分解決したね」
「解決した。後は杉かな」
「あ、そうだ。あれを何とかしないと」
「朝になってから魚重さんに連絡しようよ」
「そうだね」
青葉は高松SAまで走り、そこで休憩・仮眠した。
(北陸には高松もあれば福岡もあり、八尾もある)
前座席に青葉が寝て、後部座席に千里が寝た。この車には常に毛布が2枚積んであるらしいが、今は冬季なので掛け布団も2枚積んであり、それを使用した。
車中泊する人には布団派と寝袋派がいるが、千里姉は布団派らしい。むろんエンジンは切る。アイドリングしたまま寝るのは、一酸化炭素中毒の危険があるし、ガス欠の恐れもある。
仮眠するつもりが、結局朝まで眠ってしまったので、(2/25)朝7時に出発。次の米出ICで降りて、近くのコンビニで朝御飯を買って食べる。それから、のと里山海道の上り線に乗り直し、8時半頃、高岡に帰還した。なお、千里3のほうはそのまま倶利伽羅峠の道の駅で車中泊したらしい。
青葉は9時になってからJR西日本に電話して魚重さんに連絡を取ろうとしたのだが、魚重さんは3年前に神戸に転勤したということだった。しかし他の人に説明するのは困難なので、その神戸の部署を教えてもらって、そこに電話を入れた。
「あの杉が倒れていたんですか。分かりました。金沢支店の誰かに動いてもらうことにしますよ」
「それでですね。これをテレビ局に取材させてもいいですか?」
「神社の杉が倒れたのが、そんなにテレビ局が興味を持つようなことですかね?」
「今、お時間あります?」
「じゃちょっと待って下さい。1時間後くらいに電話します」
魚重さんは本当に1時間後に電話してきてくれた。それで青葉は“幻のワゴン車”という事件が起きていたこと、その原因が杉が倒れたことにより、封印が弛んで漏れ出た霊団の一部が悪戯をしていたことを説明した。
「そんな大事(おおごと)になっていたとは。だったら、私もそちらに行きますよ」
と魚重さんは言った。
魚重さんからの連絡でJR西日本の金沢支店は、すぐに杉を植え直してくれることになった。植え替えは2月28日に行われることになった。
ところで、デファイユ津幡(通称?火牛スポーツセンター)の周囲に確保された道路用地は敷地南側の拡張部分とともに、12月下旬に青葉に売却されたら、播磨工務店はその夜の内に、スポーツセンター敷地自体の拡張部分と周囲の樹木を伐採してしまった(いったん千里が所有している山林に置いておく)。
そしてそのあと3日ほどでアスファルト舗装もされ、100mごとに距離を示す数字が道路用白塗料でペイントされた。デファイユ津幡の西入口の所を0/1200として、100/1100 200/1000 と進んでいき、最後は1100/100 である。更に数字のある所の中点50m地点には、津幡町のシンボルである白鳥の絵を(町の許可を取り)描いている。これで一周1.2kmを数字を頼りに自分のペースを保ってウォーキング・ジョギングすることができる。
ここまでできた所で町長さんが視察に来た。
「もう舗装ができたんですか。早いですね」
「まだ外壁を作ってないんですけどね。それができたら、風の強い日でもジョギングしやすくなると思います」
とこの日、多忙な青葉に代わって町長の応対をした千里(千里2)は言った。
「今日なんかも風が冷たいですからね。こういう日に壁だけでもあればだいぶ違うでしょうね」
と町長さんは言ってから
「屋根まではつけないんですかね?」
と言った。
「屋根つけたら建造物ということなって建蔽率やばくないですか?」
「道路は屋根があっても道路であって、建物ではないと思うなあ」
「それ法的に問題なければ屋根くらいつけてもいいですよ。大して費用も掛からないと思うし(千里や若葉の感覚で)」
「ほんとですか?ぜひつけましょう。道路上の屋根はスノーシェッドにすぎないと思いますよ」
この問題は町長さんの方から建設局に確認を取ってくれた。すると町長からの伺いということもあったのか、建設局はそれを雪除けとして認めてくれた。そこでこの周囲の道路には屋根がつくことになり、ここは雨の日も雪の日もウォーキングやジョギングができる場所となった。
屋根の高さは道路の“建築限界”4.5mとした。また、消防車の活動を妨げないようにするため、屋根の内側上部は“めくる”ことのできるカーテン状のものにすることにし、不燃シートを垂らすことになった(風が吹くと“鳴る”かもと言っていたが、実際にはカーテンに錘(おもり)を付けたこともあり、ほとんど音は発生しなかった)。外壁および屋根は超難燃性のポリカーボネート樹脂板を使用する。実はカーテンもポリカ板も千里が所有するPhoniex Chemical 草津工場の生産物である!
