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■春気(16)
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さて、オリジナルのプロットは上記のようなものだったのだが、大曽根さんが女装のアクアの写真を見て、登場人物を1人増やすことにしたのである。
カオル・ワタナベの妹カオリ・ワタナベという日伯ハーフの少女が登場する。タロウはヨゼフ・ケーニヒと改名され日系ブラジル人ではなくドイツとブラジルのハーフと設定変更になる。それで各々が話せる(ことにする)言語はこのように変更になった
フランツ・ケーニヒ ドイツ語・英語・フランス語
カオル・ワタナベ 日本語・英語・中国語
カオリ・ワタナベ 日本語・ポルトガル語・スペイン語
ヨゼフ・ケーニヒ ポルトガル語・ドイツ語・グアラニー語
それで4人は実は兄妹という設定にする。
フランツとヨゼフはお父さん(ドイツ人)が同じ
ヨゼフとカオリはお母さん(ブラジル人)が同じ
カオリとカオルはお父さん(日本人)が同じ
カオルとフランツはお母さん(イギリス人)が同じ
という設定にした。それでフランツとカオルは英語で話せ、カオリとカオルは日本語で話せ、ヨゼフとカオリはポルトガル語で話せ、ヨゼフとフランツはドイツ語で話せるのである。
結局どの言語を使っても2人は分かるが2人は分からない。共通言語が無いので意思伝達が大変だというのは同じだが、3人だと2人が話している時に話が分からない1人が疎外感を感じやすいのに対して4人にすることで、2人が話している時、その言葉が分からない残りの2人は2人で話ができるので、疎外感を感じることがなく、団結力が生まれやすいという改善がされている。
また女の子を1人混ぜることで、特に彼女と直接話ができないフランツが悩む姿が描かれることになる。そして実はカオリと血が繋がっていないのはフランツだけなのである!
この映画はドイツのモンド・ブルーメ社と日本の中映の共同制作になるが、舞台が日本になることもあり、撮影は中映との関係が深い実働部隊である大和映像が担当する。監督・制作はドイツ人のクラウス・ユンケルである。助監督兼撮影は英語・ドイツ語・ポルトガル語(・日本語・スペイン語)ができる河村貞治監督が指名された。
実は河村は大学を出た後5年間ハリウッドの映画会社で働いていたのだが、その時ユンケルも同じ映画会社に居て、河村はユンケルの助手を何度も務めたことがあるのである。河村の合理的な撮影技法とダイナミックなフレームの取り方は当時ハリウッドで鍛えられたものである。
今回の企画はリョーマ・ケルナーを起用した気球旅行映画を撮りたいという所から出発しているのだが、彼が日系6世であることから日本で撮りたいという希望があり、日本の若手人気俳優であるアクアに白羽の矢が立った。そして映画の企画がドイツの映画会社を中心に進められたことから、ドイツの若手人気俳優のミハエル・クラインシュミットが起用され、日本で撮影するということでユンケル監督がハリウッド時代の後輩である河村を指名したのである。そこで最終的にモンド・ブルーメと中映の共同制作ということになった。
中映は5年前にも日本人の男の子がドイツに住む父親を単身で訪ねていく『ドレスデン・ドール』という美しい映画をモンド・ブルーメ社と共同制作していた(主演は実際には日独ハーフの“女の子”田中エルゼちゃん(当時9歳)で、ベルリン国際映画祭にもノミネートされた)ので、わりとスムーズに話がまとまった。今回は彼女にも今度は“性転換して女の子として”ゲスト出演してもらう話も進んでいる(田中エルゼは現在はインド!在住である)。
大曽根部長は言った。
「この映画は一応建前としては、ミハエル・クラインシュミット、アクアちゃん、リョーマ・ケルナーの3人のトリプル主演ということなんだけど、どうしても中心になるのはクラインシュミットになると思う。それでアクアちゃんが脇役扱いされて気を悪くする場面もあるかと思うんだけど、それでもやる?」
「全然問題ありません。クラインシュミットは世界のスターですし、私はまだまだ駆け出しです。『ほのぼの奉行所物語』でも私は脇役ですよ」
とアクアは笑顔で言った。
「うん、だったら問題無い」
と大曽根部長は言ったが、コスモスは
「クラインシュミットがヒーローで、アクアはヒロインだったりしてね」
などと突っ込む。
大曽根さんは笑っていたが、アクア(今日来ていたのはM)は少しだけ悩んだ。
映画の主な配役は撮影日時が近づく12月になって、このように決まった。
フランツ・ケーニヒ ミハエル・クラインシュミット
カオル・ワタナベ アクア
カオリ・ワタナベ マクラ
ヨゼフ・ケーニヒ リョーマ・ケルナー
カオル・カオリのボディダブル 今井葉月
フランツのマネージャー エミール・パーゼマン
カオルのマネージャー 小野寺イルザ
追われる少女歌手 田中エルゼ
彼女の父親 ゲオルク・オーフェルヴェック
ヤクザ 佐々木圭助・田代雅弘
仏像研究家 クルト・ジンダーマン(ドイツ)
マタギ バーナード・カーター(オーストラリア)
修験者 暁昴・獄楽(サウザンズ)
温泉宿の主人 ラモス・プレステス(ブラジル)
温泉宿の女将 祥田淑子
温泉宿の娘 姫路スピカ・今井葉月
なお“マクラ”は映画のオープニングタイトルで
Fünf Tage im Ballon
Cinco dias em balão
Five Days in a Baloon
気球に乗って五日間
という映画の題名表示の後、
Michael Kleinschmidt
AQUA
MAQURA
Ryoma Kellner
と主役4人が表示されるのだが、エンドロールの時は MAQURA という文字が、いったんバラバラになり、踊り回った後 MR AQUA と並び直すという趣向になっている。つまり MR AQUA のアナグラムだったのである。
なお今回のスタッフの中で“アクアの従妹のマクラ”を唯一実際に見たことのある河村助監督はアクアに「従妹のマクラちゃん、アメリカから日本に呼べない?」と打診したものの「勘弁して下さい」と言ってアクアはいったん断った。
しかしアクアはコスモスと相談の上、アクアたちと河村助監督のみが居る場所で他のスタッフや俳優さんが居ないところでならマクラを出してもいいと同意した。アクアとマクラ(実はアクアMとアクアF)が同時に使えると、カオルとカオリの会話シーンなどを容易に撮影できるのである。それで河村助監督はマクラちゃんの航空券代と言って、アメリカと日本の往復ファーストクラス運賃をアクアに渡してくれた。
撮影は1月20-25日に気球が飛ばしやすく風景が比較的日本と似ているオーストラリアで撮影し、その後、1月27日から2月3日まで日本ロケをおこなう。オーストラリアでの撮影も発生したことから、現地の協力映画会社からバーナード・カーターを推薦され、日本に定住した“外人マタギ”という役が与えられた。ドイツ人の仏像研究家なども登場し、国際色豊かである。
今回脚本は、ユンケル監督の友人で彼の映画の脚本を多く書いているリハルト・バウマンだが、彼は日本人を母(実は1960年代に日本で活躍した声優)に持つ。それで日本語(と英語)が分かるので、多くの俳優さんたちとスムーズにコミュニケーションが取れた。リョーマも実際には英語は分かる。彼は日本語は“覚えたい”と思っているが映画撮影時点ではまだ習得していない。なお、監督・脚本・助監督の3人は主としてドイツ語で会話している。
千里3は悩んだ末、アクアにも葉月が分裂していることを教えることにした。今回の映画ではそうした方が双方の負担が楽になりそうなのである。
それで1月下旬の平日に葉月には学校を休ませ、アクアMが仕事に行っていてFが代々木のマンションで休んでいたタイミングでアクアのマンションに2人の葉月を連れて行ったのである。
「うっそー!?西湖ちゃんも分裂しちゃったの?」
とアクアFは驚いていた。
「おかげで、最近学校の授業も頭に入るし、宿題もできるんですよ」
「それは良かった!」
「実際、龍ちゃんにしても西湖ちゃんにしても、とても1人では身体がもたないでしょ?」
「そうなんですよ。ホントに仕事の量が凄くて」
「まあ20歳くらいまでだろうけどね」
「そうかも知れない気はします」
それで2人の西湖とアクアFは今回の映画撮影での“入れ替わり”の基本方針を話し合ったのである。
「じゃ温泉で男湯に入るシーンはアクアMで。マクラが女湯に入るシーンはアクアFと西湖Fで」
「それだと何も問題がないですね」
「河村さんに言いなよ。女湯シーンはマクラにやらせるって」
「そのシーンはどうやって撮影するか河村さんも少し悩んでいたみたいだけど全員女の子なら全く問題無いですね」
「そうそう」
「それともMは女湯に入りたがるかなあ」
などとアクアFが言うが
「Mにはそういう仕事はさせないようにしていった方がいい」