外壁と屋根のフレームはむろんH型鋼であるが、千里はその屋根の上に町長の承認を得て太陽光パネルを並べることにした。これは物凄い量の電気を生み出すものと思われた。
また千里は外壁に50mごと(道路に数字または白鳥マークがペイントされた場所)に出入りできるドアを設けた。これは非常時の脱出路とメンテ用を兼ねる。このドアは、万が一熊などは侵入できないように、半自動ドアとし、人間は入口付近にあるカバーを開けて、中の取手をねじると開くようにした。押せば開く方式なら熊でも偶然開けてしまうかも知れないが、ひねるという動作までは熊には無理だろう。
もっとも熊ならそもそもポリカーボネート板を破壊して中に入り込まないかとまで言われると微妙である。力のある熊が出ないことを祈ろう。
またこの周回道路には200m置きに6ヶ所のトイレを設置した。これは男子の立ちション防止の意味もあり、途中箇所には「WC←50m」「WC←100m 100m→WC」、「50m→WC」という表示までつけている。地元の中学校に呼びかけて、このトイレ案内の板に自由にメッセージを書かせた。
・立ちション禁止
・犬じゃなかったらトイレまで行け
・トイレに向かって走れ
・トイレまであと少し。頑張れ
などといったものから、
・防犯カメラにあなたの***が写る
・立ちションしたら切っちゃうぞ
などというものまであった。
「何を切るんですかね?」
と女形ズの福石さんがわざわざ訊くので
「縁を切るんじゃない?」
と答えておいたら感心していた。
なおこのトイレは汗を掻いた後のアンダーウェア交換に使う人も結構あったようである。
この外周道路の外壁は2月に、屋根は3月下旬に、内側の壁とカーテンは4月上旬に完成し、早速ここでウォーキングやジョギングをする人が見られるようになった。なおこの外周道路の数カ所に傘立てを置き、雨の中ジョギングなどに来た人が駐車場に駐めた車からこの外周道路まで傘を差してこれるようにするとともに「レンタル傘」も大量に置いて、急に雨が降ってきた場合に濡れずに車まで行けるようにした。レンタル傘は町で呼びかけて、家庭で余っている100円傘を大量に提供してもらった。
この外周道路の街灯(33.3mおきに設置)はセンサーライトとし、前後50m以内に人がいれば点灯するようにして、夜間のジョギングをする人の便になるとともに、周囲への光害にはならないよう配慮した。
なお、この道路は通常は車両乗り入れ禁止で、ウォーキング・ジョギングする人とせいぜい伴走する自転車の専用道路である。出入口の所には車止めポールも設置している。ここに入れる車は消防車・救急車などの緊急自動車とメンテ作業の車両のみである。
デファイユ津幡の“臨時プール”には長野での高地合宿が終わった後の11月22日から、日本代表候補女子長距離陣の6名と水野コーチが“自主合宿”をしていたのだが、まず12月1日(日)に学校に出なければならない金堂さん(仙台在住)と自分のクラブに戻らなければならない水野コーチが離脱した。その後も、青葉と竹下リルは主として夜間、ジャネは主として朝から晩まで、大学生の南野と永井は泊まり込みで卒論を書きながら随時泳いでいたが、永井は卒論のまとめに入るとして12月15日に地元に戻った。
南野さんがずっと居るので青葉は
「卒論大丈夫ですか?」
と訊いたら
「うちは提出2月だからもうしばらくここに居る」
と言って、どうも実際には論文など書かずに、ひたすら泳いでいるようだったので、大丈夫かな?と心配した。
なお、ここに滞在している間の食事は若葉さんが「日本代表を応援したい」と言って無償で提供してくれている。朝昼晩の食事が届けられる他、ムーランの“パス”を渡されているので、行けばいつでも好きな物が無料で食べられる。プールの維持管理費は青葉が出しているし、宿泊は播磨工務店の建築用宿舎に泊まっているので、お小遣い程度の費用で滞在可能である。泊まり込んでいる技師たちのためコインランドリーも設置しているので、洗濯もそこでできる。
南野さんは2月になってから、1週間だけ地元に戻り、また来てひたすら泳いでいた。それで2-3月にここで泳いでいたのは、日本代表候補組では、青葉・ジャネ・竹下・南野の4人である。他に希美・夏鈴・月見里姉妹も来ていたし、杏里や管理人の布恋まで監視しながら?泳いでいた。
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