と千里は助言した。
「そうですよね!あの子も男の子という自覚を持って欲しい」
とFは言っていた。
『気球に乗って五日間』の撮影は1月20日にオーストラリアでスタートした。
まずフランツとカオルが8月10日(月祝)に各々博多でライブをする場面から始まる。これは実際にはシドニーの国際コンベンションセンターで撮影された。
この時期、中国で新型コロナウィルスが猛威をふるっていることが報道され、他の国にも飛び火しないかと不安が高まっていた。そこで、観客であるが、オーストラリア又はニュージーランド“在住”の東アジア系の人で“昨年12月以降国外に出ていない”人を2000人以上、それ以外の人で、やはり国外に出ていない人4000人程度を希望者を募って招待し、無料公演をおこなった。
するとアクア、ミハエルともに世界的な人気があるので、実際には東アジア系の人3000人と、オーストラリア人・ニュージーランド人6000人の9000人程度を集めることができた。実際の撮影の時は、全員赤外線モニターで体温チェックし、咳をしている人も除外させてもらっている。パスポートで外国に出ていないことも確認させてもらう。また観客には全員マスクを配って装着してもらい、ライブは立ち上がりも声を出すのも禁止である。東アジア系の人を前方の座席に集め、オーストラリア人・ニュージーランド人は後方に座らせる。
むろん名前を呼ぶときは「アクア」「ミハエル」ではなく「カオル」「フランツ」である。
この撮影は1月25日(土)におこなっている。オーストラリアでの撮影の最終日である。映画の中では8月10日(月・山の日)に行われたという設定である。これはお盆の時期の日本の風景を描くのがひとつのテーマになっている。日本の8月の風景を描く映画を南半球で1-2月に撮影するというのは理にかなっている。
このライブは、なにげにアクアの初海外ライブ、ミハエルの極めてレアなライブである。ミハエルはまだブレイク前にボンのライブハウスで何度か歌ったことがあり、それ以来だったらしい。
観客の前で、アクアはこの撮影のためにピンポイントで呼び寄せたエレメントガードに伴奏させて1時間歌い、席をシャッフルして前列の方の人の顔の並びを変えた上で、ドイツで活動しているバンド・ラインライン(彼らもピンポイントでオーストラリアに呼んだ)の伴奏でミハエルが1時間歌った(ミハエルはCDとかは出していないものの結構歌が上手い)。その上でオーストラリア・ニュージーランドの観客へのサービスで、前方と後方を入れ替え、撮影には関係無いのだが、アクアのステージとミハエルのステージを30分ずつおこなった。その後、更に少し撮影しているのだが、これは後述する。
このライブの撮影が終わった後、どちらも(8月15日(土)に東京で行われるライブのために)東京に移動しなきゃという話になるが、ここで2人とも博多空港(セット)に行くと飛行機がオーバーブッキングで乗れないと言われる。GH役と通行人はオーストリア在住の東アジア系のエキストラだが、セリフを言ったのは第2カメラマンの美高鏡子である。
「あれ?フランツだ」
「おお、カオル、奇遇だね」
と兄弟である2人は空港のカウンター前で出逢って英語で会話する。
双方のマネージャーも挨拶して新幹線で移動しようと言って一緒に博多駅に行くと(ここもセット)、こちらは事故のため止まっていていつ再開するか分からない言われる。こちらも駅員役・通行人役はオーストラリア在住の東アジア系エキストラだが、セリフを言ったのは河村助監督である!
この駅で2人はカオリと出逢う。
「カオリ何やってんの?」
「あ、カオルお兄ちゃん」
と2人の会話(日本語)。ここは普通なら葉月をボディダブルにし、2度撮影して後で画像処理するのだが、今回河村助監督は葉月にカオリ役をさせて1度だけの撮影にした。
「大丈夫。ちゃんと合成できるから」
と役者さんやスタッフに説明していたが、実は後でアクアとマクラを使って再撮影し、その映像と繋ぎ合わせる魂胆なのである。
カオリを見たフランツが熱い視線を送っているが、カオリはその視線に気づかない。カオリのことは話には聞いていたものの、実際に会ったのは初めてであった。
そこにカオリの兄・ヨゼフがやってくる。彼はフランツの兄でもある。彼は元々カオリと博多駅で会う予定でここに来ていた。
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春気(16)